01 : Day -52 : Shakujii-kōen
校内にざわめきが広がりはじめたのは、午後になってからだった。
警察車両がつぎつぎと乗りつけるに及んで、チューヤは戦慄した。
「また逮捕かよ」
などという懸念は早々に払拭されたが、事件が起こったことはまちがいない。
「2年のだれかが殺されたみたいだぜ」
「惨殺らしい。全身、真っ赤だったって」
「犯人は生徒たちのなかに紛れているらしいぞ」
「女だってよ!」
そんな噂が飛び交うなか、自習だった5限目が終わり、すぐにHRとなって「早く家に帰るように」と担任に言い置かれて、放課となった。
「怖いねえ」
サアヤと並んで歩きながら、部室棟に向かう。
──そこは完全に立ち入り禁止となっていた。
「数学部の部室で殺されたっていう話だから、部室棟は立ち入り禁止もしかたないな」
「数学部じゃない、数理部だ」
背後からの声にふりかえる。
「よう、ケート。この調子だと」
「ああ、わかってる。本日の部活は中止だな」
「しかたありませんね」
ケートの横にはヒナノがいる。
「材料、来週までもつか?」
リョージの声に、
「あたしが食ってやるから、あたしのためだけに料理しろ」
マフユも姿を現して言った。
見まわせば三々五々、各所に、それぞれの部活のメンバーが集まって、これからの行動について話し合っている。
当然、帰宅するのが正解なのだが、部活動として決めておかなければならないことも、それなりにあるだろう。
「チューヤ、材料だけ回収してこいよ。それで、どっか別のところで鍋やろうぜ」
「なんで俺が」
「警察関係者ってことで」
「逮捕される側でしたけどね!」
「てか、数理部ってはじめて聞いたよ。そんなのあったんだねえ」
「あのな、天才数学者であるボクが、何度も誘われ、そのたびに鍋部のためを思って断りつづけてきた、理系特進にとっては夢の部活だぞ」
「移籍しろよチビ。おまえの分、食い扶持が増える」
「なんだと蛇、おまえこそ冬眠しろ」
「きょうのメニューは、なんだったのですか?」
「部室の冷蔵庫を見て決めようかと」
リョージは軽く肩をすくめて言った。
「最近、手抜きが多いですよ……」
その手抜き料理さえ食べられないことを内心悲しんでいるなど、もちろんヒナノはおくびにも出さない。
「さーて、どうすっかなあ」
両手を挙げて伸びをしながら、首をまわすチューヤ。
一応、いろいろ考えてはいる。
「チューヤは行くところ、いっぱいあるんだっけね?」
しかたないからきょうは付き合ってあげるよ、という表情のサアヤ。
私の意見も採用しろよ、というプレッシャーを伴って。
「それにしても、数理部のやつら。まさかあの逆数問題を……」
「しっかしキキのやつ、ほんとにやっちまうとはな……」
そのとき、ぽつり、と左右でそれぞれに独言された声を、チューヤは聞き逃さなかった。
ふりかえり、順に人差し指を突きつける。
部員たちの注目が集まる。
「どういうこと? ケート、マフユ、なんか知ってるの!?」
「いや、ボクはたいしたことじゃない。数理部で、悪魔召喚プログラムの話題が出ていたから、ちょっと眺めていたが、危険なテーマをやっていた気がしたので助言した」
「助言?」
「自然数の範囲で逆数の関係を満たすのはx=y=1しかないが、0を除く任意の有理数、実数、複素数にはつねに逆数がある。乗法において逆元、加法においては反数だが」
「簡単に言うと?」
「簡単だろ。小学校の算数だぞ、逆数は。まあ突き詰めれば、オイラーのトーシェント関数やフェルマーの小定理もかかわるが、悪魔召喚プログラムに代入する概念としては、ベズーの等式の整数解を」
これ以上聞いても無駄だと判断し、チューヤはマフユに向き直った。
「それで、マフユは?」
「あたしも、たいしたことじゃない。うちのクラスに、好きな男がいるっていう女がいたから、男なんてやめておけと忠告した」
「なんだその忠告は。それだけ?」
「いや、どうしてもその男がいいって言うから、どうしたらいいか教えてやった」
「……まさかとは思うが、どうしろって言った?」
「男が女に対してやるのと同じことをしろって言っただけだよ」
「聞くのが怖い気がするが、具体的にどういうこと?」
「拉致監禁して拷問強姦しろ。言うこと聞かなかったら殺して埋めちまえ」
「おまえな! そんなことする男がどこにいる!?」
「いるだろうが。映画にもなってるぞ」
いやそうな顔をして彼らのやり取りを眺める部員たちを代表して、チューヤは精一杯、突っ込む。
「特殊な例だから映画になってんだよ! そういうサイコキラーの真似をしろとか、どういうアドバイスだよ!?」
「ふん、男なんてそんなもんなんだよ。あたしのまわりの男は、だいたいそんな感じだぞ」
「ちがいます! まったく、どういう仲間とつるんでるんだ、おまえは」
突っ込むことに疲れ、チューヤは息を切らせた。
「じゃ、そのキキって女が、数理部の好きな男を殺して逃げてるのか?」
「原島希紀、って商業の子が、朝はいたけど帰りのHRでいなかったって」
サアヤが情報を集めてきた。
どうやらまちがいないようだ。
「おい蛇女、出頭しろ」
「なんでだよ! あたしは、なんもやってない」
「殺人教唆になるだろ、なあチューヤ」
「い、いや、そこまではならんと思うけど」
この先で起こっている事件に、多かれ少なかれ仲間たちがかかわっているとすれば、参考人聴取くらいはされるだろう。
と、そんな不穏な空気に合わせるかのように、目のまえの空気の流れがゆがんできた。
一同の表情が硬く、引き締まる。
境界化は、ただちに彼らを呑み込んだわけではない。
誘うように、チューヤたちに向けて口を開いている。
そう表現することもできるが、逆に、拒絶するかのように距離を置いている、と言い換えることもできる。
「問題を解決しろ、とでも言いたげだな」
「RPGなら、新しいクエスト、ってことだろうね」
「どうするんだ、チューヤ」
彼らはまだ、こちら側にいる。
もしこのミッションに挑むなら、あちら側へ進めばいい。
この流れだと、6人全員で、このミッションに挑むこともできる。
なかで、なにが起こっているのか、どんな悪魔が待ち受けているのかはわからない。
だが全員でひとつのミッションに向かうという経験は、あってもいいような気がする。
──ふと、気づいた。
「……屋台?」
裏門の横、通用口のところに一台のリヤカーが止まっている。
メロディが聞こえる。
「セーブ屋~書くだけ~♪」
めずらしい呼び声だが、どこかで聞いたような気もする。
それに、境界との境界に屋台が待っている、というのも珍しい。
チューヤは仲間たちに一言言ってから、その屋台に向かった。
「セーブ屋~、書くだけ~。メディアに~、書くだけ~。日本で、専念、2枚で、千円。昭和と変わらぬ、お値段です。セーブ屋~、書くだけ~♪」
看板には「上州名物」「セーヴオン」とある。
「合併買収されて消え去りそうな名前だなおい。……邪魔するよ」
一応、のれんをかき分けるしぐさをするのが、この手の屋台に対するお約束だ。
「はぁ、御用きゃあ?」
訛りの強い上州弁で、ひげの親父はチューヤに視線を向けた。
酒焼けした、だるまに似た顔をしている。衣服はダボシャツに腹巻、丈の短いズボンを履いていて、あとはウインドペンチェックのジャケットに茶色の中折れ帽をかぶせれば、どこぞのフーテン男のできあがりだ。
「へい、おやじ。この店はなんだい?」
「売り声の通りだんべさ。媒体に情報を書っ込む店だいのぉ」
売り声は、さおだけ屋そのものだ。公安のように、あちこちを徘徊していて、情報を収集している、という都市伝説がある。
要するにセーブポイントらしい、と判断した。
「セーブオンって、西武の御曹司がはじめたからじゃないの」
「ちがうわ! 母体はいせやで、1号店から群馬を本拠にしとったんべ」
このやりとりは、とくに掘り下げる必要はない。
リヤカーの側面に、さまざまな穴が開いていることに、チューヤは目を止めた。
「この穴は?」
「へえ、それは媒体の穴だのぅ。パンチングマシーンによる紙テープから、磁気テープ、フロッピー、光ディスク、コンパクトフラッシュまで、なっからのメディアをつっとさせんべえ。コネクタもな、はぁ糸電話から豆電球、アナログピン、SCSI、USB、eSATA、HDMI、FTTHだってよぉ、直結でぎんべさ。まっとある、電波もさんざっぱら……」
老人でもなかなか聞かれないような群馬弁で、自慢気に屋根のパラボラを指さして説明されるまえに、チューヤは核心に切り込む。
「で、なにをしてくれる店なんだ?」
「……へえ。昔のビデオテープやら、いいあんべえに最新のフラッシュディスクにおっこくってみたりとか、写真ひっぺがすてデータ化すたり、ずでえやっとんべ」
古いメディアを新しいメディアに置き換える業務、ということのようだ。
それ自体はいいが、ひどく胡乱な、なにかを感じさせる。
商売そのものは、さして耳新しくはない。
古いVHSのデータをPCに移したいとか、写真をスキャンして記録しておきたいという需要は、つねにある。
この店がそれをやってくれるというなら、屋台を引いてまわる意味もたしかに、あるのかもしれない。
だが、チューヤは見抜いている。
この店の本質は、そんな当たり障りのない通常業務にはない。
むしろ彼らの本来業務こそが、
「セーブポイント、と呼ぶお客人も、はぁ、なからおられんべなあ」
量子化情報の保存。
まだ右でも左でもありうる可能性を、決定以前の状態に保存しておいて、先へ進むこと。
「道をまちがっても、やり直せるのか……」
ぎろり、と店員の視線が鋭さを増す。
「世の中、そう甘くぁあんめえよ。この店は、にしん(あなたに)とったら、ただの気休めにしかなんめ。世界はパラレルに進行しとって、たてえ(たとえ)、にしがどんな道ぃ選んだとこで、にし自身はその道をとびっくるしかねえ。でんげろう(転ぼう)が、ふんごかれ(踏んずけられ)ようが、はっとばされ(たたかれ)ようが、しょんなかんべ。ただ、保存した時点から先、べつに敷かれた道を選ぶ後続の可能性に対すて、ひとつの指針を与えるこたぁ、はぁできんべなぁよ」
「……後続への、指針」
「にしの心ぁ、安らぐはずだ。にしぁまちがっても、別のにしぁ、そのまちがいを糧に、正しい道を行く。にしぁ、にし自身の役に立つかんな。情けは人の為ならず、セーブは己のためならず、だんべぇ」
これからチューヤが死ねば、そこで彼の人生は終わる。
彼自身、最初から信じている通り、死んだ者は絶対に蘇らない。
それが摂理であり、人生というものだ。失敗するまえの状態にもどって、やり直すことはできないし、できるべきではない。
それでも、自分がここまでやってきたことは、記録されるのだという。
「気休めにはなる、か。頼むよ、オヤジ。記録してくれ」
「へい、毎度。……ライト、アカシック」
オヤジがリヤカーの中央にある覆いを外すと、そこには水晶玉のように光る端末があった。
チューヤの手が、その丸い球らしきものに当てられると同時に、量子化された存在情報、可能性のすべてが、次元の狭間に記録されていく。
これによって、現時点の彼に、なんらかの変更が加えられることは、ない。
ただ、将来の可能性に指針を与えられると信じて、まえへ進むことができる。
彼自身にとっては、ただの気休め。
だが、巡り巡って自分の役に立つときも、あるのかもしれない。
だから、チューヤは、記録する。
アカシックレコードに、自分が存在したことの証拠と、そうした理由を。
──瞬間、フィードバックがやってきた。
この向こうで、起こる可能性のある出来事が、チューヤの脳に刻み込まれる。
「どういうことだ。進むと、俺、死ぬのか……?」
はっきり見えたわけではないが、そういうイメージが押し寄せてきた。
「そう見えたんなら、そうかもしんねえ。それをあらかじめ知っとった別のにしが、この時点から、はぁ行動を開始する可能性もある。それが多元宇宙ちゅうもんだんべ」
「タイムパラドックスとか、そういうやつ?」
思いつきを言ってみる。答えはNoだ。
インフレーション宇宙にパラドックスはない。彼が死ねば、彼は終わる。
だが、彼の死を参考にして行動する、別の彼がいる可能性の世界もある。
たとえばチューヤはいま、この先へ進まないほうがいいと思った。
進めば死ぬ(可能性がある)からだ。
より正確に言えば、そうやって死んだ彼が、別の宇宙に存在した。
可能性の数だけ、宇宙は存在する。つまり、無限だ。
人間は、それらの可能性のなかから、いくつかの経験を選んで進み、積み重ねる。
「宇宙は宇宙に満たされとる。セーブ屋は、多元宇宙をつなぐ屋台なんだべさ!」
オヤジは声を張った。
この言葉が、彼の仕事の「プライド」の部分を構成している。
宇宙を疾走する屋台のイメージが思い浮かんで、チューヤはすこしげんなりした。
「……そっすか。それはそれは」
「忘れんな、にしの人生は、にしが死んだら終わりだとな。……まーずむずかしぃ考えるこたねえ、わっきゃなかんべ。ほいよ」
本当にむずかしく考えることはない、なんてことはない。
ほらよ。と、差し出された箱。土産だという。
黙って受け取りつつも、
「おっかねえ……」
「毎度。また来ない」
また来てね。
そう言って、セーブ屋はリヤカーを引き、すたすたと歩き去っていった。
セーブポイントは移動する、というのがこの世界の常識らしい。
チューヤからは、とくに代金を支払っていない。
上州おやじの給与は、アカシック・レコード協会からでも支給されるのだろうか。
ともかくここに、チューヤは3大屋台のすべてと出会ったことになる。
これから先、徒歩引きの2輪のセーブ屋には、もっとも頻繁に会うことになる。
チャリ引きの3輪の回復屋は、そのつぎに会いやすい。
軽トラ移動の4輪・道具屋に会う確率は他の屋台よりは低いが、重要なアイテムを供給してくれるので欠かすことはできない。
──セーブ屋によって運命が変えられるとしたら、それだけ無数のチューヤが失敗をくりかえしてきたということだ。
そろそろ成功してもいいだろう。
無数のチューヤが、そう言っている気がする。
屋台をコンプリートした彼は、ゆっくりとフィールドにもどった。




