95 : Day -53 : Sangenjaya
ゲーム会社などというものは、日付が変わらないかぎりは「当日」だ。
もちろん、当日のうちに帰れるなんて、恵まれた環境。
そういう「死の行進」の世界に、彼らは日常、生きている。
「サルシマァアア!」
「む、室井さぁん、デスマーチブリッジ、通過できませぇん!」
絶叫が響きわたる株式会社タイタン第2開発室。
チューヤは休憩室でコーヒーを飲みながら、その顛末を眺めている。
「デバッグはβ版でするもんじゃない。パッチで対処するんだ!」
「それこそ事件っすよ、室井さぁん……」
死の叫びが轟く開発室に、俺、将来は公務員になろう、とチューヤは思った。
ゲーム会社の開発とは、かく恐ろしいものだ。
──その後、だいぶ待たされた。
社内の人数が半減してから、ようやく休憩室に室井がやってきた。
「すまんな。来月、大型アップデートがあるもんでよ」
室井が疲弊した表情で、コーヒーを一気飲みする。
「楽しみにしてます。……霞が関エリアの悪魔たち実用化、ですよね」
放課後、サアヤの淹れたインスタントコーヒーがまだ胃に残っている気がするチューヤは、宿命的なこの展開を、ケートからヒナノの流れに重ねて思い返してみる。
……偶然か。
ぴくり、と室井の眉が跳ねた。
ヤハウェ、パーテル、アッラーフ……。
本来、触れてはならない世界の「悪魔」たち。
「昔からラスボスだったじゃねえか、YHVHとかよ」
「ですね、ただのキャラですもんね」
宗教的なトラブル回避の本能が働くが、そんなに大きな話をしなくても、まだ片づけるべき目先の話題が多すぎる。
「聞きたいのは、そんなことか?」
「いや、いろいろありすぎて……。じゃあ、根本的なところから。この世界を呼んだ人間って、だれですか?」
悪魔が地球を侵略にやってくる。
それが悪魔主導で、彼らがそうしたいからやっているだけで、人間はただの被害者、徹頭徹尾わるいのは悪魔、だって悪魔だから、というふうに問題を片づけられるなら、それはとてもシンプルでわかりやすく、2秒で得心のいく話だ。
だが、そうではない。
悪魔の世界は、人間が呼び出した。
その世界をつくった諸悪の根源は、人間でもある。
人間こそが悪魔なのだ。
そういう主張は最初からあって、じっさいにこの世界を呼び出した人間が、いるという。
「俺があいつらを呼んだ、とでも言いたいのかい?」
「までは言いませんけど」
「言われたところで、そんな力ないですわー、としか答えらんねえな。さっきも言ったろ。俺は見たままを描いてるだけだ。やったのは、お偉いさんであり、力のある人間だよ」
「室井さん力あるでしょ」
「ないよ。俺はただの部品だ。見たままの世界を写してる、ただのコピー野郎だよ」
室井は言って、設定資料らしい紙の束をテーブルのうえに投げ置いた。
チューヤは、社外秘にちがいないその紙の束を手に、首をかしげる。
いちばん上にある設定資料が、このさい最重要だろう。
「これ、マリアリスと、アンネイア……ですよね」
グラフィック上は、不思議の国のアリスと、アンネ・フランクをモデルにしているらしいキャラ、ということまでは類推可能だ。
「そうだ。京橋と宝町に配置されてる、魔人だよ」
「許可とってんすか?」
「アリスは著作権切れだろ。アンネは……まあ、イスラエルに気づかれない程度に、寄せてるだけだよ。というか、もちろん認めねえよ? そんな権利問題が発生しそうなキャラ。ただでさえおっかねえんだからな、ユダヤ教の組織や財団はよ」
などと言いながらも、最大の事案ヤハウェは永田町にいる。
モサドと正面切って戦うつもりかもしれない。
「イスラエルの諜報機関に消されないように祈ってます。……で、この魔人は?」
本来、『デビル豪』のキャラは、既存の悪魔や天使、神、妖怪といったたぐいの名前を、そのまま使用することになっている。
だが、マリアリスとアンネイアだけが、単にそのまま使っただけではない「合体事案」となっている。
「聖母マリアと、幼女アリスを合体させましたとさ」
冗談めかして言う室井。
「冒瀆的っすね」
「冒瀆されたんだよ、現に。だから怒り狂って、てめえらぶっ殺してやる、こっち来いよ、っていう話になったのさ」
京橋の魔人マリアリス。そして宝町の魔人アンネイア。
このふたりの魔人が、悪魔の世界線が交わろうとする事案の、最大の理由になっているということだ。
ゲーム内でも、まだその背景は明かされていない。
「えっと、マリアリスが? これ、背景がよくわからないですよね。魔人でもペイルライダーとかバビロンの淫婦は、ある程度有名だし、バックには聖書とかに由来する物語があるんでしょうけど、アンネイアって……」
グラフィックは日記で有名な少女に類似。
データ欄はアンノウンというところまでは、業界的には流布している設定だ。
ネトゲらしく、リリース当時にはデータを追加せず、アップデートで徐々に完成を目指す。最近のゲームの作り方は、だいたいそういうことになっている。
「アンネイアは、アンネと……さあ、だれだろうな? おまえも、もう知ってんじゃねえのか? 厄介な話でな、下手するとシナリオに整合を欠く。だからデータ自体、まだ表には出せない」
「シナリオの整合……?」
いぶかるような視線の高校生に、室井は両手を挙げて降参する。
「ぶっちゃけると、変なバグが発生してるだけなんだが」
「最初からパッチありきで、デバッグさぼるのやめましょうよ」
室井は開き直り、
「ばかたれ、自転車操業のソフト屋にそんな余裕あるか。10ギガパッチあたりまえの時代だぞ」
「いいですけど……。じゃ、鍵を握ってるのは、このふたりの魔人なんですね」
「特攻するのは勝手だが、気をつけろよ。東京駅周辺は、だいぶヤバいからな」
「知ってますよ。それ以前に、ヤハウェとかアッラーフとか、ああいう名前つけちゃまずいと思いますけど」
レリジョン・フリーモードがあったにしても、だ。
21世紀初頭、唯一神の名をぼかした表現まで後退していた時期もあったが、神と悪魔を冒瀆するのが『デビル豪』、というまさに冒瀆的な稟議が通り、あらゆるタブーは排除された状態で現在の開発は進行している。
「信じる人間の数が多いほど、力は強くなるんだよ。業界の常識だろ。しょうがない」
「そんななかに、だれも名前を知らない魔人がふたりいるって、たしかに変ですよね。そうか。ここを調べれば……」
「簡単には見つからねえよ。本棚の後ろの、秘密の入り口でも探すんだな」
「モサドに刺されますよ」
アンネ・フランクのエピソードは、チューヤもどこかで読んだことがある。
いや、これはあるいは『天路歴程』なのかもしれない。
「アンネイアが隠されていることは、事実だ。そこは表に出してはいけない世界だからな。そうやって太陽の下から隠されて、苦しみと、痛みと、悲しみと、怒りと、淫らさと、その他、表に出せない欲望の数々にさらされ、傷つけられた果てに、密室の奥、閉じ込められたまま、アンネは死んだのさ」
ぞくり、と冷たいものがチューヤの背中を這い上がる。
直近、そういう忌まわしいエピソードが、どこかになかったか?
「許せない、ですね……」
「だろ? だからさ、その犯人をぶっ殺してやるって、だからこっち来いよ、そのツラぶん殴ってやるって、そうやって呼ばれたんだよ、あの世界線はな」
呼んだのは、おまえらだ。
絶叫していた悪魔の姿が、チューヤの脳裏に思い浮かぶ。
彼らは真実を語っていたのか。彼らを呼び出したのは、本当にこちら側にいる、だれかなのか。
「それは、えっと……。こっち側の人間が、大事な人を殺されて、その犯人が向こう側にいるから、呼び出していると?」
「そればっかりじゃねえけど、理由のひとつではある」
悪魔にも一分の理がある。
チューヤは悪魔使いとして、その点に理解を示すことは容易だ。
だからといって感情移入しすぎると、どちらの味方になればいいのかわからなくなる。
わるいのは悪魔かもしれないが、だからといって人間が常に正義だなどという寝言も、けっして言ってはいられない。
「見てきたんですよね……?」
「コウモクテンが真実を見せていたとすればな。それもまあ、パッチワークみたいなもんで、まともな物語として成立させるには、足りない部分が多すぎる。だから『デビル豪』は、シナリオにほとんど踏み込んでないだろ。──いずれにしろ、なんの創造性もない話さ。俺らは、ただあちら側の景色をパクっただけだ」
『デビル豪』の設定はすべて、あちら側の世界線が持っている現実を、そのまま引き写しただけだ。
だから『デビル豪』にはストーリーがない、設定とゲーム性のみに依拠したソーシャル位置ゲームになっている。
その設定のむこう側に、どんなストーリーがあるのか作り出すのはプレイヤー自身に丸投げされている、と言い換えてもいい。
そんなものをゲームと呼んでいいのか、と室井は笑った。
自虐的に言っているだけだと理解はできる。もちろん、そればかりではないと思う。
「いや、ただの景色からここまでゲームとして完成させるのも、すごいとは思いますけど」
だから、それなりのシェアを取っている。チューヤなど、一部の好事家の支持を得て。
室井は複雑な表情で首をかしげ、奥歯にものの挟まったような物言いをする。
「とにかく、行ってみるこったな。東京駅の東側だ」
「京橋に、宝町、ですか」
それぞれ銀座線と浅草線にある地下鉄の駅で、ふたつの駅の間は200メートルもなく、銀座エリアの地下を並行して走っている。
そのなかに、異質の魔人がいる。
「気をつけろよ」
「ええ、まあ二か月ほど考えてから、行こうかと……」
「それがいいな。世界が滅びる直前に自分が滅びるなら、さしたる悔いも残るまい」
チューヤは静かに室井を見つめる。
「世界が、滅びる……?」
「やつらは、そのつもりだろうぜ」
「そうならないために、政府は契約したんじゃ」
「悪魔の言葉を信じるのか? そんなんでよく悪魔使いやってられんな」
「だけど滅ぼしちゃったら、エサにもならない」
「そういう意味じゃ、絶滅はしないだろう。ただ、それで生きていてよかったと思えるかどうかは、別の話だ。……ああ、なるほど。そういう意味なら悪魔は契約を守っているのかもしれんな」
「なんとかしないと……」
「方法は、いくつかある。おまえが、どれを選ぶのかは知らんが」
「俺なんかが」
「だれが、なにを選んだところで、大きな流れは変わらない。だが、もしかしたら変わるものも、あるかもしれない。力強く選べよ。その手にできること、やり尽くしたあとなら、後悔もないだろう」
立ち上がる室井。
話はここまでのようだ。
「とにかく、そういう世界線が実在するんだから、しかたないって話ですよね。ゲームとしては、おもしろいから遊んではいますけど、ただ、勝手に駅を悪魔の住処にされたら、鉄としちゃ不愉快なところもあるって覚えといてください」
つづいて立ち上がるチューヤ。
最後に言いたいことを言い残しておくスタイル。
世間では一般に「捨て台詞」という。
「まっとうなご意見、ありがとうよ。鉄道も犠牲者ってことで、ご理解たまわりたいね」
「同意はしませんが、理解はしました」
ひと気のなくなったエントランスへ。
「室井さんは」
「寝袋はある。じゃ、またな」
閉ざされる扉。
明日へ開かれた道へ、チューヤは歩みだす。
そのまえに、まずは世田谷線の路面電車を堪能することも、もちろん忘れない──。