94 : Day -53 : Nishi-taishidō
「西太子堂の悪魔は──」
「コウモクテンだ。さあて、お手並み拝見といこうか?」
レベルがちがいすぎる。とうてい勝てるとは思えない。
不敵な表情で周囲を見回す室井に、チューヤはまず直近の疑問からぶつける。
「閉塞のスライドって?」
「境界化の移行だよ。鉄ちゃんには閉塞って言ったほうがわかりやすいだろ」
閉塞は、同じエリアに2つ以上の列車がはいらないように、事故防止のために設けられた鉄道運用上の重要なルールだ。
第3閉塞、進行、などの運転士の喚呼は、鉄にとっては常識となっている。
「三軒茶屋の悪魔が構築した境界が、西太子堂の悪魔に受け継がれた?」
「ま、そんなところか。まったく、いい趣味してんな、コウモクテンも」
室井は無感情に言い放ち、視線を転じる。
その先に、おそらく広目天がいる。
聖徳太子を祀るその寺は、太子堂と呼ばれる堂宇を持っている。
四天王によって支配される、いわば仏教の聖域。
不信心なチューヤがはいれば天罰覿面かもしれない。
「心配すんな。仏教ってのは、ゆるーい感じだからな。日本は仏教国だ、と言われる事実からして、まあ、すくなくとも日本の仏教はゆるいだろうな、って実感あるだろ」
室井は、小さな寺域に無遠慮にはいりこむ。
おとなしくつづくチューヤ。
「いや、その、あります……」
お釈迦様どうこうの理由で怒られた記憶を持つ日本人は、ほぼいない。
大乗仏教を考案(すくなくとも採用)したクシャン王朝は、ほんとうに素晴らしかったことの証明だ。
クシャン、ソグド、タタールといった遊牧系の流れも、いずれ物語に大きく関与することになる──。
だからといって、ちょりーっす、と言いながら広目天が出てくることは、ありえない。
室井のゲームデザイナー魂にとって一瞬、そういう誘惑に駆られなかったといえば嘘になるが、そんな広目天はありえない……。
「おーい、コウモクテン。お参りに来たぞー」
ふつうに神さまを呼び捨てる室井。
何者だこの人、とチューヤは警戒を新たにする。
「室井さん、あなたは……」
「ただのプログラマーだよ。あちら側の自分と、多少なり、つながりがあるってだけの」
「あちら側の、自分」
「おまえも、あちら側に有名人がいるらしいな。スギナミの英雄だっけ?」
「いや、知らないですけど、なんか、らしいです」
杉並界隈では知られた「ニシオギのアクマツカイ」。
このネームバリューで、いくつかの局面に対処した。
そもそもが、この誤解からはじまったといっていい。
「お互い、利用できるものは利用していこうや。……あちら側の知見が、俺にこのゲームをつくらせたみたいなもんだからな」
一気に本質に食い込んだ。
チューヤは室井を見つめる。
「やっぱり、あの悪魔の配置とかは」
「ほぼ、まちがってないはずだぜ。あちら側の世界線とは、そういう合意がついている」
「合意?」
「悪魔が一方的に攻めてきていて、晴天に霹靂の人類が右往左往。そんな思い込みは、とっとと排除しな」
「だって、そうじゃないですか」
「庶民はな。上の連中はちがうのさ」
「上の……それじゃ、あなたも……」
「はは、俺はべつに上の連中じゃねえけど。話題の世界を先取り調査して、すっぱ抜いたマスコミみたいなもんだ。上は、それこそ苦々しく思ってんじゃねえか? まあ表立ってはなにも言えんだろうがな。俺は見たことを語ってるだけ。その景色を決めたのが、お偉いさんどもだ」
「お偉いさんて」
「政府だよ。決まってるだろ。そうでもなきゃつくれるか? 川の手線なんてよ」
たしかに、政治的にあまりにも強硬すぎた。
悪魔の力が作用していたとしか考えられない。
川の手線を中心として、悪魔にエネルギーを供給するネットワークが形成されている。
それが東京の「逆さ五芒」だ。
「人間を……この世界を、人間が悪魔に売り飛ばした……?」
「ま、大枠はそういうことだ。単純にそう言い切れもしないがな」
室井は淡々と語りつつ、堂宇にはいりこみ、床の木魚を拾うと、ちんちんと鳴らしはじめた。呼び鈴のつもりらしい。
するとようやく、正面の木像の奥から魔力が高まってきた。
事ここに及んで、チューヤはぞくりと背筋に寒気をおぼえる。
「あの、室井さん。すいませんけど、俺まだそんなに強くは……」
「あ? 力を見せてくれんじゃないのかよ」
「弱い力なら見せられますけど。見たくないでしょ、そんなの」
室井は皮肉に笑い、さらに激しく木魚と鈴を交互にかき鳴らした。
「……やかましい!」
そう叫びながら、床のせり出しから飛び出してきたのは、広目天だった。
「なんだよ、暇なんだろ、おまえ」
「暇だったらすぐ出てくるだろう」
「じゃあ忙しいのか?」
「それなりにな」
「だけど毘沙門天よりは暇だろ」
「黙れ人間」
四天王にも序列があって、独尊として崇敬される多聞天が、その筆頭にいる。
独尊「毘沙門天」で表現されることが多いが、名称の統一性の観点から、『デビル豪』ではしかたなく「タモンテン」を採用している。
しかしビジュアル的には完全にフィーチャーされていて、上杉謙信的なルックスで、いわゆる「メンバー格差」というやつを如実に表してもいた。
これは七福神シナリオも同様で、「大黒天」どこだよ!? 弁天様いないじゃん! と『デビル豪』マップを見て慌ててはいけない。
大黒天はオオクニヌシだし、「弁財天」はサラスヴァティーとして存在している。
「恵比寿」がコトシロヌシであり、ヒルコ、ヒノカグツチと習合していることは、すでにチューヤも実体験した。
一方、巨大すぎる力である唯一神は、それだけで多数の名を持っている。
ヴィシュヌの化身クリシュナなども、それぞれの名前をもって各駅に存在する。
が、そうでもないヒエラルキーの神さまは、ひとつの名前に集約される傾向がある。ある意味、それがリアルな現実ともいえた。
「知り合いっすか、室井さん」
「ああ、まあな。こいつに〝見〟せてもらって、つくったのが『デビル豪』だ、って言っても……過言だな」
「敬意を表せ、人間。また、なにを見にきた?」
広目天は筆を高く掲げ、無礼な人間を見下ろした。
──広目天。
仏教で西方を守る、西太子堂の支配者。甲冑をつけ、筆を持っている武将の姿で描かれることが多い。
梵名ヴィルーパークシャ。持国天、増長天、多聞天とともに四天王に数えられる。
尋常でない眼力を持つものとして、広目と訳された。
チューヤも、思わず目を見開く。
広目天のまえにくると、なぜか、目が大きく開いていく。
「……なにが知りたいんだ、悪魔使い?」
「え、俺? ええと」
口ごもるチューヤ。
「いや、言うな。こいつはな、対価を取るんだ」
室井は言いながら、広目天に向き直る。
「当然であろう。ここに来た以上は」
「ああ、払うよ」
広目天から、放り投げられた筆。
室井は一瞬だけ眉根を寄せ、それから筆を拾い上げた。
「つぎはどの指だ、広目天」
「貴様の罪を数えろ。指など残っていると思うのか」
見れば、室井の持ち上げた両手は、真っ黒の墨で塗りこめられている。
「抵当に入れるものが、そろそろなくなってきたなあ」
「……ならば、目だ」
「おいおい、勘弁してくれよ」
「どの道、あと数度だ」
「けっ。好きにしな」
室井はそう言うと、筆を持ち上げ、みずからの左目のうえに「×」を書いた。
皮膚の色がどす黒く変化して、室井自身が影のようになっていく。
「な、なにやってんすか、室井さん」
チューヤは驚くが、
「おー、見えてきたぜ広目天。そうかい、テンカイの野郎……そうくるかい」
室井は見ている。以前のつづきの物語を。
もともと室井は、このために境界に来た。
「て、テンカイって、南光坊天海ですか? 南新宿の?」
江戸をつくった黒幕として、天台宗の僧・天海の名が語られることは多い。
徳川を江戸へ導き、霊的な防衛力を築いたといわれる、伝説的な僧侶だ。
明智光秀との関連もささやかれ、なかなか都市伝説的なキャラでもある。
「テンカイへの道を知るのは、五色不動の連中だけだ。──覚えとけよ、悪魔使い。おまえもいずれ、たどらなきゃならない道、かもしんないぜ。おまえがどの道を選ぶのか、わかんねーけどな」
その肉体のほとんどが真黒く塗りつぶされていることを、どう理解すればいいのか、チューヤはようやく思い至った。
情報は有料だ。そんなことは、わかりきっている。
問題は、どんな対価が要求されるか、ということ。
「室井さん、あなたは」
「払えるのは、あと何回だろうな、広目天よぉ」
「ふん。脳だけ残ればじゅうぶんなんだろう、おまえのような人間はな」
広目天の言葉に、室井の背中がピクリと揺れる。
「含蓄深いねえ、広目天さんよ。……いい夢見させてもらったよ、サンキュー」
「もしかして、肉体を対価に?」
よく見れば室井の全身のほとんどに、黒い影がまとわりついている。
それは支払い済みの約束手形なのだという。
「しょせん借り物の肉体だ。くれてやるさ」
「ダルマになって水槽にもどるか。それもよかろう」
「ちっ、胸糞のわるいことを。……帰るぞ、少年」
世界が変わる。境界が解かれ、現世へ。
悪魔が納得し、解除して、世界が分岐する。そのパターンだ。
「わかってんだろ、悪魔使い。悪魔は……まあ神でもいいが、代価を支払わなきゃ、なんにもくれねえんだ。肉体でも魂でも、生体磁気でもな。広目天は、どっちかといえば良心的だよ。機能という概念を支払えばいいんだ。それも死んだときにな」
素直に「良心的」だと信じるようでは、悪魔使いなどやっていられない。
「どういう、意味ですか」
「……手足もない、目も耳も。そんな泥亀みたいな状態で、あの世に放り出されるのさ。無邪気な魂のカケラは、そうやって引き裂かれる。生餌の状態で、地獄に投げ捨てられるってことだ。──かまうもんかよ。死んだ先で、どんな鬼に食われようが、蛇に飲まれようがな。それより生きている間に、見たいもんを見られたほうがいい」
室井はにやりと笑い、犯行としての確信を裏付ける。
死後に払う。この概念は広目天のまえに、とある鬼女が、仏陀から許されて得た権利だ。
いずれチューヤも陥るかもしれない、約束手形の世界。
とりあえず先刻の場合、広目天と戦うか、商取引をするかしか、境界から抜ける道はなかった。
そこで室井は、取引をした。
そもそも、そのために行ったのだから問題はないのだが、チューヤにしてみれば、助けてもらった感が残る。
「……教えてください、室井さん」
「とりあえず会社来いよ。寒いや」
室井は襟を立て、現世・東京を、自社に向けて歩き出す。
時刻は午後9時をまわっていた。




