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木曜の午後はさらに更け、神々の黄昏はいっそう深まる。
チューヤは、自分のスマホを見ながら言った。
「だいたいさ、そのエリアは基本的に一般ユーザー、アンタッチャブルなのよ」
画面には、皇居周辺のゲームエリアが表示されている。
チューヤによると、合体制限解除と神霊特殊合体で、ハードルは高いが、そもそも終盤すぎて、現状とても手が出ないのだという。
合体でつくれたにしても、最初は薄っぺらなただの分霊にすぎず、使えるようにするにはレベル上限解放や同族成長合体といった、長い長いハードルがあるらしい。
ケートは、どうでもよさそうな表情で、
「唯一神を使おうっていう考え方が、ある人々にとっては不遜極まるんじゃないのか?」
「ゲームですから!」
画面の表示をもとにもどしながら、ケートはうなずいて答える。
「ま、そうだな。正直、ゲームの名前なんてどうでもいいんだよ。問題は、このエリアであることだ」
「だからゲーム的には」
「ゲームの話じゃない。落ち着いて、よく見ろ。国会議事堂、永田町、霞が関──。日本の中枢に、一神教の神々が集っている。この不信心な、多神教の国に、おかしかないか?」
「まあ、言われてみれば」
「この神々の根っこは、同じだ。……お嬢に気をつけろ」
ケートの眼光が、空恐ろしげに光る。
「ヒナノン?」
その声に、ケートはチューヤからサアヤに視線を移し、
「あいつは、とんでもないことを考えてるぞ。すくなくとも、あいつのバックはそうだ。あの女に騙されるんじゃない」
「チューヤすぐ騙されるからねー」
「お、お嬢は騙さないよ。てかお嬢なら」
「お黙り」
ぴしりと言いつつ、サアヤはインスタントコーヒーを男たちに配った。
ケートは背もたれに上体をもたせ、コーヒーを含みつつ、やや語調を和らげる。
「さしあたり、神学機構としっくりいってはいないようだけどな」
「その神学機構ってさ、なんなの」
「知るかよ。ボクは別の勢力なんだから」
「そのさ、別の勢力ってなんなの!?」
チューヤにとってみれば、ヒナノもケートもリョージもマフユも、いまいち正体不明の勢力の手先と見えなくもない。
「……知りたいか?」
「ぜひとも!」
「知ったら引き返せないが、いいんだな?」
「いいよ、引き返すけど!」
「やれやれ。ま、いいだろ。……nWoって聞いたことあるか?」
ケートは、さして拘泥もなく語った。
「世界保健機構?」
「それはWHOだろ。nWoは、ニュー・ワールド・オーダー。一種の秘密結社だよ」
ぽかーん、と口を開けるチューヤ。
「はぁあぁあ!? ヒミツケッシャー? やっぱりケートがいちばん怪しいじゃん!」
「世界人口はコントロールされる。より高次元の正義によって。神となった人により、新しい世界は創造されるだろう……なーんてな、選民思想に凝り固まったやつらが運営していることは、まあ認める」
「認めんのかい! ってか、それ完全に『ヌー』ネタですよね!?」
「お察しの通りだ。ボクが『ヌー』の記者とつながるのも、理解できるだろ? とはいえ、実態はただの金持ちの仲良しクラブにすぎないんだよ、あんな組織。昔はどうだか知らないが、現在はただの陰謀論趣味人たちの集会に成り下がった、かのフリーメーソンみたいなもんだ」
「ちょっと待てよケート、フリーメーソンは『ヌー』の大お得意様だろ。あいつらが世界に暗躍して、いろいろ謎の陰謀を繰り広げてるんじゃないの」
「なんだよそのざっくりした印象論は。わけのわからん陰謀論に、だいぶ毒されてんな」
「じっさい、よくわからんのだからしょうがない」
「わからなかったら否定も肯定もできんと思うがな。まあいい。ボクはnWoの派閥のなかでは有力な一派で、グレイパーソンと呼ばれることもあるが、ざっくりいえばインド系に属している。ヒンドゥーだ。多神教だな」
「それはわかる」
「お嬢の神学機構は、もちろん一神教だ。アブラハムの宗教とも言う。キリスト教、ユダヤ教、イスラームまで含まれる。まあ、あいつら同士でだいぶ内輪もめは激しいわけだが、そのなかで強烈な存在感を持つのが、神学機構と思えばいい」
「イエズス会とか、そういう感じ?」
「まあ、そうだな。リョージは……知らんけど、なんか政治結社が裏にいるってのは、ちょっと聞いたことあるな」
「どこでそういうの聞くのよ」
「当人に決まってんだろ」
あっさりと言い放つケート。
現にいま、彼自身を語ったように。
ケートとリョージは仲がわるいと思ったら、大まちがいだ。
当人同士は宿命のライバルとして日々戦っているが、この戦いは、それなりに相手を認めているからこそ成立している。
競い合う局面以外で、当人同士は、べつに必要以上に愛し合うわけではないが、憎悪を向け合っているわけでもない。
適度なリスペクト、というのが冷静な評価だろう。
「男の友情っていいよね」
「なれ合いはごめんだがな。リョージのバックが知りたかったら当人に訊けよ。あいつは隠し立てするような人間じゃない。ボクの事情もそれなりに知らせてある。むしろ知らんのかチューヤ、って話だ」
「引きこもりでゴメンネ!」
「リョージは正直ちっとも怪しくないぞ。当人の思想信条はともかく。建築会社のオヤジさんのツテで、ゼネコン系の政治家と、それにつながる政経塾の重鎮にカオが利くってだけらしい」
「そ、そうなんだ。ケートって、そういうむずかしい話、リョージとしてるんだね」
「蛇女については、おまえのほうが詳しいんじゃないか。なにせ父親が警視庁の組織犯罪対策課ってんだからな」
「ああ、まあ……なんとなく、半グレから広域暴力団までのしあがった川東連合とか、あんまり聞きたくないけどね……」
あの世界のおそろしさは、チューヤもそれなりに知っている。
「フユっちはわるくないよー。……そんなには」
もちろん良くもない。
彼女の闇の深さは、計り知れないところがある。
外気が一瞬、冷たさを増して、部室を闇へと沈めた──。
やがて、ケートは唯一神の名前の並ぶ画面を切り替え、なにやら作業を開始する。
「さて、せっかくボクのために集まってくれたキミたちに、きょうはミッションを授けようと思う」
「は? 待てよケート、きょうは俺、ひとりで行きたいところが」
「黙れ。労働者階級が富豪から命令を受けるのは、原理的な宿命だろうが」
びしり、と人差し指を突きつける。
「……う、うん」
断れない男、チューヤ。
「ボクはプログラム的な興味しかないが、『デビル豪』とかいうゲームの設定は、現世にだいぶ影響を与えているようだ」
「けっこう最初のほうから言ってますが、俺」
「コンパイルを試みてわかった。変態がつくったゲームだぞ、これは」
「ディスってんの?」
「ばかたれ、絶賛してるわ。理系でプログラムの授業は必須だが、このまま授業にしてもいいくらいだ」
「じゃあゲームやれよー、おまえもよー、いっしょにハマろうぜー」
「ボクにはプログラム的な興味しかない。──1年まえ、β版がリリースされた段階から、違和感はあった」
ケートの指が、羅列されるソースコードに仮想命令を出していく。
ソフトハウスにとったら、勝手に解析すんじゃないよ、という話だ。
「1年まえ? ゲーム開発の話?」
「それも含めた、東京の悪魔の話だよ」
「だったら、もっとまえから準備を進めていただろ、あいつらは」
「だろうな。川の手線が悪魔召喚の魔法陣、って言う人もいるくらいだ。川の手線の政治決定が、いかに早かったとはいえ、100キロ近い地下鉄だ。すくなくとも10年以上はまえから、着々と進められていたんだろう」
コードには日付が埋め込まれている。
古いものでは3年まえのものが見つかる。探せばもっとさかのぼれるだろう。
ことにデビル豪をつくっているソフトハウスは、開発を発表してから何年も販売しない会社として有名だ。
「事象に聡いケートをもってしても、違和感に気づいたのは1年まえってことか」
「このゲームの製作者は、もっとまえからわかっていたってことだ。じつは黒幕なんじゃないか?」
「ゲームの描いた侵略地図の通り、物語は進んでいるもんね」
サアヤは、インスタントコーヒーのお替りを男たちに配る。
互いの顔と画面を交互に見つめ、話を進める高校生たち。
「というか、現世に与える影響を写し取った、と表現したほうが正しいのかも」
「いずれにしても製作者側に、あちら側に通じている人物がいることは、まちがいない」
「ま、そうだろうね」
「調べる必要がある。そのゲームの製作会社」
「タイタンね」
「行け、チューヒコー」
「ホトケみたいに言うな。行けと言われてもね、なんのツテもないわけで」
「本社が天王洲にある。ボクの地元だぞ」
「なぜ胸を張るのかわからんが、地元ならおまえが行けよ」
「ただ、第2開発室と営業所は三軒茶屋にあるらしい。で、豪をつくっているのは第2開発室のムロイってやつのチームだそうだ」
「知ってるよ。スタッフロール出るし」
「ボクはこれから葛西に行かにゃならん。それからもう一か所、キナ臭い組織もな。その忙しいなか、ついでに本社にも探りを入れておいてやるから、キミは三茶のほうを頼んだ」
「お、おう。え?」
「いいか。与えられた時間は少ないぞ。最適な効率で動く必要がある。サアヤ、いっしょに来てくれ」
腕を引っ張られ、ととと、と歩き出すサアヤ。
「……え?」
「たまには回復要員を貸せ。チューヤには悪魔たちがついてるだろう」
出口のところまで来て、さすがに足を止めるサアヤ。
「ちょっとケーたん」
ケートは、かわいらしい顔を潤ませてサアヤを見つめる。
「たまには付き合ってくれよう。心配すんなって。帰りは家まで送る。近所だし。……なんなら、千歳船橋のほうでもいいぞ?」
久我山と千歳烏山は、川の手線では隣の駅だ。
「あ、しーっ!」
人差し指を立てるサアヤ。
彼女が千歳船橋に用事があるというのは、チューヤ的には初耳だ。
「なんだよ、またなんか秘密?」
「おまえも、ひとりで行きたいところあるんだろ、チューヤ。……喜多見とか?」
ケートの視線は、何事かを知ってる男の目だ。
こいつ、まさか、あの娘のことを……。
「か、かまわんよ。サアヤごとき、ノシつけて貸し出してやる」
チューヤの言葉に、サアヤはぷうっと頬を膨らませ、
「なーにー!? 言っちまったな!」
「女は黙ってついてくるってよ。じゃ、明日またな」
ケートに引かれ、ぴしゃん、と閉まるドア。
取り残されるチューヤ。
「なぜ……こうなった?」
きのうまでは仲良くみんなで行動していたのに、一転して単独行動。
──これは、何事か?