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「呼びなんしか、悪魔使い」
静止する世界、ふわりとチューヤの肩に舞い降りる、邪教テイネ。
「まず、教えてくれ。あいつは何者だ? アナライザがアンノウンのまま動かない」
チューヤは邪教アプリを起動し、悪魔合体モードへ移行した。
戦争の遂行者としては、まず敵の正体を知れるだけ知っておくことが、必勝の要となる。
「なんざんす、合体するんじゃありんせんのか」
「するにしても、相手を知らないとレシピが組みづらいんだよ」
理由としては正当だ。
テイネはしかたなさそうに、目のまえで蠢く巨大で不気味な肉塊を凝視する。
「ははーん、わっちの見たところ、ありゃあ途中停止した合体事故ざんすね」
本体は天彦、そこに取り憑いたコトシロヌシが、そもそも習合しているヒノカグツチの力と、奇妙な呪詛的合体状態にある。
そこへ重なるように憑依したカンバリがいて……。
「いや、それだけじゃありんせん。黄泉から魂を吸い出してるざんす。まさに異常キメラ状態ってやつで。デビル・アナライザは基本、一体しか処理できないよし……まあ、悪の軍団とでも思っておくんなんし」
「なんだそりゃ、どういうことだ」
「カンバリとコトシロヌシのシンプル合体ならいいざんすが、魔剣合体の材料にも使われる特殊呪詛が絡んできて、スライム的なものになりかけたところ、記紀2600年の一子相伝の暗殺拳で無理やり引きもどして、禁断の呪法を重ねがけしたような、ほとんどコープス的な状態に近づいてなんしが、それもまた揺りもどして、みたいなことを自前の細胞それぞれでくりかえしてるわけざんす。あのままほっといたら自滅するんじゃありんせんかね」
「よし、それ採用」
「どっこい、あの状態はとても不安定なんしから、あんさんらも取り込まれる恐れがありんすよ。あの状態の悪魔に飲まれたら、まあ、ただじゃーすまないざんす」
「触らないように戦えってか!?」
「あんさん悪魔使いなんしから、そういうの得意ざんしょ。直接戦闘タイプのお仲間は、引き揚げたほうがいいかもねむ。そうそう、中の人の魂は、もうバラバラに食い尽くされてるざんす。ま、助からないざんしょ。生かすのは地獄の延長、さっさと楽にしてあげなんし」
テイネのアドバイスは、現状それなりに有用と判断された。
直接物理攻撃の利かない相手。むしろ触れると大ダメージを受ける。魔法などの遠隔攻撃で倒すしかない。
「ヌエとイヌガミは引き上げるか。すると……」
脳内に合体レシピが組みあがる。
「あいあーい、合体はいりーんす!」
どこかふざけているようにも見えるが、邪教アプリの仕事はしっかりしていた。
時間の流れがもどる。
チューヤは脳内の最適解に従い、戦術を展開する。
「戦闘プランを立てた。リョージ、マフユ、本体には近づくな、取り込まれる。マフユ、使えるなら凍結系の魔法で参加してくれ。俺もそっち系のナカマで攻める。サアヤは魔法強化で援護よろしく。……あいつの魂は、もう食い尽くされてる。早く楽にしてやろう。いくぞ!」
チューヤの召還に従い、凍結系に優れる妖魔ディースと、夜魔リリムが出現。
あとはハトホルの援護と、火炎に強いメルコムで防御を固める。
「……わかった」
「ちっ、わーったよ」
「みんなー、がんばれー」
この手の戦闘では、チューヤのイニシアティブが優位。
そう認めて、進んでか不承不承かはともかく、その線で戦闘が展開される。
じっさい彼の立てたプランは、かなり効果的だった。
じりじりと相手の力が削がれていく。
もちろんチューヤたちの疲労も重なったが、サアヤの回復魔法のおかげで「戦闘不能」が出ることなく、戦いつづけられたことが大きい。
チューヤは改めて、回復量が、戦闘にどれだけ大きな意味を持つか、実感として思い知った。
やはり、サアヤはこれでいいのだ。
「しぶてえガキだな、とっとと……くたばれよ!」
マフユの魔力の源泉セドナから、再三の凍結魔法がエビスを直撃する、瞬間、弾けるように三つの影が吹っ飛んだ。
戦場に一瞬の静寂。
「……終わったか」
チューヤのアナライザにも、敵の戦闘不能が明示されている。
一同、疲労困憊だったが、戦闘の顛末を確認すべく倒した敵に歩み寄る。
魂を食い尽くされ、肉体も満身創痍となった。
最期の瞬間、死を目前にした自分の手足を、どこかきょとんと眺める天彦。
その影に重なっていたコトシロヌシが、憑き物の落ちた表情の天彦のまえに、うっすらと浮かび上がる。
──この肉体は、終わりだ。
「意趣を返して満足か、土着神」
コトシロヌシはゆっくりとふりかえり、言った。
リョージのうえで、びくびくとミシャグジの血が騒ぐ。
「古き東征の支配者よ、原住の蝦夷の力、思い返したか」
ぎゅるり、とリョージの肉体を包み込む、大地を司る力。
対立構図としては、天つ神に寝返った国つ神コトシロヌシと、縄文の文化を裏切ることを潔しとせず、最後まで戦い抜いたミシャグジさまの2千年を閲した再戦、という状況になる。
かつては負けたが、こたびは勝った。
一瞬、増幅されたミシャグジさまの影が恨みの波動を見せるが、リョージがすぐにそれを抑え込んだ。
積年の侵略への報復は、リョージの魂によって浄化されつつある。
「どういうことだよ、リョージ」
チューヤは問いかける。
コトシロヌシとミシャグジさまの間にも、なんらかの遺恨があることは察せられる。
リョージはふりかえり、改めてガーディアンを呼び出す。
「ミシャグジさまに聞いてくれ」
「棒とミミズにしか見えないんだけどー、なんかやだー」
「なー」
女子ふたりの浅薄な感想を無視して、チューヤは悪魔全書のデータを参照する。
──ミシャグジさま。
縄文時代を源流とする日本古来の神で、もとは大和民族に対する先住民族の信仰だった。
多岐にわたる伝承を持ち、境界の神とされることが多く、諏訪信仰にかかわるとする見方もある。
多様な音転呼称を持ち、御社宮司、御左口など多数の漢字も当てられている。
石神と同一視する辞書は複数あり、蛇神との習合もみられる。
境界に建てられた石の棒を一種の標識として、男根崇拝とつなげる考え方も根強い。
男根崇拝は原初の力だ。
リョージの肉体に宿る「男の世界」は、渡来の朝廷に対比して、一万年来の縄文時代を体現した。
「新旧の歴史対決、か。ミシャグジさまは縄文時代からの日本の神様、コトシロヌシは日本神話の古い神様だが、渡来系と習合してエビスになった……つまり比較的には新しい」
かつて征服されたものが、征服者にやり返した、と考えると溜飲が下がる。
すくなくとも渡来系は、先住民を駆逐した。この事実は揺るがない。
ここが、かつて弥生の神域だったというなら、それは征服の証だ。
縄文の古代を暮らしてきた先住民を、弥生の侵略者が打ち滅ぼし、洗脳していった傷跡だ。
「そんな古い因縁があったんだねえ」
なにも考えていなかったサアヤが、感心して声を漏らす。
関心すらないマフユは、横たわる天彦を軽く蹴飛ばす。
「弱いほうが負けただけだろ」
そもそも弥生時代という言葉は、現在の東京都文京区弥生の貝塚で発見された土器から、その名がついた。
縄文人は、ここ東京でも弥生人に殺され、飲み込まれていった。
武器らしい武器を持たない縄文人を、武装した弥生人が駆逐したのだ。
「弥生の、文化のうえに、この国は、築かれたのだ」
コトシロヌシの影がどんどん薄くなっていく。その影が消えたとき、天彦の命も消え去るようだ。
やったらやられる、というベーシックな相互確証破壊の政治思想が重なる。
やられたんだから、やっていい。
そうやって起動したリョージのなかのバーサーカーを、彼自身が封じ込める。
「自然を、とりもどすんだ」
リョージの思想が、チューヤの目にもうっすらと見えてきた。
極端に言えば、縄文時代まであった自然を取り返せ、という思想につながっていく。
その力を使って、リョージが、やろうとしていること。
ミシャグジさまは、古い盟約によって戦った悪魔の力を、一定の確率で吸い取ることができる。
戦闘を終え、大きくレベルアップしたリョージの力を、チューヤは空恐ろしさとともに見やる。
この戦闘民族は、いったい、どこまで強くなるのか──。
「さてさて、はいはい」
サアヤが手刀を切りながら、天彦のほうに歩み寄る。
ぽかんとする一同の目のまえで、サアヤは懐から取り出した丸薬を、瀕死の天彦の口に放り込む。
「いきいきごんぼ、逆さ水、やで」
そして、にやあ、と笑う。
なにか、とてつもなく忌まわしいものを感じる。
「ま、待てよ、サアヤ。だから、そいつの魂はもう」
「ボロボロの、つぎはぎでも、生きてるだけで丸儲けだよ」
いかなる異論があろうと、サアヤの思想は揺るがない。
「いきいきごんぼ」は、播州弁で「今にも死にそうな様」。
「逆さ水」は、故人を湯灌するときに使われる水温の調整法だ。
これらの事柄をつなげる忌事が、相模地方の古い習俗のなかにある。
彼女が幼少期、相模原のおばあちゃんから聞いた「おまじない」によると……。
死にかかった魚を水に入れ、その尾をもって振りながら、
「逆さ水飲め飲め、あたりが火事だから、逆さ水飲め」
と唱えると生き返る、という。
柳田国男『禁忌習俗辞典』によれば、相州では、子供が死にかかった魚を生かすまじないに、水に入れて尾を持って振ることを「サカサミズ」という、とある。
忌まれる行為は、静かに受け継がれている。
「サアヤ、だって、見ろよ」
チューヤが、空恐ろしげな表情で天彦を指さす。
魂はもちろん、彼の肉体も崩壊している。修復不可能ではないかもしれないが、つぎはぎにもほどがある。
「うるっさいな、いいでしょ。まだ死んでないんだよ」
「いや、ほとんど死んでるよ、というか、死なせてやるべきだ……」
チューヤのアナライザは、避けがたい死をたしかに予知していた。
DEADの点滅は確定しているわけではないが、蘇生確率の低い深刻なDYINGであることはまちがいない。
死ぬべきものを無理やり生かすことは、大きなリスクである……。
そのとき、死んでいたはずの天彦の身体が、ぴくりと動く。
やがて、びくびくびくっ、と瀕死の魚のようにのたうち、再びピタリと動きを止める。
長い沈黙のなか、時折、ぴく、ぴく、と痙攣する天彦。
皮膚がひきつったように緊張と弛緩をくりかえし、苦悶にうめく声が聞こえる。
「があ、あ……うぁ、やだ、しにた、ころし、て……」
死者がよみがえる道には、壮絶な苦悶がある。
「殺してやったほうがよかないか」
さすがに眉根を寄せるマフユ。
「そろそろ理解できたかマフユ、サアヤってやつの恐ろしさが」
言うチューヤたちのまえ、ゆらり、と立ち上がり、微笑するサアヤのうえに、空恐ろしい影を投影する同級生たち。
それは真綿の針を詰めたアイアンメイデンを起動する魔女──。
「そ、そんなわけあるか。サアヤはかわいい女だ」
「女子のカワイイに意味なんかねえ」
「…………」
やかましい高校生たちの目のまえで、天彦がもがき苦しみながら目を開ける。
その眼には激しい憎悪がある。
「てめえ、使ったな、逆さ水の、呪禁……」
再び、にやり、と笑うサアヤ。
「こんなこともあろうかと、おばあちゃんに訊いてきといたんだ」
二度と、ケルベロスの復活に失敗したときのような過ちは犯さない、という決意がサアヤのうえには見て取れる。
呪禁は、道教系の方術で、厭魅、蠱毒などの術とともに、陰陽師により早くから我が国にも導入された。
呪われた家系には欠かすことのできない、魔法。
彼女の高度な適性には、由来がある。
「なんだよそれ、サアヤ」
「ふふん、ただの、お・ま・じ・な・い(はぁと)」
かわいらしく指を振るサアヤ。
「まじない、だとぉ? 軽く、言ってくれるぜ。蛭子の、呪われた家、使えそうな養分だけ、使おうってか」
憎々しげに顔を上げ、息も絶え絶えに言葉を漏らす天彦。
サアヤの家は、恵比寿にある本家とは縁遠くなっているが、ごくまれに親戚が集まるときがある。
そこで教え伝えられる忌み事が、いくつかある。
激痛がくりかえし天彦の全身を襲うが、救済される術はない。
彼が生きることと、その砕けた肉体と魂の味わう苦痛は、イコールだ。
──やがて、無数の腕が地面から生えてきたかと思うと、天彦の肉体に絡みつき、締め上げた。
それは、彼が殺したベンサンショップの店長や店員たち。
「うわ、うわぁあ、やめろ、やだ、いやだぁ」
サアヤの笑顔は消えない。
「償って、あまひこくん。だけど、殺しちゃだめだよ、自縛霊さんたち。……生きるんだよ、人間は……生き物は、イキモノなんだから、生きなきゃダメなんだよ、あまひこくん」
彼女の言っていることは美しく、やっていることは高邁で、出された結果は未来への希望に満ちている……ような気が、しないでもない。
だが。
──どこもかしこも傷だらけ、だけど死には至らない気分はどうだい?
サアヤの顔が、そう言っているような気がしたのは、気のせいか。
時には生かすことが、地獄にもなる。
サアヤに向けて、手をひらひらさせながら、キャプションを口走るチューヤ。
「世紀末救サアヤ伝説、北東の県!」
「ホァチャア! 実家秋田はチューヤでしょ!」
「そうでした……」
一撃を食らってデコをさするチューヤ。
呪詛の血に連なる、サアヤは魔女。
その事実を忘れてはならない。
決して殺さず、あらゆるリスクをとっても、ただ生かそうとする彼女は、地獄の釜を煮立たせ、怪しげな無数の丸薬を調合する、魔女の血を引いていることを──。
「毎度、ありがとう、ございまし、た」
べこり、と頭を下げる天彦。
その下半身には自縛霊がべったりと張りつき、断じてこの店から出さない、という決意があふれている。
「ベンサン、足りなくなったら来るから」
「……送ります」
カウンターから身動きできず、ぼそりと答える天彦の顔に生気はない。
以後、彼はベンサンショップに取り憑く自縛霊とともに、機械のように働くことになる。
彼の残りの人生は、彼が殺した人間たちへの罪滅ぼしと、そのやり残された仕事を永久につづける、という罪障消滅の苦行となった。
こうして落合に、ひとつの拠点ができた──。




