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 広大無辺に広がるダンジョンを、チューヤたちは再び降りていくハメになった。


「べつに、リョージに責任はないだろ」


 階段を下りながら、チューヤは言った。


「いや、わかってっけどさ」


 責任感の強いリョージとしては、すこしでも自分にかかわりのある人間に与えた影響について、無関心ではいられない。


「あんな便所虫、さっさとツブしちまえばいいんだよ。メソメソと気持ちわりい」


 マフユは、自分が潰しきれなかった虫について、ひどく不愉快だった。

 彼女はそれを、便秘の肛門に突っ込まれた蛆虫、と表現して、サアヤにたしなめられていた。


「だけどリョーちんは立派だよ。あまひこくんに、ちゃんと立ち直るきっかけを与えていたんだもんね。従兄弟として感謝するよ!」


 いかに結果が伴わなくても、彼女のような人間は経過を重視する。

 努力すること、参加することに意義がある、という生ぬるいタイプだ。


「サアヤは優しすぎんだよ。だからチューヤみたいなやつがチョーシ乗るんだぞ。あんなん、ベンジョのムシケラだろ」


「さっきのやつのこと!? それとも俺かな!?」


 いつもどおりのテンポで話しながら、ダンジョンをもリズムよく戦い進んでいける彼らの強さは、この落合エリアのアベレージを十二分に押さえている。


「虫にだって、生きる資格はあるさ。というか、昆虫って、すげー強いらしいじゃん? すくなくとも、どんな生き物も強くなるチャンスを与えられるべきなんだ」


 リョージはケンカが大好きだが、動物を助けるし、虫もあえて殺さない。

 なぜなら、生き残ることで、より強くなるチャンスがあるからだ。


「どういう基準だよ、強いって。オラ、もっとつええやつと戦いてえ、ってか? リョージそればっかじゃん」


「あっはは。だって殺しちゃったらさ、そいつ強くなってリベンジできないだろ」


「昆虫の話じゃないの。いや昆虫が人間に戦いを挑むとか、怖すぎて映画なんですけど!」


 襲いくる敵は、すでに人間とかけ離れた形態のものも多い。


「……そういうシナリオも、何気に現実味を増してる気がしないか? ネコやワニが悪魔になっているくらいだ、昆虫の悪魔だっているだろ?」


「それな。調べてみたけど、けっこう珍しいんだよな、昆虫の悪魔って。エジプトにはスカラベとかいるけどさ」


「フンコロガシの神か。ピッタリだな、この店に」


「ベンサンで踏んずけてやる! ってか」


 ぷちっ、と敵がつぶれる。

 目を上げれば、どうやら目のまえに、別の雰囲気が迫っている。

 ──この先に、天彦がいる。




「で、なんなんだよ、ヒルガミさまってよ」


 決戦に備えて、チューヤは問いかけた。


「う、うん……」


 サアヤは口ごもった。

 彼女の家にも、いろんな事情があることはチューヤも知っている。

 とくに母方のほうに、どうしても目黒の実家に帰りたくない事情がある。

 父親の実家である埼玉の草加にはしばしば里帰りしていたのに、より近場である目黒の実家には、祖母が死んだときに一度だけ行ったきりだった。

 ──蛭子家は呪われているからだ、という。


 エビス。

 ヒルコ、とも読むその神は、神話的にはイザナミが最初に生んだ奇形児とされる。

 しばしばヒノカグツチと混同されるが、ヒルコは「最初に」産んだ奇形児であり、ヒノカグツチは「最後に」産んだ母殺しの神である。


 しかし蛭子家では、ある時期から両者を同一視し、祀るようになったという。

 いずれの神も、役に立たない奇形児として川に流されたり、炎を発し母なる神を殺した呪わしいものとして、忌み嫌われてきた。

 だが、さまざまな災害をもたらすものを「神」として祭り上げ、どうにか災難を逃れようとするのは、昔から日本人がくりかえしやってきたテクニックだ。

 天神様しかり、将門公しかり、祟り神はほどなく神様に昇格した。


 ヒルコも、紆余曲折を経て恵比寿となり、七福神の一角として敬われるようになった。

 ヒルコの呪いは解けたかのようにも思われた、が。


「なんかね、怖い家なんだよね。あの家の呪いのせいで……ううん、関係ないよ、関係ないと思うけど、ナミおばさんの旦那さんは死んだし、弟も交通事故で、ううん、関係ないに決まってるよ、そんなことない、ヒルガミさまなんて迷信だよ、って思う、思うけど」


 サアヤが泣きそうな声で訴える。

 ぎりっ、と歯を食いしばったのはマフユだった。


「あのクソガキ、ブッ殺してやる」


 サアヤをいじめると、マフユがいちばん怒る。

 彼女が蹴り開けた目のまえの扉の先、そこには、すっきりとした表情の天彦が立っていた。




「やあ、みんな、ようこそ」


 天彦は言った。

 さっきまでと雰囲気があきらかにちがう。

 そこに邪悪な気配は微塵もなく、清涼で高潔な光と秩序が見え隠れする。


「どうなってんだ、こいつは」


「あいつ、ガーディアンを乗り換えたのか……?」


 チューヤが悪魔使い特有のアナライザを実行する。


悪魔名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅

コトシロヌシ/国つ神/26/飛鳥/日本/記紀/恵比須


「たしかに、さっきまでの雰囲気じゃねーな」


「よかったねリョージ、もっとつえーやつと戦えるよ」


 皮肉な物言いに乗っかったわけでもあるまいが、天彦の視線はまっすぐ、リョージに向かっている。


「リョージくん。強くなったよ。ぼく」


「ああ、エビス、だけどそれは……」


「だからさ、正(・)々(・)堂(・)々(・)と(・)戦(・)お(・)う(・)。ぼくはコトシロヌシ……恵比寿だ」


 恵比寿の名のもと、福をもたらす神として、この少年の心にも安らぎをもたらそう。

 天彦のうえに重なった七福神の影が、彼のなかに溶け込みながら言った。

 福の神の美しい言葉。

 なにか違和感が拭えなかったが、相手にさわやかな顔でそう言われては、素直に応じないわけにもいかない。


「戦う……?」


 どうして戦わなければならないのか。

 チューヤたちの疑問は、リョージとはややズレている。


「ふうん、なるほど」


 リョージは一歩を踏み出し、拳をボキリと鳴らした。


「……まさか、ケート・パターン?」


「えー? ちょっと男子ぃ」


 チューヤとサアヤにも、どうやら流れが見えてきた。


「むぅうぅあぁあーぁあっ!」


 天彦が全身に力を籠めると、オーラが立ち上り、彼の上半身が大きく膨らんでいく。

 バリバリバリ、と衣服を突き破り、その上半身があらわになる。

 ボディビルダーが磨き上げたような、隆々たる筋肉がそこにあった。


 膨張するたんぱく質。

 贅肉が一片もない、筋肉で鎧われた漢《おとこ》の肉体。

 こんな肉体があれば、いじめられることもなかっただろう。

 こんな精神があれば、世界を救えたかもしれない。

 進まなきゃ、タフボーイ。

 その胸に、七福神の傷がキラリと光った。


「ぼくまで、たどり着いて見せてよ。きみが本物の、漢なら」


 天彦の言葉に、にやり、と笑うリョージ。


「胸に七福神てなんだよ……」


「昔のマンガが好きなんだろ」


 後方で、チューヤとマフユは、どう突っ込むべきかを考える。

 恵、毘、寿、福、弁、大、布。

 天彦の胸には、七つの文字が浮かんでいる。ある意味、福々しい存在ではあった。


「男の勝負だ、おまえらは手を出すな!」


「……ですよね」


 そうだと思った、という表情でチューヤは嘆息した。


「ありがとう、リョージくん」


 ゆらり、と筋肉の鎧が動く。

 彼は望み、希《こいねが》った。

 リョージと同じ地平に立つことを。


「ぼくと、戦って、くれるんだね」


 ぎしぎし、と筋肉の軋む音がする。

 テストステロンとタンパク質の饗宴、彼はただ「強い男」になろうと思った。


「ちょっと、男子ぃ……」


「ほっとけサアヤ、これは見守るしかない」


 マフユは、楽になった、とでも言わんばかり、壁に背中をもたせて傍観の姿勢をとる。

 リョージは嬉しそうに、そして楽しそうに、ぱん、と拳を打ちつけて一歩を踏み出す。


「こいよ、好敵手《ライバル》。どっちが強えか、決めようぜ」


 ライバルという言葉に、ぞくり、と皮膚を揺らす天彦。

 この手の男子の琴線を揺する魔法の言葉を、リョージは天然で知っている。

 いじめられっ子の望みは、かなったようなものだ。


「いくよ、リョージくん!」


「こいやァ!」


 ふたつのマッチョが、激突した。




 ほとばしる汗、弾ける血、響く肉、軋む骨、拳と技と力が激突する。

 最初は様子見の気配だったが、戦いは徐々に激しさを増していく。


「リョージかっけえな」


 強さに対しては純粋に、敬意を表するマフユ。

 腕組みをして、心から同意するサアヤ。


「貧弱なチューヤとは大ちがいだね」


「そうだけど、サアヤうっせ!」


 もちろんチューヤも、その事実まで否定するつもりはさらさらないが、勝手に比較されるのは心外だ。

 ──膨張した筋肉そのものの力は、あるいは天彦のほうが上なのかもしれない。

 だがいかんせん、自前で鍛え上げたリョージの筋肉に、ミシャグジさまのパワーがまんべんなく乗った「戦闘のための美しい体躯」に対しては、総合力で見劣りした。

 端的に言えば、「ケンカするためのバランス」に最適化されたリョージに対して、なんちゃってパワーを身につけただけの天彦が、徐々に押される展開だった。


 しかも、天彦は無理をしている。いや、無茶をしている。

 肉体は侵食され、ほどなく崩壊が約束されている。

 不自然な魔力の注入で、膨張した筋線維はTNF-αの海に溺れている。DNAは不満を述べ立て、感情が現実を無視する少年漫画の結末に、深い嘆息だけが残る。

 限界は、超えられないから、限界なのだ。

 そう簡単に超えられるようなら、そもそも設定された限界がまちがっている。


 ──ぼくは、リョージくんと、戦える。

 正面から、同じ男として。


 そこまでの設定なら、まちがっていない。

 蛭子天彦はたしかに男だったし、鍛えればそれなりの力も得られたろう。

 だが、まだ未熟すぎた。


「だめだ、これじゃ、だから、使うよ」


 ばしゅん、と天彦の背中が弾ける。

 人間であることをやめても、彼と戦うことを欲する。

 簡単に負けて終わりたくない、だから戦いつづけるための選択肢を、すべて採る。


「オギャア、ホギャア、ホギャア!」


 その泣き声は、天彦の背中から聞こえた。

 一同、ぎくりとして動きを止める。


「ヒル、ガミ、さま……?」


 ぞくりとふるえあがって、サアヤが一歩退いた。

 福の神としての聖なる力に、一挙に邪悪ななにかが混ざりこむ。

 この呪詛の力は、あきらかに祟り神だ。

 福の神であると同時に、祟る神でもあるエビスの本質が、ついに暴露された。


 あれほどきらっていた実家の呪い。

 天彦が闇に落ちる原因でもある、ヒルガミの呪詛が実行される。

 神でも悪魔でもいい、ぼくに戦う力をくれるなら。


「カグツチィィィ!」


 天彦を爆炎が包み込む。

 燃え盛る炎に、大地はことごとく嘗め尽くされる。

 長い時代を経て、混ぜ合わされ、こね上げられた呪詛の威力。

 それはすさまじい破壊力。観戦していたチューヤたちさえ、防御姿勢をとって耐えなければ無事ではいられないほどの、灼熱の衝撃波が放たれる。

 そのクロスファイア地点に、リョージはいた。


「正気かリョージ、なんで避けねえ? まともに食らいやがった……」


 俊足のマフユなら第一選択肢として、まず回避する。どんな破壊力も、当たらなければ意味がない。

 だがリョージは別の文脈に生きている。敵が命をかけて放ってきた必殺技なら、爆心地に屹立してでも受け止めなければならない。


「こんなときまでプロレスマンかよ、リョージぃい」


 プロレスラーには、相手のフィニッシュホールドは受け止めなければならない、というお約束がある。


「……だいじょうぶ、生きてるよ。リョーちん、いま治して」


 駆けだそうとしたサアヤの動きが止まる。

 ──まだ、終わっていない。

 床が揺れている。リョージはまだ、他者の介入を許さない戦闘のなかにある。


 灼熱の爆弾によって土葬された彼は、しかし、大地のすべてを焼灼することが断じて困難であることを、その拳によって示す。

 炭化した大地を突き破り、カゲロウ揺れる空間を引き裂いて、飛び出してきたリョージの拳が、灼熱する天彦の肉体に突き刺さる。


「おらぁあぁああ! オラオラオラ、ごるぁあぁあ!」


 リョージの目に正気の光はない。

 生命の危機に陥り、炯々と光るその瞳の輝きは、命のやり取りをする現実に酔いしれ、みずからの拳をもって明日を勝ち取ろうとする、燃え盛る「男の本能」だけに生きている。


 石神の力をもって、リョージはバサラとなった──。



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