表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
85/384

84


 広大無辺に広がるダンジョンを、チューヤたちは再び降りていくハメになった。


「べつに、リョージに責任はないだろ」


 階段を下りながら、チューヤは言った。


「いや、わかってっけどさ」


 責任感の強いリョージとしては、すこしでも自分にかかわりのある人間に与えた影響について、無関心ではいられない。


「あんな便所虫、さっさとツブしちまえばいいんだよ。メソメソと気持ちわりい」


 マフユは、自分が潰しきれなかった虫について、ひどく不愉快だった。

 彼女はそれを、便秘の肛門に突っ込まれた蛆虫、と表現して、サアヤにたしなめられていた。


「だけどリョーちんは立派だよ。あまひこくんに、ちゃんと立ち直るきっかけを与えていたんだもんね。従兄弟として感謝するよ!」


 いかに結果が伴わなくても、彼女のような人間は経過を重視する。

 努力すること、参加することに意義がある、という生ぬるいタイプだ。


「サアヤは優しすぎんだよ。だからチューヤみたいなやつがチョーシ乗るんだぞ。あんなん、ベンジョのムシケラだろ」


「さっきのやつのこと!? それとも俺かな!?」


 いつもどおりのテンポで話しながら、ダンジョンをもリズムよく戦い進んでいける彼らの強さは、この落合エリアのアベレージを十二分に押さえている。


「虫にだって、生きる資格はあるさ。というか、昆虫って、すげー強いらしいじゃん? すくなくとも、どんな生き物も強くなるチャンスを与えられるべきなんだ」


 リョージはケンカが大好きだが、動物を助けるし、虫もあえて殺さない。

 なぜなら、生き残ることで、より強くなるチャンスがあるからだ。


「どういう基準だよ、強いって。オラ、もっとつええやつと戦いてえ、ってか? リョージそればっかじゃん」


「あっはは。だって殺しちゃったらさ、そいつ強くなってリベンジできないだろ」


「昆虫の話じゃないの。いや昆虫が人間に戦いを挑むとか、怖すぎて映画なんですけど!」


 襲いくる敵は、すでに人間とかけ離れた形態のものも多い。


「……そういうシナリオも、何気に現実味を増してる気がしないか? ネコやワニが悪魔になっているくらいだ、昆虫の悪魔だっているだろ?」


「それな。調べてみたけど、けっこう珍しいんだよな、昆虫の悪魔って。エジプトにはスカラベとかいるけどさ」


「フンコロガシの神か。ピッタリだな、この店に」


「ベンサンで踏んずけてやる! ってか」


 ぷちっ、と敵がつぶれる。

 目を上げれば、どうやら目のまえに、別の雰囲気が迫っている。

 ──この先に、天彦がいる。




「で、なんなんだよ、ヒルガミさまってよ」


 決戦に備えて、チューヤは問いかけた。


「う、うん……」


 サアヤは口ごもった。

 彼女の家にも、いろんな事情があることはチューヤも知っている。

 とくに母方のほうに、どうしても目黒の実家に帰りたくない事情がある。

 父親の実家である埼玉の草加にはしばしば里帰りしていたのに、より近場である目黒の実家には、祖母が死んだときに一度だけ行ったきりだった。

 ──蛭子家は呪われているからだ、という。


 エビス。

 ヒルコ、とも読むその神は、神話的にはイザナミが最初に生んだ奇形児とされる。

 しばしばヒノカグツチと混同されるが、ヒルコは「最初に」産んだ奇形児であり、ヒノカグツチは「最後に」産んだ母殺しの神である。


 しかし蛭子家では、ある時期から両者を同一視し、祀るようになったという。

 いずれの神も、役に立たない奇形児として川に流されたり、炎を発し母なる神を殺した呪わしいものとして、忌み嫌われてきた。

 だが、さまざまな災害をもたらすものを「神」として祭り上げ、どうにか災難を逃れようとするのは、昔から日本人がくりかえしやってきたテクニックだ。

 天神様しかり、将門公しかり、祟り神はほどなく神様に昇格した。


 ヒルコも、紆余曲折を経て恵比寿となり、七福神の一角として敬われるようになった。

 ヒルコの呪いは解けたかのようにも思われた、が。


「なんかね、怖い家なんだよね。あの家の呪いのせいで……ううん、関係ないよ、関係ないと思うけど、ナミおばさんの旦那さんは死んだし、弟も交通事故で、ううん、関係ないに決まってるよ、そんなことない、ヒルガミさまなんて迷信だよ、って思う、思うけど」


 サアヤが泣きそうな声で訴える。

 ぎりっ、と歯を食いしばったのはマフユだった。


「あのクソガキ、ブッ殺してやる」


 サアヤをいじめると、マフユがいちばん怒る。

 彼女が蹴り開けた目のまえの扉の先、そこには、すっきりとした表情の天彦が立っていた。




「やあ、みんな、ようこそ」


 天彦は言った。

 さっきまでと雰囲気があきらかにちがう。

 そこに邪悪な気配は微塵もなく、清涼で高潔な光と秩序が見え隠れする。


「どうなってんだ、こいつは」


「あいつ、ガーディアンを乗り換えたのか……?」


 チューヤが悪魔使い特有のアナライザを実行する。


悪魔名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅

コトシロヌシ/国つ神/26/飛鳥/日本/記紀/恵比須


「たしかに、さっきまでの雰囲気じゃねーな」


「よかったねリョージ、もっとつえーやつと戦えるよ」


 皮肉な物言いに乗っかったわけでもあるまいが、天彦の視線はまっすぐ、リョージに向かっている。


「リョージくん。強くなったよ。ぼく」


「ああ、エビス、だけどそれは……」


「だからさ、()()()()()()()()。ぼくはコトシロヌシ……恵比寿だ」


 恵比寿の名のもと、福をもたらす神として、この少年の心にも安らぎをもたらそう。

 天彦のうえに重なった七福神の影が、彼のなかに溶け込みながら言った。

 福の神の美しい言葉。

 なにか違和感が拭えなかったが、相手にさわやかな顔でそう言われては、素直に応じないわけにもいかない。


「戦う……?」


 どうして戦わなければならないのか。

 チューヤたちの疑問は、リョージとはややズレている。


「ふうん、なるほど」


 リョージは一歩を踏み出し、拳をボキリと鳴らした。


「……まさか、ケート・パターン?」


「えー? ちょっと男子ぃ」


 チューヤとサアヤにも、どうやら流れが見えてきた。


「むぅうぅあぁあーぁあっ!」


 天彦が全身に力を籠めると、オーラが立ち上り、彼の上半身が大きく膨らんでいく。

 バリバリバリ、と衣服を突き破り、その上半身があらわになる。

 ボディビルダーが磨き上げたような、隆々たる筋肉がそこにあった。


 膨張するたんぱく質。

 贅肉が一片もない、筋肉で鎧われたおとこの肉体。

 こんな肉体があれば、いじめられることもなかっただろう。

 こんな精神があれば、世界を救えたかもしれない。

 進まなきゃ、タフボーイ。

 その胸に、七福神の傷がキラリと光った。


「ぼくまで、たどり着いて見せてよ。きみが本物の、漢なら」


 天彦の言葉に、にやり、と笑うリョージ。


「胸に七福神てなんだよ……」


「昔のマンガが好きなんだろ」


 後方で、チューヤとマフユは、どう突っ込むべきかを考える。

 恵、毘、寿、福、弁、大、布。

 天彦の胸には、七つの文字が浮かんでいる。ある意味、福々しい存在ではあった。


「男の勝負だ、おまえらは手を出すな!」


「……ですよね」


 そうだと思った、という表情でチューヤは嘆息した。


「ありがとう、リョージくん」


 ゆらり、と筋肉の鎧が動く。

 彼は望み、こいねがった。

 リョージと同じ地平に立つことを。


「ぼくと、戦って、くれるんだね」


 ぎしぎし、と筋肉の軋む音がする。

 テストステロンとタンパク質の饗宴、彼はただ「強い男」になろうと思った。


「ちょっと、男子ぃ……」


「ほっとけサアヤ、これは見守るしかない」


 マフユは、楽になった、とでも言わんばかり、壁に背中をもたせて傍観の姿勢をとる。

 リョージは嬉しそうに、そして楽しそうに、ぱん、と拳を打ちつけて一歩を踏み出す。


「こいよ、好敵手ライバル。どっちが強えか、決めようぜ」


 ライバルという言葉に、ぞくり、と皮膚を揺らす天彦。

 この手の男子の琴線を揺する魔法の言葉を、リョージは天然で知っている。

 いじめられっ子の望みは、かなったようなものだ。


「いくよ、リョージくん!」


「こいやァ!」


 ふたつのマッチョが、激突した。




 ほとばしる汗、弾ける血、響く肉、軋む骨、拳と技と力が激突する。

 最初は様子見の気配だったが、戦いは徐々に激しさを増していく。


「リョージかっけえな」


 強さに対しては純粋に、敬意を表するマフユ。

 腕組みをして、心から同意するサアヤ。


「貧弱なチューヤとは大ちがいだね」


「そうだけど、サアヤうっせ!」


 もちろんチューヤも、その事実まで否定するつもりはさらさらないが、勝手に比較されるのは心外だ。

 ──膨張した筋肉そのものの力は、あるいは天彦のほうが上なのかもしれない。

 だがいかんせん、自前で鍛え上げたリョージの筋肉に、ミシャグジさまのパワーがまんべんなく乗った「戦闘のための美しい体躯」に対しては、総合力で見劣りした。

 端的に言えば、「ケンカするためのバランス」に最適化されたリョージに対して、なんちゃってパワーを身につけただけの天彦が、徐々に押される展開だった。


 しかも、天彦は無理をしている。いや、無茶をしている。

 肉体は侵食され、ほどなく崩壊が約束されている。

 不自然な魔力の注入で、膨張した筋線維はTNF-αの海に溺れている。DNAは不満を述べ立て、感情が現実を無視する少年漫画の結末に、深い嘆息だけが残る。

 限界は、超えられないから、限界なのだ。

 そう簡単に超えられるようなら、そもそも設定された限界がまちがっている。


 ──ぼくは、リョージくんと、戦える。

 正面から、同じ男として。


 そこまでの設定なら、まちがっていない。

 蛭子天彦はたしかに男だったし、鍛えればそれなりの力も得られたろう。

 だが、まだ未熟すぎた。


「だめだ、これじゃ、だから、使うよ」


 ばしゅん、と天彦の背中が弾ける。

 人間であることをやめても、彼と戦うことを欲する。

 簡単に負けて終わりたくない、だから戦いつづけるための選択肢を、すべて採る。


「オギャア、ホギャア、ホギャア!」


 その泣き声は、天彦の背中から聞こえた。

 一同、ぎくりとして動きを止める。


「ヒル、ガミ、さま……?」


 ぞくりとふるえあがって、サアヤが一歩退いた。

 福の神としての聖なる力に、一挙に邪悪ななにかが混ざりこむ。

 この呪詛の力は、あきらかに祟り神だ。

 福の神であると同時に、祟る神でもあるエビスの本質が、ついに暴露された。


 あれほどきらっていた実家の呪い。

 天彦が闇に落ちる原因でもある、ヒルガミの呪詛が実行される。

 神でも悪魔でもいい、ぼくに戦う力をくれるなら。


「カグツチィィィ!」


 天彦を爆炎が包み込む。

 燃え盛る炎に、大地はことごとく嘗め尽くされる。

 長い時代を経て、混ぜ合わされ、こね上げられた呪詛の威力。

 それはすさまじい破壊力。観戦していたチューヤたちさえ、防御姿勢をとって耐えなければ無事ではいられないほどの、灼熱の衝撃波が放たれる。

 そのクロスファイア地点に、リョージはいた。


「正気かリョージ、なんで避けねえ? まともに食らいやがった……」


 俊足のマフユなら第一選択肢として、まず回避する。どんな破壊力も、当たらなければ意味がない。

 だがリョージは別の文脈に生きている。敵が命をかけて放ってきた必殺技なら、爆心地に屹立してでも受け止めなければならない。


「こんなときまでプロレスマンかよ、リョージぃい」


 プロレスラーには、相手のフィニッシュホールドは受け止めなければならない、というお約束がある。


「……だいじょうぶ、生きてるよ。リョーちん、いま治して」


 駆けだそうとしたサアヤの動きが止まる。

 ──まだ、終わっていない。

 床が揺れている。リョージはまだ、他者の介入を許さない戦闘のなかにある。


 灼熱の爆弾によって土葬された彼は、しかし、大地のすべてを焼灼することが断じて困難であることを、その拳によって示す。

 炭化した大地を突き破り、カゲロウ揺れる空間を引き裂いて、飛び出してきたリョージの拳が、灼熱する天彦の肉体に突き刺さる。


「おらぁあぁああ! オラオラオラ、ごるぁあぁあ!」


 リョージの目に正気の光はない。

 生命の危機に陥り、炯々と光るその瞳の輝きは、命のやり取りをする現実に酔いしれ、みずからの拳をもって明日を勝ち取ろうとする、燃え盛る「男の本能」だけに生きている。


 石神の力をもって、リョージはバサラとなった──。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ