82 : Day -54 : Ochiai-minami-nagasaki
「ま、こんなこっちゃ、仕事まわるわけねえよな」
マフユが、床下収納の引き戸を開けて、その下に数人の遺体を発見した。
つぎつぎに姿を消した社員やバイトの、すくなくとも後半は、さっきの人物が原因だったにちがいない。
チューヤは考えながら、
「どうやら怨恨の線ってことかな」
「ケチな推理はいらないよ、デカ(刑事)チュー(ヤ)」
サアヤは積み重なる遺体に祈りをささげてから、そこを離れた。
「開かないな。どうやら閉じ込められたぞ」
反対側の階段の防火扉は完全に閉じられ、ピクリとも動かない。
リョージは、もう一度、がん、と扉をたたいてから嘆息する。
「密室殺人事件てやつか?」
「そんなインテリぶった話じゃねーだろ」
「とにかくここを出……」
会話はつづかなかった。
状況はすぐに、向こうから開かれたからだ。
ばん、という騒音とともにたたき開けられたのは、地下収納へとつづく引き戸。
死体の詰まった扉を向こうから開けたのは、まさにその死体たち。
「またゾンビかよ」
「境界化した敵の基本っすね。……エグゼ」
一同、ナノマシンを起動する。
なかなか手ごわい敵だが、それよりもチューヤの興味は、リョージとマフユが起動したガーディアンにある。
「……きかねえな、ザコが!」
ゾンビの吐き出す氷の息を吸収し、寒風のような拳でぶん殴るマフユの背中には、あきらかに先週見たナーガではない、べつのものがいる。
「役に立てなくて悪かったっス、店長。せめて安らかに……!」
リョージの背後に見える力も、また先週のサレオスとはちがう。
より大きな力を感じるが、まだ全貌は見えない。ただでさえ強いリョージの全身に、さらに強力なパワーを付与していることはまちがいない。
結局、チューヤが悪魔を召喚する間もなく、初回の戦闘は終了した。
「おまえらもかよォ」
チューヤは嘆息交じりに言った。
「ん? どういうことだ」
ふりかえって問うリョージ。
「いや、きのうもケートとお嬢の戦い見てきたんだけどさ、あいつらもどんどん強くなってっから」
「いいことじゃん。チューヤもがんばんな!」
「サアヤこそね!」
励まし合う夫婦。
リョージは、ゾンビたちが湧いてきた地下収納の扉を開く。
「……どうやら、先があるな」
ナノマシンを起動すれば、境界化した世界の直近のダンジョン構造は、なんとなく見えるようになる。
チューヤたちも集まって、とりあえず決めるべきことを決める。
「この先のボスを倒して帰る。賛成の人!」
「しかたないね」
「めんどくせーなあ」
「行くぞチューヤ、もたもたすんな」
状況に慣れるとは、こういうことだ。
時間を無駄にせず、新たな戦場へ。
マフユの話を短くまとめると、こういうことだった。
近所の安アパートに住んでいる子だくさんの女に、父親が訪ねてきて金の無心をした。
最低の父親で、ひどい暴力をふるっていた。
たまたま通りかかったマフユが、そのクソ野郎をぶちのめしてやったところ、感謝の気持ちとして贈られたのが……。
「で、セドナかぁ?」
チューヤが素っ頓狂な声を上げた。
そんな、わけのわからないパターンもあるのか。
セドナは、イヌイット神話に登場する女神で、「海の女王」ともいわれる。
伝承においては、だれのもとへも嫁がない、などという男嫌いの性格が、どこかマフユに似ている。また、恐ろしい悪魔から逃げる間、それに恐れをなした父親が、いっしょに逃げていたセドナを船から突き落とし、しがみつく彼女の手と左目を櫂でつぶして凍てつく海に沈めた、などという悲惨なエピソードも、彼女に通じるものがある。
その後、海底に沈んだセドナは、怒りのために死ぬことはなかった。
以後、なんやかやで「海の女王」と呼ばれる女神となり、男にひどい目にあわされている女や、それを助けてくれた人に、恩恵を施すようになったらしい。
凍結系の魔法を得意とし、同属性の攻撃を吸収することなどが、チューヤのアナライザには表示されている。
たしかに、マフユと親和性の高そうなガーディアンだ。
「で、リョージは?」
「オレは、このまえの雨のとき、ミミズを助けたおかげかな」
サアヤがいやそうな顔をする。
彼女はオケラやアメンボはともかく、ミミズがあまり好きではない。
「においを嗅ぐとハイになるんだよな」
「私は犬か!」
乾かしたミミズの粉末は、イヌに対して、ネコにとってのマタタビと同じような効果がある、という説がある。
「ミミズを差別すんなよ、この世に存在する生物の重量のかなりの割合が、ミミズらしいぞ」
リョージが、めずらしくインテリなことを言った。
──生物量ピラミッドというものがある。
物理的な重量として、どの生物が地球を最も重くしているか、という話だ。
よくオキアミとシロアリが重い、と言われるが、ミミズを含むワーム系もかなり上位にいる。
とはいえ、人間にはかなわない。
100億を目指してひた走る人類が、「生物量」でもトップを争う存在であることはまちがいない。
しかも、食べられる側として底辺を支えるオキアミが大量なのはともかく、捕食者として生態系の頂点に君臨する人類がこの重さというのは、あきらかに異常だ。
なにより問題は、人間より重い単一種として「ウシ」がいる、という事実である。
もちろん自然に増えたわけではない。人類が増やしたのだ。
人為的な理由によって、ウシの生物量は異常な値を示している。
彼らの排出するメタンガスも含めて、地球のバランスは、あきらかに崩壊に向かっている、と見えないこともない。
すくなくとも人類の地球環境に対する影響力の大きさは、圧倒的だ。
「人類は、このままいって、いいと思えるか?」
ぽつり、とリョージが言った。
チューヤはそこに再び、なにか巨大な影を感じる。
この会話には、とても重要な意味がある……。
だが、リョージはそれ以上、その話題を掘り下げようとはしなかった。
ただおもしろおかしく、自分がミミズの国でどんな役割を演じたかを語りだした。
──それは、ある雨もよいの午後。
道路の脇のアスファルトで、水たまりに溺れて死にかけているミミズがいた。
「リョージ、そゆところあるよな。小動物とか、すぐ助けるんだ」
「女子人気、めっちゃ高い理由のひとつだよね。リョーちんが雨の日に、捨て犬とか助けてるところなんか見た日には、わたしゃチューキチをドブに捨てて追いかけようと思ったもん」
チューヤは瞑目し、ぽつりと言った。
「……勝手に追いかけろ」
「なんだとチューヤのくせに!」
「あはは。まあ、助けられるもんなら助けてやったらいいじゃん」
そのミミズはペコペコと頭を下げて、公園の土に潜っていった、という。
「なんかファンタジーになってきたな」
「心あたたまるね!」
黙って受け入れる夫婦。そういう流れだ。
──翌日、公園のまえを通りかかると、ひとまわり大きなミミズが、土管のうえに座して、じっとリョージを見つめていた。
呼ばれているような気がして近づくと、ミミズは土管に潜り込んでいく。
なんとなく、そのあとにつづく。
数メートルほどのはずの土管が、なぜかひどく長い。
「ははーん、と」
「だな。境界化ってやつだ」
いぶかしんだが、敵意は感じない。素直に、ずんずんと進んでいく。
やがてたどり着く、地底の広い空間。
見まわすと、自分たちの出てきた土管の穴と似たような穴が、壁の全面に開いている。
不思議で、不気味な空間。
無数の穴からは、無数のミミズたちがニョロニョロと這い出してきて、出合頭、他のミミズとぬらぬらと絡み合い、そのまま別の穴に吸い込まれるように消えていく。
「うう、いい話だったのに……」
「ミミズのハッテン場?」
サアヤとチューヤの表情は一気にゆがむ。
「気がつくと、最初のオレを導いてくれたミミズの姿が見えない。もしかしたら近くにいたのかもしれないが、まったく見分けがつかない。周囲には無数のミミズが這いまわっていて、もうなにがなんだか……」
ミミズの圧倒的な生物量を感じたのは、このときだという。
土の上では、人類がわが世の春を謳歌しているかもしれない。だが土の下は、いぜんとしてミミズたちの王国なのである。
「ミミズの恩返しかと思ったら、なにその復讐譚」
「べつに復讐はされてねえよ。じっさい……」
リョージが突き出した腕を、下から上にめくりあげるように動かすと、それに応じて地面から伸びてきた触手のようなものに、全身が締めつけられるような感覚がある。
チューヤは、全身に広がるゾワゾワした虫の感覚におぞけをふるいながら、
「なに、このエロマンガ島な展開……」
「ワーム・ボンデージ」
がっ、とリョージが右腕で押さえつけるような動きをした瞬間、チューヤの肉体が地面に縛りつけられる。
身動きが取れない。
「り、リョージくん……?」
「わー、リョーちん、それが新しいスキルなんだねー」
「すごいだろ? サアヤも味わう?」
「私はいいよー、チューキチが楽しそうだから、もっと縛ってあげて」
「やめろー、ジョーカー、ぶっとばすぞうー。そーいやマフユにも、こんなん食らった気がする、くそー、おまえら、俺は新スキルの実験台じゃないんだからなァ」
つぎの瞬間、束縛から解放される。
リョージの背後には、強い土着神の影がある。
「ミシャグジさまだ。今後ともヨロシク、だってさ」
リョージはガーディアンとともに、軽く腰を折った。
「よろしくじゃねーよ、ったく。まあ、リョージも着実に強くなっているようで、その点はご同慶申し上げるけども」
ぱんぱんと服の埃を払いながら立ち上がるチューヤ。
まだまだダンジョンの先は長そうだ。
「チェーン、ナッコゥ!」
アッパーカットの動きでふりまわした腕に従い、触手が衝撃波のように地面を這い進む。
ミシャグジさまの力を帯びた鎖拳は、リョージの唸る拳の破壊力を間然なく伝え、遠隔の敵をたたきのめす。
「ひょー、いつ見ても起動が早いね、スキルタイプって!」
悪魔の力を自分自身の一部にして行使するスキルタイプは、サモナータイプなどとは比較にならないほど速い。
「もたもた召喚しなきゃいけないチューヤとは一味ちがうね! 悪魔の力身に着けた正義のヒーローだね!」
「べつに俺をディスらなくてもいいだろ。リョージすごい、ってだけでさ……」
「まだまだァ!」
離れた敵を殴り飛ばした触手の先は、鎖のようにリョージの腕につながっている。
持ち上げる動き、締める動き、投げる動き、すべてに対応して、遠隔の敵につづけてダメージを与える。
「ワン、トゥ、フィニッシュ!」
左右のコンビネーションから、つかまえた相手の首をひねりつつ、極めて落とす技。
チューヤは手に汗を握り、マイクらしきものを握るゼスチャーで、
「おーっと! これはさながら、ミシャグジさまの夢でありましょうか! 眼下に繰り広げられるこの光景は、まさに滅殺のハムレット、裏返せオセロー! くるのか、ツングースカ大爆発、さあ、入った、これは、くるか、くるのかァ?」
天を指し、ポーズを決めるリョージ。
舞い上がるローリングソバットのような動きから、両手をひねりこんだ首投げの要領で、敵を大地にたたきつける。
もちろん技の名前を叫ぶことも忘れない。ヒーローのお約束だ。
「ファイナァール、ポリィーッシュ!」
「汝が敵は、砕け散る、その頚椎とともに! イエァス、アァイ、キャァン!」
実況と観客を兼ねてストンピングするチューヤ。
派手にポーズをキメるリョージ。
呆然と眺めるサアヤ。
「あのー、なにそれ?」
「ばか! 知らないの!? 神日本プロレスの英雄、大迫らいよんのフィニッシュホールドでしょ!」
「ボンバエィアァーォエ?」
「ドーン、ヒャッハー!」
ゴジラのような調子でコールするリョージ、既定の通りにレスポンスするチューヤ。
流れる動きで、ぱーん、と高いところで互いの手を打ち鳴らし、マイムマイムよろしく回転しながら踊りだす。
プロレス興行では、この手のお約束がいくつもある。
「知るか……楽しそうだなおまえら……」
理解できない女子。
言葉を失うサアヤたちのまえで、男たちは祝祭を舞う。
「けどすごいね、そのチェーンナックル? 手足が伸びるみたいな感じ?」
「分身の腕があってさ、こう、力を入れると感触もフィードバックするっていうか」
腕を曲げて力こぶを出すリョージ。
その腕を触るチューヤの動きが、なぜかいやらしい。
「ふーん、いいなー、悪魔の力、手に入れたいなー」
「チューヤは召喚できるじゃん。しかも4体も。そっちのほうが強くね?」
「いやー、たしかに強いときもあるけど、それはナカマによるよねー」
盛り上がる男子。
割り込む女子。
「二流だな」
「サアヤの言うとおり」
チューヤはプンスコしながらふりかえり、
「はあ? ちょっと女子、勝手に会話にはいってこないでくれる!?」
「弱くても運用でなんとかできるのが、ほんとうに強い悪魔使いというものだ、とチュートリアルに書いてある」
「謙遜しただけでしょ! そんなん知ってるし、てか説明書とか読む人、俺、信じらんないよ!」
「なんでよ。せっかくついてくるんだから、読むでしょ」
「説明書はわからなくなってから読めばいいの!」
「わからなくなってから地図を見ても、よけいにわからん」
「見ても見なくてもわからないくせに、一応は見るんだね」
「なんだと! チューヤのくせに!」
「とりあえず地図を逆さにして見るの、どうにかしたら」
「進行方向に対して傾けるのはあたりまえだ!」
「いや、北を上にしたほうがわかりやすいって」
「頭が回転しちゃうだろ!」
「どんなホラー!?」
いつの間にか、いつもの通りの夫婦漫才。
リョージはマフユとともに、すでに前線でつぎの戦闘を開始している。
チームワークがいいのかわるいのかわからない4人の戦いは、そろそろ佳境を迎えている。




