81 : Day -54 : Higashi-Nagasaki
いつものように、わざと遠まわりをしようとするチューヤの性癖をまず遮断したうえで、最短距離をとって目的地へ向かう。
最寄り駅の石神井公園駅から、そのまま西武池袋線に乗って東長崎駅へ出る。
それだけだ。
練馬駅で都営大江戸線に乗り換えれば、最寄りの落合南長崎駅へダイレクトに行けるが、東長崎と落合南長崎の間は、直線距離で数百メートルしかない。
つまり、わざわざ乗り換えるより、歩いたほうが早い。
東京には、このような地理関係の駅がいくつもある。
「乗り換えのロマンのわからん人たちめ……」
「うるさい、とっとと歩けチューキチ!」
サアヤに尻を蹴飛ばされ、ぺたぺたとベンサンを響かせながら進むチューヤ。
ほどなく到着したベンサンショップの店長は、ひどく疲れた表情で高校生たちを出迎えた。
「すまないね。お客様に品物を届けてもらうなんて、本当に心苦しいんだが」
ここ数日で、店員がつづけざま、行方不明になっているという。
「困ったときはお互い様っスよ」
リョージが、らしいことを言う。
彼と親しくなっておけば、たいていわるいことはない。
「とりあえず店を閉めてから、私も倉庫に向かうよ。先に練馬方面の荷物から片づけてくれるかい。だいぶ遅れている」
「了解っス」
「すまんね、新しいバイトも雇ったんだが、欠勤が多くて。やっぱり、だれでもいいってわけにはいかないね」
そんな愚痴に送られて、一同は地下の倉庫へと向かった。
「一応、バイトいんのか」
「テキトーに雇ってバックレられたパターンだろ」
「人手不足は深刻なんだねえ。実感実感」
「なんでサアヤが実感してんだよ」
「ふふーん、ひーみつー」
話しながら倉庫を目指す4人。
通路は狭く、雑然としている。掃除をする余裕などさらさらないのだろう。
きしむドアを開けると、その奥には、業者が放り込んでいった在庫と発注書の山。
「こりゃ、バイト来たくなくなるのもわかるな」
「……ふん。どうせあと何週間かで機能停止するんだ。早いところ店じまいするほうが、賢いかもしれないぜ」
マフユは横を向いて、手近にあった埃まみれのパイプ椅子に腰を下ろす。
「どういうことだよ、マフユ」
「ああ? てめえもわかってんだろうが、悪魔使い。──この世界は、もうすぐ悪魔たちに喰われるんだよ」
なんとなれば、天使も悪魔も、同じことをやる、とチューヤは知っている。
「そうならないようにする道はあるさ」
リョージの言葉に、一同がふりかえる。
リョージの背後に、巨大な影が見えるのは気のせいではない。
「……どういうことだ?」
彼の信じる道を進めば、救済がある。
そう言い出すとしたら、リョージの背後にも救世主を語る利権が、その触手を伸ばしている可能性を考えなければならない。
「地球は混沌に帰るべきだ」
はじめて、リョージが彼の世界を垣間見せた。
「……なに?」
錯綜するリョージとチューヤの視線。そこに底流する思想の角逐。
リョージは首を振り、
「いや、なんでもねえ」
「……ルイさん、か?」
リョージがらしくないことを言い出すとしたら、その背景をうがったとき真っ先に出てくる名前は、あの謎の政府系シンクタンク社員を名乗る男しかいない。
「いや、あの人はただの代理人だ。ほんとの先生は別にいる」
「ソースは先生?」
「そーいえばリョーちん、ソース買って返してね」
ソーソー言うサアヤを、男たちはソーッとしておくことにした。
「……みんなからは老先生って呼ばれてる。すごい人だぜ」
「老先生……?」
「そのうち連れて行ってやる。うちの味を決めた、たいへんな料理人だぞ」
「あのソース、けっこう高いんだよ。危険物で輸入制限されてるみたいだし」
デクソースの破壊力を思い出し、リョージの額に汗がにじむ。
「……なんで料理屋の店主ごときが、悪魔の動きどうこうを知ってるんだよ」
「高校生ごときが、いろいろと知ってるじゃないか」
リョージの手は、さっきからテキパキと仕事の準備にいそしんでいる。
「人間を料理するタイプの料理人なんだろ」
マフユが壁際から、腕組みして冷たい声音で言った。
「はは……マフユが言うとシャレにならんな」
「腹にはいっちまえば同じさ。なにをしても大差はないし、結局は変わらん。あきらメロン」
3個500円のメロンを皮ごと食うようなマフユの物言いに、一瞬静まる。
彼女の背後にいる邪神は、いったいどんな破滅的未来を語っているのだろう。
「滅びるところはある、それは避けられないが、コントロールはできる」
リョージの物言いには、なんらかの確信が見え隠れする。
マフユと対峙する一方の彼は、なにを知っているのか。
「……よくわかんねーけど、リョージさ」
言いかけるチューヤに、ふと顔を上げ、リョージが話題を変える。
「新宿へ行けよ、チューヤ。おまえ、ダイコク先生好きだよな」
「だいこくあたーっく!」
無視すんなやー、と回転しながらボディプレスをかけてくるサアヤ。
ぐわああ、と派手に転がるチューヤ。
すかさずレフェリー役を請け負い、カウントを開始して、2.9999……で止めるリョージ。
これが一連の「お約束」。
「……なにしてんだ、おまえら」
マフユがあきれた表情をするのはめずらしい。
「私もやりたくてやったわけじゃないよ、なんか、そういう空気を醸し出すから、男子が」
やれやれと首を振りながら、仕掛けたサアヤが立ち上がる。
彼女は時折、変な空気の読み方をする。
「そうか、男子のせいか、それじゃしかたない」
「なんのこっちゃ。まあダイコク先生の動画を見てたら、プロレスがどういうお約束のもとに成り立っているかは、自然に学べることだろう」
「たまに聞くけど、ダイコク先生ってなんだっけ?」
マフユの疑問符に、チューヤが答える。
「政治家でプロレスラーでヨウチューバーの人だよ。とくにあの人のゲーム実況、マジおもしろくてな。そうそう、リョージこれ見てくれよ、当たったんだぜ!」
「おー、そのベルト、オレもちょっと欲しかったよ」
リョージが声を張る。
腰痛緩和に卓効があると有名なベルトだ。
「ダイコク先生ってほんと、多才だよね」
「新宿に事務所があるよ。このまえ、マスクの配達に行った」
「どんなバイトまでしてんだよ、リョージは」
「いや、プロレスにハマると、そういう世界に足を踏み入れざるを得ないだろ?」
「そうかあ?」
「そうだよ、マイ・ルチャリブレ」
「サウダージ、イェアア!」
変なポーズで腕を組む男子ふたり。
女子ふたりは、いつものように冷淡。
「こいつら、なんなん」
「もういいよな、見捨てて」
そして、ふたりだけの世界を築き、ぺちゃくちゃと話し出す。
サアヤはいつものサアヤだが、マフユはサアヤと話すときにかぎっては、いつもとはまったく感じがちがう。
親友以上の友愛が感じられたが、女子同士のことなので、もちろんチューヤには介入できない。
「ちょっと女子! まじめにやってよ!」
リョージの指示で発注書を仕分けていたチューヤが叫ぶと、
「うっせえブサメン」
マフユからの痛烈な反撃。
がくっ、と肩を落とすチューヤ。
「ひ、ひどい……」
するとリョージが笑いながら乗ってやる。
「ちょっと、チューヤ泣いちゃったじゃない! ホント女子ってサイテー!」
サアヤは半ば呆れ、半ば感心して、
「リョーちんも、そういうボケに乗ることあるんだね」
「お約束は守るのがレスラーの宿命なんだ」
リョージは単純な理由を宣い、発注書を女子たちにも振り分ける。
騒がしい高校生たちも、やるべきことはやる、という常識くらいは持ち合わせていた。
ここまでやってきたのだから、しかたない。
一同はゆるやかに作業を開始した。
ぐしゃっ。
その夜は、圧倒的な悲劇から、幕を開けた。
階段のうえから降ってきた人間の肉体が、部屋を大きく横切って、反対側の壁に炸裂する。
それは、さっきまでリョージたちと会話をしていた「店長」の末路だった。
ハッとして身を固くする。
見上げた先、階上の逆光で表情まではよく見えないが、だれかいる。
「来たじゃないか。ぼく、バイト来たじゃないか。なんで怒るんだよ。なんでみんな、いじめるんだよ。ぼくちゃんとやってるのに、がんばってるのに、どうして褒めてくれないんだよ。そんなやつらは、いなくなればいい。死ねよ、死んじゃえよ」
ぶつぶつと聞こえる声は、どこか幼さを残した狂気。
店長のほうに駆け寄って回復魔法をかけようとしたサアヤの動きが止まる。
手遅れだ。
「その下にいる、みんなのところに行けよ。こんな店、つぶれちまえばいい」
そんな声が聞こえたつぎの瞬間、がくん、と部屋ごと落下するような感覚があって、照明が全部消えた。
──境界化。
事件は行く先々で起こる。