79 : Day -54 : Shakujii-kōen
火曜日、部室。
中央の六角形のテーブルのうえで、正座をさせられているチューヤ。
最後の部員、ヒナノがはいってきたところで、彼は深々と頭を下げた。
「このたびは、ご心配をおかけし、皆々様には大変ご迷惑をおかけいたしました。伏して謝罪をいたします。社員たちはわるくありません!」
しばし、入り口のところに立って、ポカーンとしていたヒナノは、やれやれと首を振り、
「なにをやらされているかと思えば。お降りなさい、みっともない」
「だよね! お嬢もそう思うよね! くそ、いじめっ子どもめ」
マフユたちをジト目で見ながら、ぶつぶつ言って机を降りるチューヤ。
周囲には、にやにや笑う者、とくに興味のない者、苦笑する者、リンゴをかじってる者など、さまざまだ。
「ご心配をおかけしたのはホントだろ。あたしは心配してねーけど」
「おいマフユ! おまえいちばん土下座推進派だったろ!」
「代わりにリョージが心配してたからな、だから代わりにあたしが土下座させてやった。感謝は料理で示してくれな、リョージ」
リョージはにこにこ笑いながら、黙って料理をつづけている。
ことことと煮える鍋に、きょうはおでんを投入しているようだった。
「どういう論理だよ」
「いよいよ世界がトチ狂ってきたなって、実感するよ。チューヤはパクられるわ、サアヤは学校こねーわ、チビはどーでもいいが、お嬢までサボったんだろ? なにやってたんだよ、おまえら」
しゃくしゃくとリンゴをかじりつつ、さして興味もなさそうに問うマフユ。
「アホに説明してもわからんだろ。聞くつもりもなさそうだしな」
ケートは暇つぶしにいじっていたパソコンから離れ、ぺたぺたと歩いてリョージの手元をのぞき込む。
「それよりなんですか、さっきからペタペタと、そのだらしないサンダルは」
「おー、気づいたか。これ、リョージからもらったんだよ」
ケートはふりかえり、ぴょんと跳ねてみせる。
「いいだろ。真新しいベンサン!」
「ひゃっはー!」
手を打ち合わせ、はしゃぐ男子3人。
再びポカーンとするヒナノ。
「ベン……?」
「バカな男子の大好物、便所サンダルだよ」
保護者のサアヤが、やれやれと首を振った。
「いやあ、仕事でさ、店のやつまとめて買ったんだけど、業者のほうトラブってるみたいで、手伝ってやったらお礼に1ダースくれた。お嬢も履く?」
どうやらリョージが供給源らしいと知って、ヒナノは複雑な表情で吐息する。
「……わたくしが履くと思いますか」
「だよねー。聞くだけ野暮ってもんだよ、リョーちん」
「あたしはもらってやってもいいぞ、リョージ」
テーブルに腰かけ、足をぶらぶらさせるマフユ。
「黙れ便所蛇。おまえなんかに、真新しいベンサンはもったいないわ。入れ替えて捨てる予定のベンサンをくれてやる」
「なんだと、クソチビ、勝負すっかおい!」
ベンサンで殴り合ういつものふたりを無視して、ヒナノはリョージの近くに歩み寄り、
「それは、おでん、というものですね?」
「ざっつらい。すまんな、なんか手抜きっぽくてさ」
「いえ、かまいませんが」
攻撃態勢で絡み合いながら、マフユとケートが苦言を漏らす。
「おまえらが、ちゃんと材料を持ち寄らないからこうなる」
「まったくだ。きみたち、この部活をなんと心得ておるのかね」
ふと、サアヤが首をかしげた。
「……そーいや、なんだっけ? この部活」
「鍋部だろ」
あっさり答えるチューヤ。
「じゃなくて、正式にはさ」
サアヤの根源的問いに、部員たちは一瞬、考え込んだ。
「……民俗学部?」
「短縮するな。民俗化学部だ」
ケートが正解を言っても、だれもあまりピンときていない。
「なんでだっけ?」
「化学の産物であるセラミックの一種でつくられた『鍋』について、その素材から実用性などを含めた一連の要素を、ひとつの文化としてとらえ、具体的な料理を措定したうえでこれを解析することにより、その背景にある民俗学的な奥行きを含めた、味覚的に多角的な研究を推し進めることを宿命づけられた部活だ」
「テキテキ言いすぎだろ」
「日本語としてはどうかと思うが、理念はすばらしい」
ヒナノはいつもの自分の椅子に腰を下ろしながら、
「民俗学における味覚の歴史、文化としての調理の発展、セラミック内における熱化学反応の概念について、日々、議論を戦わせております、と友人には説明いたしました」
「要するに、鍋料理をたしなんでいるわけだね!」
「大変な宿命を背負っているわけだな、おい、鍋よ」
チューヤの見つめる先、鍋はコトコト煮えている。
ヒナノも引き寄せられるように鍋を見つめ、
「ストウブ、ル・クルーゼ、シャスール、バーミキュラといったメーカーが知られていますが」
もちろんだれひとり、この鍋のメーカーなど知るはずもない。
「名もないメーカーだろ。ただの鍋だしな」
無水調理で知られるバーミキュラのように密閉性に優れるでもなければ、ストウブのように焦げ付きづらくもなく、ル・クルーゼやシャスールのような色見の魅力もない。
「ただ、使いやすいんだよ」
それは土鍋にとって最高の誉め言葉。
使いやすい。
「年季の入った鍋だよねー」
サアヤは、コンロのうえでコトコトといい音を響かせる鍋を見つめる。
「それ、邪教鍋でしょ?」
チューヤの言葉に、一同の動きがピタリと止まった。
日曜に起こった一連の顛末について、まだ心の整理がついていない者もいる。
「そういえば、新しい鍋、買ったのか?」
ケートの言葉に、一同の視線が彼の視線を追って、壁の棚に集まる。
そこには、なぜか真新しい鍋があり、なんと、それが突然、がたがたと動き出したではないか。
ぎくり、とする一同。
この流れには、既視感がある。
「鍋、それは愛」
鍋から、静かに声が響く。
BGMは前回とすこしちがって、落ち着いている。
「……出たな」
「ちょっと男子ぃ、さらわれないように注意ねー」
一瞬、緊張が走るが、きょうは世界が境界化している気配はない。
「邪教鍋。それはみずから邪教を標榜する、われら悪魔合体の館。デジタル世代を彩る一族が生み出した魔法、それが邪教鍋。あらゆるものを混ぜ合わせ、美味なる別のものに変える。鍋。それは神秘。邪教。それは美味!」
そうして新しい鍋のなかから、ひょこりと顔を出したのは、邪教の味方、テイネ。
「ま・た・お・ま・え・か」
会話の矢面に立つのは、きょうもチューヤ。
邪教システムは、基本的に悪魔使いにしか関係がないので、他の面々の興味は薄い。
「ふふん、全員、敬意を表しなんし。わっちは、この鍋部の最古参でありんすぞ」
すたっ、とテーブルのうえに降り立つテイネ。
境界化していなくても、能力のある人間には見える。
「そーいや、おまえいつからこの部屋に巣食ってんだよ。座敷わらしみたいに」
1年以上も過ごしていて、気づいたのは最近という体たらく。
「セラミック研究会と呼ばれていた時代からざんす。いや、宗教考古学同好会だったかな」
「なんだそりゃ」
「やってることは同じざんす。……料理人。わっちの分もちゃんとつくんなんし」
「聞くなリョージ! おまえの分なんかあるわけないだろ」
ふてくされたように、テーブルに座り込むテイネ。
「なんざんす、犬の食いぶちが減った分、わっちに食わせてくれてもよろしやん」
「どういう理屈だよ! やれ、ケルベロス!」
叫ぶチューヤに、サアヤの頭上の野良ポメラニアンは、あくびを返すのみ。
実体がないと、食欲もなくなるらしい。
「そんなことより、新しい鍋を仕入れたのか?」
ケートがテーブルのうえと棚のうえの鍋を見比べて言う。
すると、邪教は反応して立ち上がり、
「よくぞ訊いた。それがあれば、邪教はいつもオンライン」
「訊いてねーよ。どこぞのECサイトかおまえは」
「悪魔の使いよ、あんさんに、この29980マッカイン(外税)の邪教鍋レプリカをプレゼントするでありんす。いざというとき頭にかぶれば、邪教システムが起動して悪魔合体が可能になるざんすよ」
現状、あまり合体に熱中していないチューヤだったが、そろそろ使いこなさなければならないとは思っている。
いちいち部室にこないと合体できないのは面倒だ。
であれば、携帯用で個人用の鍋が支給されるのは、願ったりかなったりである。
「もっと早くよこせよ」
「あんさんこのまえ、支払えるマッカをもってなかったざんしょ! 金のないやつに売り込むほど、無駄なことはないざんす」
「さいですか……てか、おい! 売るのかよ! プレゼントじゃないのか」
「金の切れ目がなんとやら、無一文には、郭を冷やかす資格すらないでありんす。プレゼント? ナメたらあかんぜよ! 6万マッカ持ってるから、3万にまけてやったんざんす。あ、税込みで4万5000マッカインね」
「なんで俺の所持金知ってんの!? そもそもなんだよ、そのべらぼうな税率は! どこの北欧!? だいたい鍋なんて、そこらのホームセンターで2000円くらいで売ってるだろ」
「邪教鍋を、そこらの鍋と一緒にすんなし! このレプリカは、日常の持ち運びについても考え抜かれた、高度な技術を結集した鍋でありんすよ!」
「……ただの鍋にしか見えねえ」
「このバカチンが! 罰当たりなことを言わんと、さっさとカードダスざんす!」
声を荒げつつ、懐から取り出したPOSリーダーのような機械を、チューヤのパスケースに当てる邪教。
ジャラーンと支払いが行なわれる。
「なあ、この鍋、合羽橋で980円で売ってたやつだろ」
ちょうど料理に一区切りつけたリョージが、歩み寄ってぼそりと言った。
テイネの背中が揺れる。
「ぎく。なぜそれを……」
「はああ!? おい、邪教のガキ、どういうことだ」
飛び上がるチューヤ。
いい買い物をした、と一瞬でも思った自分が怖い。
「どうやら、この裏面に貼ってあるプリント基盤の問題らしいな。邪教システムにアクセスする用途を果たすのは、この爪の先に乗る基盤だけだろう」
ケートがさらに解き明かす。
テイネは、じりじりと後退しながら、
「勝手に解析すんじゃないよ! 特許侵害で訴えてやるざんす!」
「……てめえ、980円の鍋を4万5000とか暴利をむさぼるつもりか」
「ぼ、暴利とはかぎらんざんす、その基盤が高いのかもしれないざましょ!」
「返せ、この野郎!」
テイネを捕まえようとするチューヤの動きを、ひょいひょいとかわしながら、
「まったく、粋じゃないざんすね、郭に払った金を返せなど、江戸っ子のすることじゃなかろうもん」
「江戸っ子じゃねえよ!」
「明朗会計、返品不可ざんす。毎度ありがとやんしたー。これでだんさんも、立派な悪魔使いイン邪教システムでありんすよ。あ、わっちに会いたいからといって起動しなさんな。ちゃんと合体のレシピを描いてから起動しんなまし」
「てめえ逃げんな、おいっ!」
チューヤの叫びが向かう先、もう邪教の味方の姿はどこにもない。
完全に他人事のサアヤは、お茶をすすりながら、
「お金の使い方が下手だね、チューヤは」
「俺の周囲には、俺の財布に対する敬意を完全に欠いているやつらしかいないのか!?」
「どうせはした金だろ。あきらメロン」
基盤をいじりながら言うケート。
「富豪メロンめ! こちとら親の脛なんか見たこともないってのに!」
「その小児用メロン、じゃないスイカは、親の脛から生み出されたもんじゃないのか」
「そ、それは……その」
「まあいいじゃん。稼ぐに追いつく貧乏なしだよ」
「他人事かよ!」
「うん」
全員同時にうなずかれては、チューヤも返す言葉がなかった。
「しかし、雑な取りつけだな。簡単に外れそうだぞ」
「ちょっとケート、4万5000もしたんだから壊さないでよ」
言う間に、ぱこん、と基盤を取り外すケート。
唖然とするチューヤのまえで、しばらくためつすがめつしていたケートは、
「おまえのケータイ貸せ。リンクしてやる」
結果からいえば、雑に鍋に取りつけられた基盤だけあれば、最初からケータイと連動させたほうが非常に使いやすい、ということが判明した。
外付けのICタグのようなもので、チューヤのスマホケースに基盤を貼りつけ、本体と魔術回路で連動させる。
すると、最初からそのために設計されたものであるかのように、スマホ上に邪教システムが起動した。
「あのガキ……」
鍋には、さしたる意味はない、ということだ。
にもかかわらず、わざわざ鍋を持ち歩かせようとしていた邪教の魂胆が腹立たしい。
「よかったね、チューヤ。この鍋、持って帰っていいって」
「980円の鍋なんかいらん!」
ともあれ、これでどこでも悪魔合体にいそしめるようになったのだった。