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73 : Day -54 : Kosuge


「彼は、たいへんな極悪人でね、お嬢さん」


 ケートが興味をもったという記事を書いた三田村が、サアヤに説明してくれた。

 その男は、何年もまえから売春宿を運営していた女衒(ぜげん)だという。

 サアヤは空恐ろしげに話を聞いた。

 多数の女に売春をさせる斡旋者、女衒。

 なかでも最低の部類にはいる男、らしい。


「そいつは、()()を、自分の娘を、殺した男だ」


 ケートが言葉少なに言った。


「あい、ちゃん?」


「ボクが日本にきて、最初にできた友達だよ。小学校に上がるまえだ」


 ケートの過去については、サアヤも、なんとなくは知っていた。

 生まれたのはニューヨークで、育ったのはテキサス。その間、インド出身の乳母に育てられて、カレーが大好きになった。

 日本にもどったのは就学まえ、6歳のとき。


「なんか、ホテルに放置されて、しばらく忘れられていたって聞いたような」


「ああ、頭がおかしいんだよ、うちの親は」


 父親はもちろん、秘書から祖父母に至るまで、言い訳は聞き飽きた。

 事実として、天王洲の高級ホテルのスイートに数か月ほど忘れられて暮らしていた。それだけのことだ。

 ──結局、就学まえになってインド人の乳母からの連絡で、どうにか小学校には入学できたということだったが。


「そのときさ、()()に会ったのは。ホテル近くの公園、クジラの滑り台があったよ」


 ケートの脳裏に、あいの姿がフラッシュバックする。

 彼は頭を押さえ、口元に手を当てて嘔吐をこらえるような所作をした。


「だ、だいじょぶ? ケーたん」


 代わりに三田村が説明する。


「地獄みたいな男なんだよ、そいつは。自分の娘も含めて何人もの女……いや、女なんて呼んじゃいけない、子どもだ。小学生や、ときには就学まえの幼児さえ、変態性欲者に売り飛ばしていたんだ」


 ケートの肩がふるえる。

 もちろんケートに責任はない。彼はわるくないのだが、良くもなかった。

 助けられたかもしれない。助けられる可能性があった。それを、彼はしなかった。


「知らなかった、ボクは知らなかったんだ。助けられたかもしれないのに、ボクにはなにもできなかった……」


 ケート自身、当時はまだ就学まえの幼児だ。

 彼にできることはたかが知れている。だがそれでも、なにかできることはあったんじゃないかと思う。


 ──女衒が、高級ホテルに泊まるような客のために、あいを連れてきていた。

 客との交渉に、その悪魔が向かっている間、ケートはヒートアイランドの片隅のすこしだけ涼しい公園で、あいと話した。

 一度や二度ではない。

 広尾の新しい家に収まるまでの数か月、その公園で何度も会った。

 小学校に入学してからも、あいに会えるんじゃないかと公園を訪れ、じっさい会ったこともある。

 小学生の、淡い恋だった。


 やがて、はっきりと彼女の異常に気づいた。

 彼女自身、明確には言わなかった。

 口ごもって、なにかを言いかけた。

 だが結局、掘り下げることはなかった。


「ちゃんと聞いてれば。あのとき、だから、ボクは……」


 唇を噛み締める。

 ケートのなかに、強烈な感情が湧いている。

 サアヤにもビシビシと伝わってきたが、どうしてあげればいいのかわからない。


 ケートの脳裏に浮かぶ最後の姿は、傷だらけの幼女の背中。

 変態性欲で、サディストで、ロリコンで、気が狂った父親のもとで、何度も何度も売春をさせられた少女の背中だ。


 助けられた、ボクは、助けられたはずだ。

 それなのに……。


「最後にはね、東京のどまんなかに、子どもばかり集めた売春宿を経営していたような男なんだよ。何人死んだか、まだはっきりとはわかってないが、これはたぶん戦後最大、最悪の幼児売春事件だと思われる。記事にしないわけにはいかないんだ……」


 ケートの唇に血がにじむ。

 くそが、ぶち殺して、やる……。


「だれだァ、てめぇらは」


 その瞬間、ケートが暴れ狂わなかったことは、彼の自制心の素晴らしさを示している。

 面会室、ケートたちの目のまえに、件の犯罪者がいた。


 ──この男のなかには、地獄が凝縮されている。




 痩せて引きつったような、色のわるい皮膚。

 酒と麻薬で汚れ切った細胞が、全身に満たされている。

 腐臭にも似た吐息を吐く口には、ぼろぼろの歯がのぞく。ただその少ない歯の先端は、異常に尖っているように見えた。

 まさに……人間の生き血を吸う、ヴァンパイア。


「始末を、つけにきた」


 万感を込めて言うケートだったが、関係を知らない相手には通じない。


「ああ? なんの話だよ。借金の話なら、ここから出てからにしてくんねえかな」


「借金? ふん。金なんてくだらんものの話はどうでもいい。貴様が汚し、壊した()()()だ」


「いのちぃ? けひゃひゃ、そんなもん、壊れるほうがわるいんだよぉ、最初から、そうなる運命だったんだよ、俺には関係ねえわ」


 ギリッ、と歯がきしむ。

 ケートのなかで、大切にしていた記憶がつぎつぎと汚されていく。


「すいません、私は記者なのですが」


 ケートにばかりセンターを取られるわけにもいかないとばかり、三田村がプラスチック壁の正面に寄って話をはじめる。

 ケートの視線は、まっすぐに男の脳天に集まっている。

 この腐った脳髄をめくり返してやる。

 この男をどうやって殺そうか、ただ考えている。


 つぎの瞬間、気づいた。

 この拘置所のなかで酔っ払っていられるわけもないのに、男の吐き出す域はなぜか酒臭い。

 監房のなかに、小さな黒いものがちょこまかと動いている。


 ハッとする。

 やはり、悪魔か。こいつも悪魔の力を取り入れている。

 いや、悪魔そのものに生まれ変わってしまっている、と言ったほうが正確か。


 つぎの瞬間だった、世界が歪んだのは。

 境界のむこう側へ、輻輳する世界線が展開していく──。




 イヌガミに臭いを嗅がせると、どうやらエレベーターのほうに強い痕跡が見いだせるらしい。

 臭いは下に向かっている、とイヌガミの嗅覚が伝えてくる。


 地下になにがあるか?

 考えるまでもなく、チューヤにはピンときた。

 ──脱走ルートだ。

 あの悪魔は、境界化によって拘置所から逃げようとしている。


「たしかに、そういう使い方もあるだろうな」


 先週、医工研の地下に侵入するため、光が丘駅の地下からアプローチしたことを思い出していた。

 あのようなことが可能なら、逆に考えれば、拘置所の地下からアプローチして、小菅駅の地下に出ることも可能、というわけだ。

 そのような面倒なことをしなくても、悪魔なら脱走くらい簡単にできそうなものだが、彼らには彼らなりの事情なり美学なりがあるのかもしれない。


「さて、それじゃエレベーターで地下に」


「ちょっと待ったァア!」


 背後からの声に、チューヤはビクリとふるえあがった。


「ま、まさか」


「なんだ、やっぱりおまえらも、こっちに巻き込まれていたのか」


 ケートが言いながら、すたすたと歩み寄ってくる。

 その横ではサアヤも、いつも通り元気いっぱいだ。

 見ると、あちこち服が裂けている。

 彼らもそれなりの戦闘をくりかえしてきたようだが、サアヤがいるかぎり、服の下にはどのような傷も残ってはいないだろう。


「なんだいなんだい、ちょこまかと傷ついちゃって。女の子をしっかり守れないなんて、男子失格だぞチューヤ!」


 サアヤに言われ、ハッとしてヒナノを顧みるチューヤ。

 一見してわかるような傷ではないが、たしかに彼女の肘のあたりには、うっすらと血がにじんでいた。


「ご、ごめんお嬢、気づかなくて」


「たいしたことはありません」


 むしろ彼女は、傷ついた自分を隠そうとしているようなところがあった。

 弱みを見せて、ナメられるわけにはいかない、それが誇り高い貴族というもの、というある種、高慢な存在。ヒナノという人間の本質だ。

 じっさい先頭に立って戦うチューヤのほうが生傷は多かったのだが、もちろん男の子はその程度のことでめそめそしてはいられない。


「はいはい、回復回復」


 サアヤがやってくると、もう傷とは無縁の社会になる。

 一気に全回復したパーティは、ともにエレベーターに乗り込み、地下を目指しながらこれまでの情報交換を開始した。


 まずチューヤの口から、ヒナノの基本的な動機が説明される。

 携挙、神学機構、弟、シェムハザ、小菅の悪魔、地下──。


「なるほど、お嬢の目的は、そういうことか」


 うなずいて納得するケート。

 ヒナノ自身、ふっきれたように神学機構の内部用語を言い連ねる。


「ガブリエルからの依頼で、携挙予備隊のシステム保護が、本来の〝任務〟になります」


「軽挙妄動の保護?」


 理解の遅いサアヤが、ぽかーんとして問い返す。

 ヒナノは首を振り、ため息をついた。


「軽率な言動は価値を貶めますよ。携挙は先ほど説明したと思いますが、要するにこの世からあの世へと引き上げられる、という()()()()()です。当然、これによって天国に導かれる人間たちの魂は、唯一神のもとへ集まります。そのシステムに介入し、力の流れを捻じ曲げて私腹を肥やそうとしている悪魔がいる。その調査、でき得れば退治を依頼されました」


「使いっ走りだね」


 高慢であることを原因として意識的な皮肉を旨とするヒナノに対して、天然であることを原因に無意識に皮肉を言うところがサアヤらしい。


「気に入らない表現ですが、その通りです。本来わたくしのような人間が手を下すべき事柄ではありませんが、この程度の仕事もできないと神学機構から軽んじられるのも業腹です」


「簡単なお仕事なの?」


「簡単なことができて褒めてもらおうなんて、虫が良すぎると思いませんか」


「どうなのよ! もう」


 サアヤとヒナノの会話も、いまいち噛み合わないことが多い。


「携挙予備隊と呼ばれるシステムは、神学機構のホストコンピュータに接続しています。ここにウイルスが取り憑いて、本来、神へと注がれるべき魂が、別の悪魔の運営するサーバに流れていたらしいのですが、まだ追跡できないようです」


 対して、その言葉に反応するケートのほうが、高い次元の会話でヒナノと噛み合うことが多い。


「それって、具体的にどんなシステムよ?」


 ケートが軽く腕をまくって言った。

 理数特進の彼は、授業で教わる以上のプログラムについて詳しい。


「どんな、と言われましても」


「魂を捕獲するシステムなら、ボクたちの頭に取り憑いたナノマシンが、概要は教えてくれるだろ? 虚数質量を取り扱うシステム言語はいくつかあるけど、どのフォーマットで、どんな設計思想かわかれば、組み替えてアンチセンスできるぜ」


 敵に必要なデータのコピーを阻害し、場合によっては敵本体のサーバに結合して反撃を試みる。

 超一流のハッカー、ケートはチューヤをふりかえり、


「……東京拘置所の図面はあるか?」


 チューヤは憤然として切り返す。


「あるわけないでしょ! 地図系は持ち込むだけでもNGだから。ここをどこだと思ってんの!?」


「詰め所に行けば、監視システムがあるな」


「そりゃあるでしょうよ」


「よし、まずは末端からアクセスしよう」


 パーティは目的地を定め、歩き出す。




 警備の詰め所なら、これまでいくらでも見てきた。

 その一室を目指して、適宜戦闘を挟みつつ進む。

 そんななか、ふとチューヤは思い出したように、


「ところでケートのほうは、目的の面会、どうなったの?」


「……どうでもいいよ、あんなクズ」


「どうでもいいことないでしょ、ケーたん」


 視線を交わすケートとサアヤ。


「ああ、まあ、そうだけど、長くなるからな」


「……そだね。だけど許せないね、あいつ」


 ケートとサアヤだけが、理解しあったようにうなずきあうのを見て、チューヤはいわく言い難い感情を覚えたが、その感情の正体はよくわからなかった。

 境界化は面的とはかぎらず、モザイクを描いて並行する世界線を巻き込む。

 悪魔にしろ人間にしろ、境界化に巻き込まれなかった相手とは、ある意味、住む世界がちがう。


「見つけたらぶっ殺すだけさ……」


 ぽつりとつぶやくケートの背景を、チューヤは知らない。

 いずれ、ケートの事情にもかかわることになるのかもしれない。

 だがいまは、そんな場合ではないと彼自身が判断している。

 ならば能力の高い友人の判断に従うのが正しかろう。

 4人の仲間たちは手を取り合い、目的の場所へと向かう。



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