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70 : Day -55 : Kosuge


 小菅という駅がある。

 急行、区間急行はもちろん、準急、区間準急にもスルーされる、普通列車しか停まらない、荒川に面した足立区の駅。


「やってきたぜ、スラム足立!」


「怒られるよ!」


 降り立つ高校生たちの眼前には、見上げるまでもなく東京拘置所。

 地下を走るTXからは見えないが、常磐線、千代田線からもはっきりと、ああ、あそこに長らく教祖がいたんだな、などと見られてきた重要地点。


 ちなみに小菅駅は足立区に属するが、東京拘置所自体は葛飾区にある。

 左右対称のスタイルは堂々として、パーラメントと見まごうばかり。北側から西側の綾瀬川沿いには、まだ東京の昔の空気が残っている。


「このあたりを散策するのが、オヤジけっこう好きらしい。……自分がぶち込んだ連中の顔を思い浮かべながら」


 皮肉な表情で、己が父の性癖を暴露するチューヤ。

 サアヤはいやそうな顔で、


「いやな趣味だね……」


「まったくだ」


 8時をまわったばかり。まだ拘置所の面会時間ははじまっていない。

 彼らは遠まわりに、ゆっくりと壁沿いをまわる。


「まかりまちがったら、チューヤもここにぶち込まれていたんだよ」


「い、いやなことを言うなよ」


「チューヤのおやじは、どんな気持ちで自分がぶちこんだ息子のいる拘置所を見上げるんだろうな」


「……ざまあ、って感じか」


 みずから宣う息子自身。

 そこに悲しい親子の確執の歴史を見て取り、友人たちにはかける言葉が見つからない。


「まあまあ、よかったじゃん。こうしてシャバに出られたんだし」


「特別列車には乗ってみたかったけどな」


 チューヤの意図を、もちろん鉄道の歴史に詳しくない一同に理解することはできない。

 ──かつて東京地方裁判所から小菅まで、特別な地下鉄を敷設する計画があった。

 その特別地下鉄には予算もついて、朝夕2回のダイヤまで決まっていた、と朝日新聞の連載記事にある。

 国民に伏せてある地下の実態について暴露したものだが、結局は実現しなかった。

 東京の地下、たとえば皇居なども含めて、どれだけ多くの謎をはらんでいるかは、調べはじめると公安からストップがかかるレベルであるらしい。


 そうこうしている間に、時刻は8時半をまわった。

 面会受付時間が開始される。



 東京都葛飾区小菅1丁目35-1。

 東京の鬼門にあたり、東武伊勢崎線・小菅駅の南東に広がる、約20万平方メートルの敷地を持った、冷暖房完備の獄舎施設。

 ハイテク装置による万全のセキュリティを誇り、上空から見れば精密度系のムーブメントのような、鳥の羽ばたく姿を思わせる。

 チューヤたちはいま、その中にいる。


「おはようございます、お嬢様」


 ころころと転がるように歩み寄ってくるのは、きのうチューヤを助けてくれた弁護士、榎戸だった。


「それじゃ、ボクはここらで別行動とさせてもらうぜ」


 周囲を見まわし、ケートは言った。

 その視線の先には、彼に向けて手を振っているひとりの男の姿がある。


「知り合い?」


「ああ。彼は記者の三田村みたむらだ。マニア受けのする雑誌の編集長らしいが、彼の書いた都市伝説が気になっていてな、ちょうど昨夜、接触していたんだ。きょう、話題の犯罪者に面会するって聞いてたから、あとで話を聞く予定だったんだが、ちょうどよかった」


 ヒナノのなかでも得心が行く。

 あまりにもできすぎた偶然の気はするが、じゅうぶんに納得のいく理由でもある。


「なるほど、そういうわけでしたか。……それでは、ここで」


 別行動にしましょう。

 とくに未練もなく、二手に分かれようとする一行。

 そうして疑いもなくケートが離れて行こうとする直前、


「お嬢様。申し訳ありませんが、一度に面会できるのは、3人までなのですよ」


 榎戸が言った。

 ゆっくりと一同の視線が交錯する。


 こちら側には、弁護士の榎戸と、チューヤ、サアヤ、ヒナノがいる。

 一方、ケートの向かっている先の雑誌編集長はひとりだ。

 バランスを考えると……。

 なかでも空気を読める世故に長けたサアヤが、右手を挙げて言った。


「しょうがないな。私はケーたんの保護者として、がんばってくるよ」


 ケートは一同を見まわし、すこしうれしそうに言う。


「よくわからんが、嫁を借りていいんだな、チューヤ」


「そっちの事情に無関係の人だけど、いいの?」


「それはチューヤも同じでしょ」


 一同の視線を受け、榎戸がうなずく。


「親族はもちろん、知人、友人、じっさいのところ、なにも知らない人でも、お互いが了解すれば、面会はできます。接見禁止の人を除けばね」


 東京拘置所での面会規則は、それほど厳しくない。

 ただし回数に制限はあるので、やたらに面会するというわけにもいかない、ということらしい。

 こうしてメンツは、二手に分かれた。

 ヒナノはどこか不満げではあったが、あからさまに表に出すほど幼くはない。


「それでは行きますよ、榎戸」


「はい、お嬢様」


 受付に向かって歩くヒナノの背を追いかける、男ふたり。

 そこで榎戸はチューヤに向け、ちょっと声をひそめて言った。


「3人という面会人数に、未就学児や弁護士は含まれないので、場合によっては皆さん、いっしょに連れて行けましたけどね」


「え、それじゃどうして……」


「やはり男女は2対2がよろしいかと。余計なお世話でしたかな?」


「いや、グッジョブです、榎戸さん」


 親指を立て、男同士の会話を成立させる。

 たとえヒナノとなにもなかったとしても──いや、ないのだが──そこにサアヤがいるといないでは、接し方がそもそもちがう。

 チューヤの榎戸に対する好感度が、またひとつ上がった。

 こうして、いずれ榎戸に恩を返さなければならない動機が、着実に増えていく。




 東京拘置所、新獄舎南棟六階。

 各フロアの廊下には、まんなかに拘置所職員らの詰め所があり、それをはさんで左右に5部屋ずつ、計10室の面会室が並んでいる。


 ここにくるまでには、いくつかの手つづきが必要だった。

 まず1階の受付で被告との面会を申し込む。

 榎戸の言ったとおり、裁判中の被告で、証拠隠滅の恐れがなく、接見禁止が解除されている人間については、本人が拒否しないかぎり、だれでも面会できることになっている。


 一般面会申込書には、会いたい被告の名前、その人物との関係、要件の項目にチェックする箇所(安否、家庭など)、そして申込人の氏名、住所などを書き込む欄がある。

 面会希望者の空欄に氏名を書き込み、関係は知人、要件は「安否」のところにマル。受付に提出すると、すぐに番号を記した青い紙が交付された。

 これで受付は完了だ。


 あとは病院のような待合室で待つだけ。

 液晶モニターがあり、被告が拘置されている階層ごとに、面会の順番がまわってきた申込人の番号が映し出される。

 そのモニターと放送の案内に注意しながら、自分の番号が呼ばれるのを待つシステムである。


 自分の番になると、基本的に荷物はすべてロッカーに預けることになっている。

 たいてい持ち込むのはペンやメモ類だけだ。

 もちろん空港同様、金属探知機のゲートをくぐらなければならない。ここで音が鳴れば、携帯用の棒状の金属探知機を持った職員による身体検査を受けることになる。


 ヒナノはアクセサリーのところで何度か引っかかったが、弁護士の口添えに頼ることもなく、ほどなく通過できた。

 ──こうして彼らは、本当の意味で「拘置所」のなかに入った。


 長い廊下を奥まで進むと、明るく開けたエレベーターホールに出る。

 エレベーターは左右に2つ。いずれかに乗り、被告がいる階まで上がっていく。

 犯罪者にもよるが、当初は6階、重大犯罪者の場合はより監視が厳しい8階に移されることになっている。


 さっきから、会話がまったくない。

 もちろん先頭を行く榎戸は慣れた態度だったが、チューヤとヒナノに関しては、そういうわけにいかない。

 この緊張感をまぎらすべく、もし手を握ったら、ふつうに握り返してくれるんじゃないかな、と想像してチューヤはへらへら笑ったが、ヒナノの冷たい横顔を見て慌てて表情を引き締めた。


 なんの事情も知らされず、ここまでのこのこついてくるのも相当だが、毒を食らわば皿までの覚悟を決める。

 ドアのうえに3番と記された部屋のまえに立ち、ようやく足を止めた。

 緊張感が、わずかな震えに表れている。


 部屋の扉を開けると、そこは二畳ほどの空間になっていた。

 椅子が3つ置かれている。目のまえには透明の特殊ガラスの仕切り板。

 榎戸は遠慮がちに椅子を引き、右端にちょこんと座った。


 チューヤは、しばらくぼけっと周囲を見まわし、なんとなく手近の椅子を引き寄せて、榎戸と反対側の壁際に座った。

 そのとき、ヒナノの視線を感じて、慌てて立ち上がると、正面のガラス板に向かい合う場所の椅子を引いて、丁重に勧める。

 お嬢様の取り扱いには注意が必要だ。


 が、座って落ち着いている時間はなかった。

 ガラスに隔てられた彼我。すぐに向こうの小部屋のドアが開き、職員に伴われた男が姿を現した。


 それは、30代らしい細身の男だった。



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