69 : Day -55 : Shakujii-kōen
再加速する川の手線に揺られながら、会話はつづく。
「いまのところ、お嬢のマネをさせてもらうよ」
ヒナノとケートの視線が交錯する。
「どういうことです」
「黙して語らず」
ヒナノはしばらく考えてから、ゆっくりと言った。
「……必要ないと思ったことを語らないだけです。これから先のことについては、必要でしょうから、語りますよ」
「ほう? いいだろう。悪魔の集う東京拘置所に、悪魔使いを連れて行かなければならない理由、お聞かせ願おうか」
ケートにもなにか含むところがあるようだ、とチューヤたちも気づかざるを得ない。
だがいまは、とにかくヒナノの話を聞くことが先決だ。
「……弟が誘拐されました」
ヒナノは静かに、結論から言った。
その意味を理解するのにしばらく時間を使ってから、サアヤが口を開く。
「ええ!? 弟さんが営利誘拐拉致監禁暴行盗撮恐喝されたの!? 大変じゃん、超大変じゃん!」
「そこまで言ってませんが、まあ、そうですね……」
どこか歯切れがわるい。
「弟は大事だよ、かわいいよ、守らないと、大変だよ……」
おろおろするサアヤ。
交通事故で弟を亡くしている彼女の弟コンプレックスは、なかなか深刻だ。
「てか誘拐って、またぁ?」
チューヤの脳裏には、ごく最近の狂言誘拐の記憶が依然鮮明だ。
「そういう爆弾ぶっこむの得意だよね、ヒナノンは!」
サアヤも、ガブリエルの件を思い出して、首をひねった。
「後方に位置して重爆撃する魔法使いスタイルだからな、お嬢は」
衝撃的な物言いは、ヒナノらしいといえばらしい、と一同が共通理解に達する。
「あなたたち……。ガブリエルはある種、狂言にも近い誘拐でしたが、今回は本物の悪魔がかかわっているようです。悪魔使いの力が必要かもしれないと、神学機構にも伺いを立てて許可されました」
ヒナノの説明に、ケートが眉根を寄せる。
「神学機構がらみかよ。けど、そんならガブんちょも、いっしょに連れて行ったほうがよくないか?」
「彼女とは向こうで合流します。間に合えば、ですが」
「忙しそうだからな、あっちも」
「あっちも……?」
「もちろん、みんな忙しいだろ?」
含み笑うケート。
電車が減速する。
「つぎは光が丘、ひかりがおか。都営大江戸線はお乗り換えです」
ナミおばさんは元気にしているだろうか。
土曜日の顛末を思い出しながら、チューヤとサアヤの脳裏を一抹の感慨がよぎる。
「そんなに忙しいなら」
「学校なんて行ってる場合じゃないね!」
「それもどうかとは思うが……」
「目的地が拘置所なら、犯人はもう捕まってるってことじゃないの」
「そこですが……」
ヒナノは、どうにか言葉を選ぼうとするが、なかなか見つけられない。
当然、まったく要領を得ない一同。
彼らにしては珍しい沈黙が、一分ほどつづいた。
電車が減速する。
「つぎは新赤塚、しんあかつか。東武東上線、東京メトロ有楽町線、副都心線はお乗り換えです」
見慣れない路線へと進んでいる風景を眺めながら、ヒナノはつぶやくように言った。
「わたくしの乗らない場所でも、電車は走っていたのですね」
世界の中心にいて、それ以外の存在はゼロ、という唯我独尊の人間にしばしば見受けられる見解だ。
チューヤは唖然とし、ケートはさもあろうと苦笑う。
新赤塚は、東武東上線の下赤塚駅と、東京メトロの地下鉄赤塚駅とをつなぐ乗換駅だ。
名前こそ新しいが、既存の駅の地下につくるという設計思想は歪んでいない。
「こちらのほうに来たのは、初めてですわ」
「そもそも成城から石神井までしか乗らないんだよね、お嬢は」
「いえ、田園調布から羽田も使いますが」
高級住宅街から、国際線でパリに向かうヒナノの姿は、あまりにも想像しやすい。
「下町を完全にシカトしてますな」
「お嬢だからね」
東京にも、もちろん格差というものがある。
川の手線は角度をフラットに東へ、ほとんど曲がらない、という環状線らしくない路線の本領発揮で、しばらくは直進する。
それでも駅には止まる。減速する電車。
「つぎは志村坂上、しむらさかうえ。都営三田線はお乗り換えです」
マフユの顔が脳裏をよぎる。
ここで乗り換えて蓮根の病院に向かったのは、ずいぶん昔のことのように思われた。
「きょうが火曜日でよかったね」
「鍋が食えるのは月水金だからな」
「ですから、きょうにしました」
「……は?」
看過しえないようなことを言われた気もしたが、ヒナノはそれ以上語らなかった。
電車は進む。
それぞれの脳裏で、今回のミッションの意味を考えたり、ずる休みして大丈夫かなー、などと心配したりもしているうちに、電車は北区を代表する巨大ターミナルへ。
電車が減速する。
「つぎは赤羽、あかばね。JR埼京線、高崎線、宇都宮線、京浜東北線、湘南新宿ラインはお乗り換えです」
赤羽は恐るべき駅だ。
ターミナルの定義についてはともかく、乗り換えが多いメガステーションだから、という理由ばかりではない。
この駅には──ロキがいる。
そして、北欧系の神々とともに、なにやら怪しげな組織がうごめいているのだ。
「どうした、チューヤ」
「いや、さっさと通り過ぎればいいと思ってるだけ」
チューヤをして、赤羽の難物っぷりは議論の余地がない。
現在のレベルで、まともに乗り込めるとは考えないほうがいいだろう。
アカバネ・フォーティーンというアイドルグループが、絶対にからんでくる。
巨大な力だ。立ち向かうことなど、考えたくもない。
だが、この地下アイドルには、すでにかかわらざるを得ない事情もある。
ニンゲンをバラバラにして、気に入ったパーツを組み合わせ、理想的なアイドルを創り出す。
そんな冒瀆と背徳のゲームが、この赤羽で繰り広げられているという──。
「どうしたのよ、チューヤ?」
「だからさ、この件については俺も語りたくないんだって」
忖度したわけでもあるまいが、地下鉄はふつうに赤羽を通過した。
「おまえら、事情が多すぎるぞ。腹蔵なく語れよ、それでも友達か」
「ケートに言われたくないんですけど!」
赤羽からつぎの駅までは500メートルしかない。
都内ではよくある駅間距離だが、川の手線としては短いほうだ。
電車が減速する。
「つぎは志茂、しも。東京メトロ南北線、その先、埼玉高速鉄道はお乗り換えです」
だれにも思い入れのない駅だったが、サアヤだけはにこにこ笑ってホームのほうを指さす。
「地下から木が生えてるんだよ、ここ!」
川の手線の各駅には、特徴的な設計思想で貫かれているものが多い。
地下から銅像が立ち上がっている雪が谷大塚駅や、志茂駅のようにセコイアを地下40メートルから地上に向かって生やす、という実験的なデザインも、川の手線31駅のなかで名物駅に数えられる理由のひとつとなっている。
「ホームを貫いて木が生えるのは実際、大阪に萱島という駅があってだな」
チューヤの鉄ヲタうんちくに興味ないサアヤは、
「ここは植物の駅なんだよ! 川の手線の地下道には、プランターたくさん置いてあるでしょ? ああいう植物の維持管理をする事務所も、志茂にあるんだよ!」
植物の世話をするボランティアに参加している関係で、サアヤはそちらの事情に詳しい。チューヤも何度か誘われたが、一度も付き合っていない。
志茂? 川の手線に乗ってればそのうち着くから。というのが主な理由だ。
ひとりで行ける以上、ナビが付き合う理由はない。
「地下に茂ることを志しているわけか」
「まさに志茂ネタだな」
「デビル豪ではユグドラシルさんがいますが」
「ゲーム脳、自重!」
登校すべき学校を無視して、ここまでくるとさすがに吹っ切れてくる。
サボり高校生たちが、川の手線の各駅をネタに会話する時間も、あと少しだ。
「そもそもだな、この鉄道大国、ニッポンに生まれて、テツを楽しまないなんて、人生の楽しみの半分をドブに捨てているに等しいぞ、と言いたい」
「しばくぞ、チューキチ」
チューヤは両手を広げ、ここぞとばかりに熱いテツの魂を披歴する。
「目的地に行くのに電車に乗る、ただボーッとする、本を読む、音楽を聴く、友達と話す、そんなことで時間を費やすなんて、じつにもったいないと思わんかね? いや、思う!」
「じつに有意義だろ、友達いる時点で」
痛恨の一撃。
しかしチューヤはひるまない。
「と、とにかく楽しみ方をだな、まずは見つけることだ。テツにもいろんな種類がいるわけで、べつにJR時刻表とJTB時刻表を両手に見比べたり、地面に這いつくばってカメラを構えたり、床に耳をつけてインバータの音に耳を傾けたりする必要はないんだ」
「そんな変態みたいなマネができるか。なにが楽しいのか、想像もできん」
電車が減速する。
「つぎは西新井大師西、にしあらいだいしにし。日暮里舎人ライナーはお乗り換えです」
「そんなふうに世界を閉ざしても、なにもいいことはないぞ! 生涯楽しめる趣味をつくりたいのなら、さあ、いまこそテツの道へ!」
再び両手を広げ、聴衆に語りかけるチューヤ。
サアヤを除く友人たちは、とっくに他人のふりをすることに決めている。
テツが日々、通勤通学の電車内で、なにをしているか。
まずは車窓を見る。
毎日、同じ路線に乗っていれば、ビューポイントが次第にわかってくる。何時何分にどこのポイントを通過するか。その瞬間を見逃さず、腕時計と見比べてにやりと笑う。
「おい、地下鉄だぞ、ここは」
半ば面倒くさくなりつつも、投げやりに突っ込んでやるサアヤは、ある意味で優しいのかもしれない。
「テツの視点は、風光明媚な景色など、求めてはいない。いや、時には求めるが、そんなものはオマケでしかない。地下鉄だって子細に観察すれば、アップダウンはあるし、ポイントが交差しているところも、車両基地や他の路線へ向かう引き込み線、連絡線だって発見できる、ふしぎ!」
本当に楽しそうに、チューヤは語りつづけた。
「ミステリーをハントしたみたいに言わない」
「通り過ぎる駅の隅に止まる車両の型式、相互乗り入れで増解結される他社車両、信号機、鉄道員の詰め所まで、見るべき場所は無数だ! ほら、そこの標識に隠された意味を、きみは知っているか!?」
「勝手にウキウキウォッチングしとけってばよ」
「ゆえにロングシートは本来、好きではないのだ。外を見るようにできていないからな。だから立っている。学割の引け目もあるし、健康のためでもあり、かつ、ウキウキしたいんだよ、だって、お鉄の国の人だもの」
「なにがお鉄の国だ……」
「しかるに、お鉄の楽しみ、前面展望を求めて先頭車両へと向かうわれわれの邪魔をするのが、女性専用という狂気の沙汰だ! べつに専用つくってもいいけど、先頭車両じゃなくていいだろ!? その点、これから乗る東武はとても良心的!」
ほとんどの鉄道会社が女性専用車両を設けている。
JRは号車固定なので、進行方向によって先頭か最後尾かが変わる。東急や京王、TXも同様だ。
京急は、もっぱら先頭車両が女性専用となっている。
逆に最後尾を女性専用に固定するのは、東武や京成、小田急などだ。
先頭を女性に占有させるのは、先頭展望を目指して鉄ヲタが集まるのを妨害するためにちがいない、とチューヤは内心、疑っている。よって京急の女性専用車両には、断固反対する派閥に同意する。
ラッシュ時間帯に、先頭展望で恍惚としている乗り鉄もどうかと思う冷静な部分も持ち合わせてはいるが、人にはそれぞれ事情というものがある。
電車が減速する。
「つぎは西新井、にしあらい。東武スカイツリーラインはお乗り換えです」
女性専用の取り扱いについてはともかく、東武に対しても言うべきことはある。
「なにがスカイツリーだ、アーバンなんちゃら笑わせんな! 伊勢崎線に野田線だろうが!」
ひとしきり毒を吐いてから、チューヤは動き出す。
どうやらここで降りるらしいな、と残りの3人も動き出す。
ここから東武伊勢崎線の各停に乗り換えて、3駅。
東京の北西を走って、北東の小菅まで至った。
ここが、新たな物語の端緒。




