68 : Day -55 : Chitose-karasuyama
ケートはあくびを噛み殺しながら、いつものように通学用地下鉄に乗り込んだ。
そこにはいつもの少女が乗っていて、いつもの美しい秘書が彼に会釈をする。
「おはよ、ガブんちょ。きょうもきれいだね」
「おはようございます。あなたもかわいらし──」
「ガブリエル。おやめなさい」
かわいらしい、という表現をみなまで言わせないヒナノ。
彼女も気を使っているのかな、とケートは少しく感心する。
ガブリエルはそれ以上なにも言わず、いつものように電車を降りる。
「おはよ、お嬢。きょうもキレ」
「あなた、バックがどうとか言っていましたね」
一瞬、表情を引き締めたケートは、すぐにまた眠そうにあくびをする。
「キレッキレだね。朝から剣呑な話かい。神学機構のお偉い秘書さんに聞いたほうが、いろいろ手っ取り早いだろう」
「聞きましたよ、うんざりするほどね。東京が……いえ、世界がどうなるか、などという話を、まじめな顔で額面通りに聞いていられるなら」
「気持ちはわからんでもない。常識人という仮面は、時にボクらを不幸にしてくれるよね」
ケートはつまらなそうに言って、再びあくびをした。
電車が減速する。
「つぎは久我山、くがやま。京王井の頭線はお乗り換えです」
風景は、いつも通り。
地下の風景は変わり映えしないようだが、壁のデジタルサイネージは適宜、移り変わっている。
電車はいつもの時間に動き、いつもの減速度で止まる。いつもの駅で、いつもの顔が乗り込み、降りていく。そうあるべき、日常の通りに。
「おっはよーお、おふたりさん、きょうも元気だねえ」
元気に飛び乗ってくるサアヤを迎える、ケート、ヒナノ、ともに見た目はいつも通りだ。
「おはよう。おまえさんの元気にはかなわんよ、サアヤ」
「ごきげんよう。発田さん、きのうは彼と帰ったのですね」
サアヤは親しげに、その笑顔に似合わない殺伐とした単語を吐く。
「あー、ほんとありがとねー、ヒナノンの弁護士さんのおかげで、豚箱でクサイ飯を食わずに済んで、あの殺人容疑者も一生感謝すると思うよー」
ケートはうなずきながら、
「手配は早かったよな、お嬢。きみが動かなければ、ボクが手をまわしてやっていたところだが」
「経済事案であれば、あなたの顧問弁護士に任せたほうがよかったでしょうけれどね」
「いやー、友情ってありがたいね。あのバカチンには、これから土下座をさせるよ」
電車が減速する。
「つぎは西荻窪、にしおぎくぼ。JR中央線はお乗り換えです」
「おはよーおっすぅふぁあ……」
一同のなかでいちばん疲れた表情のチューヤが、いつもの登校風景に合流する。
彼らに共有される疲労感は、もちろん目前に横たわる共通の難題が理由だ。
それぞれ悪魔に対するスタンスは微妙にちがうものの、体内に巣食うナノマシンは、着実に境界の側の論理を、彼らに強要する。
「なによチューヤ、あれからまた夜遊びしたの?」
「遊びじゃないのよ涙は、ハッハーン」
「あくびの涙、素直でいれたらいいね!」
一瞬、まとわりつく昭和な雰囲気。
「……中谷くん。きのうのお約束通り、お付き合いいただけるわね?」
理解不能のやり取りを無視して、切り込むヒナノの言葉は単刀直入だ。
衝撃を受けるケートとサアヤ。
「なによ、おまえら付き合うことにしたの?」
「ちょっとチューヤ、そこに座りなさい」
「いや学割で乗ってるから、席に座るのは申し訳ないよ……」
「心配するなサアヤ。捨て犬のきみを、ボクが拾ってやろう」
「わーい。聞いたチューヤ? あんたがいなくても代わりはいるのよ」
ヒナノが突っ込まないので、しかたなくチューヤから話題をもどす。
「はいはい。──それよりお嬢、付き合うのはいいけど、それって」
「このまま行きます。目的地は、東京拘置所です」
電車の停止に合わせて、ぴたり、と一同の動きが止まった。
「上石神井、かみしゃくじい。西武新宿線はお乗り換えです」
ほどなく再起動する揺れに身を任せ、チューヤは話を継ぐ。
「ええと……それって……?」
「たしか、小菅とかいう駅が近いと聞きましたが」
「ああ、そうね。東拘の最寄りは東武の小菅だけど……じゃなくて、なんで、というか、いまから?」
「電車で行くのが面倒なら、車を呼びますが?」
「いや、面倒ではないけども」
そこで、ケートが会話に割り込む。
「どういうことだよ、お嬢? せっかく警視庁から解放してやったのに、こんどは拘置所に放り込んでやろうって話か?」
サアヤもうんうんとうなずき、
「だから言ったでしょチューヤ、美女は罠を張るのよ。ちょっと塀の向こうで頭を冷やしてきなさい」
「はーい。……などというバカな話は」
「おいといて。どういうことなの、ヒナノン?」
ヒナノはつんと視線を高みに置いたまま答える。
「あなた方には関係ありません。それで、小菅まではどのくらいですか?」
ナビゲーター・チューヤの脳内自動乗換システムが起動する。
「任せて! 現在、川の手線の右回りで赤羽に向かっている。最少の乗り換えなら、このまま西新井まで行って東部スカイツリーラインに乗り換え、そっから駅3つだ。しかし、そのルートを使うと、乗り換えがたった1回で済んでしまう。もっと東京を楽しみたいなら、たとえば赤羽で乗り換えて」
ずいっ、と割り込むのはサアヤ。
「ヒナノンたら、そういう訊き方をしたらだめだよ。このアホは、できるだけ長く電車に乗ろうとするから。……最短ルートをとれ、乗換案内チュー機チ」
「はい!」
直立不動で敬礼するチュー機チ。
ナビの使用法では、サアヤに一日の長があった。
ヒナノはため息交じりに軽く肩をすくめ、
「では、そのルートで参りましょう。発田さんも、よろしいわね?」
「はにゃ? よろしいって……えっと」
「きのう、あなたの彼氏には依頼しておきました。きょう、拘置所へ付き合っていただきたいと。ご了解いただけたと思いますが、恋人であるあなたもいっしょに来てもらったほうが、いろいろと誤解を与える余地もなくて助かりますわ」
「……はあぁ? おいチューヤ、なんの話だ、初耳だぞ」
サアヤの鋭い視線を受け、チューヤは腕組みをして考える。
「えっとぉ、俺もどっちかっつーと初耳の部分があるんだけど……いや、付き合ってもらいたい場所があるっていう話は聞いたし、了解もしたけど、なに、それっていまから? 放課後じゃなくて?」
「拘置所の面会は、放課後では間に合いません。警察関係者でしょう、そのくらいのことは」
「いや、お役所仕事だからそうだろうけど、いまから? うーん」
考えるふりをするチューヤに、見透かしたように言うケート。
「おまえ、しょっちゅう休んでるし、いまさら1日くらい増えたところで関係ないだろ」
「いや、べつに休むのはいいんだけどさ」
「いいのかよ!」
左右から同時に裏手を入れるサアヤとケートの息はぴったりだ。
「そうだね、じゃ行こうか。……そういうわけだからサアヤ、担任にはうまいこと伝えといてくれる?」
チューヤの目論見は、もちろんただちに挫かれる。
「どう伝えようが、担任の受け取り方はもう微動だにしない位置にいるでしょ。それより、おいチューキチ! おまえ、ほんとにヒナノンとふたりでデートできると思ってる?」
「ええと……まさかの?」
「友達のためだもの! しかたないから、付き合ってあげるよ」
「わたくしも、それがよろしいと思いますわ」
どこかホッとしたように言うヒナノ。
能力は認めているものの、チューヤとふたりで行動するのが本当に嫌らしい。
衆議一決に際して、ケートが最後の一石を投じた。
「ボクも行く」
ケートに視線を集め、おおむね批判的な一同。
「なんだよ、ケート。学校サボるなんて、よくないぞ」
「そうだよ、チューヤみたいなダメな子になっちゃうよ」
「サボりの口実にされたくはありませんが」
ケートは肩をすくめ、チューヤからヒナノへ順に視線を転じる。
「どの口だ。……成績の心配してもらうほど、落ちぶれちゃいないよ。いいだろ、お嬢。戦力は多いほうがいいはずだ」
「……かまいませんが、あなたにもなにか事情が?」
電車が減速する。
「つぎは石神井公園、しゃくじいこうえん。西武池袋線はお乗り換えです」
いつもなら降りる駅。
だが、だれひとり、降りようとはしなかった──。




