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 それは「縊屍布」と書く。

 エジプト神話と日本神話の共通点についても、多くの指摘がある。

 たとえば太陽神ラーに陰部を見せて喜ばせ、場を収めるシーンなどは、日本神話で天岩屋戸に隠れた太陽神アマテラスのために踊る、アメノウズメにも受け継がれている。


「それで、死人が生き返るのか?」


 いまいち納得のいかない表情のチューヤ。

 神話みたいに、そう簡単に生き返ってたまるか、という思いは拭えない。

 ホルス自身、それについては言下に否定した。


「もちろん、そんなわけがない。イシフが整えるのは外見。ただ肉体が修復した()()()()()()だけだ。そこに、どんな魂を注ぎ込むかで、性質も変わる。ある意味、ゾンビのようなものだな。決して元の通りではない。たとえ見た目がそうであったとしてもな」


「だよね。ちょっと安心したよ、あんたらの世界が想像以上にデタラメってわけでもなくて」


 やや失礼な物言いではあるが、神々はその豊かな心でスルーした。


「すくなくとも見た目は整う、ということのほうを重視する者もいる。器には、それだけで一定の力があるものなのだ」


「まあ、見た目は大事かもね……」


「そうやって赤い悪魔は、イシス様を働かせつづけているのですね」


「バラバラにするのが流行っているようだからな。あの悪魔めが……」


 くちばしをこすり合わせ、憤懣を吐露するホルス。

 そこで、さっき死体を拾って逃げ去ったオタク男の話につながってくるのだと、チューヤの理解が追い付いてきた。


「赤羽がどうとか、バラバラ事件がどうとか、オヤジもけっこう最近まで、上野方面でその手の猟奇事件を追ってたんだけど」


「さもあろうよ。イシフを使えば、ともかく肉体はつながるのだ。器の形は、それに見合う魂を呼び集める、と信じる者もいる。バラバラの破片を集めて、()()()()()()()のだ、という狂気が蔓延しているらしいな」


「そのためにイシフが大量に必要、ということですか」


 神々の間でも、いくつかの共通理解と合意が形成された。


「わしはこれまで、2つの部品を集めた。これが3つ目だ。しかし、わしの目をもってしても、おおまかな位置しか探り出すことはできぬ。だが、必ず見つけ出す。そして蘇らせるだろう、この者の肉のうえに、わが母を」


 飼い主を見つめるホルスの瞳には、強い決意が宿っている。

 それは、情欲に近い猛烈な感情を秘めて燃え上がっているようにも見えた──。




 ホルスは激しい神だ。

 やおら、ハヤブサに強姦される少女のイメージが脳裏に浮かんで、チューヤは慌ててそれを振り払った。

 後背位で少女にのしかかり、羽ばたくハヤブサ。

 鳥の羽と人間の身体の合体は天使のようでもあるが、ひどく淫らな「合体」の印象もある。


「たまってんのか、俺」


 頭を振り、改めて見直してみても、ハヤブサの目の光の質は変わることがない。

 古代、近親婚が当然のようにくりかえされていた古代エジプト王家。

 イシスも、オシリスの妻であり妹だ。

 現代、インセスト(近親相姦)がタブーなら、ビースティアリティ(獣姦)も同じタブーであろう。

 彼らはタブーを犯そうとしている……。


「ああ、もう、いいから、そういうの!」


 ごしゅごしゅと頭をかき混ぜ、チューヤはとりあえず、そのことを考えないようにした。


「また、見つけたら持ってまいれ。よいな」


 ホルスがそこまで言った瞬間、空間の質が変容する。

 そして時間は動き出す──。



「……だいじょうぶですか?」


 少女が首をかしげ、問いかける。


「あ、ああ……うん」


 取りもどされた肉体の動きに、認知機構を再接続しながら言うチューヤ。

 その肩に、軽い感触。例の風が頬を撫でる。


「電話せよ」


 そんな声が聞こえた気がした。同時に一枚の名刺が肩のうえに落とされる。

 それは猛禽類好きが集まるファルコン・サロンなるクラブの名刺だった。


「チュー太郎、あの」


 すこしあわてたような少女の声。


「あ、だいじょうぶ」


 チューヤは軽く肩を払って答えた。

 猛禽の爪は、柔らかい布では防げない。そのことを心配しているのだろうと察した。

 それにしても、なぜ彼女は自分がチューと呼ばれることを知っているのだろう?


 改めて少女と目線を合わせる。

 よく見るまでもなく、素朴でかわいい子であることを再確認する。

 黒髪が艶やかで、古き良き日本の伝統を感じさせる。

 まじめで、潜在能力が高く、将来性あふれる大和なでしこ。

 光源氏に育て上げられれば、紫の上を超えるかもしれない。そんな、埒もないことを考えた。


「チュー太郎に最初から、こんなに好かれる人、初めてです」


 どうやら自分の印象は、だいぶ改善されているようだと感じつつ、ようやく気づく。

 おまえ、チュー太郎って名前なのか。

 そういうチューヤの視線から逃れるように、ホルスは高く舞い上がった。


「はは……。なかなかカッコいいタカだよね」


「あ、いえ。兄鷹しょいですが、ハヤブサです」


 最初にもその話は聞いたが、あらためて彼女は丁寧に説明をはじめた。

 ──日本の鷹狩りでは、おもにオオタカとハヤブサが使われる。

 欧米や中東に比べるとハヤブサの評価が低いとされるが、これは日本に森林が多く、平地が少ないため、ハヤブサに適したフィールドではなかったためと考えられる。

 兄鷹しょいはオス、弟鷹だいはメスの意で、メスのほうがやや大きい。


 オオタカは鷹匠と一体感のある技を追求できる、とされている。

 一日じゅう据えまわし、何度も羽合(あわせ)ることができる。

 一方、ハヤブサは非常に賢く、人間と駆け引きをしたり、餌を期待して怠けたりするという。要するに、ずる賢い。


 オオタカは500メートルも走れば据え上がるが、ハヤブサは行動範囲が広すぎて見つけることさえむずかしい。瞬時に5キロメートルも先にいる。

 しかも1日に何度も使えるオオタカとちがい、ハヤブサは1、2回しか使えない。

 そのため欧米や中東と異なり、日本ではハヤブサの育成はあまり受け継がれておらず、有名な文献『放鷹』においても「オオタカとほぼ同様」といった、かなり適当な説明にとどまっている。


「ですけどね、ハヤブサはすごいんですよ。もちろんオオタカもいいですけど、私は断然、ハヤブサ派です。ふたりで新しい鷹匠の世界をつくるんです」


 失われた技術を、彼女の手で復活させる気満々のようだ。

 ──文献によれば、ハヤブサ狩においては「上げ鷹」や「抜き打ち」といった猟法が主流であったとされるが、それ以外の詳細は不明。


 そこで、彼女はチュー太郎と向き合い、どうしたい? なにができる? どんな狩が好き? と問いつづけて、「ネオ・ハヤブサ・システム」を開発しているのだという。

 いつも鳥に話しかけている彼女の姿は、周囲からは、かなり不気味に思われていることだろう。

 鳥愛づる姫君は、いつかハヤブサで宇宙を目指すのかもしれない……。


「そっか、がんばって。あ、俺は中谷真也。みんなはチューヤって呼ぶよ」


「中谷……チューヤさん! よろしくです。私は石野須美──」


 互いの自己紹介を済ませた瞬間、バリバリバリ、と剣呑な音が聞こえて、ふたりは同時にそちらに視線を移した。

 振り向くと、チュー太郎が捕まえたばかりらしいまだ暴れるドバトを、音を立ててばりばりと引き裂いている。


「ホルス……」


 神も飯を食う、ということか。


「チュー太郎! また勝手に……」


 ハトは赤身で栄養価が高く、自然状態の猛禽類が好んで食す餌動物だ。

 家に帰ればニワトリやウズラといった餌は用意されているが、ホルスは「生」を愛する。

 マーケットに流通する血抜きされた肉などより、滴る生き血を啜って心臓ごと飲み込んでやるのが、あらゆる意味でいちばんに決まっている。


「くけーっ」


 一声、いななくと、ホルスは舞い上がった。

 ああいう猛禽を放し飼いにしておいて、よいものだろうか?


「あ、だいじょうぶです。人間には、危害は加えませんから。──チュー太郎!」


 うなずきながらもチューヤは、どうだかな、と思った。

 少女はその場でハヤブサに背を向けると、左腕を水平にまっすぐに伸ばし、ふりかえって鷹を見ながらはっきりと声をかけた。


 ハヤブサは中空で、しかたなさそうに首を振ると、ゆっくりと舞い降りてくる。

 少女は基本通り、顔を正面にもどして、拳に止まるまで鷹を見ない。

 これを「背中で受ける」という。

 鷹と不必要に目を合わせないように、視線を切る。目を凝視されると、狙われているという警戒心が強くなるためだという。


 女に叱られて、すごすごと家に帰る男。

 その図にシンパシーを覚え、チューヤは気持ちうつむいた。


 ──放鷹術は、5000年以上もまえの壁画からも確認されており、すくなくとも6000年の馴養の歴史を持っているという説もある。

 ヒッタイト帝国の1万年まえの廃墟のレリーフには、鷹と人との神秘的な結びつきを見ることもできる。

 中央アジアから西アジアでは、現在でも盛んな鷹狩り。


 この古い技術で、彼女が集めているものは、なにか。

 見つめると、美しい少女の横顔。気づいて視線を返し、微笑む。


「このあたりに、よくいます。また、来てくださいね」


「うん、たぶん……電話する」


 チューヤはうなずいて言い、踵を返した。

 望むと望まざるとにかかわらず、悪魔のゲームは進行している。

 パーツを集めたら、否応なくホルスに捧げる必要はあるだろう。


 アルカイックなスマイルで手を振る少女に、チューヤはだらしない笑顔を返す。

 それにしても、サアヤが先に帰ってくれて助かったな、なんかこれ神の導きじゃね?

 不埒なことを思う17歳男子であった──。



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