05
「鍋はだれがつくってもうまいんだよ」
調理器具をざっと洗いながら、リョージが謙虚なことを言った。
「ま、それはそうだな」
「いや、リョーちんの鍋は別格と思うけど」
「カエレルーの力だな」
東京の目立たぬ中小企業がひっそりと販売するカレエ味の「カエレルー」が、故郷にカエレル絶品の味と、昨今、一部のマニアで絶賛買い占められていた。
チューヤは大仰にうなずき、
「万能調味料な。それ、まじで箱買いしたいんだけど」
「買っといてくれよ。で、部室に寄付して」
資金量だけは豊富なケートが胸をたたき、
「任せておけ。ボクが買い占めておく」
じっさい買い占めかねない結果の惨状を慮ったリョージはあわてて、
「いやケート、待て、部室が溢れかえるのは困る。まあ、カレーもさ、たまに、ほどほどに食うからうまいんだろ」
「そうでもないぞ、カレーは毎日でもいい」
「インド人か!」
「インドにカレーなどという料理はないわけだが」
「また面倒な語源問題かよ」
インド系に知り合いが多いケートは、インドの話になると途端に熱くなる。
「ま、カレーはうまいけどさ、毎回はやめとこう。おもしろみがない」
「……おもしろさを追求しすぎると、闇鍋という悲惨な結末を迎えるわけだが」
「あれはあれでおもしろかったろ」
「負け組以外にとってはな!」
叫ぶチューヤの脳裏にある悲惨な過去については、いずれ語るときがくるかもしれない。
「ほい、デザート」
6分の1サイズに剥かれたリンゴを6個、大皿に乗せて出すリョージ。
さっと手を伸ばすマフユ。2個目も取りそうなその勢いを、部員たちが目線で抑止する。
「なんだよ、あたしがもってきたリンゴだろ」
憮然と言うマフユに、本気で食うつもりだったのか、と一同ため息を漏らした。
「ボクたちがもってきた素材を、おまえも食ったわけだが」
「うっせえな。あたしが他人の分まで食うような意地汚い人間に」
「見える」
「声をそろえるな!」
以前は、この手の果物は切りやすい8分の1サイズに切っていたのだが、6人が1切ずつ食うと2切れ余る。
それを奪い合って血みどろの戦闘がくりひろげられるリスクを、リョージの6分の1切りという技によって、最近はどうにか回避している。
「いいリンゴだね」
「初物だぞ」
リンゴの旬は10月から12月。
「ニュージーランドものは夏場でも並んでるわけだが」
「国産にかぎるだろ」
「リンゴは冷蔵保存が可能だから、青森産のリンゴも一年じゅう、食えると言えば食えるぞ」
東京都中央卸売市場のデータによると、夏場に多少、季節が逆のニュージーランド産も入ってくるものの、年間通じて毎月1000トン以上を供給しているのは青森産だ。
夏場の3か月の供給量を合計すれば、10月の初出荷量に匹敵する。
つぎつぎと生み出される新たな技術は、果物の「旬」という概念を更新しつつある。
「とはいえ、本物の初物は、それはそれでありがたい」
「初物信仰いえーい、江戸っ子いえーい」
「初物ねえ……」
交錯する視線の意味を、サアヤが彼女なりにまとめたところによると、
「なんなの男子、そのいやらしい目!」
「か、考えすぎだ、いやらしくねえわ!」
若干の罪の意識を振り払い、あわてて否定するチューヤ。
ケートは、サアヤからマフユ、ヒナノと順に視線を移し、
「桃色蛇尻女はともかく、お嬢は結婚しても貞節を守りそうだな」
「何女だって? おい、殺すぞチビスケ」
悠然と肯定するヒナノ。
「結婚したら、神聖な契約を交わした相手に貞節を尽くすのは当然でしょう」
「う、うん、まあそういう意味じゃなかったんだけどね」
苦笑するケート。
彼には、見た目のカワイさからは測れない、奥深い経験値がある。
仲良く喧嘩するチューヤとサアヤを、生暖かい目で見つめるリョージ。
「チューヤたちは、付き合ってるんだよな?」
「やだなー、リョーちん、そんなハッキリ言われてもぉ、ねえチューヤ」
ぱたぱたと手を振りながらも、笑顔を絶やさないサアヤ。
どぎまぎするチューヤと対照的な如才なさだ。
「つ、付き合ってませんが、なにか」
余計なことを言わなければいいのに、とリョージがため息を漏らす間もなく、そこではいつものふたりの世界が展開していた。
「チューヤ、ちょっとそこに座りなさい!」
「はい……もう座ってます……」
「たとえ正式に……がみがみ……付き合ってないとしてもね……くどくど……付き合うというのはね……がみがみ……神聖な手つづきだけども……」
チューヤとサアヤを放置して、残り4人で会話は進む。
「で、ケートとお嬢は付き合って」
「ない」
「ありません」
間髪を容れない回答に、再び苦笑するリョージ。
「一致団結してくれてありがとう。いや、まあ知ってたけど、一応聞いてみた」
「友達ではある。興味はないが、さほど敵視もしていない。ガブんちょも含めてな」
「そうですね。仲良しではないですが、彼の数学的能力については敬意を表しています。それだけですね」
お返しとばかり、ケートはマフユに視線を投げつつ、リョージに向けて言う。
「それよりリョージ、おまえにひとつだけ忠告しとく。そこの無駄にでかい女、ザ・スネークと付き合うのだけは、やめておけ。一見、お似合いではあるが、一方的におまえが損をする」
立ち上がるマフユ。
その目は仲良く喧嘩する域を出て剣呑だ。
「てめえ殺されてえのか、クソチビ。……いや、あたしはべつにリョージと付き合ってないし、そんなつもりも皆無なわけだが、料理人としては心から雇いたいと思う」
「貴様ごときの家にもったいないわ。雇うならボクが」
「いいえ、わたくしが」
話題はうまく軟着陸して、リョージにもどってきた。
彼はやれやれと肩をすくめ、
「なんでオレが、おまえらのお抱えシェフにならにゃいかんのだ。まあ、ともかく、この部室で恋愛沙汰どうこう言ってるのは、こちらの夫婦漫才コンビだけってことだな」
「夫婦ではありませんが!」
チューヤとサアヤが会話に復帰したところで、まずマフユがその集合から離れた。
「じゃ、あたしは帰るぜ。ちょっと忙しいんでな、これから」
「そういえば朝、言ってたね。どっか行くところあるって」
「ま、そういうこと。じゃ、あとよろしく」
細身の体躯をぬるりとドアの外へ押し出し、姿を消すマフユ。
「きょうは当番じゃないからいいけど、当番の日でもちょいちょい、あれで立ち去るから始末がわるい」
「まあいいじゃん。それできょうは……」
するとこんどはリョージが、軽く手刀を切って、
「わるい、オレもちょっとバイト立て込んでて、できるだけ早くはいってくれって店長が」
「そっか、金曜の夜だもんね。安心してリョーちん、片づけはちゃんとやっとくから」
「頼む。じゃな」
つづいて部室から消える、ふたり目の部員。
ケートはちらりとヒナノを顧みると、
「お嬢、たしか帰省するんだよな?」
ヒナノは、悠然と紅茶を飲みながら、
「帰省といっても田園調布なので。駅ふたつですが」
「ちょうどいいや。ボクも葛西に用があるから、途中まで送っていくよ」
「お心遣い、感謝しますわ」
「というわけだ。あと頼むぜ、おふたりさん」
同時に立ち上がる、ケートとヒナノ。
「あ、ああ。まあ最初から順番だし」
「おっつかれー」
見送るふつうの高校生たち。
見送られるお金持ち高校生たち。
「ボクがドアを閉めた瞬間、ちちくりあっていいぞ」
「あうか!」
「もう、やだなあ。ケーたん、考えすぎぃ」
てれてれするサアヤを残して、ピシャン、と閉じられるドア。
チューヤは、とくに困ったふうもなく、
「……たく、困ったもんだ。おまえがそういうややこしい態度をするから、誤解がはびこるんだろうが、サアヤ」
「えー? ややこしくないよぉ。デフォルトだしー」
「天然を自覚してるやつは天然じゃないらしいぞ」
ため息交じりに、洗い物を進めるチューヤ。
サアヤは、執念深くエサ皿をなめつづけるケルベロスを一瞥し、
「ごちそうさまでしたは?」
「ごちそうさま……って犬かよ。あいかわらず犬好きだな、サアヤ」
「そう言うチューヤは猫好きだよね」
「まーな。マンションでは飼えないけど」
サアヤは、チューヤのポケットからのぞくスマホに視線を移すと、
「ゲームのなかで飼ってるでしょ? えーと」
「デビル豪? 悪魔を集めるソーシャル・ゲームな。たしかに、ネコマタとかケットシーとかは、好んで強化はしているよ」
「ゲームばっかりやってー」
「いいだろ、べつに。……さて、帰ろうか」
洗い物を済ませ、手を拭く。
「うん。なんかけっこう暗くなっちゃったね」
ケルベロスの皿を所定の位置にもどすと、顔を上げるサアヤ。
「都会はいつでも明るいよ」
明るい宵の口を見上げる。
部室を閉ざし、帰途につく最後の部員たち。
これからはじまる、怪異に向けて。