58 : Day -56 : Sakuradamon
チューヤは手錠のかかった自分を身体を眺め下ろしながら、ほんの数時間まえの出来事が、まるで何か月もまえのことのようだ、と感じる。
石神井公園の事件から十日。
一連の行動をふりかえりながら、結果的に、父親に逮捕され、留置所に収監されるという自分自身の体たらくについて、どこでまちがったのかを反省しようと試み、すぐにあきらめる。
べつに俺、わるくないだろ。
あえてわるいとすれば、運だ。あと頭もちょっと。顔も、もしかしてわるいのか? 悪魔にすら相手にされなかったしな、くそ、いやなこと思い出させんなよ!
ひとり鉄格子の向こう側で煩悶するチューヤの様子は、もちろん監視カメラで撮影されている。
それが他人の目には、罪の意識で思い悩んでいるように見えるかもしれないし、まったく別の理由を想定することもできるだろう。
──千代田区霞が関、桜田門。
警視庁本庁3階。留置場は南西の方角、総務省側に並んでいる。
被疑者が女性や少年である場合、成人男性とは別の区画に収容されるが、彼の収容されている監房は、通常は複数人を収容すべき一般用だ。
「気を使ってるわけじゃないようだけどな」
たまたま未成年用の監房が満杯なのだろう、と予想した。
父親がここに勤務していることは知っていたが、まさか自分が被疑者として留置されることになろうとは、想像もしていなかった。
それも……こいつに逮捕されて。
チューヤの視線の先、がしゃん、と錠前の開く音がして、当の父親が姿を現した。
交錯するまなざし、親子の互いを見る目は厳しい。
「どういうことだ」
父親が、厳しいというよりは苦々しい口調で言った。
「こっちのセリフだよ。息子をこんなところにぶち込んで」
「そんなことはどうでもいい。なぜ、おまえにこんな早く弁護士が」
きょとんとするチューヤの視線の先、父親の後ろから押しわけるようにしてはいってくるのは、見たことのない中年男。
「不合理な取り調べは、そこまでにしていただきましょう」
恰幅のいい初老は言いながら、てらてらと光る広い額をハンカチで拭い、親子の間を隔てる位置に立った。
「いま説明を」
ふりかえり口を開く父親を制して、
「必要ありません。そもそも、直系尊属が捜査担当など、ありえない話ですぞ。しかも、よもや逮捕する側とはね。まったく、めずらしい親子関係だ」
「…………」
互いに視線を逸らす、めずらしい親子。
太った弁護士は、満面の笑みでチューヤに向き直る。
「はじめまして、中谷真也くん。依頼を受けて接見に来ました、弁護士の榎戸です」
「悪魔の弁護士が……」
去り際、吐き捨てるようにつぶやく父親の声を、チューヤはたしかに聞いた。
悪魔の弁護士──。
訳知り顔の弁護士は、鷹揚に笑いながら、
「捜査関係者にはね、そう呼ばれることもありますよ。いかなる重大犯罪者の弁護も引き受けますし、いわんや死刑相当の量刑をや、無罪を勝ち取ってみせましょう。──彼らにとって、私は仇敵なのですよ。だからきみも、安心していい。すぐにここから出してあげるから」
なぜ、このような弁護士が速やかにつくことになったのか。
ほどなくチューヤは、その背景を知る。
「つまりですね、駅名をそのまま使うことには、私用・商用問わず、なんの問題もないわけです」
弁護士は落ち着いた口調で言った。
接見のために用意された一室、殺風景な警視庁の片隅に、殺伐たる取り調べの痕跡を見つけ出すことは比較的容易だ。
「へー、そうなんですか。いや、『デビル豪』ってゲームなんですけど、ふつうに駅名とか出てくるし、いいのかなーとか、ほんのちょっと思ってたんですよ」
チューヤは、気さくにゲームの話に付き合ってくれる弁護士に、好感を持ちはじめている。
事件となんの関係もない雑談からはいるのは、弁護士としてはよくあることだ。
むしろ本題にはいるまえの雑談こそ重視するのは、弁護士より捜査関係者にその傾向が強い。
前後の雑談がうまくいけば、その後の取り調べもうまくいったに等しい、とまで豪語する者もいる。
「なんか、いろいろ騒がしいじゃないですか、著作権とか、カスラックとか?」
「音楽ももちろん大事な著作物ですが、問題はその創造性です。単に地名を使っただけの駅名に、創造性はありませんよ」
よって、小説やゲーム内などで駅名を勝手に使うことは、なんの問題もない。
「駅名に会社名とかがはいってる場合もありますよね」
「場所を明示する目的で、京成高砂や西武新宿という駅名を使ったところで、京成電鉄や西武鉄道が問題視するとは、とうてい思えません。鉄道というものの公共性を考えればね。
たとえ商用に供されるゲーム内でも、駅名を使った程度で文句を言い出したら、公共交通機関の名を返上してもらう、までありますよ。じっさい鉄道を使ったすごろくゲームも存在するわけですから」
商標や著作権については弁理士が詳しいが、訴訟になれば弁護士も関わることになる。
「登録商標だからという理由で、プラモデルの名前まで使えなくなったりしたみたいですけど」
「商標権になると、すこしちがいます。しかし悪意を持って登録商標を量産している人もいるので、一概に使えなくなることはないでしょう。合理的な登録や使用の範囲内であれば、すくなくとも日本で問題化させるのはむずかしいでしょうね」
使用目的や実績も問題になる。
この点、日本は良識ある対応をしている面もあるが、まだまだ整備不足なところもある。
「非営利なら、駅の画像とかもそのまま使っていいと聞いたんですが」
「ホームページなどに、自分が撮った写真を掲載するのは、もちろんかまいません。ただしそれをゲーム画面にそのまま取り込むとなると、どうでしょうか。私的利用の範囲を越えて、それが一般に市販される場合にはね」
『デビル豪』のゲーム内でも、駅の画像はだいぶボカしてある。
もちろん作中、ホームの黄色い線を歩く、などという微妙な要求はない。
常に改札の外側だけで完結するようにつくられている。
「画像をいじってあれば、商用でも大丈夫ということですか」
「程度問題でしょうが、おそらく大丈夫でしょう。風景というものは基本的に公共物であって、かなり広く利用が認められてしかるべきものですから」
「個人宅の外観でも?」
「内部は論外ですが、外観だと風景としてとらえられなくもありません。山の上から撮影した画像を一軒一軒、了解をとって掲載するわけにはいきませんし、現にグーゴルマップでは、個人宅もかなり立体的に再現されていますからね」
「全体の一部として表現される分には、大丈夫ということですね」
「容疑者の自宅周辺など特定されるような使い方だと、問題かもしれません」
容疑者。
この単語から、話は徐々に核心へと流れ込んでいく。
チューヤは、彼自身すら気づかないところで情報を引き出していく弁護士の手腕のすごさを、いずれ感動とともに思い出すことになる。
いまはいい、この弁護士は味方のようだから。
だが、もし彼を敵にまわすことがあれば、これほど厄介なことはない。
このとき彼は無意識に、そう思わされる経験を積んだ。
「感謝すべきなんだろうね、お嬢には」
警視庁から出て、待っていた車に乗り込むと、そこにはヒナノが、いつもと変わらぬ表情で座っていた。
「その必要はありません。先日、あなたには助けてもらいました。お返しとでもお思いになって」
「友達を助けるのはあたりまえじゃないか、それは……」
ヒナノは軽く肩をすくめ、
「なら、わたくしがあなたを助けても、べつにどうということもないでしょう。──本日の部活は中止です。どこまでお送りしますか?」
「ああ……いや、最寄りの駅までで、いいよ」
チューヤはドアを閉じようか迷いながら、片足を外に出したまま言った。
「そうですか。あなた電車が好きですものね。……すぐそこに見えるのは、地下鉄の入口ではなくて?」
「だね。ありがとう。こんないい車に、もう一度乗れたことに感謝するよ」
「では、ごきげんよう」
ヒナノは重ねて誘うようなことはしない。
たとえ社交辞令でも、当人が謝絶しているものを強いて乗って行けと言うのは、むしろ相手の意志を軽んじることになる。
「それじゃ、また」
「……ああ、そうそう、ひとつだけ。明日、もう一度、先ほどの弁護士をまじえて、お付き合い願いたい場所があります。予定しておいていただける?」
「明日ね、了解」
窓が閉じ、音もなく走り去る高級車。
彼女の手配してくれた弁護士のおかげで助かった。
と、一概に、そう信じていいのか、なぜか自信がない。
チューヤはぐるり、周囲を見まわし、脳内に起動するナノマシンに問いかける。
このさき、どうするか?




