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鍋の影から聞こえた悪魔のささやきを、当のチューヤは聞こえないふりをしたが、サアヤは素直に受け止め、ポンと手を打った。
「あ、そうか。チューヤもやればいいじゃん!」
察しない女は、にこにこ笑って悪魔合体を推奨する。
彼女にとって、死は忌避すべきものでも、合体はそうではないようだ。
おまえと合体したい、と言ったらぶん殴るくせにな、とチューヤは埒もないことを思った。
もちろんチューヤも「死」は恐ろしい。
だが、それと同じくらい悪魔「合体」には空恐ろしいものを感じている。
これはゲームではなく、現実なのだ、と思えば思うほど。
「……いやだ。俺は、したくない。だって、考えてもみろよ。悪魔を合体させたら、そいつらはどうなるんだ? ピクシーは、ケットシーは、ナカマとしていっしょにやってきた、あいつらの心はどうなるんだよ」
「チューヤって、意外なところで優しいよね」
サアヤは鼻白んで、肩すくめる。
別段、説得するつもりはないようだ。
気がつけば、悪魔たちの魂がチューヤの周囲に浮かび上がっている。
悪魔本体は、止まった世界で瀕死の状態にあるが、こちら側の時間軸ではチューヤたち同様、ある程度自由に動きまわることができる。
走馬燈の世界──魂の時間においては、現実の肉体を動かすことは1ミリたりともできない。
しかし思考する時間だけは、いくらでもある。
そうして彼らは、チューヤとサアヤの会話を静かに見守っていた。
チューヤは、やや表情を厳しくして、サアヤの所業をなじる。
「よく考えろよ、サアヤ。ある意味、おまえはケルベロスのために、カーバンクルを犠牲にしたんだぞ。見ての通り、もうカーバンクルはいないじゃないか。だから俺は、ゲームとしてはともかく、じっさいに悪魔合体することは気が進まない」
「だって、悪魔は分霊でしょ? カーバンクルが消えても、種族が消えるわけじゃないじゃない」
「それを言ったら、ケルベロス死んだってポメラニアンはなくならないだろ」
「ケルベロスはケルベロスなのよ、死んじゃダメなの、死んだら終わりなの!」
身近な「死」に対するヒステリックな拒否反応。
すくなくとも彼女にとって、死なせるよりは合体させたほうがよっぽどいい、という結論は揺るがないようだった。
彼女の論理はどこかで破綻しているが、その行為を合理的に肯定する論法を、邪教の味方は持っている。
理論武装のできないサアヤに代わり、説得工作を請け負う邪教テイネ。
「心配しなくても、合体に使われた素材のどっちも、べつに死ぬわけではないし、いなくなりもしないざんすよ。
むしろ自分の能力を上げる手段として、進んで合体したがる悪魔も多かりき。そうでなければ、この誇るべき邪教システムがこれほど栄えはしないざます。
より強力な肉体を持った、新しい存在として、生まれ変われるって思えばよござんしょ。そう、合体は生きることでありんす!」
いいこと言った、というしたり顔で平たい胸を張るテイネ。
──合体は、生命の進化がDNA(RNA)の組み替えで生じるのと同様、魂の組み替えによって引き起こされる。
生命の本質は、DNAの二重らせん、RNAの一本鎖による、類似の高分子の自己複製だ。
配列されたヌクレオチドに従って、ポリメラーゼなどの特異タンパク質が、非周期的個体を合成する。
単純化しよう。
悪魔Aの魂をコードする遺伝部分と、悪魔Bのそれとを「組み替える」ためには、無限のバリエーションから唯一の正解配列を選び出す必要がある。
そのノウハウを持っているのが「邪教」だ。
基本的には、レベルと種族によってのみ判断されているように見えるが、その背景には膨大なトライ&エラーと、経験と論理に基づいた成功例の蓄積がある。
テイネが邪教システムを誇るのは当然だ。
20世紀から……いや、人間が悪魔というものを認識したはじまりから、積み上げてきた経験値の精華、それが邪教の味方による悪魔合体である。
「なんかDNAみたいな話だな」
技術的な方向から籠絡されつつあることを自覚するチューヤ。
魂を合体することは、生命進化に等しい。
遺伝暗号をメッセンジャーRNAに転写、特定の酵素タンパク質を合成、トランスファーRNAに正しいアミノ酸を装填、そのアンチコドン部位から対応するコドンを認識する。
アミノ酸は指示された順に整然と並び、リボソームによってタンパク質が縫い合わされる。
「原理は同じざます。ただ一方は肉体、もう一方は悪魔という概念の問題ってだけ」
「たいそうなちがいだと思うが」
「そうとも、まったくちがう!」
そんなものといっしょにするな、とばかりに憤慨するテイネ。
こいつもめんどくさい感じのキャラかよ、と嘆息するチューヤ。
「どっちだよ」
「生命が何億年、いや何十億年もかけて、ようやく築き上げ、成功した方法を、われわれ邪教は魂に置き換え、ほんの何十年かで、何億回、何兆回もの経験値を積み重ねて、ここまで完成させんした。どう考えても、すごいざましょ!」
「まあ、そう言われるとすごい」
「だから、合体事故が起こりそうなパターンは、じつはちょっと歓迎だったりするざんす。新たな知見が得られるから……あ、これ秘密で」
「なにが秘密だ。まったく、えげつない考え方だな」
「生命ってのは、そもそもえげつねーざます! 世の中の生き物を見わたしてみなんし。あらゆる生き物が、他の生き物を捕食して、利用して、その屍のうえで生きている。そうやって、たまに変異ってやつを起こす。都合が良ければ進化と呼ばれる。その何万年、何十万年もかかる偶然のサイクルを、論理的に短縮してやる。それが邪教でありんす!」
パチパチパチ。
なんとなく拍手するチューヤ。
「悪魔合体は、一種の強制的な突然変異を起こすこと、か。生命が何十億年かけてきた道を、魂の形に書き換えながらトレースしたのが、悪魔合体ってわけだな」
「さすが悪魔使い、理解が早い」
「チュートリアル読んだ」
「説明書読むタイプ!? うわ、キモ!」
「なんでだよ!」
「ともかく、邪教が栄えている以上、悪魔は合体をそんなにいやがらない、ってのはホントざますよ」
「それは、でも、だからって……」
にわかに信じられない。
悪魔の心を思うと。
そんなチューヤを、目を細めて見つめ、
「なるほど。これが四倍体ってやつざますか。だから悪魔と心が通じると……」
ぼそっ、と短くつぶやくテイネの声は、だれにも届かなかったが、状況はたしかにそう思われるように進んでいった。
チューヤの周囲を取り巻く悪魔たちが、口を開きはじめたのだ。
「ってかさ、合体って基本だよね。むしろ、ここまでたどり着くのに、時間かかりすぎじゃない?」
「そういうご主人だから、吾輩もここまでついてきたのであるがな」
「ま、わるくないよね。そういう気遣いは」
「わしは長く生き過ぎた。むしろ変化を欲しているところすらある」
チューヤは悪魔たちに向き直る。
「いいのか、みんな……」
「どうすればいいか、もう、計算はできてるんだよね?」
悪魔使いであれば、当然知らなければならないこと。
合体の法則、その後の目算、もたらされる戦闘への影響。
「どの道、あいつをどうにかしなきゃならんわけでしょ」
「力不足で申し訳ないが、このままでは全滅は免れぬ」
「……目算は立ってる。レシピは、これだ」
ナノマシンを経由して伝わってくる、チューヤの意志。
それは、彼が優れた悪魔使いであることの証左として、じゅうぶんな意味を持つ。
セベクは、にやりと笑った。
「わしはかまわんよ。合体先、ハトホルか。懐かしい名だ。むしろ新たな霊格のなかで、役割を果たそうではないか」
前1420年ごろ、第18王朝のエジプト美術「池のある庭」に、ハトホルの姿が描かれている。
彼女は「南方のイチジクの女主人」であり、命を象徴する樹木の女神から、聖なる牛としての神格まで得ている。
「ピクシー、ハイピクシー、ハトホルって、めっちゃ成長じゃん。いいよ、付き合ったげる!」
その回復魔法は力強く、死に瀕している自分たちを救う力となるだろう。
自分という存在が消えることに対する感傷は、あまりないようだ。むしろ新しい自分に生まれ変わる、といった感覚が強い。
それは、最初から予定されていたかのような、絶妙の合体レシピ。
「そしたら、合体いくざます!」
元気に旗を振る邪教テイネ。
「あっさりしてんな。最初の合体だぞ。もうちょっと感傷的というか、なんというか」
ぶつぶつ言うチューヤ。
「いやいや、むしろ遅すぎざましょ! 悪魔使いの立場で悪魔に合体の同意を求めるやつ、わっちは初めて見たざんすよ」
「なんでだよ。当然だろ。こいつらにだって心はあるんだ」
「悪魔の心なんて、強くなりたい、ってだけだと思いんすけど。で、合体は彼らにそのチャンスを与える。どんどん進めてよかろうもん?」
テイネの指が、空中に続々と魔法陣を描き出す。
「うるさい。とにかく同意してくれたみんなに感謝する。ありがたいことだけど、この合体をやると決めたのは俺だ。俺の責任で、やってくれ」
「はいはい。んじゃ、聖獣と妖精のレシピで、合体開始~。みっくすじゅーちゅ!」
交錯する魔法陣が、小人の流れるような動きにシンクロする。
鍋のなかに取り込まれ、先刻同様、進行する悪魔合体。
今回はもちろんレシピ通りに正常完了し、女神ハトホルがその姿を現した。
「私は女神ハトホル。今後ともよろしく。……なるほど、仕え甲斐のある主人のようね、セベク」
ハトホルは唇の端をうっすらと持ち上げてつぶやく。
分霊の悪魔にとって、合体はさほど負担ではないもののようだ、とチューヤはようやく理解した。
それから彼は視線を転じ、静止した戦場の絶望的状況を見つめる。
強力な電撃空間に満たされて、時間の流れがもどった瞬間、このままでは数秒以内に死ぬだろう。
もちろんハトホルは有能な回復役だ。
神話ではホルスやイシスを何度も癒して、大活躍している。
蘇生魔法も持っている。死(戦闘不能)者を生き返らせるのだって、お手の物だろう。
とはいえ、仮に瀕死の自分たちを、ハトホルの魔法が一気に回復してくれても、攻撃手段がなければじり貧になる。
「合体先、妖獣なんだけどいいかな?」
つぎの2体に向き直り、同意を求めるチューヤ。
──妖獣ヌエ。
それは雷雲とともに現れ、夜の闇から強大な魔力を発揮して政治を混乱に陥れた、源頼光によって討たれたという伝説的な妖怪。
「ご主人。ご懸念召さるな。吾輩、より強力な獣となって、ご主人のお役に立てること僥倖と存ずる次第」
「ま、いいんじゃない? 夜の獣なら、あたしの性格的にも合うしさ」
ケットシー、リャナンシーの同意を得て、セカンド・ヴァージンが破られる。
「すまない。みんなの気持ち、ありがたく思うよ」
4体、カーバンクルを含めれば5体のナカマが消えた。
代わってサアヤのガーディアンと、新たな悪魔が2体。
「頼むぞ、ハトホル、ヌエ」
「あいさ、ご主人」
「グォオォーン!」
戦闘準備は完了した。




