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屋上のリリムは、ターラカよりもレベルは低かったが、強力な魔法によってかなりの苦戦を強いてきた。
それでも、もっとも経験の浅いヒナノの抜けた穴をカバーするのは、さほどむずかしいことではない。
最初からこの順番で戦うべき、と三文文士が決めたかのような理想的順路をたどって、戦闘はほぼ終結しつつある。
だれかの予定どおり、調和する戦闘リズム。
リリムが悲鳴を上げて、その場に倒れる。瀕死の状態で横たわる夜魔は、人質を取ってクレバーに立ちまわろうという余裕もないようだ。
「よし、あのクソチビを助けて、さっさとこんなところから出ようぜ」
一同を急かして走り出そうとするマフユは、すぐに後方から足音がつづかないことに気づき、怪訝そうにふりかえる。
そんなことだろうな、とチューヤは予想していたが、マフユには、まだいまいち状況がつかめない。
「どうした。リョージとチビは、これで助かるんだろう。さっさと出よう」
マフユの言葉に、どこか煮え切らない態度で答えるサアヤ。
「うん、フユっちはケーたん連れて、先にもどってて」
「……はあ? なに言ってんだ、おまえ」
サアヤはチューヤに視線を移し、決意を込めた口調で言う。
「チューヤ、あの悪魔を殺さなくて済むなら、悪魔が好きなチューヤもいいよね?」
「いや、悪魔が好きっていうわけでは、ないこともないこともないこともないが……」
戦略的判断以外の部分で切れ味のわるいチューヤを無視し、サアヤはリリムが集めてきた同窓生たちを見つめる。
「同じ高校に通ってるんだもん、みんな友達。助けられるなら、助けないと」
チューヤは新たな契約書を開いて、ナノサイズの血文字で空中に電子署名しながら、
「ま、そう言うと思ったけどな」
横たわるリリムに歩み寄り、契約の説明をする。
リリムは甘い言葉を連ねた契約書に騙されて風俗街に売り飛ばされた女のように、考えなく署名に応じる。
ケートの身柄をその場で引き受けることもできたが、すでにだいぶ精気を吸い取られていて、物の役には立ちそうもない。
リョージを助けるのに時間をかけすぎたということだが、それにしてもこのありさまはひどい。
やはりここは、マフユに連れて帰ってもらうのが無難だろう。
「ふざけんなよサアヤ、名前も知らない男子生徒を助けて、どうしようってんだ?」
「あきらメロン。サアヤはそういうやつだから」
チューヤは淡々と事務処理をつづける。
それ自体がマフユにとって、ひどく腹立たしい。
「くそ、よくわかってるみたいな態度やめろ、チューヤのくせに。わかったよ、そういうことならチューヤ、おまえがチビを助けて先にもどれ。あたしとサアヤとで」
その必死さに、一抹の寂寥感が漂う。
こんどはチューヤから、マフユたちに向けるまなざしに一種の哀感。
この手の恋愛沙汰はご法度、などとは口が裂けても言えないが、いままで部活内で慎重に押し隠し、包み込んでいた感情が溢れつつあることを自覚する。
だって16(17)歳だもの、と自己正当化を試みるが、成功したとは言い難い。
それにしても、おまえのような種類の恋愛感情は個人的にはどうかと思うぞ、とチューヤは内心で吐息した。
「……いいから行って、フユっち!」
ついに本丸、サアヤが動いた。
マフユは悲しげに彼女に視線を移し、
「だって、喧嘩ならあたしのほうが」
「男としては残念だが、その点は認めよう」
素手でマフユと喧嘩して、チューヤは自分が勝てるとは思ってみたこともない。
「そうだけど、でも、わかってるでしょ、フユっち。こういう戦いは、チューヤの分野だから。フユっちは、ちがうから」
唇を噛み締めるマフユ。
自分が底辺の生活をしてきた下層民であることは自覚しているが、それでもチューヤより下だ、と言われることがこれほど業腹だとは。
もちろんサアヤは「下」ではなく「別」だと強調しているのだが。
マフユはいらいらしながら地団太を踏み、そのまま踵を返して、
「てめえのせいだぞ、クソチビが!」
八つ当たりの叫びとともに、瀕死のリリムに導かれるまま、境界の彼方へと消えていく。
マフユと反対方向、境界側へと引き上げるチューヤとサアヤ。
ぷつん、と境界の連結が途切れ、リリムの世界がこちら側から消える。
残されたのは、代理教師・矢川と、それに取り憑いた蜘蛛女アルケニー。
目指すは部室棟。
ひとりでも多くの同窓生を助け出すために。
アルケニーはクレバーだった。
戦場に蜘蛛の巣を張り、行動を制限してきたのだ。
ただでさえ狭い室内空間を、さらに迷路のように動きづらくしてくる。
ナカマたちの動きを統御、管制するのも骨が折れる。
そのうち、数少ないナカマと分断の憂き目にまで追い込まれた。
なにより、甘く見ていたのは、アルケニーは単体ではなかったことだ。
無数の「子蜘蛛」を従えていた。
赤ん坊の顔に蜘蛛の脚をつけた悪魔、妖虫ウブがまさにウンカのごとく、アルケニーを取り巻いて出現した。
「くそ、こんどはこっちが各個撃破ってわけかよ!」
行動しようとする先に、蜘蛛の糸が張り巡らされる。
援護を絶たれた瞬間に、子蜘蛛に包囲される。
一撃一撃はそれほど強力ではなかったが、こちらの生命力を確実にそぎ落としにかかる、意地のわるい攻撃。
群がる子蜘蛛。
まさに蜘蛛の子を散らす勢いで、無数の小動物が広がり、攻めかかってくる。
皮膚が切り裂かれ、ダメージが蓄積する。糸の向こうから回復魔法が飛んできて、何度も生命の危機は救われるが、その効果も徐々に落ちてきていることを感じさせる。
「体力の限界……っ」
「ここは一時、撤退すべきでは」
「だな、ケットシー。……サアヤ、一度退くぞ」
まわりこまれた!
蜘蛛の巣の向こう側、サアヤの喉元へ突き立てられる、アルケニーの鋭い鉤爪。
飛び散る鮮血の隙間から、彼女の名を呼ぶ。
「サアヤ!」
他人の心配をしている場合ではないが、心配しないわけにいかない。
サアヤを守らなければ。その役目を……だれかが代わってくれた。
チューヤの視線の先、サアヤとアルケニーの間に突進してきた小さな塊が、ぎりぎりでサアヤを致命傷から救っている。
「ワヒャグルバガウワン!」
それは小さなポメラニアン。
戦闘能力などほとんど皆無の小動物のくせに、飼い主を守ろうと、精一杯の威嚇姿勢でアルケニーに立ち向かっている。
「ケルベロス、おまえもやるときはやるんだな」
心ならずも感心する。
あの犬は、エサを食うときと、自分は安全なところにいてちょっとした示唆を出すときだけ、よっこらしょと動くような性格だと思っていた。
いや、その性格自体はまちがっていない。
できれば安全地帯にいたい犬。安全を確保したまま、自分にエサをくれる有用な人間については、守ってやろう。そういう考え方。
が、それは近くに、代わりにサアヤを助けてくれる、チューヤという便利な道具がいるからこそ。
もしその道具がなければ、みずから危地に身を躍らせて主人を助けるのも、やぶさかではない、ということのようだ。
もちろん自由なケダモノであるケルベロスは、サアヤと対等な関係であるが、エサをもらっている以上、一定の主従関係を認めないわけではない。
「とはいえ、相手がわるいよな、ケル」
チューヤの声に、ケルベロスは苛立ったように答える。
「ワヒャウガウバ!」
アルケニーはあざけるように笑い、子蜘蛛たちをけしかける。
無数の蜘蛛にとりまかれ、ケルベロスとサアヤのダメージが蓄積していく。
気づけば部室の外に押し出されるような格好のチューヤは、パズルを組み立てるように、なんとかナカマたちの動きを制御して、敵の本体を狙いに行く。
だが、無数の張り巡らされた糸が、容易に攻撃を届かせない。
「もういいから、ケルベロス、逃げて」
サアヤの声に、ケルベロスは常ならざる悲痛な声で答える。
「ワギャウバンワ!」
それは、いつものケルベロスではなかった。
いま、この女を守れるのは、自分しかいない。そう信じているかのような動き。
断固とした決意で、戦場から離脱しようとする気配がない。
「うざってえ犬だな、おい! もういいから、そろそろ死ねよ!」
アルケニー矢川は絶叫し、高張力繊維によって織り上げた巨大な針を、致命的な速度で発射する。
一瞬、遅れてアルケニーの眼球を突き刺たのは、ケットシーのレイピア。
悲鳴が交錯する。
等価交換とは言い難いダメージが、双方に刻まれる。
「くっそ、よくも……」
目玉を押さえながら後退する矢川。
チューヤは戦場を注視する。
サアヤを助けるためにケットシーを先行させたが、成果はあったのか?
ヒリつく戦闘の最前線で、的確な状況判断に迫られる。
敵側の圧倒的優位。それは揺るがない。まだ体力を半分も削れていない。
一方、こちら側の戦力は黄色点灯。4分の1以下まで弱体化している。
現に目のまえでは、胸に強力な一撃を受け、倒れているサアヤ。
どうやら救助は間に合わなかったようだ。
MP表示は0、彼女は魔力を使い果たし、その胸のなかにHP-の「死体」がある。
……死体?
チューヤは、蜘蛛の糸の向こう側で倒れるサアヤの状態を把握しきれず、半ばパニックになりかける。
ナノマシンがその最大の機能性を発揮して、落ち着いた適応を強いる。
戦闘中に、冷静さを失ったら終わりだ。
致命傷か? いや、待て。彼女のHPはまだ残っている。
けど、なにかが死んでいる。
これは、どういうことだ?
「もう飽きた、飽きたぞクソガキども! 殺してやるよ、死んじまえよ!」
アルケニーは近くのケットシーを強烈な一撃で弾き飛ばす。
魔力を高め、描かれた魔法陣は、蜘蛛の糸を伝って無数の子蜘蛛たちに広がっていく。
パリパリパリ、と放電するような音。最大級の電撃魔法が準備されている。
「まずい……逃げないと……」
「遅いんだよ、もう死ねよ!」
魔力回路がつながる。それは広範囲を強力な電界で押し包み、致命的なショックを味方たち全員に、一様にたたきつけてくる。
ナノマシンが、つぎつぎと赤点灯するナカマたちの惨状を告げてくる。
自分自身、絶望的な一撃を受けて意識が遠のいていく。
電撃は激しさを増し、継続的に伝わってくる。
殺し尽くすまで、この攻撃をやめるつもりはない、ということのようだ。
もう、死ぬ。
チューヤは覚悟を決めた──。




