41 : Day -59 : Hikarigaoka
光が丘駅は都営大江戸線のターミナルにあたり、川の手線(西線)に接続している。
チューヤたちが通う高校、石神井公園駅のひとつ隣で、北東から東に進行方向を変えながら、その先、西線と北線の境目にあたる新赤塚(地下鉄赤塚・下赤塚)駅へとつながっていく。
新興住宅地と公園が広がるエリアのなかに、ぽつんと、その民間研究所はあった。
「生体医療工学研究所……ひさしぶりに来たな」
深夜、チューヤたちの見上げる門扉は当然のように固く閉ざされ、何人の侵入もまっぴらお断りしている。
チューヤは斜め後方を顧みて、
「で、なんだってんだよ」
「わからないから行くんでしょ」
「ふしぎ探検隊か! 行く理由くらいはあるだろ」
「……これ」
差し出されたスマートフォン。
おばさんとの通話の録音だという。
サアヤにしては用意がいい。
「ああ、それまえに俺が入れてやった全録アプリな」
「たまには役に立つな、チューヤも」
たどたどしい動きで、再生画面を模索するサアヤ。
「地名とか道の説明をまったく理解しない方向音痴が、何度も聞き直せるようにしてやったことが、まさかこんなとき役立つとはな」
「ふん、いまはおじいちゃんでも使える簡単地図アプリとかあるし」
おじいちゃんにすら及ばないサアヤが、使いこなせるかは疑問だ。
「GPSに誘導されても道に迷う時点で、もう手遅れだろ。いいから再生しろよ」
チューヤに言われるまでもなく、ようやくプレイコマンドにたどり着く。
再生。二人はスピーカーに耳を傾ける。
「……あ、もしもし、サーちゃん? ごめんね、お願いがあるんだ、しばらく家に帰れそうにないから、郵便物とか……」
「なんだよ、ふつうの会話じゃないか」
「最初はね。しばらく帰れないってのは困ったふつうだけど、まあ以前にもなかったわけじゃないし」
「よく泊まり込んでるもんな」
録音はその数秒後、突然、空気を一変させる。
「チーフ、ゲートが、AM──」
突然、音声が遠くなる。
外部の叫び声が混じり、警報音も聞こえる。
「……ブツ……取り押さえて……っ田尾、向こうへ逃げ……ブツ……兼井、ゲート閉じて……ザッ……どうなってん、プツッ……ツー」
切れ切れの指示とノイズ。
断線。
その後、何度かけなおしてもつながらなくなった、という。
途中から顔面をヒクつかせ、再生が終わるや否や、
「これ警察沙汰だろ!?」
「だと思ってさ、とにかく行ってみたのよ」
電話を受けた直後、サアヤは部室から駆け出し、この場所まで直行したのだという。
正門から突撃したが、すでに門は固く閉ざされ、奇妙な雰囲気にあったという。
警備員らしい人間が出てきて、24時間稼働の実験中です、所内に問題はありません、部外者ははいれません、業務中の外部との連絡は制限されています、と言って入れてくれるどころか、取り次いでもくれなかった。
チューヤは、冷静に考える時間を得て、努めて心を落ち着かせる。
「会社としては、まあ、ふつうのことじゃないのか。よほどの緊急事態ならともかく」
「緊急でしょ! こっちには録音があんのよ?」
「たしかに、なにかしらトラブってる気配だけど、業務上のトラブルなら、日常的にありそうなことだし、それを解決するのも業務っちゃ業務だろ」
「じゃあこのまま、なにもせず帰ろうってのね。私はひとりでも怪しげなこの内部へ侵入し、おばさんの無事をたしかめようという気満々だったところへ、ヒナノンから連絡がきて、しかたなくチューヤ回収すんの付き合ってあげたのに。部員のみんなのために溢れる愛に基づいて動いてるのに、チューヤは大切な仲間の窮地を黙って」
「わかったわかった、とりあえずもう一回、訊きに行ってみようぜ」
「さっさと行ってこい、チュー(ヤ)キチ(ンとやることやれ)」
蹴り飛ばされるように数歩、進んでからふりかえり、
「なんだよ、こないのか」
「私はさっき行ったばっかだから。しつこいなこの女、とか思われたら失礼こいちゃうでしょ」
「しつこい女がしつこいと思われるのは妥当な感想だと思うが。まあいいや。とにかくここで待ってろ。別口で同じ人を訪ねてきたら、向こうも多少は態度を変えるかもしれないからな」
そう言ってゲートに近づくチューヤ。曲がり角からそれを見つめるサアヤ。
しばらく観察していると、サアヤの目から見て、おかしなことが起こりはじめた。
ゲートのまえで足を止めたチューヤは、だれもいない空間に向かって、なにかを話している。
指向性スピーカーとでも会話しているのか? だが、どうも態度がおかしい。
すぐ目のまえにだれかが立っているかのように、所内を指さすゼスチャーも交えて、しばらく話していたが、やがて踵を返してこちらにもどってくる。
チューヤはもどってくるや否や、
「話のわからん警備員だ。秘密の研究中だから、どうしても取り次げないの一点張りで」
サアヤは怪訝な顔で、
「それはいいけど、だれと話してたの? スピーカー?」
「は? だから警備員だって。目のまえに出てきていただろ」
「……目のまえ? いなかったよ、だれも。チューヤ、正門まえのちょっと離れたところでアホヅラさらして、ひとりでなにかしゃべってた。見る人が見たら完全に危ない人だったよ」
すくなくともサアヤ視点では、その言葉にはウソも誇張もない。
「待て。あんな近くにいた警備員が、見えなかったのか?」
ふたりで同時にふりかえる。
もう門の外にはだれの姿もない。
チューヤの意見では、自分はあの場所に立って、目のまえ数十センチに立っている警備員と押し問答する勢いで、ナミおばさんの無事をたしかめようと奮励努力した。
ある意味、サアヤに対するアピールも含めたオーバーリアクションを彼自身、認めている。
サアヤの見解では、ひとりでトチ狂ったかわいそうな高校生が独壇場を繰り広げる、寂莫たる巷であった。
他人のふりをして帰ろうかと思った、と突っ込みどころを用意してから、そういえば、とサアヤは語りだした。
「それ、石神井公園のときもあった、って聞いた」
「どういうことだ?」
ぞくり、とふたりのあいだにイヤな共通記憶が鎌首をもたげる。
「先週、石神井公園が変になったとき、あったでしょ?」
「あれ以来、毎日のように変なことに巻き込まれているわけだが」
「そのとき、その空間は外から、どう見えてると思う?」
「そういえば……そうだな。出ようと思っても出られないわけだが、はいろうと思えばはいれるかどうかは、わからん」
コペルニクス的、というほどではないが、視点を変えてみると見えてくるものがある。
「なんかね、石神井公園がガス漏れ点検かなんかで一時的に閉鎖されています、みたいなことを言う警察っぽい人に、なかにはいろうとしたら止められた、みたいなこと言う人いるらしいのよ」
「……警察ぐるみの陰謀論?」
「わかんないけど、とにかく、なかにはいろうとする人を穏便に追い返そうとする人が、実際いたらしい。だから夜中じゅう、ずっと公園にはいれなくても、そんなに騒ぎにならなかったんだと思う」
「……つまり、あれは?」
「ああいうおかしなことが、あちこちである程度起こるって前提で、何者かが準備した混乱を減らすための予防線、とか?」
「そういう陰謀論、できれば否定したいところなんだけどな……」
言いながらも思い出す。さっきの警備員の様子。
目に生気がなく、まるでロボットのようだった。
サアヤに言わせれば、こちら側からは目視できない境界側の人間だった、ということになる。
「……民間警備会社だった?」
「企業なら自前の警備員くらい雇ってるんじゃないの」
「そうだけど、警備員を外部に委託して派遣してもらうのは、よくあることみたいよ」
「ああ、そういや……見たことのあるステッカーあったよ、たしかアルコップだっけ」
「民間警備アルコップ、警報警戒アルコップ、いまそこにある、アルコップ!」
というCMソングで知られる警備会社の老舗アルコップは、制服が警察官に似すぎていると指摘を受けたこともあるくらい、見た目も精神も警察官僚的な組織構造をとっている。
経営者自身、そこに警察官があるかのような、安心感ある警備会社を目指している、と標榜もしていた。
各地で封鎖にあたっているのがアルコップだとすれば。
ここに切り込むべき時期も、いずれくるかもしれない──。
とにかく、やるべきことはやった、全力は尽くした、もう帰りたい、と言い出すチューヤ。
彼の危機管理本能が、この先には行かないほうがいいと非常警報を鳴らしている……のだとすれば、むしろ行くべきだ。
しかたなく、サアヤは懐から切り札を取り出した。
彼女のポケットから、ゆっくりと現れる。
それは、赤黒い、人間の、生爪──。




