39 : Day -59 : Musashi-Seki
「神は千年王国を掲げ、われわれの世界へ侵略を開始している」
血のように赤い服をまとった男が言った。
「まちがってはいませんが、それは一神教圏内の話で、日本を含む多神教国家は別のスキームでも動いていますよ?」
緑の服をまとった男の唇は流れるように動くが、その目線は帽子の影に隠れて見えない。
「あなた方は、それを侵略と表現する。しかし、一神教の世界にとっては救済である蓋然性が高いことを、お忘れなく」
会議に参加する唯一の女性らしい、白い衣をまとった女は言った。
「救済など、必要か? 必要なものならば、与えよう。われわれは、人の欲するものすべてを与える。それが必要だと言うなら、破滅すら救済であろうよ」
黒い服の男が、やや乱暴な口調で言った。
「それは神の計画ではない」
「第三の神殿など、第三国で実験してみたところで、意味はない。──カテドラルは破壊する」
「あいかわらず乱暴だな。堕天使たちよ、あなた方は神と戦うつもりか」
「雑音が多すぎると目標がぼやけるのだよ。世界は世界で動く。東京は東京で動くのだ」
交錯する四つの声。
それは世界の行く末を暗示する、重いひとつひとつの言葉。
「地球が、ほどけますよ」
緑の静かな声音から、宇宙が広がっていく。
赤はわずかに顎を引き、
「量子計算かね? そうだな、どう表現するかはともかく、無限に発散する確率は低くない」
「どういう意味か、わかっているのですか」
「なあに、心配ないよ、白いの。ほとんどの人間が、いや神ですら、わかっちゃいないんだ」
「否定はできません。ある数学者が言いました。この理論で私は賞をもらったが、本当に理解している人間は、世界に数人しかいないだろう、とね」
「砂上に楼閣を築いている、という自白でよろしいのですか」
啓蒙と頑迷、英知と妄信、科学と魔法が、原理と法則の狭間で交錯している。
「理解され、使われてこその科学。そんな難解な理論が、どれだけ人類の役に立つというのか? そういう意見もあった。けれどね、皆さん。世界の真実をあきらかにする理論というものは、結局のところ」
「妄言はもういい、うんざりだ。……ルシファー、ガブリエル、クリシュナ。こんなけったくそのわるい場所に俺を呼び出して、ただで済むと思っていないだろうな」
黒い服のなかから顔を出したのは、ロキと呼ばれる男。
マフユの「兄」という人間の身体を持ちながら、あきらかに人間を逸脱した、生まれついてのトリックスター。
「頭の固いオーディンよりは、きみのほうが話がしやすいと思ったのだが」
「現実に北部東京を支配するのは、北欧勢力が強いわけですしねえ」
クリシュナ、ガブリエルと呼ばれたふたりが、フードから顔を出して言った。
最後に表情を見せた赤い服、ルシファーと呼ばれた男の顔が、彼らのなかでは最も人間らしく見えた事実は、銘記しておくべきだろう。
「どの道、選ぶのは人間なのだ。悪魔と手を取り合い、共に歩むか。退けて、別の道を行くか。……この国に、いい例がある。かつて国つ神が天つ神という名の侵略者に国を譲り、神へと引き上げてもらった。かつて悪魔と呼ばれていたものも、神との契約により、神へと引き上げられ、統治を任されることもある」
「そういうスキームで動いている、ということですかね?」
「悪魔と殺し合うことは、お互いを高め合うことでもある……なるほど?」
「いいね、その話なら小気味いい。敵のいない世界は退屈だ。もしそれがいないなら、つくってしまえばいい」
堕天使のつくった道に、天使と神、そして邪神が乗り合わせる。
「そう……ドイツがユダヤという敵をつくり、アメリカがイスラムという敵をつくったように。人類は、悪魔という敵をつくり、その障害を乗り越えてこそ、真に強い種へと進化を果たすのかもしれぬ」
その瞬間だけは、全員の表情が人間の目に忌まわしく映る。
だが結局のところ、選ぶ者の眼の色によって景色はすべて変わるのだ。
会議は佳境を迎えていた。
四人の悪魔たち──魔王、天使、魔神、邪神たちは、ゆっくりと同じ方向に視線を向ける。
「それにまだ、この国の意見も聞いてはいない」
「オオクニヌシのベルトを締めて、子どもがひとり、竹やりを手に立ち尽くしている姿は見えるがね」
つぎの瞬間、ばたん、と大きく開かれる扉。
無防備に立ち尽くすチューヤ、サアヤ、そしてヒナノ。
室内に四人。
ルイ、ロキ、クリス、そしてガブリエル。
ヒナノが、盗み聞きをしていた悖りを指摘されるまえに、まず責めるべき側に立つ。
「ガブリエル、あなた、拉致されたのでは……」
「似たようなものですよ、マドモワゼル。これらの殿方は、とても強引なのでね」
あきらかな確信犯。
男たちは低く笑う。
「あなたの姫を目覚めさせるために、なんらかのショックが必要だと言ったのは、あなたではなかったかな?」
「軽めの、ね。すこし刺激が強すぎたかもしれません」
やや厳しい口調で口を開くロキは、チューヤたちがきのう見た不完全な状態では、もちろんない。
これが邪神の風格、とでもいうべきオーラをまとって、闇の世界を代表している。
「甘やかすんじゃないよ。底辺の泥水をすすらせるのも、ひとつの教育だぜ」
「ありがとう、ロキ。今夜のことは、記憶にとどめておきましょう。クリス、ルイも。今宵の会談が、いずれひとつの形を結びましょう」
「覚悟しておくがいい。神の計画は、必ずや破壊されるだろう」
姿を消すルイの背に、
「ありがとう、ルイ。計画は揺るぎませんよ」
「つぎは閨に呼び出させてもらうぞ、ガブリエル」
不遜な笑みを浮かべ、ついで姿を消すロキ。
「ありがとう、ロキ。天使の吐息を浴びて燃え尽きてもよいのなら」
「人は愚かなままではいられないのだよ、唯一神の君」
深遠な表情からそれだけ言って、歩き出すクリス。
「……あなたとだけは、協力できる可能性もあると思っていましたが、クリス」
開かれた出口に向かい、クリスは振り向かない。
やがて彼は、出口に並ぶ三人のうち、ヒナノの肩を軽くたたいて言った。
「きみの保護者の言葉を聞きなさい。──ぼくたちくらいになると、代理戦争をする自由さえも、あまりないのだ」
奥行きのある言葉の意味を、ヒナノはもちろん、傍らで聞いていたチューヤたちも正しく理解はできない。
立ち去るクリスの背中を追っていた三人は、背後から聞こえる声にふりかえる。
「ようこそいらっしゃいました、マドモワゼル」
そこではガブリエルが、いつもの微笑を浮かべて、さっきまで三人の大物が座っていた席を、子どもたちに勧めていた──。




