38 : Day -59 : Nishi-Ogikubo
夜の闇がだいぶ降りてからだった、玄関のチャイムが鳴ったのは。
まさかと思いながら外に出る。
「お届け物でーす」
頬を引きつらせつつ、伝票に中谷と書き散らすチューヤ。
そうだよな、お嬢が俺なんかのためにくるわけないよ……。
卑屈なことを考えながら、自分宛ての段ボールを開く。
『腰痛部! これで君の腰も安心だぞコノヤロウ!』
「…………」
段ボールから出てきた特徴的な書体の宣伝文句と、腰ベルト。
なんだこりゃ、としばらく考え込んでから思い当たる。
腰痛に悩むプロレスラー政治家が、動画サイトでゲーム実況とトレーニング動画と政見放送をアップしている、バラエティ(?)チャンネル。
リョージの影響で見はじめたプロレスが、チューヤとこのプロレスラーをつなげたのは、一年ほどまえのことだ。
都議会の議員でもある彼の動画で以前、催されていたプレゼント企画に応募していたことを思い出す。
「おお、なんと、まさか当たるとは……!」
喜び勇んで腰ベルトを装着するチューヤ。
それにはチャンピオンベルトのような意匠が施されており、プロ仕様だけあって腰の安定感も抜群だ。
そうだよ、たまにはこういういいこともなくっちゃなあ。
幸薄い彼に、刹那の幸福が訪れた瞬間だった。
つぎの瞬間、なんの前触れもなく開かれる玄関のドア。
「おいチューヤはいりたくはないがはいるぞ心配するな私だサアヤさまだ愛を感じたかそうかそうかだがまあそれは置いておけじつはおまえに用事があるという殊勝な考えの……」
そこまで怒涛のようにしゃべっていたサアヤと、その後方に佇むヒナノの動きが、ぴたりと止まる。
チャンピオンベルトを腰に巻き、上着をはだけて、玄関の鏡に向かってマッスルポーズをとる、恥ずかしい高校生がそこにひとり……。
「だから謝ってんじゃんよ、いきなりドアを開けたことはさ」
体育座りをして廊下の壁と向き合うチューヤに、サアヤはキッチンから声をかけた。
古女房のようにキッチンのケルトでお湯を沸かし、レンジでタッパーを温めると、あとは簡単だった。
麻薬中毒者を思わせる風情で、ニオイにつられてふらふらとキッチンにやってくるチューヤ。
ほとんど使われたためしのないキッチンテーブル、3人分の紅茶が並んだ場所に、3人が座る。
しばらく、静かな咀嚼音。
「……まさか、来てくれると思わなかったよ」
遠慮がちにぼそりと言うチューヤ。
ヒナノは、まずそうにインスタントの紅茶に口をつけるふりをしながら、
「そうですか。わたくし、そんなに薄情に見えるのですね」
「いや、じゃなくて、俺なんかのためにさ」
立ち上がるサアヤ。
「ちょ、殊勝! 私が来たときは邪険にしたくせに!」
「いや、ほら、需要と供給?」
「おい! そんなにお嬢が好きか!」
「ばっ、なに言ってんだ、それは、だから、その、ただの憧れっつーか」
「否定しろよ!」
ヒナノはティーカップをソーサーにもどすと、ゆっくりとチューヤを見つめる。
「まあ、光栄ですわ。それでは」
「行くよ。こうなったらもう、来週からはぜったい行く。学校」
「……学校? あら、お休みになっていらしたの? そういえば部活で、しばらくお見掛けしませんでしたけど」
素で、いま気づいた、という気配。
その意味を理解するのに、3秒もかかってしまった自分を、チューヤは恥じた。
そうだよ、俺なんか……。
「あんま興味ないんすね、俺のこと。あのー、ってことは、訪問してもらったのはうれしいんだけど、もしかして、というか、もしかしなくても、お嬢は」
「仄聞するところ、あなたは悪魔相関プログラムを実装なされているとのこと。よく意味はわかりませんが、その力が必要らしいのです。わたくしと、ガブリエルのため、お貸しくださるわね?」
頼みごとをする立場上、殊勝な言葉を選んではいるつもりのようだが、態度の端々に苦々しさを感じさせる物言いだった。
「役立たずに用はねえんだチューヤ、おまえの力、利用しにきてやっただけなんだよ、わかったか!」
かさにかかって露骨な物言いをするサアヤ。
2秒ほどリアクションについて勘案してから、チューヤはその場に正座して、
「……はい。お役に立たせていただきます」
「感謝しますわ」
優艶に腰をかがめるヒナノ。
ぽりぽりと頭を掻くチューヤ。
「いや、お嬢の役に立てるのは、べつに、望むところってか」
「てれてれすんな!」
強めにどつかれる。
「い、いや、だから友達としてさ」
「もちろん、友人以外の何者でもありませんわ、発田さん、ご安心なさって」
「わかったかチューヤごときめ!」
「く……サアヤのくせに……」
「なんかちがうような気がするけど、行くぞオラ!」
めずらしく先頭に立つサアヤ。
4番目のトリアージ。
悪魔は選び、選ばれる。
「ガブリエルが拉致されました」
家を出た瞬間、彼女は衝撃的なことを言った。
「……はいぃ?」
「悪魔の手先によって、監禁されているようです」
そんなことでもなければ、チューヤごときに救いを求めになど、来るはずがない、とでも言わんばかりの態度。
「ええと、お嬢は知らないかもしれないから教えるけど、警察の電話番号はね……」
「助けに行きます。わたくしと、あなたとで」
「私もいるんですけど!」
ヒナノは軽く嘆息して、
「……先ほど、拉致されたガブリエル自身から電話がありまして、場所もはっきりとわかっています。あなたを連れてくれば、穏便に片がつく気配でした。もちろん悪人の言葉など信じるのは、愚か者のすることではありますが」
交渉の初期段階、ある程度、様子を見ておく必要はある。
杉並には不釣り合いな黒塗りの高級車が、マンションのまえに駐まっていた。
導かれるまま、後部座席に身を滑り込ませる。
まったく走行感のない車中、だが窓外に流れる景色が、かなりのスピードで移動していることを教えてくれた。
車中、手短に話は進む。
「それで、場所は」
「神学図書館」
「……それって、上石神井にある?」
ヒナノは、やや驚いた表情で、
「なぜご存知なの?」
「いや、最寄りの武蔵関駅に配置されてる悪魔が夜の天使レリエルで……」
ごん、と軽めにどつくサアヤ。
「ゲームの話はいいの」
「いや、そうは思うけど、関連あるじゃん、けっこう」
「よくわかりませんが、とにかく……まいりましょう」
距離的にはほんの一駅だ。
速度を出している時間もほとんどなかった。
ほどなく、閉じられた門のまえに停車する高級車。
横に通用口があり、そちらは開いている。
「見えている。指示に従え」
ヒナノのスマホから、スピーカーホン越しに合成音声が響いた。
添付されたGPSデータが、地図上にルートを描いている。
チューヤたちは顔を見合わせ、
「どうする?」
「行くしかありません」
ヒナノの首に光る巨大なルビーが、きらりと光を放った。
それは銀のチェーンにかけられた古い指輪。
チューヤが、そのアクセサリーに目を止めたことには、もちろん理由がある。
マフユの肉体に絡みつくナーガを見つけたのと同じ理屈で、そこに一匹の悪魔を見つけたからだ。
だが、どうもヒナノはその事実に気づいている様子がない。
取り憑かせているのではなく、ただ取り憑かれているだけだとしたら、早目に対処したほうがいい。
「お嬢、その首にかけた……指輪のことだけど」
ヒナノは、胸元に光る指輪を手にしながら、
「ああ、これ。わたくしにしては粗野な形になっておりますが、できるだけ元の形を保ちたかったので。わたくしの指には、すこし大きいのです。……祖母の形見なのですよ」
チューヤはナノマシンを起動して、じっとその指輪を見つめる。
「火のような色。カーバンクルが宿っている」
「……なにをおっしゃっているの?」
つぎの瞬間、彼らの周囲を包み込むように響く声。
「その程度の意味もわからぬとは、ほんに、赤子同然じゃな、ガブリエル」
玲瓏とした響きを持った、それでいてどこか老女のような、夜の闇に重なって心地よく届く声だった。
一同は同時に足を止め、図書館のロビーを見上げる。
闇のなか、天使の姿が浮かび上がった──。
「いきなりボス戦かよ、とりまピクシー、ケットシー!」
「なんか勝てる気しないんですけどー、えーぐぜーっ」
すばやくまえに出るチューヤとサアヤ。
チューヤの周囲に突如、現れる異形の悪魔たち。
ヒナノは唖然として、そのありうべからざる事態に、有無を言わさず向き合わされる。
悪魔名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅
レリエル/大天使/45/紀元前/エルサレム/エノク書/武蔵関
「……だな、勝てる気しねえ」
「だっしょー?」
召喚したはいいが、先制攻撃の間合いにもまだはいっていない。
だが相手からは、強力な全体攻撃がくるかもしれない。
下手に動けない……。
「かしましい……弱き者ども。夜はしじまの内、静寂を破るなかれ……」
レリエルの周囲、特異な魔法陣が展開し、チューヤたちを取り囲む。
やはり、相手の攻撃エリアは自分たちよりはるかに広い。
これがレベルの差が意味する決定的な戦力格差。
「んーっんんーっ」
ハイピクシーとリャナンシーが、同時にうめき声のようなものを漏らした。
両者の口に魔法陣が封印をかけている。
「いきなり戦力半減っすか」
チューヤの内側のナノマシンが、彼我の戦力差を決定的に告知してくる。
どうしても勝ちたいなら、間合いを一気に詰めるべきだ。
が、勝てる算段もなく特攻するのは、チューヤの性に合わない。
あっちのチューヤも言っていた。
悪魔使いは戦闘管制官。
勝つ算段を立てる責任を負っている。
すくなくとも負けないこと。
ナカマの命を預かっていることを、ゆめゆめ忘れてはならない……。
となれば。
「よし、逃げる!」
悪魔に後詰を警戒させ、サアヤとヒナノの手を取って駆けだすチューヤ。
間合いを詰めてから逃げるのはむずかしいが、この状況なら逃げられるかもしれない。
「セベクのときは成功したけどもー」
その戦略に仲間たちは懐疑的だったが、チューヤにとって「逃避」は、ほとんど第一選択肢に近い。
ばん、と出口のドアが閉じる。
最有力の逃走路が消えた瞬間だ。
もー無理ー、死ぬー、と嘆いているサアヤをしり目に、チューヤはハイピクシーとケットシーの視界を使って、建物の全体を把握する。
とりあえずリャナンシーをもどし、セベクに、自分たちの動きを陰にするような位置取りを指示。
ケットシーに陽動的な動きをさせつつ、ハイピクシーの発見した横道を目指す。
「こっちだ」
チューヤの低い声に従い、サアヤたちはわけもわからず、夜の図書館を走った。
エスケープ……成功!
「まじかよ!? チューヤすげえね、逃げの達人じゃん!」
「褒めてんのかそれ」
盛り上がる同級生たちに、不快さを隠せないのはヒナノ。
「なんなんですか、あなたたちは」
展開の理解が及ばないことに憮然として、プライドを傷つけられているようだった。
懇切丁寧に事情を説明する役割はサアヤに任せ、チューヤはチューヤの道を行く。
図書館の静かすぎる廊下を、足音なく動けるケットシーと、空を飛べるハイピクシーを使って慎重に索敵しながら、大局的作戦行動に思いを馳せる。
「ガブリエルって人が拉致監禁されている、って話だよね?」
「そうですが」
「わかった、とにかく人を探してくれ、みんな」
悪魔たちが音もなく先行する。
極限の緊張感のなか、神学図書館のなかを静かに進む三人。
いくつかの部屋をパスし、奥まった会議室にたどり着いたとき、ケットシーが耳をぴんと立て、チューヤたちを手招く。
なかでは、会議が踊っていた──。




