04 : Day -27 : Nishi-Ogikubo
「えっと、養護施設にいたの?」
チューヤなりに状況を整理しつつ、問いを重ねる。
「じりつ」
彼女の答えは短すぎて、よく理解できない。
要するに、全国58か所に設置されている「自立支援施設」のことだ。
児童養護施設と児童自立支援施設は異なる。
両親の不在、虐待、育児放棄、経済困窮など、家庭で養育困難とされた子どもが入所し、育てられるのが児童養護施設。
むかしは孤児院と呼ばれ、タイガーマスクが守ったことでも知られている。
また、児童自立支援施設というものがある。
義務教育世代の少年少女のなかで、不良行為を行なった、あるいは触法行為の危険性が高いと判断された者を、児相や少年審判の判断で送致できる。
少年院、鑑別所といった矯正施設ではなく、あくまでも「自立を支援する」ための場所で、いわば「小中学生用の鑑別所」だ。
見た目、かわいくふるえているが、正体はおそろしいという意味だろうな、とチューヤは速やかに気づかなければならない。
「つぎ捕まったらキヌガワだかんな。おまえはキライだけど、施設はもっとキライだから、ここに連れてきてやったんだ。感謝はしなくていい。その野郎もチンカスみたいなやつだ」
「当人のまえで言うな、マフユ!」
「…………」
少女はあいかわらず、ぶるぶるとふるえている。
マフユは冷めきった眼でウサコを見下ろしながら、
「けっ。その演技で、何人だましたんだ?」
「演技、じゃない」
「なおわるいわ。天然で世間をだまくらかして切り抜けようってか。まあ、世間のバカどもをだますのはいくらでもやりゃいいが、あたしらに対してやったらオワリだわ」
吐き捨てるマフユ。
他人をだますのはいいが、自分をだましたやつは許さない。
「だからさ、なにがあったんだよ、マフユ」
「気分わりい。そいつに訊け。それから、そいつの言葉を信じるな」
「おい、どっちなんだよ」
立ち上がるマフユの腕をつかみ、忘れ物だよ、という目線で少女を見る。
マフユは邪険にチューヤの手を振り払うと、
「てめえ、きのう鍋にこなかったろ。罪を滅ぼせ」
「……はあ? きのうって祝日でしょ! 学校休みなのに、鍋あるわけないでしょ。一度でも、祝日に鍋やったことあった!? まさかおまえ、祝日に学校……へぶっ」
ぶん殴られるチューヤ。
マフユとしても、すこしは恥ずかしいという気持ちがあるのかもしれない。
もしかして、きのう休日の学校に行くという奇跡的な選択をしたら、マフユ・シナリオをより深めることができたのかもしれないな、などと考えて過ぎ去ったタイムテーブルを顧みる、みずからの詮無き行為に嘆息した。
「ともかくよ、任せたからな。夜が明けたら上野のほう、連れてってくれや」
「なんだよその漠然とした指定。てか、おまえが連れてけばいいだろ」
「バカ野郎。あたしが連れて行けるくらいなら、苦労しねーんだよ」
週末以来、AKVNや首都高の件など、ダークな勢力がかかわっている大規模な侵攻が、日本の社会に巨大な爪あとを刻みつつある。
他の勢力もそれなりに対抗措置をとっているようだが、室井の言うとおり、異世界線の陣取り合戦は熾烈を極め、当然、その共通の被害者である現世側のダメージは、これから深まりこそすれ、軽減されることはない流れだ。
「おい、マフユ」
玄関を出るマフユに、最後の翻意をうながすが無駄のようだ。
「あと何回食えるかわかんねーからな。明日はちゃんと材料山盛り、もってこいよ」
マフユは言いながら去っていった。
鍋だけが、彼女をこちら側に繋ぎ止めている。
そんな気がした。
施設からは捜索願が出ているらしい。
当然、捕まったら、もっと厳しい施設に入れられる。それが栃木にある「キヌガワ」という、より重い触法少女のはいる施設だ。
脱走がくりかえされたり、一定期間以上の長さになると、自動的に「キヌガワ送り」だという。
話を聞くかぎり、典型的な被虐待児だ。
同情の余地しかないが、マフユの言葉も気になる。
そいつの言葉を信じるな。
悪魔使いだろ、おまえ。
そうだ、と思い当たった。
悪魔も当然、うそをつく。
悪魔を取り扱うには、厳格な「契約」によって縛るしかない。
契約も、もちろん破るのは簡単だ。が、破った場合のリスクが、履行した場合のリスクを完全に凌駕する。
ブロックチェーンの論理にも近い。
ちゃんとやったほうが、ずるいことをやるよりも儲かる「仕組み」。
それこそが、悪魔が契約を守る理由なのだ。
チューヤはプログラム言語のような謎の言葉を、ナノマシンに命じられるままに口走る。中空に青い線が引かれる。
少女はぎくりと背筋を伸ばし、チューヤの行動を見守り、本能的に逃げ出そうとする。
「だめだ、まわりこまれた!」
くるり、と回転させられたのは少女の身体のほうだ。
「な、なんなの、なにする気?」
「厳しいんだよ、現実も、ゲームも。……簡単にやり直せると思うなよ」
悪魔のゲームは、より厳しい。
這い出してきたのは、ウサギ。
名/種族/ランク/時代/地域/系統/支配駅
イナバノシロウサギ/魔獣/G/8世紀/日本/記紀/京成上野
ツンに睨まれてビクビクしている。
上野公園を荒らしている。
ニシオギのアクマツカイのノーティスには、そんなよけいな情報も表示されていた。
「そこそこ強い悪魔じゃないか。──どうしたってんだよ、おまえ。ご主人を守ってやらないのか?」
チューヤに見つめられ、ウサコのガーディアンはあわてて本体にもどった。
ガーディアンのくせに、まっさきに逃げ出すようでは、ウサコとしても頼りないだろう。
慎重に話を聞き進めていくと、すこしずつ来歴が伝わってきた。
──最初、歌舞伎町でうろついていたが、言うまでもなくそこはヤバい。
「それに歌舞伎町は、すぐ補導されるから。上野いった」
京成上野駅は上野公園の真下にある。
どうやらこのガーディアンは、そこから彼女を守っているらしい。
当時、上野は駆け込み寺のように、家出少女が多かったという。
渋谷、新宿に比べて、別天地に思われた。
動物園に群がるウサギのように、多くの家出少女が、互いの気持ちを支えていた。
もちろん生活自体を支える者は、それぞれが見つけ出すしかない。ただ、同じやつらがいる、という気持ちの支えだけは、上野で得られたという。
「やっかいな……」
具合がわるそうにお腹を押さえるウサコを、チューヤは困ったように見つめることしかできない。
サアヤに電話しようとしたが、マフユの鬼のような顔が思い浮かんでできなかった。
ともかく状況を正確に知る必要があった。
チューヤはウサコに冷凍食品を与えつつ、さらにくわしい事情を聴くことにした。
もともと足立区に住んでいたが、新宿のほうに引っ越した。
施設に収容されると、広域から同様の子が集められてくる。
足立の児相から送られてくる子が、いちばん多くてなつかしかった、という。
「さすが足立」
自立、鑑別、少年院、いずれは刑務所。
どんどん「上に行く」姿が見えている。
脱走は簡単だ。
柵はあるが、そこは刑務所ではない。出ようと思えば、だれでも出られる。
だが、ペナルティが重い。そこが中間だから、つぎは少年院と思うと、危機感がある。
もどろうと思えばもどれるし、どうでもいいと思えば堕ちられる。
それが「中間」のおそろしいところだ、という。
「──そうやって脅す先生。ウザい」
「むずかしいところだね」
「おそろしいよ。あんなところ、罠みたいなもんだよ」
しばらくは口数が少なかったが、結局、彼女はチューヤを「信頼」したようだった。
信頼したとたん、よくしゃべるようになった。
ときおりこの信頼が裏切られ、よけいに内向するようになることもままあるが、とりあえず心を許してしまえば話せる相手だった。
冬場にしては薄着で、見るひとが見れば欲情を誘うような格好だ。
しかし、援交はしていない、という。
「だって東京にいるから」
彼女はキョトンとした顔で言った。
「どゆこと?」
チューヤも同様に、キョトンとして問い返した。
「ケーシチョー、めっちゃ優秀じゃん。あいつら、都内でやろうとすると、とたんに踏み込んでくるでしょ」
だからみんな、三郷(埼玉)とか柏(千葉)とか町田(神奈川)でやってるよ、という。
父親の所属する組織の優秀さを誇っていいものかどうか悩んだが、ともかく突っ込んでおくことにした。
「町田は東京だろ、一応」
「そうなん? オダサガの師匠さんには挨拶しとけとか、けっこう聞くよ」
町田は、どうやら相模原の一部、と認識されているらしい。
たしかに、町田は東京らしくないので神奈川に編入してはどうか、という意見もある。
とりあえず、かなりの大物が小田急相模原を支配しているらしかった。
「相模原になると神奈川県警の領分だし、警視庁は手を出せないってわけだな」
もちろん都内にもゲリラ的に展開する「業者」はあるが、都内で堂々と仕事をまわしている時点で、そうとう優秀な業者ということのようだ。
マフユのバックさえ、売春は草加、三郷、松戸、柏といったエリアに流しているらしい。
「最近のケーシチョーは、とくにおっかねーって」
「降参?」
「いや、やる気になればやれるけど、そうまでしなくても近くに別の場所あるから、みんなそっち逃げてるよ」
「うーん、喜ぶべきなのかどうか」
この手の仕事は結局、いたちごっこだ。
警視庁が、都内でやらなければいいよ、という態度を示しているとしたら、それこそが問題のような気もする。
「で、どうしてマフユに拾われたの?」
「ああ、うん、えっと……」
荒川の河原でウサギに餌を食わせていたところ、捕獲された──。
と、ここまで話していてようやくわかったが、マフユも言葉の端々に言っていたとおり、彼女は軽度の知的障碍者らしい。
知障といっても程度があり、簡単な漢字程度の読み書きと、算数ができる。
ときどき叫んだり暴れたりするが、それ以外は、ただの「バカな子」という印象だ。
問題行動の多いこの手の少女に、よくあるパターンを踏襲していた。
納得いかないことがあると泣き喚き、決めたことはテコでも動かない。
会話は慣れないとむずかしい。
たまにボケっとして、気を失うことがある。
パニクると大変。授業はストップし、先生は大あわてだ。
もちろんテストの成績は惨憺たるものだった。
小学校までは普通学級に通っていたが、中学になって特殊学級が検討された。
無理やり普通学級に進めたところ、わるい仲間と出会い、学校へ行かなくなった。
お定まりの転落コース、らしかった。
IQは65程度。
人類が人類であることを証明する「知能」を示す指標のひとつ「IQ」は、70~130の間に95%の人間がおさまり、それ以下は軽度の知的障害とされている。
55を切ると中度、40を切ると重度、25以下は最重度。
ちなみにケートはIQ190で、いわゆる「天才」の世界に住んでいる。
常人には計り知れない思考と発想が詰め込まれているが、上には上がおり、「悪魔の頭脳を持つ男」といわれたジョン・フォン・ノイマンは300以上あった、という伝説が残っている。
ニュートラルなパンピーのチューヤはもちろん、中程度の平凡な脳みその持ち主だが、人間の価値を決めるのは知能だけではない。
殺しても死なない能力や、悪魔を同時に召喚できる能力など、彼は非凡な才能に恵まれている。
そして、この小さなウサギのような少女にも、なにかしら特別な能力が隠されていないともかぎらない──。
「まあさ、ともかく始発まで寝とこうぜ。あと3時間くらいしかないけど」
自分の部屋に連れて行き、ベッドに寝かせた。
少女はしばらく、そのうちあいつきて犯られるんだろうと警戒していたが、童貞にそんなまねができるはずもない。
短い夜が更けていく……。
リビングのソファーで寝ていたチューヤは、ふと気配を感じて目を覚ました。
ハッとして出口を見ると、少女と目が合った。
文字どおり脱兎のごとく逃げる少女の足を捕まえ、引きもどす。
ジャケットに裸で突っ込んでおいた10万円が、ない。
「なるほど、たしかにクセがわるいな」
「放せーっ、強姦魔、犯されるーっ」
「暴れんな、こら!」
殴る蹴るの暴挙でダメージを受けるチューヤの上着がめくれた瞬間、ウサコの動きが止まった。
興味津々の目で見つめてくる。
その視線のさき──腹巻。
「腰痛部……ちゃんぴょんベルトだ……」
圧倒的な興味と好意に満ちた視線で、ぺたぺたと腰痛ベルトを触る少女。
チューヤは複雑な心境でその姿を見下ろしながら、
「応募したら当たったんだよ。腰痛部、きみも好きなの?」
「ダイコク先生、最高だよ! あんなゲームうまいひと、見たことないよ!」
それからの話はスムーズだった。
話せば話すほど、少女のオオクニヌシに対するリスペクトがハンパない、と気づいた。
たしかに神話の世界でも、いろんな生き物たちから(自業自得とはいえ)いじめられたウサギを唯一、助けてくれたのが不死身の国つ神オオクニヌシだった。
いつもダイコク先生の動画を見ているのだ、という話で盛り上がった。
都議会議員にしてプロレスラーにしてヨウツーバー。
ダイコク先生は、多くの人々の心に希望の光を灯しつづけているようだ。




