03 : Day - 27 : Sangenjaya
「いよいよ陣取り合戦も佳境らしいな、あちら側でもよ」
皮肉っぽい物言いで、壊れたパソコンを片づける室井。
片づけるといっても、蹴とばして歩く場所を確保するだけで手いっぱいだ。
締め切りは、無期限延期ということになりそうだった。
むしろ、これだけごりっぱなエクスキューズを現前せしめたことに、ほくほくしている感すらある。
猿島に、状況をまとめて報告しろと指示し、室井は自分のデスクに引きこもった。
作業場の奥まった一角が、室井の居城ということのようだ。
なんとなく、あとについて行くチューヤたち。
室井は自分の机に座ると、その病的に細く白い指でキーボードに触れた。
ほとんど無音で撫でているだけに見えるが、おそろしい速度で入力されているらしいことが、同時にワークを開始した複数のモニターから看取できる。
多様なインターフェースが試されている時代ではあるが、結局のところ「キーボードがいちばん速い」という経験則は、いまのところ揺るがないようだ。
彼はふと、目線を持ち上げてチューヤを見ると、
「で、まだなんか用か?」
「いや、そもそも訊きたいことまだ訊いてないんスけど。室井さん、くわしいでしょ、あちら側のこと」
「ふん。まあ、おまえよりはな」
そこでチューヤは、踏み込むことでよけいな荷物が増すことを忌避していたいままでの立場を返上し、必要な情報から集めていく覚悟を決めた。
彼にとって、引き返せない道へ踏み出す、という意味をもつ情報の収集は、とても覚悟の要ることだった。
「旧世界派とか、古典派とか、なんなんスか」
「悪魔の大まかな所属だよ。唯一神系を除いては、各悪魔に所属意識は低いが。とくに北方系は、ロキが好き勝手しているおかげで、とても求心力があるとは言えん。むしろ遠心力の塊みたいなところがある」
「北方って、北欧神話系ってことか。マフユ関係だな。じゃ、旧世界と古典って?」
「旧世界は、エジプトを中心としたアフリカ、アナトリア系の悪魔たちだよ。古典派は、そのなかでも洗練された、と自称しているギリシャ・ローマ系の悪魔だな」
チューヤの脳内には、何人かの人物像とともにいくつかの「派閥」が立ち上がり、なるほどと得心されていく。
世論に押された政治家が、どれだけ派閥解消などとほざいていても、実力組織であればあるほど、そんなものはどだい無理な話なのだ。
「そいつらが内輪揉めしてるってわけですか」
「いや、べつに揉めてるわけじゃねーだろ」
「マルドゥクがどうとか……」
「ああ、桜田門か。そいつは、おまえのオヤジの領分だろ」
チューヤはきょとんとした表情で、父親と悪魔の姿を、無理やりつなげて考えてみる。
「警視庁の話ですか?」
「こっち側で攻められたのがそこなら、まあ、そういうことなんだろうな」
「グランドアークってホテルですけど」
「アーク? 連中の好きそうな名前だねえ。失われたものを、いまこそ、とりもどそうってか」
嘲るように言う室井。
サアヤは不思議そうな表情で、もの問いたげだ。
ヒナノとの「ふたりプレイ」を小出しにしつつ、チューヤはめんどくさそうに話を進める。
「ただのホテルですよ。ある種の人々が、聖遺物とかの闇取引に使ってたみたいですけど。本来は警察関係のイベントごとに御用達のホテルなんですけどね」
「狙われて当然だな。──巻き込まれたんだよ。一神教と旧世界派の紛争に」
「わかるように教えてくれませんかね」
「ふん。じゃあ、おまえ向けに教えてやるよ。……桜田門、大井競馬場前、池尻大橋、中野、後楽園、三ノ輪、新木場、そして板橋本町だ」
まともな人間には意味のわからない地名の羅列だが、室井はそれだけ伝えて様子見することにした。
なにしろ鉄道の駅を絡めれば、どんな謎でも解きかねない男だ。
案の定、チューヤはしばらく考えてから、
「……方面本部の最寄り駅か」
「さすが鬼刑事の息子」
警視庁の管轄する東京は10の方面にわかれていて、そのうち23区は8つの方面本部がカバーしている。
「そこを、むこう側では8つの勢力が奪い合ってるわけですか?」
「理解が早くて助かるよ。まあ、そんなところだ」
「たしか、第1方面は唯一神系で占められてるのは、印象的だったんで憶えてますよ。じっさい霞が関周辺は全部、ヤバい神さまの名前でいっぱいだ」
室井がキーボードを撫でると、チューヤたちにも見える角度の画面に、東京の悪魔の勢力図が浮かぶ。
約500の駅名に並んだ悪魔たちの名前には親しみもあれば、畏怖も感じる。
その文字の色が微妙に異なっているのを俯瞰してみても、明確な「勢力図」を見て取ることはむずかしいが、なんとなく偏りがないわけではないようにもみえる。
「陣獲り合戦とはいえ、それほど明確じゃない。こっち側では、それで当然なんだ。どこのエリアを見たところで、各勢力は入り乱れてる。そもそも半分近い悪魔が、無所属みたいなもんだからな」
「だけど唯一神は、桜田門を攻めようとした」
「方面本部、というより本丸のなかの本丸、その足元だからだ。利用客数を見りゃ、それほど実利を伴うもんでもないが、まあプライドの問題か」
千代田区という、東京の中心地。
霞が関や永田町を中心に広がる悪魔の巷は、一神教にとってもそれなりにブランド価値があるらしい。
「旧世界系のマルドゥクが、それを退けた……」
「よかったじゃないか。ハンムラビ法典に貸しができたんだぜ。堂々と乗り込めよ、ディオニュソスの宴に」
にやり、と笑う室井。
さらなる闇が、そのさきに広がっている。
終電に飛び乗り、久我山でサアヤを家まで送り届けると、チューヤはようやく長い一日が終わった気がした。
午前1時を大きくまわっている。
チューヤにとってはいぜんとして活動時間だが、世間は寝静まっている。
終電も終わったので、徒歩で帰宅することにした。
久我山駅と西荻窪駅は直線距離で2キロないが、どんな短距離でも電車に乗ろうとするのは乗り鉄のわるい癖だ、とめずらしく自重する。
閑静な、という枕詞がぴったりの住宅街を、ふらふらと北上した。
この静けさを破る、忌まわしい存在とのお付き合いは、金輪際ご遠慮申し上げたいのだが、遠くのほうからいやーな音が聞こえてきて、チューヤは歩速をゆるめた。
大通りに出ると、とてもめんどうなことが起こる気がしたが、なぜか出なければいけないような気もする。
その瞬間、目のまえの通りを、巨大なバイクがすべるように突っ切り、強力なブレーキ音が響きわたった。
事故ったか、と思って街道に出た瞬間、どうやら急ブレーキで止まったバイクはアクセルターンで切り返し、チューヤを目指して突進してくる。
「出なきゃよかった」
後悔したが遅い。
飛び退いて電柱の影に隠れるのと、直撃コースのヘルメットが電柱に跳ね返されるのは同時だった。
「てめえ、逃げんじゃねえよ、チューヤ!」
「なんでマフユがこんなとこいんだよォ」
こんな時間に活動していることは、マフユにとっては昼間に等しいのでOKだとしても、彼女のテリトリーはもっと北であるはずだ。
そのときマフユのバイクから、小さな影が飛び降りて逃げ出したのを見とがめる。
同時に気づいたマフユが、手元の鞭(なぜそんなものを持っているのか謎だ)を振りまわして、逃げ出した小動物のような物体をからめとり、引き寄せた。
「てめえも逃げんじゃねえよ、クソガキ」
「うう、うう……」
小さな少女がマフユに捕まって、泣いている。
めんどくさいことが、またむこうからやってきた。
茶くらい出せ、というマフユのまっとうな要求に、チューヤはしかたなく冷蔵庫のペットボトルをテーブルに並べつつ、言った。
「で、どういうことだ。説明しろ」
マフユは、酒を出すくらいの気遣いはねえのかよ、とぼやきながらカロリーの高そうな炭酸を選んで飲み干した。
それから顎をしゃくって少女を示唆し、
「こいつ、あずかれ」
部屋の片隅に椅子を移動して座り、なるべく視線を合わさないようにふるえている小動物もとい小柄な少女を、どうやらマフユは自分にあずけて立ち去ろうとしているらしいと理解したチューヤは、本能的に出口のほうに移動してふさぎつつ、
「説明しろって言ってんの! 日本語おk?」
「うるせーな。いま考えてんだよ」
どうせろくなこと考えてないだろうな、と思ったが黙って待った。
2本目の炭酸を半分くらいまで飲んだところで、あらためてうながすチューヤ。
「で、考えはまとまったのか」
「ああ、そうだっけ……。まあいいや。とにかく保護してくれってことだ。……べつに食っちまってもいいぞ。そいつは、あたしのキライなタイプなんでな」
自問自答しながら言うマフユの言葉は、チューヤのような一般的思考回路をもった一般人には、なかなか染み込んでこない。
ともかく、少女の保護をチューヤに要求しつつ、彼女のことはキライなので取り扱いについてはぞんざいでかまわない、ということのようだった。
キライなら躊躇なく捨てるタイプなのがマフユだが、こうしてチューヤのところに、曲がりなりにも「救い」の可能性を含めて投げ込んできたことを、どう評価すべきか。
あらためて少女を見つめる。
小柄な体躯で、140センチそこそこの中学生か小学生。
マフユがでかすぎるというのもあるが、文字どおり猫の子のように、首根っこをひっつかんで、窓から放り込んでくるような感じだった。
「あのな、マフユ」
「ひとつ言っとく。サアヤには秘密だ。漏らしたら、てめえ殺す。ついでにそのガキも」
ぎろり、と睨む蛇の目に、チューヤと少女は凍りついた。
互いに共通の敵は、マフユである……。
そっぽを向くマフユと対峙しつつ、チューヤは少女の横に移動し、問いかけた。
「で、なにがあったの、というか、どうしたの、というか、名前は?」
初対面の人間にまともに問いかけられないのは、チューヤのコミュニケーション能力の偏りを意味する。
画面や悪魔に向かっては、それなりに堂々と対応できるのだが、相手が人間になると途端、ヘタレになる。
「うさ」
「大分県出身なのかな?」
うさ。
USAということで、宇佐市が調子に乗ったこともある。
もちろんそのようなボケは完全にスルーだ。理解すらされなかっただろう。
「ウサコ」
「ああ、なるほど。ウサコちゃんね」
そこへ飲み干した2本目のペットボトルを投げつけるマフユ。
びくり、とふるえあがるウサコ。
「なにがウサコだ。ウソコだろ。……チューヤ、そいつはもめんこだ」
「ちがうもん、ウサコだもん」
情報が錯綜しているので、チューヤなりにまとめる必要があった。
ともかく、彼女の本名は「稲葉木綿子」らしい。
もめんこ、きわたこ、などあまりにもまちがわれるため、自分のことをイナバノウサコと呼ぶようになったという。
ウサちゃんと呼ぶことにしよう、とチューヤは決めた。
他人から不本意な呼ばれかたをする気持ちは、なんとなく理解できる。
性格的にも、似たようなところはあった。
いわゆる「引きこもる」タイプ。
チューヤは押入れだったが、ウサコは物置だったらしい。
最初は懲罰として閉じ込められていたのだが、そのうち自分から閉じこもるようになった。
あるとき追いかけられて、物置のうえに逃げたとき、やっぱりイナバ、と言われたが、よく意味はわからなかった。
「引きこもり同士、気が合うだろ」
自立から脱走してきた少女。
ウサギのようにふるえている。
彼女を食い物にするおとなたちの世界から、逃げてきた。
そうだとしたら、守ってあげるべきなのではあるまいか。
もちろんチューヤではなく、正しくあるべき社会が……。




