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90 : Day -28 : Gokokuji


 東方カテドラルの地下に、これほど巨大な空間があったのか、と思われるほどの会議室は、オーバルルームと呼ばれている。

 宇宙卵を想定しているかのごとき楕円形で、アメリカ大統領の執務室を模し、権威ある人士の参加する国際会議でしばしば用いられる場所らしい。

 この「異端審問」が、どれほど重要であるかの証左でもあろう。


 会議室の扉および裁判官のテーブルのまえに掲げられた垂れ幕の意匠は、TA。

 神学機構セオロジカル・エージェンシーだ。


 図案は、3本の直線で示される。

 中心に正3角形があり、右の斜辺(長さ3)のさきを上に伸ばし、左の斜辺(長さ2)のさきを下に伸ばした、六芒星の右下を切り知ったような形。底辺の長さは1。

 斜めのTと小さなAを図案化した形。

 白と赤と黄色を使う。上が白、下が黄色の2色旗に、赤のラインで3本線。3角形の頂点から上が白。下は黄色。

 赤・白・黄色、三つの目。


 ヴァチカンの旗の配色にも似ているが、ユダヤの要素もはいり、かつ幾何学模様を好むイスラームにも配慮されている。

 神学機構は、唯一神の教えを統一する組織だ。


「ではこれより、エージェント・ガブリエル、もとい、資格停止中の信徒、ガブリエル・ソレルに対する異端審問を開始する」


 神学機構における異端審問は、通常の手続きとはやや異なるが、基本的にはヴァチカンが誇る検邪聖省の手続きを踏襲する。

 その哲学的定義は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 エージェントとして、ふさわしいか否かを問われているのだ──。




「以上の嫌疑により、被告ガブリエル・ソレルの永久資格停止と投獄は不可避と考える。過てることなき、無謬なる神の名において、有罪を宣告されたい」


 いつか、ガブリエルを好色な目で見ていた枢機卿が、峻厳な表情を装い、被告席を指さして言った。

 小声で「犬め」と吐き捨てる声が聞こえたが、鋭い視線で射抜かれ、黙殺された。


 神の犬。

 Domini canes ──ドミニ・カネス。

 ガブリエル側に敵対する者どもの名だ。

 13世紀前半に設立され、当初から異端審問にかかわって異教を弾圧しつづけた、ドミニコ会。

 侮蔑と畏怖をこめ、人々は語呂合わせで彼らをそう呼んだ。


 ──もうひとつ、日本人にもなじみ深いイエズス会というものがある。

 かのフランシスコ・ザビエルは、イエズス会の創設メンバーのひとりだ。

 1540年に設立されたイエズス会は、17世紀前半には学問の世界で確固たる地位を築き、ドミニコ会とともに異端審問を支えた。


 ドミニコとイエズスは、異端審問の代表格として、神学機構にも受け継がれている。

 ことにドミニ・カネスは、最強の狂信的執行機関として、精鋭部隊を有していた。

 両修道会は、かのガリレオ裁判でも活躍したことで知られる。

 ガリラヤの人、という意味をもつ、とても宗教的な名前、ガリレオ。

 その名が宗教裁判によって汚されるのとまったく同じことが、いまこの東方カテドラルで行なわれようとしていた。


「待ちなさい。あまりにも拙速にすぎるのではないか。これまでのガブリエル氏の貢献を考えても……」


 多くの枢機卿はガブリエルに同情的であり、本来は有罪など宣告されるはずもない。

 同様に、当初はガリレオに同情的で、彼が誓絶していないという異例の証明書を書いた枢機卿もいたが、やがてイエズス会もガリレオの敵にまわった。

 その日の総集会には、悪意に満ちた摘要報告書が参与官から提出されていた。

 満場一致の投獄刑と、『天文対話』の禁書が決定された、有名な裁判。

 どのような弁明をするかにかかわらず、判決はほぼ確定していた。

 ──いま、まさに彼女は、現代のガリレオを目指しているかのようだ。


「ご機嫌うるわしゅう、ウルバヌス猊下」


 画面上に大写しにされた、ヴァチカンのパパ。

 1万キロの距離を隔てて、神学機構の強固な歯車が噛み合わされる。


 カテドラルのテレビ会議室は、判決を求める声で支配されていた。

 じっさいは少数派なのだが、神の犬は声が大きい。その支配力によって、あたかも多数派であるかのように偽装することができる。


 聖省の役職はドミニコ会が独占しており、膨大な書類仕事を抱えた長官は、さっさと終わらせたいとしか思っていない。

 配属されている四人の事務官のうち、総主任はロンバルディア出身のドミニコ会の神学者。次席が参与官で、訓練を受けた法律家が就任する。三人目が検察官。

 序列についてはよくわからない。


 宗教裁判をふりかえる場合、四人目の「公証人」が重要な役割を果たす。

 法的拘束力をもつ文書を作成し、理論上は聖省の議事録を含む全活動を記録して、その決定を教令登録簿に記載する。

 作成した全文書には、公証人の決まり文句を書き加えて署名。

 この公証人は、しばしば怠惰だったという。


 これらと別に、顧問と呼ばれる外部の有識者の2グループが集会を補佐する。

 神学者のグループと法律家のグループで、それぞれに市民オンブズマン的な一般信徒が加わる。

 一般といっても、かなりの有力者である場合が多く、ヒナノもここに含まれる。


 禁書目録聖省のほうは、学問肌のイエズス会が運営している。

 検邪聖省よりも下級の部局で、出版物を中心に多様な文書の検査を担っている。


「しかし彼女は……」


「ご聖断を! 聖下!」


 テレビ画面のむこう側、すでに臨席している教皇ウルバヌス9世が、東京と同じ報告書に目を通している。

 その表情は暗く、生気がない。

 彼はゆっくりと、イタリア語でつぎのようなことを言った。


「これだけの訴えを、容易に退けるわけにもいくまい。残念ながらガブリエル・ソレルよ、貴女は有罪と言わざるを得ない」


 被告席には、ごく涼しい表情のガブリエル。

 彼女には、すべての結末を恬淡として受け入れる覚悟がある。


 ──ガブリエルほどの位階なら、最悪でも、贖罪によって再起を図れる可能性はある。

 有罪となった被告人は、異端を捨てる「異端誓絶」を行ない、再び教会に受け入れられることは可能だ。

 重要な異端審問の場合、この誓絶はサン・ピエトロ大聖堂で行なわれることが慣例となっている。

 だが、最終段階で執り行われる判決文の公表が、ガブリエルの立場をさらにわるくするだろう、と予想された。

 彼女が神学機構で力を得ることは、おそらく二度とない。


「審問の結果、公文書になってしまったら、影響は計り知れません。ヴァチカンに図書館が存在するかぎり、未来永劫、残るのです」


 ヒナノは言った。

 彼女はいま、彼女のいるべき一般席にいる。

 ──つぎの瞬間、法廷の入り口の扉が外から叩き開けられた。


「異議あり!」


 不遜にも画面の教皇を指さし、絶叫した者。

 人々の注視するそのさきに、チューヤ。


 判決を逆転すべく、彼は法廷に飛び込んだ。

 一同の視線を集めるなか、ナルホド・チューヤは裁判官ならぬ枢機卿を指さした。


「この異端審問は呪われているぞ! その証拠を見せよう。さあ、オドロキ・サアヤくん、びっくらこかせておあげなさい!」


 恥ずかしそうに、チューヤの背後からついてきたサアヤは、


「だれがオドロキよ! ……教皇さん、これを見てください」


 ポケットから、しゅたっ、と取り出したUSBメモリ。

 弁護士が駆け寄ってきて、それを主モニターにつながるPCに差し込んだ。

 表示されるのは、チューヤがアズテック社で入手した、犯罪でっちあげの証拠。

 逆転の審理がはじまった──。




 ガブリエルは微笑みを浮かべ、チューヤに握手を求めた。


「ありがとう。感謝します。ニシオギの」


「チューヤです。いやいや、あたりまえのことをしただけですよ。……サアヤさん、ハウス!」


 チューヤはふりかえり、こそこそ動いていたサアヤを押さえるようなゼスチャー。

 A4のコピー用紙に「勝訴」と書いて走り出そうとしていた彼女は、渾身のボケを封じられてぶーたれた。

 そこへカテドラルのほうから、ヒナノがぶつぶつ言いながら合流してくる。


「本件への疑いは払拭されたが、すべての疑いに関する無罪を決定づけるわけではない。ただしガブリエルの行動を縛る合理的理由もないため、釈放とする──なんですか、このぶざまな判決要旨は?」


 検邪聖省のコメントに、ヒナノは怒り心頭に発していたが、ともかく解放されたという事実に対してはすがすがしい表情だ。

 ──世界の終わりまで、残り4週間。

 その半分を、くだらない騒ぎに蕩尽せしめられたことになる。それ自体、敵対者にとってみれば大成功だった可能性もある。

 惜しむらくは、もっと早くガブリエルを解放できなかったことだ。


「俺がお嬢にもっと本気出してれば、別の道もあった気はするよ」


 なるべく聞こえないようにつぶやいたつもりだが、ヒナノは彼に視線を向けて、唇の動きだけで言った。


「すべては神の思し召し」


 人間が運命を変えるなどおこがましい。

 神が定めたとおりの未来へ、われわれはただ黙って従うのみだ。

 彼女はチューヤの働きを評価しないわけではないが、それほど期待もしていない、という意味でもある。


「いやー、意外に早く片づいてよかったねー」


 サアヤ的には、これでも即決裁判のような印象だ。

 そもそも問題の根深さを知ったのが最近であり、現時点でもまだ理解していないきらいさえある。


「まだ片づいたわけではありませんが、さしあたり感謝しておきますわ、発田さん。……それから」


「いいんだよー。友達じゃんねー?」


 チューヤのぶんも返礼しておくサアヤ。

 まあいいけど、とぼやきながら踵を返すチューヤ。

 いまや、裁判所のほうから注がれる、敵意と憎悪の視線から、一刻も早く逃げ出したい気分が強い。




 あたりはすでに深い闇に閉ざされており、ひさしぶりに家でじっくり眠るにはちょうどいいタイミングだ、とおのずから断じた。

 護国寺から地下鉄に乗り、そのさき……。


「久我山で降りるんだぞ、わかるな?」


「なにー? このサアヤさんを家まで送っていかないつもりではあるまいな!?」


 しばし考え込むチューヤ。

 いろいろ行くべき場所はあるのだが、ここでサアヤを送っていかないという選択肢があるだろうか?

 いや、ない。


「……しかたない。日本の首都で野垂れ死なれても、国の恥だからな」


「私は死にません! てかさー、ちょっとおばさんのようす、見ていきたいんだけど」


「青山か。ま、いいだろ。あれから回復してればいいけどな、ナミさん」


 いくつものタイムテーブルから、またひとつ、未来が択出されていく。



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