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「たたた、助けてくれ、おれがわるかった、謝るから」


 馬場は床に転がりながら、悲痛な叫び声をあげた。

 下手な演技にしかみえないところが、なおさら口惜しい。


「そう言って殺した女の名前を言ってみろ。全員言えたら助けてやるよ」


 ケートの言質はすなわち、助けるつもりはない、ということだ。

 吸血鬼の全身に電撃が走る。

 もともと痛みという概念のあまりない吸血鬼だが、その鈍麻した脳髄をわざわざ覚醒させ、痛みを与えるという順路をきちんとたどっている。


 他人に与えた痛みは、すべて自分に返ってくる。

 すくなくとも先制攻撃者は、それを覚悟して行なうべきだ。


「ひぃい、死ぬ、死んじまう」


「とっくに死んでるべきだろうが、クソムシ」


 チューヤは援護だけしていればいい。

 あらゆる手段で、吸血鬼の逃亡を許さない。

 すでに窓、本棚、天井裏、という逃亡ルートを先んじて発見し、封じている。

 ひとつひとつ、逃げ道をつぶすたびに吸血鬼の表情から余裕が消え、焦りと恐怖が募っていくありさまは、チューヤをしてどこか胸のすく思いだ。


「おれなんか殺しても、なんにもならねえよ! この世にはもっともっとわるい連中が、いくらでもいるんだ、そいつらを倒せ、なあ協力するよ、だから助けろ、助けて」


 悪党がチクりを入れるフェーズにはいった。

 チューヤはケートの反応をたしかめつつ、


「無駄だろ、なあケート」


「……いや、聞いてやる。言ってみろ」


 ケートが両手につかんでいた電撃の刃をすこし下げる。

 その背中にはサンダーバード。あいかわらず高レベルのガーディアンを付け替えて、みずからの能力を強化しつづけているようだ。

 サンダーバードは、北アメリカの先住民の神話に登場する高レベルの霊鳥である。

 チューヤがボケたくてうずうずしている元「スーパー雷鳥」ではない。


「しょ、しょ、諸悪の、ここ、根源は、ネビロスと、ベリアルが、おれたちから買い集めて、少女たちを、そうだ、売春どころじゃねえ、臓器売買だ、その肉体のパーツまで、餌食にしているんだよおぉ、おれなんか末端の罪のないバイニンなんだよぉ」


 バイニンのどこに「罪」が「ない」のか、こちらも突っ込みたくてうずうずしたが、ケートは静かに問いを重ねる。


「……証拠は?」


 管理売春。臓器売買。

 悪魔なら、そのくらいのことはするだろう。

 むしろ証拠などと悠長なことをいわず、天下御免で復讐を果たすという道もないではない。彼らが真犯人であろうがあるまいが、復讐される理由には事欠かない連中だ。


 ケートがそれをしないのは、まだ彼に文明人としての誇りが強いからだろうか。

 野蛮人は、ちょっとしたウワサだけで真相を確認せず、罪もないひとを激しく誹謗、中傷、突撃までしたりする。

 フェイクに踊らされる暴徒については、大きな社会問題にもなっている。

 これは、人類の顔をした野蛮人が、この社会にはまだまだ多くまぎれこんでいる、という現実を意味する。


「ケーたんはりっぱだねえ。そうだよ。ちゃんとたしかめないと!」


「痛めつける口実が増えるだろ。これはA子の分、これはZ子の分、って」


「サディストか!」


 大義名分を求めるだけ、理性あるサディストだ。

 すると、吸血鬼がにやりと笑った。助かる道を発見した喜びか、それとも。


「証拠なら、この下にある。案内する。さあ、この痺れるトゲを抜いてくれ」


 吸血鬼はケートの攻撃によって、壁に半ば縫いつけられた状態だった。

 ケートは軽く片手をすくめ、歩き出す。

 吸血鬼の目には、ほとんど無造作に歩み寄ってくるように見えるケートに恐怖すら感じたが、無防備なその身体が自分の両腕から電撃のとげを抜いた瞬間、


「バカめが、つかまえ……っ!」


 全力でケートをつかまえて人質に仕立てようと試みた、らしい。

 その腕が、すかっ、と捕らえるべき身体をすりぬける。

 遠くから、冷たい声が響く。


「……な、言ったとおりだろ」


「んもう! ちょっとは改心したかと思ったのに、悪魔めー!」


「悪魔使いにはお見通し、ってか」


 チューヤ、ケート、サアヤは、3人とも、さっきから同じ位置を動いていない。

 ケートが魔術回路でつくった「電影」をさきへ進め、その本心を誘導したのだ。

 自分が罠にかかったと気づくと、吸血鬼はあわてて踵を返し、最後にとっておいた床下の隠し通路へ飛び込もうとした、そのとき。


「ぎゃあぁあーっ!」


 無数の電撃のトゲが突き出し、再び吸血鬼を戸板に縫いつける。

 ゆっくりと歩み寄るチューヤたち。

 ケートにはもう、容赦はない。

 電撃の針に通電する圧力を引き上げる。末端からじりじりと焼け上がり、太陽光にさらされた吸血鬼よろしく、断末魔へと徐々に追い詰める。


 ダルマのように手足を奪われ、痛みは胴体へ。

 吸血鬼は心臓に杭を刺され、首を斬り落とさなければ死なない、などの設定はあるが、これからそのすべての道をたどってこの世から消滅するだろう未来に、どうやら疑いはないようだ、とさすがの悪漢も理解した。


「くげ、ぎぎ、ぎ……げはァ! そうかい、そうかい……殺すがいいや。だがなァ、おれを殺して、それで終わりだと思うなよ。──ここに、あいがいないのは、なんでだと思う? あいつ気に入られてんだよ、ボスにな。てめえが生身のあいを抱けなかったからって怒るのはわかるが、せいぜいカネを溜めて魔人の身体を賞味しに行ったらどうだ? 魔人アンネイアってんで、女王さま気どりだぜ!」


「……うそをつくな。悪魔め」


「そうとも、悪魔はうそをつくんだよ! たくさんの()()()()に包んでな! あいは生きてるぜ。あの状態を生きてるというならなァ」


 つぎの瞬間、ケートの電撃の刃が、馬場の首を叩き落した。

 地面に転がる丸いもの。

 最近、よく離別した首を見るな、とチューヤは思った。


「黙れ、吸血鬼めが。……あいは死んだ。貴様が殺してな。それで終わりだ。命ってのは、そういうもんだ」


 その点、チューヤとケートの思想は重なっていたが、サアヤだけは微妙な表情で聞いていた。

 これでケートの復讐物語は終わりだ。

 そう思っていたが、どうもそうではないらしい。

 ──境界が、解けない。


「……たしかに、ここはあのヴァンパイアも一枚噛んでいた境界だったが、必ずしもそればかりではないみたいだな」


「重複境界か。下に、なにかあるな」


 階下へ抜けるルートについては、かなり早い段階でチューヤも気づいていた。

 ただ悪魔が逃げ出せるように、残しておいたのだ。

 敵を手玉に取るため、必ず逃げ道をひとつ残しておけ、というのは孫子以来の重要な兵法だ。そうすれば、下手な希望にすがりつく相手を、コントロールしやすくなる。


 下から吹き上げてくる、瘴気の混ざったぬるま暖かい風。

 つぎの瞬間、そこから飛び出てきたのは、邪神バフォメット!

 すわ連戦か、と警戒を高めたが、つづいて階下から出てきたのは……見たことのある顔。

 全身から力を抜くチューヤたち。


「イスハークさん、なんでここに」


 もぞもぞと階段から這い出してきた、イスラームの知識人イスハークは、そこに焼け焦げた吸血鬼の死体を眺めると、うなずいて言った。


「どうやらやり遂げたようだね。おめでとう」


「……あんたのおかげだ、サイド・イスハーク」


 サイド(サイイド)はイスラーム圏の尊称で、英語のミスターに当たる。

 窓からは夜明けの光がはいりはじめている。

 それとともに境界が溶けていくのは、重複境界を形成していたのがイスハークで、彼が許可したからだろうか。

 チューヤは、なにか奇妙なものを感じたが、いまのところ同じ悪魔使いとして、またともに戦闘をかいくぐった者として、イスハークへの信頼はある。

 ケートも同様に、イスハークの助けを得ているようだ。


「そうか、私の助言が役に立ったなら幸いだ」


「あんたに教えてもらったとおりの筋道をたどったよ。日本の風俗業界に、あんたほど詳しい外人はいないな。鶯谷のヤバい店から、吉原ルートまで知っているんだから」


 たくさんの女の子を不幸にした吸血鬼の話を聞いて、協力を申し出たイスハーク。

 風俗業界に通じる彼の知見なくして、ケートの調査は短期間にここまで進展しなかった、という。

 女の子大好きなイスハークにとっても、愛すべき女性たちを不幸にするポン引き野郎どもは、断じて許しがたい存在だった。

 もちろん風俗業界そのものには、たいへん世話になっていて、それ自体は肯定しているわけだが。


「ははは、それほどでも」


「あんまり褒めてないと思うけど……」


 サアヤがいやそうな顔で言った。

 自分の身体を売ってなにがわるい、という女性がいるのと同様、それ自体をいかがなものか、と考える女性も多い。


「ところで、サイド・イスハーク。吸血鬼の野郎が、なんか負け惜しみみたいなこと言ってたんだが」


「ああ……悪魔が、いまわのきわに妄言を吐いたのだろう。──それより、いい店を見つけたんだが、これから行かないか?」


 一瞬、話題の変転についていけない高校生たち。

 あまりにも長く、悲しい物語の伏線を回収して、ようやくたどり着いたエンドロールの感慨にひたりたい気持ちを、根こそぎするような軽口だ。


「いい店って、どういう意味かな……」


「いや、だってこのへんで早朝サービスをやってる店なんて、そうそうないからね。最近のお気に入りなんだよ、〝オス・マントルコ〟ってね。じつにすばらしい店名ではないか? ほとんどは日本人だが、喜ばしいことにトルコ人女性も、すこしだけいるのだ」


 へらへら笑って言うイスハークのおかげで、長い復讐を果たした感動と、シリアス展開の緊張感が急激に薄れていくのを感じる。

 ようやく突っ込む元気をとりもどしたチューヤは、


「あんた最低かよ!」


「性風俗のことなら、なんでも私に訊いてくれたまえ。はっはっは」


 ここまで堂々と風俗通いを語れる男を、チューヤたちは知らなかった。

 多くが嫌悪と忌避をおぼえるタイプだが、一部には好評をもって受け入れられる。


「エッチなお店はいけないって、先生言ってたよ!」


「ばかな先生だ。夜の世界なくして、昼は存在しないというのに」


「光あるところまた影あり、まこと栄光の影に……って、サスケか!」


 昭和40年代に流行した忍者アニメのオープニングを飾った名文句である。

 サアヤの突っ込みはあいかわらず空振ったが、


「陰陽和合して云々、って話は俺もそうだと思う」


「ともかく編集長には報告しておかないとな。……祝日か。業界人だし、夕方まで寝てるだろうな、どうせ」


 来た道を逆にたどるまでもなく、隣のビルの階段を使って地上へ。

 勝手に鍵を開けて外へ出ると、早朝の冷気が肌に心地よい。

 イスハークはケートの言葉にうなずきながら、


「いいね、モナちゃんにも会っておきたいし、お店も基本、夜からのほうがいろいろあるし、それじゃ夕方」


「ぞんた集合で!」


 なぜか元気にまとめるサアヤ。

 五反田のメゾン夕刻。

 高校生たちの新たな溜まり場になりかねないシェアハウスだ。


「ガブリエル女史も呼んだら、喜んだかもしれないな。オランダ人の休日にはちょうどいい場所だから」


 ゾンタークはオランダ語で「休日」を意味し、日本語の「どんたく」の語源ともなっている。

 ガブリエルといえば、ヒナノはどうしているだろう。


「そういやお嬢、なんか手伝えみたいなこと言ってたね」


「……うわさをすれば、ヒナノンから電話だよ。この早朝コール、前回のお返しかな!」


 サアヤは言いながら、ヒナノからのコールを取った。

 タイムテーブルは混んでいる。

 突き進まなければならない。



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