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83 : Day -28 : Ueno 「勤労に感謝する日」


「ご両親に怒られる気しかしないよー」


 ごしごしと目をこするサアヤを連れて、チューヤたちが日比谷線A線(中目黒行)の終電に飛び乗ったのが、数分まえ。

 鉄道ではよく「上り」「下り」が使われるが、都心を走る東京メトロにおいては、起点と終点を基準に向かう方向によって区別する。

 地方の駅においては東京に向かう路線が上りだが、その東京で東奔西走するさきが上りなのか下りなのかを判断するのはむずかしい。

 というわけで、顧客に対しては「渋谷方面」など行先名で案内されるが、乗務員や鉄ヲタなどは、終点に向かうのがA線、反対がB線であると把握している。


「さっきまで寝てたろ、5時間も」


 現在、電車は上野駅。

 時刻は、午前0時。

 彼らの新しい一週間が、はじまった。


「5時間て! あたしゃボナパルトか!」


 裏手を入れるサアヤに、


「ボナペティ?」


 ボケているつもりのチューヤ。


「ウィーウィーウィーウィー、ロッキュー!」


 元気にボケ倒すふたりの、よく意味のわからないやり取りを眺めながら、いつもの景色だな、とほほえましくため息を漏らすのは、ケート。


「しかし、このご時世に行き倒れている日本人を、首都・東京の路上で発見するとは思わなかったよ」


 ちょうど南千住を通りかかったケートが拾ってくれなければ、チューヤたちはそのままお亡くなりになっていたかもしれない。


「お亡くなりに……ならねーよ! いや助かったけどさ、近くのホテルで休ませてくれたのも含めて」


 一応、謝意を表するチューヤ。

 スターリゾートというお金持ち御用達のホテルグループが、たまたま都電荒川線とコラボして「都電ルーム三ノ輪」というイベントを開催していた。

 いつも忙しいケートが、近所でのイベントを片づけて帰るのが面倒だったので、そのまま近くのホテルに泊まろうとしたところ、合流させてもらったことは幸運だったといえる。


 そのときチューヤは、一種の「修復力」のようなものを感じた。

 時間旅行系のSFなどを見ていると、歴史を改変してしまった登場人物が、異なる未来にならないよう修復するためにてんやわんや、といった設定をよく見かける。

 タイムパトロールは言う。

 時空には修復力があって、たとえ過程を多少いじったところで、結局は決まった未来に向けて収斂していくものなのだ、と。


 「はじめてのおつかい」にケートを連れて行くことはできなかったが、その直後に合流できたということは、時空は必死にチューヤのミスを修復している可能性もある。

 おそらくケートを連れていけば、もっと難易度の低いイベントになったにちがいない。

 オモイカネの「計算」を上まわる可能性があるとすれば、仲間うちではケート以外に考えられないからだ。


 今回はたまたまうまくいったが、どう考えても薄氷を踏むクリアだった。

 もちろん、あらゆる選択は、行為が確定した時点で、もう取り返しはつかない。

 室井ではないが、組み替えられたタイムテーブルをもとにもどすことはできないのだ。


「どうせなら朝まで寝かせてくれればいいのにー」


「そうしてやりたいのはやまやまだがな、深夜という時間帯こそ敵さんの好んで動きまわるタイミングだろ」


 ケートのイニシアティブで、彼らはすでにつぎのミッションへ向けて動きはじめている。

 タイムテーブルは非常にタイトだ。

 なにしろ、世界が終わる(?)まで、残り28日しかないのだから。


「そんなタイミングに、好んで敵さんのいるところ行きたがらなければいいのにー」


「まあまあ、サアヤさん。……で、ケートは、なんで三ノ輪なんかにいたの?」


「北千住の」


 ゼウスのところに用があった、という「言い訳」が通用するのは、事情を知らない相手だけだ。

 チューヤはもちろん、北千住との決定的なちがいを知っている。


「南千住だよね」


「……ああ、そうだよ。大門の見返り柳、だ」


 南千住は台東区と接し、根岸、千束、日本堤といった()()()()エリアに近い。

 どんな歴史か。

 吉原だ。


 もともと南千住は小塚原刑場と呼ばれる「仕置き場」であって、多くの罪人が処刑されるうえ、近くにある吉原からも遊女として売られてきた哀れな女たちの骸が、近所の寺にしばしば「投げ込まれ」たという。

 古地図を見るとよくわかるが、音無川をはさんで、刑場と吉原は1キロと離れていない。現在、史跡である小塚原刑場跡と新吉原総霊塔との距離は、500メートル足らずだ。

 加害者も被害者も、等しくこの地で命を終え、申し訳ていどに葬られた。

 だからこそ、積み重なった死体のかぐわしい香気にいざなわれ、大魔王などが参集するしだいとなっている。


「吉原か。なんか、すごそうだな。どんなイベントをこなしていたの?」


「悠長に報告している暇はないよ、大工のチュー五郎さん」


 ぎくり、とチューヤの肩が揺れる。

 これは下天の夢、ケートが見た大江戸八百八町、幻のごとき時代小説の巷。

 酔夢譚にいざなわれて泥酔したさきに共有した、江戸捕物帳の伏線はいかにして回収されたのか?


「厄介なしがらみしか感じないのは、気のせいかな?」


 そのチューヤの小市民っぷりに、ケートは軽く肩をすくめ、


「安心しろ、ボクのほうで処理した。ともかく、つぎに行くべき場所を見定める役には立ったよ。重要なのは、その結論のさきだ」


 ケートが説明したがらないくらいだから、そうとうドロドロした18禁の展開だった可能性がある。

 なにしろ、吉原だ。

 彼はもともと愛される体質なので、その手の修羅場エピソードにも事欠かない。


「男子ってそういうところあるよね。成果主義とか。殺伐しすぎ。もっとおおらかな気持ちで、結果より過程を大事にしなきゃ」


 よく聞く論法を弄するサアヤに、チューヤはやれやれと首を振った。

 その意味では、チューヤはケートの側だ。


「バカなのかな、女子は。過程が大事でないとは言わんが、結果とは比べ物にならないでしょーよ?」


「まったくだ。男子たるもの、そんな寝言は口が裂けても言えないよな」


 この殺伐系、男子2名に対し、ほんわか女子1名は奮起する。


「そうやってすぐ言葉尻に絡む! 男子め!」


「女子が適当なことほざくからでしょ!」


「女子はほざくのが仕事なんだよ!」


 ひとしきり、ぽかぽかと痛くない拳で殴り合ってから、チューヤはふりかえって、


「で、過去はいいとしよう。これからどこ行くつもりなのよ、お忙しいケートさんは」


「宝町だ。……そろそろキミたちに、現実というものを知っておいてもらわなければならないと思ってな」


 ふざけている場合ではない、とモードが切り替わった。

 早くもチューヤの背筋には、冷たい刃が圧しつけられている。

 サアヤは眉根を寄せ、いよいよ来るべきときがきたか、という表情。

 ケートとサアヤが、たまにふたりで行動して別シナリオを進めている、ということをチューヤもなんとなく察してはいる。

 そろそろ合流するタイミングらしい。


「伏線ばらまきすぎて、もうわけわかんなくなっちゃってるとかない?」


「最近、けっこう回収してるけどねー」


「まだまだ序の口だぞ」


 何年もかかって組み立てられた世界のパズルは、そう簡単に解きほぐされない。




 八丁堀駅に着いたのは0時11分。

 1分後、最後の乗客を乗せて終電が去っていく。

 ご利用を感謝する一日の終わりの定型句と、京葉線への乗り換えを案内するアナウンスを背に受け、地上に出る3人。


「八丁堀? ボクは宝町と言ったはずだぞ。乗り換えなんてめんどくさい。もうタクシー乗ろうぜ」


 ケートの予定では、最初から直接タクシーのつもりだったらしい。

 もちろんチューヤが、そんな無礼な真似……いや、無駄遣いを許すはずがない。


「あんたね、あのタイミングで三ノ輪にいたら、サルでも日比谷線でしょ」


「えらそうに言うな、チューヤのくせに」


「八丁堀は……」


「いや、いい。もうわかった」


 地上に出た瞬間、ケートは理解した。

 いま乗ってきたメトロが直下を走る新大橋通りと、京葉線が直下を走る中央区鍛冶橋通りの交差点。

 東京駅の方向をじっと見つめ、まっすぐに歩き出した。


「どうやら地理勘、とりもどしたらしいね」


 あとについて歩き出すサアヤ。


「宝町駅まで500メートルもないからな」


 うなずくチューヤ。


「忘れてたよ、キミはどんな地下にいても、鉄道の音を聞いただけで現在地がわかる人間GPSだったな」


 ケートの口調は冷たい。


「いやー、それほどでも……」


 バカなチューヤは照れるが、


「たぶん、あんまり褒めてないと思うよ」


 サアヤにはお見通しだ。

 しばらく大通りを進んでから、ケートは横道にはいった。

 黙ってついて行くチューヤたち。


 ──そこは、鍜治橋通りからはいりこんださきにある、雑居ビル。

 高層ビルに囲まれた空間に、ぽつねんと4階建ての「アムステルダム」。


「ここ、東京だよね?」


 ビルの碑銘を眺めながら、アホの子のようにつぶやくサアヤ。


「オランダ系の民間財団が管理する記念館──ハウス264、アンネイアだよ」


 ケートの言葉に、チューヤは動きを止めた。

 魔人アンネイア。支配駅、宝町。


「オランダ人がいるビルだからアムステルダム? なんのひねりもないね!」


 場違いに明るいサアヤの声が、沈みかける男たちの精神を引き立てる。

 せめてリトル・トーキョーくらいひねってほしいよな、と軽口をたたく。


「まあ東京駅の東側は、オランダに縁が深いのは事実だな。ヤン・ヨーステンの記念像とかあるし」


 八重洲口にその名を遺す、350年前のオランダ人ヤン・ヨーステンが、かつてこの近所に住んでいたらしい。


「言われてみれば、ヨーロッパっぽいといえないこともないね」


 オランダも東京も近代的なビルに埋め尽くされている点は変わらないが、ただの雑居ビルとはいえ、オランダっぽい意匠は随所に見られた。

 ケートは侮蔑的に笑って、


「安直だな。アムステルダムの語源を知っているか? アムステル川の下流に造られたダムってことだ」


 アムステル川の水をせき止めるダムがあったので、アムステルダムと名づけられた。

 非常にわかりやすい。


「そうなんだ。じゃここは海外との()()で……」


「いいや、女衒の()()だよ。(アマ)を捨てて抱ける場所をつくろうじゃないか、ってな」


 アマ・ステル・ダクをモットーに、現代の吉原を復活させようとした。

 それがこの場所である、とケートは言った。

 彼みずから、当の吉原で収集した情報だから、まちがいはない、という。


 娼館の経営者たちの悪だくみ。

 女子特有の勤労に感謝せざるを得ない日々。

 そもそも女衒なるものは人間のクズなので、まともな人間的感情は持ち合わせていないと考えるべきだ。

 ケートの表情は、断固として彼ら「女の血を吸う鬼」を滅殺する覚悟を示した。


 数十階のビル群が並ぶなかで、さほど高くないアムステルダムの4階を見上げる視線が凍りつく。

 見上げるだけで、とても悲しい気持ちがこみあげてくる。

 少女のシルエットがよぎったのは、しかし一瞬だった。

 残念な男たちの欲望が、少女たちを切り刻んでいるイメージが上書きされ、飽和して霧散していく。


「政官財に関係してる。大使館関係者もいれば、記念財団や、オランダの商社もはいってる。残念ながらな」


 ケートたちは反対側の茅場町方面からきたが、多くのひとは東京駅の側からくるだろう。

 八重洲口からすこし進み、ヤン・ヨーステン記念碑から宝町駅に向けてはいった裏通り。

 この問題における最大の核心は、都心で働くスーツ姿の高級な人間たちが、好んで顧客となっている点だろう。


「幽霊ビル? 事故物件?」


 東京のどまんなかに、それほど危険ビルがあるとは、あまり信じたくない。


「俗悪な言い方をすれば、まあ、そういうことになるんだろうな」


 碁盤の目状に区切られた都心の路地を、ぐるりとまわりこむ。

 裏にも別のビルが建っていたが、横に細い路地が穿たれていることに気づけば、アムステルダムとの関係は見えてくる。

 この一角に「飾り窓」はあった──。



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