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ネットワークの仮想化は、着実に進められている。
とはいえ、巨大なサーバシステムを維持運用しなくていい、という話にはならない。
地獄の四騎士GAMAを含め、一定規模以上の情報を取り扱う組織は、分散型ではなく、集中型のネットワークに依存せざるを得ない。
当然にそれなりのバックアップ設備は準備するものの、それにもコストがかかる。そもそも決定的に重要なシステムの核心は、セキュリティ上も分散は望ましくない。
だから、集めた。
オモイカネは、この場所に、脳を。
名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅
オモイカネ/天つ神/48/8世紀/日本/記紀/三ノ輪
「ここは、とても貴重な場所なのだ。おまえたちには想像もできないような、想像を絶するほどの、未来を築く場所なのだ」
またしてもケートの姿が重なる。
ここに彼を連れてこなかったのは、はたして正しかったのか?
ケートを連れてきていれば、まったく別の展開になった気がするが、いまさら考えてもしかたない。
「それを望むひとだけでやればいい。無理やり引き込んだら、もうアウトだ」
「そうと、だれが判断するのだ? みずから望んで、ここに思考の快楽を求めてやってきた者が、どれほど少ないか、あるいは多いか、おまえにはわかるというのか?」
唇を噛むチューヤ。
わからない。正直、これが正解とは言わないまでも、不正解ではない可能性はある。
正しいと信じて、みずから身を投じたひともいるはずだ。それも飛び抜けた天才が。
人類は思考することで、人類であることを不断に証明しつづけなければならない。
その最先端の方法論が、これだとすれば?
「わからんけど、でも、苦しんでるひともいるんだ」
「考慮しよう。だが、この部屋からは出ろ。これ以上、犠牲者を増やすのは正しくない。おまえも理解しているはずだ」
チューヤの悪魔使いとしての交渉テーブルが、取引の進行を示すように明滅している。
悪魔との契約は、慎重に進めなければならない。だが、正しく交渉すれば、最適解が得られる場合が多い。
敵だから、悪だから、腹が立つからと殺してしまうのが、わかりやすくスカッとするシナリオかもしれない。
しかし悪魔使いは、そのようなルーティンを避ける傾向が強い。
「俺も彼らを巻き添えにはしたくない。だが、ここから出たらあんたの罠にはまる。そんなことがわからないと思うのか?」
「そうか。では正々堂々と勝負する、という契約ではどうだ? このまま前室にもどり、互いに自分の力を尽くして戦おうではないか。小細工はなしだ。こちら側では、強いものが正義であるという原則が、非常に強い。勝った者が、己が意見を通す。そういう契約で、場所を移そうではないか」
チューヤはいぶかしげにオモイカネを注視する。
空中には慣れた手順で、契約の魔術回路が展開する。
悪魔使いにとって、悪魔との交渉事は日常茶飯事である。ここでイモを引くようでは、悪魔使いとしての明日が不安だ。
慎重に考え、契約のインクを選ぶ。
穴、読み抜けに注意して、戦いの契約にサインする。
瞬間、正々堂々と戦う、という悪魔らしくない戦いの舞台が整った。
前室へもどる両者。
それ自体が罠である可能性はない。
あくまでも、ここで、卑劣な手段を用いず、堂々と戦う。
「では、互いに全力で……戦おう!」
床が溶けていく。
いや、冷凍庫として機能していた床から、解凍を終えた戦士たちが出現した。
早速、ありえない展開に苦言を呈するチューヤ。
「待て待て待て、おい、これのどこが正々堂々だよ? これじゃ袋叩きじゃないか」
契約違反を主張するが、だいたいこの手の交渉は頭のいいほうが勝つと相場が決まっている。
チューヤは悪魔使いとして高い交渉能力をもつが、高い「知恵」を誇る上位悪魔に対しては、十全に機能しうるとは言い難い。
むしろ交渉力への自信を逆用され、裏をかかれた。
条件交渉における細部の詰めが甘いと、こうなる。
「互いの能力のかぎりを尽くす、という契約だったはずだ。おまえは悪魔使いとしての全力を尽くすのだろう? すばらしい。4体同時召喚の死力を尽くしてくれ。私も死力を尽くして、この分身たちを操ろうではないか」
青の契約を再点検するチューヤ。
明確に互いを縛る最強の契約だが、たしかに違反していないからこそ、オモイカネはこの戦いを問題なく進められる。
床から解凍してきた亜人たちは、いわばオモイカネの血を分けた分身だ。
それ自体、倒せばオモイカネのダメージになる。が、その倒すべき敵が88体ほどいるだけのこと、なのだ。
「ふざけんなよ、くっそ、ずるいぞォオ!」
手近の敵を、渾身の力をこめて倒す。
かなり手ごわいが、倒せない敵ではない。
ざっくりと計算してみたところ、20時間ほど戦いつづければ、勝てるかもしれない。
──要するに、状況はかなりわるい。
相手1体の強さは、おそらくチューヤと同レベルだ。
一方、チューヤは悪魔使いなので、同じ強さのナカマを4体、同時に召喚して戦うことができる。
都合5体での戦闘が可能なわけだが、88対5というわかりやすい算数に頼るまでもない。
これは……負ける!?
「どうすんの、チューヤーっ!」
悲鳴をあげるサアヤ。
ケルベロスの加護でなんとか自分の身くらいは守れているものの、そう長くはもつまい。
壁を背に、防御陣形でなんとか対応するが、サアヤが無尽蔵に回復してくれるならともかく、限度がある。
状況は、ほぼ確定した。
このままでは、じり貧だ。
「敵の本体を見極めれば」
唯一の解法にすがりつく。
当然、手足が何十本もあって、末端組織にダメージを与えても致命傷にはならないケースにおいて、陳腐なシナリオライターでもまっさきに思いつく方法が、脳を破壊する、だ。
最重要な部位は、必ずあるはずだ。
それを見極めればいい。見極めれば……。
チューヤは与えられたスペックの演算処理において最速で考える……までもなく、すぐに気づいた。
できれば気づきたくなかったが、認めざるをえない。
すべて見透かされている。
戦闘力のゲームで不利なので、思考力のゲームに活路を見出そうとするのは、あまりにも想定の範囲内。
ここには、そもそもの問題点がある。
「知恵」では完全に、相手が上手だ。
すべての逃げ道をふさがれた。
勝利の方程式は「解なし」となった。
だからこそ、オモイカネはこの契約を交わした。
最初から見透かしていたのだ、こうなることを。
負けて死ぬ。
覚悟を決めた、そのとき。
「パーン!」
突然、空中に出現した「黒い取っ手の受話器」が、オモイカネの横っ面をひっぱたいた。
この一瞬のスキは、チューヤにとって黄金にも代えがたいチャンスとなった。
唖然として、突然出現した「黒電話」を凝視するオモイカネ本体。
ありえるのか、こんなことが?
その原因を考えはじめなければ、あるいはまだオモイカネに勝機はあったかもしれない。
だが、想定外の事態に出会ったとき、その原因を突き詰めて考えることは、このような高等思考生物にとってはむしろ楽しく、それに耽溺することは不可避的な業だった。
ここにいたる前段で、あらゆる周辺状況から、彼を援護にやってくる可能性をひとつひとつ潰した。
こちら側でチューヤの知り合った全員の経歴、動機、動線、実力などすべては計算済みだ。
主人公が困ったとき、さっそうと助けにやってくる「味方」についての「伏線」は、ことごとくつぶしておいた。
だれも助けには来られない、はずだった。
しかし、ありえない不測の事態が起こった。
なぜだ、なぜだ、なぜだ……。
「考え込んでる場合か、頭でっかちさんよォ!」
飛行系悪魔の援護を受けて、チューヤの身体が中空に舞った。
背後の悪魔をもどし、前方に召喚しなおす。
機動的悪魔召喚。
戦場を支配するとは、こういうことだ。
「しま……っ!」
あわてて防御陣形を指示するが、遅い。
炎の剣が一閃、オモイカネの身体は袈裟懸けに切り裂かれた。
──たしかに、オモイカネは「こちら側」の事情を、すべて計算式に代入していた。こちら側の要素だけでオモイカネを凌駕するのは、不可能に近かったろう。
だが、チューヤには「あちら側」の要素があった。
数時間まえにお金をドブに捨てた通話は、じつは無駄ではなかった。
室井は、チューヤの状況を認識すると、ただちにメモリー上にロードされた通話の逆アセンブルを開始した。
そうしてついに、仮想ネットワーク上に自閉空間へのコンタクトを確立したのだ。
動的なつなぎ変えが頻繁に行なわれているため、継続的に接続を確立するのはむずかしかったが、最低限の動作解析はできた。
スタックのレジスタ値、置き換えデータの16進化、逆アセンブル進行など、貴重な処理内容をモニターできた。
これを解析すれば、1度や2度の反撃なら可能となる。
天才が数時間かける作業は、凡人の数年分を凌駕する。
実行を追いながらネットワークの機能や動きを解析するには、接続するCPUの基本構造から回線末端に至るまでの各ルートに適用される、煩雑で多様なプロトコルを理解している必要がある。
並の人間にはできないが、室井なら可能だ。
「おのれ、ムロイ、裏切ったな!」
ムロイならば、裏切ってもできることは高が知れている、という計算だったが。
「俺はムロイじゃねえ、室井だ」
黒電話を模したウイルスを投入してきた、室井。
こちら側のネットワークとはまったく別のプロトコルで動いている、あちら側の言語で書かれたウイルスに、既存のファイアウォールは対応できない。
もちろん、そんなものがつぎつぎとばらまかれたら混沌だ。
にもかかわらず安定している、なぜか、接続自体が容易ではないからだ。
ゆえに油断した。
このルートから攻められるわけはない、と高をくくって鵯越で敗北した軍勢があったが、とてもよく似ている。
オモイカネにすら「読み抜け」を生じさせた、これは奇跡的な逆転劇といってよい。
「これは俺の分、ついでに、室井さんの分!」
つぎつぎと攻撃を繰り出し、オモイカネに反撃の余地を与えない。
倒せるときに倒さなければ、この手の敵は厄介なのだ。
絶叫し、破滅する肉体から引きはがされる天つ神。
神の概念自体は、もちろん死なない。
だが、この世界線に、分身として利用できる媒体を、しばらく失った。
これはオモイカネという神にとって、激痛だ。
そのくらいの痛みを受けるべき罪を、おまえは犯した。
天才たちの視線を受けて、チューヤは自分の正義を確信する。
いまは、これが正義だと信じたい──。
「帰るぞ、サアヤ」
チューヤは引き返し、壁にもたれて半睡状態のサアヤに呼びかける。
「ふわー、やっと終わったのー」
ぐったりと肩にもたれるサアヤは、すでに半分「すぴー」と寝こけていた。
チューヤは笑いながら、
「よくがんばったよ。帰ったら寝ていいぞ」
「いま寝るよー」
ぐったりするサアヤをおぶって、立ち上がる。
背後をふりかえると、ざわめく天才たちのサーバルームの扉が、静かに閉じていく。
小さな人形が、チューヤの足元まで歩いてきて、言った。
「呪いが解かれたわけではない。これから、お互いにどうすべきか考え、結論を出すことにした。望んで呪いに身を投じた者もいるが、大半はそうではない。きみたちの援助に感謝する」
マリオネットは丁寧に辞儀をする。
腰から上体をまえに折り、下がりすぎた頭を釣り上げるようにしてもどす。
チューヤは軽く手を振って、
「もののついでだ、いいよ、がんばってな。──さあ、帰ろう」
ふりかえった空間に浮かぶ黒電話。
手にすると、室井の声。
「さっさとそこから出な。その場からはもどせねえぞ。思い出せ、そこが隅田川の下だってことをな」
「でしたね。せめて千住大橋の下に出るまで待ってください」
ダッシュで帰路につく。
室井が開いてくれた根っとワークの穴へ、ぎりぎのタイミングで身をさらす。
物量の少ないほうから多いほうへ向かうのは、どうやら簡単らしい。
だからこそ、低レベルの悪魔やゾンビなども、容易に現世側を侵食できるのだ。
長い一日が、終わった──。




