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「そ、それで、そのひとは?」


 古生物とムロイ人形を交互に見比べながら、チューヤは問うた。


「……電子には、古典的大きさはあるが、大きさはないってよ」


 冥王代の情報を得るのは、非常に困難だ。

 化石どころか岩石自体を発見するのがむずかしいため、地質学的証拠がほとんどない。

 しかし、現在ある物質は10億年まえにも存在したし、100億年まえにも存在したかもしれない。元素レベルで生まれ変わった歴史、そのものを元素から取り出せる技術を発見できたとしたら。


「なんか、すごそうな研究をしていたんだな、っていうのはわかるよ」


 さして興味もなげに、サアヤが相槌を打った。

 天才の思考についての話は、ケートで辟易している。

 水槽のなかで、いまも蠢くウィワクシアの残影は、かつてどんな天才の頭のうえで、ともに考え、悩んだのであろうか。


「クオークダイブ、って方法を発見したらしい。原子の構成要素に介入して、その記憶を吸い出すんだ。これは、きわめて量子力学的なプロセスで、〝電子〟が重要な役割を果たす。電荷によってつくられる半径はあるが、その静電エネルギーが質量エネルギーよりも大きくなるあたりから、量子効果の世界になる──」


「まじでケートみたいになってきたな」


 うんざり顔を見合わせる、チューヤとサアヤ。

 この手の天才は、凡人に理解できるように話してやろう、という心配りにさほど重きを置かないので、非常に話しづらい。


「ある日こいつは、電子が点なんておかしいだろ、紐にしてくれ、って叫びながら大学のプロレス同好会のリングに上がって、ぼよーん、ぼよーん、と行ったり来たりをくりかえしていた。そこへ、関係者から連絡を受けて駆けつけたオモイカネに、連れ去られたらしい」


「奇矯な行動をすると危険なんだね……」


「サアヤさん気をつけて」


「なんで私!? チューヤでしょ!」


 奇矯な行動という点だけみれば、どちらにも多少の資格はあるだろう。

 もちろん天才の発想に起因するかどうかという、決定的な差異はある。


「いや、おもしろいやつではあったよ。興味深い話も聞いた。聞いたというか、二次的ニューロン経由で伝えられたんだが。つまり電子半径が、古典電磁気学と矛盾するあたりから効いてくる量子効果に対してだな……」


「一応、供養だと思って聞きますけども、俺らの脳には染み込んでません」


 ムロイは、おそらく鼻白んだようにチューヤたちを眺めてから、かなりの距離をすっ飛ばして結論を噛み砕いた。


「電子さん電子さん、あんたのくっついてる親玉さんが、昔どんなワルだったか教えてくんねえかな? ──こいつは昔アルミ野郎で、58億4800万年まえに起こった、超新星爆発のとき、隣にいたシリコン女と手を取り合って蓄電したり、立派な鉄になって逐電したりしたんだよ。そのまえは3300万年ほど星のなかで……」


 挙手して割り込むチューヤ。

 彼にしては最大限の発想と忖度の精神をもって、どうやらムロイが言いたいことに察しをつけた。


「つ、つまり、その()()()()()()()()()()()()()()()()()わけですか」


「マテリアル・ブロックチェーンとか呼んでたな。で、調子に乗って元素記憶とやらをどんどん遡っていったらしいんだが、そいつの脳みそはある時点で、パーン!」


 突然、目のまえで、両手を打ち合わせる人形。

 びくん、とするチューヤの指呼の先、ムロイは両手をひらひらさせながら下ろしていく。


「謎の内圧を受け、弾けて散らばり、沈んで、永久に沈黙した」


「……はあ? ちょっと、それ、どういうことっすか」


「知らんよ。この世には、手を出していい知識と、ダメな知識があるって話だろ」


 禁断の領域。

 おそらく人間に対して神的なものが定めた禁則事項の域を、ついに踏み越えてしまった天才についての話のようだ。

 だがそもそも、それができるという時点で、人間はそれをやるようにできている。


 チューヤ自身、最初からアンタッチャブルな世界に足を踏み入れている。

 悪魔相関プログラムとは、その手のツールなのだ。

 いまさら自重して、なんになろう?


「つまり、この古代生物は、そんな何億年の記憶を、ここに再現している存在であると」


「それほどでもないだろ。これは単なる残存思念だ。時間が経てば、すぐに消える」


 天才の脳が破裂してからこっち、ウィワクシアの存在は徐々に薄れつつあり、そろそろ時空の狭間に飲み決まれて消えそうだ。

 ある程度薄らぐのを待って、溶液を入れ替え、新しい天才の脳に置き換える。

 それがこの「サーバルーム」のルールらしい。


「そもそも脳だけで、それは人間と言えるんですか」


「人間を超えたんだから、人間なんて呼ばれたら不本意なんだろ」


「だって、身体があってこそ、いろいろ理解できるんじゃないかな」


「フレーム問題ってやつだな」


 人工知能における有名な難問のひとつである、フレーム問題。

 有限の処理能力しかないロボットには、現実に起こりうる問題すべてに対応できない。

 関係のない問題をふるいにかけて、目的に関係する枠のなかだけで思考し、行動するという判断を、どうやって理解させるか。


 関係ある知識だけを取り出して使う、という効率。

 関係ある知識だけしか目にはいらない、という限界。


 肉体がない脳だけのひとがいたとして、そのひとが理解する世界はどうなるか?

 ()()()ことで、ひとは形容詞的、副詞的な概念を獲得するのではないか?

 自分の身体に対するイメージと、見ているものを対応させる訓練は、模倣学習や実演データの計算で足りるのか?

 すでに身体がある経験をもっているから、認識が意味をもつのではないか?

 セグメントごとに分割して蓄積した経験の最終目的地は、もはやヒトではないのではないか?


「その答えを出すのは、俺であり、おまえだよ。……さて、どうする?」


 人形が足を止め、ふりかえった。

 チューヤは静かに、目前の水槽を見つめた。

 見た目は他の亜人たちと変わらない。だが、特別な才能をもった──灰色の脳髄だ。


「あなたが、ムロイさんか……」


 しばらくそれを見つめ、やがて決意を固めた。

 脳の傍らでは、人形が動力を失ってぐったりしている。

 すべてチューヤの判断に任せている、ということだ。

 それがどういう意味か、彼には忖度できる。なぜかはわからないが、どうしても死にたいと願っているひとの気持ちが、わかるのだ。


 おそらくムロイは、死にたくても死ねない。

 否、死にたいと()()()()()()()()()()()()()

 そんな思考回路が横行したら、全体のシステムにとって危機だからだ。

 よって、先のような事故的な脳の破裂はともかく、みずから死へと向かおうとするモチベーションに対して、自然にストップをかける。


 だからムロイには、自分を()()()()()()にチューヤをここに導いた、という()()()()()はずだ。

 ただ自己紹介のために、あるいは異世界線との交流を目的として、一義的に合理化されている。

 その無意識にある底意を穿って動くのが、悪名高い「忖度」というやつだ。


 チューヤは懐から一本のメスを取り出した。

 マダムXのところから失敬してきた、切れ味については証明済みのメス。


 これで、この脳を単に破壊すればいいわけではない。

 そんなことで呪いが解けるなら、苦労はしない。

 そう、()()()()()なのだ。


 オモイカネによってかけられた、思考しつづける呪い。

 魂ごと解き放たれるには、脳髄の裏に貼りつけられた呪詛を引きはがす必要がある。

 チューヤの脳裏によぎる、マダムXの姿。

 彼女が教えてくれたすべてを想起して、脳の構造を解きほぐす。

 ムロイの呪いが宿る場所、その一点に向けて、ナイフを突き出した。


 くしゃっ。


 小さな音だった。

 小さな紙風船に針を刺し、すーっと空気が抜けていくかのような、ごく小さなリアクションにすぎない。

 小さな小さなきっかけが、大きな影響となって発現した。


 どうやら仲間のひとりが、呪いから解放されたようだ。

 なんということだ。

 これは現実か?

 さざなみのように広がっていく思考の濁流。

 耳をふさいでも流れ込んでくるくらい、それは大きな響きに育っていく。


 永遠に思考をつづけけなければならない、どれほど苦しくても考えることをやめてはならない、酒やドラッグで酩酊するような逃げ道さえも許されない、つねに脳髄の最先端を研ぎ澄まし、考えて考えて考えて、新たな次元のブレイクスルーを見出さなければならない。

 それ自体、楽しいことではある。

 だが、他者から強いられた瞬間、楽しさは吹き飛ぶ。すくなくとも半減する。場合によっては反発と嫌悪さえも催すような、この邪悪な思考実験室、まさに文字どおりの実験室から逃げ出す方法が、見つかった。

 助けてくれ、助けてくれ、助けてくれ。


 臨界点を超えた思考の濁流が、チューヤに襲いかかってきた。

 天才たちが助けを求めている。

 どうすればいいのか一瞬迷ったチューヤが動き出しかけた、そのとき。


 響きわたるボス戦BGM。

 やはり、避けては通れないようだ。

 緊急事態のアラートを受けて、ついにオモイカネご本人が降臨した──。




 チューヤの脳裏には、室井とのやり取りがよみがえっていた。


「で、なんなんですか、そのオモイカネって。神さまですよね?」


 悪魔全書によれば、日本神話における知恵を司る神であり、岩戸隠れのさい、天安河原あまのやすがわらに集まった八百万の神に、天照大神を岩戸の外に出すための知恵を授けたとされる。


「ああ、オモイカネは……一種のサーバだな。体育会系のハッカー集団みたいなもんだ。事実上、()()()()()()()()だよ。笑っちまうよな、スサノオは()()()()()()()()なんだぜ」


 室井など天才たちの脳を集めていることを考えれば、サーバという表現はかなり的確だ。

 それにしても室井の口からは、つぎつぎとハードな秘密のカケラがこぼれ落ちてくる。


「バロック……?」


「おまえの仲間の細長いねーちゃんいんだろ。あいつの背後にいるダークウェブの名が、バロックだ。ゆがんだ神樹って意味らしいぜ、ははは」


 チューヤには笑いどころがわからなかったが、じつはダジャレになっている。

 ともかく笑っているのだから彼は友好的な仲間である、と認識するのはチューヤらしい。笑顔の幽霊に対しては、つねに心を開いて向き合うのが礼儀というものだ。

 ちなみに「バロック」は芸術様式の名として知られ、その意味は「ゆがんだ(真珠)」である。


「北の神樹っていえば」


「そう、ユグドラシルだ。コアは分散してるが、そのひとつが……くそったれ、頭が割れそうだ、ちきしょう! そうだ、てめえは踊らされてんだよ、オモイカネ!」


 いろいろ知りすぎたことで苦悶する室井を眺めながら、チューヤは平和なおバカさんになりたい、と心から思った。

 あまり深いところにかかわりたくはない、という思いは終始もちつづけているが、そうも言っていられなくなっている。


 ──いま、どうにか彼の悩みの半分を片づけた。

 バロックの一部だったであろうヨルムンガンドを倒し、オモイカネの一部であるところのムロイの呪いを解いた。

 あとは本人が、どうしたいかだ。


「でかい水槽にさ、天才と呼ばれる連中の脳みそを、つぎつぎとぶちこんで混ぜ合わせる姿を想像してみなよ。粘液のなかで、ゆらゆらと大脳新皮質のコラムを解きほぐしながら、じっくりコトコト煮込む姿を。

 ブドウ糖たっぷりの髄液に揺さぶられ、本来は結ばれないはずの神経線維がつぎつぎとつながって、連続する発火(スパイク)の果てにつくりだされたのが、その悪魔相関プログラムだ。

 ジャミラコワイの旦那のほうが、正しいんだよ。そんなつくりかたを、しちゃならねえんだ。恐れ入谷のヒトコトヌシに、ひとこと謝っといてくれや。あんたのアシッド皮膚の責任は俺たちじゃねえけど、あんたはもっぱら正しかったってな。

 ……だからさ。始末をつけてくれねえか? あんな俺は、俺じゃねえ。いや、俺はもう死んだんだ。だからよ、その結果に現実を合わせてくれや」


「どうして、俺に」


「悪魔相関プログラムの恩恵を、一身に受けている立場だから、だろ?」


 ──チューヤはゆっくりと目を開く。

 最新の悪魔相関プログラムは、重要な部分をジャミラコワイなど外部の天才が書いてはいるものの、膨大なソースコードのほとんどは、この「サーバルーム」で仕上げられたのだという。

 だから、その恩恵を受けているチューヤは、書き手に対して恩返しをしなければならない。

 室井は自分を殺してくれと頼み、その原因をつくった神をも殺してくれと言った。

 そうして悲劇の再生産を止め、留飲を下げるために。


 神を殺せ、悪魔使い。



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