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78 : Day -29 : Minami-Senju


 東京の一角らしく、高層建築がひしめきあっていた国道4号沿線。

 現在は崩壊したビルの列にはさまれ、穴だらけのアスファルトにスクラップの山、ときおり獲物を奪い合う悪魔たちの影がある。


 敵との遭遇率はそれなりに高く、それなりに手ごわいが、周囲がスサノオやベルゼブブという最終盤クラスの拠点であることを思えば、特筆すべき強さというわけでもない。

 おそらく「ダンジョンにはいってからが勝負」という舞台装置になっているのだろう。

 あるいは主力の悪魔たちは、現世側への侵攻に備えて地上で遊んでいる暇などない、ということなのかもしれないが。


「み、水……っ」


 喉を押さえ、ふるえる手を伸ばすサアヤに、背負い袋からペットボトルを差し出すチューヤ。

 アホほど高かったが、一応、さきほどの牛丼屋で仕入れておいた。

 こちら側では、水もタダではないのだ。


「芝居じみた態度はやめろ。どこの世紀末救世主だ」


「ごくごく、ぷはーっ。いいじゃん、せっかく雰囲気つくってんだから」


 東京を含め、日本は水が豊かな国とされている。

 安全と水はタダ、という伝説は世界にも知られていたが、現在は都市伝説になってしまった。

 この異世界線における気候区分は不明だが、おそらく現世側と大きなちがいはないだろう。

 それでも東京に水が不足しているということは、世界のどこかで洪水が起こっているということになる。

 それが「気象」というものだからだ。


「単純に砂漠のほうが、荒廃した雰囲気が出るからじゃね?」


 チューヤのぼやくような突っ込みは、何事もなかったように砂漠のつむじ風に消えた。

 作劇場の都合で設定される舞台、などというものはフィクションだ。


 地球上の水は、ここになければどこかにある。

 どれだけ砂漠化しても、豪雨のときはあらゆる川が氾濫する。

 そういう「世の理」までが、曲げられたわけではない。

 崩壊した風景には、そうさせた原因がある。

 現状、砂漠化した地表に生命の息吹もないのは、魔力を帯びた死の灰のせいだ──。


 とくに世紀末の前後からマヤの終末予言あたりにかけて、こちら側の地球は何度も戦争や大災害に見舞われた──と、丹下が言っていた。

 核戦争や隕石や伝染病や大魔王が、東京を含めた地球をこの始末にしたのだという。

 そんな破滅のありさまを、あちら側の豊かな連中が「娯楽として」眺めていた。スクリーン越しに、別の世界線で起こる悲劇を楽しんでいた。

 他人の不幸を喜ぶ、邪悪な異世界線に、いまこそ復讐だ!

 という強烈な動機をもって、今回の「侵食」は決行されている。


 誤解だよ、と訴えたい心持で、チューヤは道のさきを眺める。

 枯れた隅田川に架かる千住大橋には、縹渺たる哀愁が漂っていた。


「あれかなあ?」


 瓦礫越しに指さすサアヤ。やや高さのある建造物が見える。

 足元の割れた看板らしきものには、件の店名が刻まれていた。


「……自閉空間、根っと国。たぶんそうだろうな」


 かつての東京では、その程度の高さではよほど近づくまでわからなかっただろうが、高層建築が軒並み崩れ去ってしまった東京においては、数百メートル先のそれなりに高い建築物は、すぐに確認できた。

 近づくほどに賑やかかと思えば、そんなこともない。

 人通りはほとんどなく、まさに閑散とした大通りだ。


 日曜の昼間という時候が影響しているかもしれない。

 曜日感覚はともかく、昼間という時間帯は、悪魔にとってあまり積極的な活動時間にあたらない、というのはいずれの世界でも共通項のようだ。

 夜ともなれば、けばけばしいネオンサインや、雑多な騒音、悪臭の巷であると思われたが、そういう意味では閑散期である昼間にファーストコンタクトの舞台を設定してもらえたことは、幸いだったのかもしれない。


 かなり遠方から飛行系悪魔を召喚して、空中から偵察させた。

 その時点で、彼には「自閉空間」の意味がなんとなく察せられていた。


 中心にあるのは、おそらく神社だ。

 あくまで想像だが、崩壊した世界で生き残った人々は、もともとあった社殿を取り巻くように、いくつかの建物を連結して「住」んでいた。

 それは「神社」という本来の目的とはかけ離れた、一種のスラム的発想に基づいていたにちがいない。

 そうして一定数が集合するコミュニティの基盤ができあがると、増えてきた人々に対応して、施設は横に広がり、上に伸びていった。

 そこでは「衣」や「食」の売買が行なわれていく。


「へー。なんか、雰囲気のある建物だねえ」


 はじめて感嘆らしき声を漏らすサアヤ。

 彼女の琴線にも触れるほど、その建物は個性を演出していた。

 チューヤは一瞬、自律的に「動く城」を想像したが、考えすぎだろうと首を振った。


 現世でも、都庁が巨大ロボットになって動くという都市伝説があるくらいだから、数階建て程度の建物が動き出しても、この異世界線の空気を壊すということはないだろう。

 しかし、動くという発想の原点は、もっと視覚的だ。


 ──それは、横たわるひと。

 高空からの印象と、地上からの印象が、微妙に噛み合う。

 すこしまえまでは、あぐらをかいてゲームに興じているひとだった。

 それが、増築された建物によって、肘をつき、足を投げ出したひとの形になった。

 無作法に身体をゆがめ、それでもゲーム画面に集中する天守閣だけは、まっすぐに東京の中心を凝視している。

 そんな気配を感じて、チューヤは少しくぞっとした。


「衣食住よりネット環境を重視する人々が集まる場所、って感じかな」


 言いえて妙。

 それなりの数が住んでいる集合住宅の要素は、ほとんど地下に埋没している。

 地上部分の設備として見えるのは、発電と通信の配線、それからアンテナが多い。

 水や燃料よりも、まずは通信と電力。


 ──自閉空間。

 この建物にこもった男たち(少数派だが女も)は、どんな姿勢、どんな気持ちで、画面を見つめているのだろう。

 ライフラインと呼ばれる基本的な生存のためのインフラすら事欠くこの世界で、ネットワークという情報の迷宮に接続し、人々は「いま」を生きるために必要な脳内麻薬の供給を受けている。

 ある種、サイバーパンクな、しかし基本的に「末世」である世界線で、生きることの意味を模索する人々だ。


「……はいろうか」


 どうやらゲームセンターらしい外観で、騒音もそれらしい。

 24時間、営業するための電力をどこから盗んでいるのかはわからない。

 こわごわと、なかを覗き込む。


「不良のたまり場だから、ゲーセンだけは行くなと、死んだおばあちゃんが」


「あんたの魔女みたいなおばあちゃん、クソ元気でしょ。あと100年は生きるよ」


 ゲーセンというだけで、食指を動かすのはやはり男子、チューヤだった。

 タバコとジャンクフードと吐瀉物のにおいが混ざった悪臭の漂うゲーセンでは、ひと昔まえの筐体が並び、数匹の亜人がそれに興じていた。

 片隅には飲食物を売る小さなテントのようなものが立ち並ぶ。

 食わないと死ぬのでそこで買い食い、また餓死する寸前までゲームをやる、という末期的な亜人たちのようだった。


 見まわすと、ただのゲーセンではないことがよくわかる。

 意外に、生活物資の店が多かった。

 さすがに着られなくなった衣服を取り換えたり、年に何度かは身体を拭きたい気分にもなるのだろう。

 しかし、当然のように最大の店舗数を誇るのは、電子部品だった。

 最初は生活空間を支える店舗ばかりだったのが、秋葉原から逃げてきた商人が、電子機器やスクラップの売買をはじめ、徐々に周囲を圧して南千住を第二の秋葉原に変えた。

 わずかに内製する人々もいたが、ほとんどのパーツは異世界線からぶんどってきたものらしい。


「こ、これは……っ」


 驚くサアヤのまえには、巨大な四角い箱。

 一応、配線もつながっていて、電気も通っている。


「電話ボックスは、まだけっこうあるだろ、東京にも」


 災害時には重要な役割を果たすということで、公衆電話自体は漸減中ではあるものの、絶滅には至っていない。

 かつては駅前にずらりと並んでいた電話ボックスの群れという風景は、さすがにもう見られなくなったが、サアヤが驚いているのはそんなことではなかった。


「ダイヤル式ピンク電話……! ギザ十に匹敵するお宝ですぜ、旦那!」


 プッシュ式の公衆電話さえ、あまり見られなくなった現在。

 すでにNTTが設置している公衆電話でダイヤル式のものは存在しないが、特殊簡易公衆電話として飲食店などが運営する公衆電話サービスにおいては、現役で稼働している。

 いわゆるピンク電話は、昭和末期から平成半ばにかけて製造していた。

 アナログ一般加入回線が存在するかぎり、使うことができる。


「なにこれ、どうやんの?」


 昭和の風情に浸るサアヤに電話ボックスに押し込まれ、チューヤは戸惑いつつも「ピンクの電話」に手を伸ばした。


「あんたはバカだね、電話の使い方も知らないのかい?」


 キンキン声を響かせるサアヤに、


「すんません、昭和の娘っ子さん、教えてつかァさい」


 硬貨を入れてもいないのに発信音が聞こえる。どうやら通話可能な状態のようだ。

 お店のサービスかもしれないと思って、甘えることにした。

 貼り紙には「異世界ダイヤルQ9をご利用のお客様へ。通話をご利用の際には、番号の頭に917をつけてください」とあり、それに従った。

 圏外のスマホから室井の電話番号を確認し、使い方をサアヤに教わりながら、じーこじーことまわす。


「917……喰いな……ブルッ」


 その意味を忖度することを放棄するチューヤの耳に、


「もしもし?」


 いぶかしげな室井の声。

 おお、ほんとにつながった、と感動しつつ手短に事情を伝えるチューヤ。


「というわけで、都電でこのまえ室井さんが話してた、山田ってひとに会いました」


「……へえ、首斬り浅右衛門に会ったのかい。それで生きてるとは、運がいいな。あいつは()()()()()()()張本人なんだぜ」


「は?」


 チューヤの脳裏に、室井に日本刀を突きつける山田の姿が想起された。

 しかし室井は、薄ら笑いで、さっさと斬れよ、という態度だった。

 かつては殺されることが恐怖だったが、いまは生かされることが恐怖になった、という。

 どうやら彼らのあいだにも、また深い因縁が底流しているらしい。


 それにしても、サアヤの霊界電話に頼ることなく、室井とコンタクトをとれるというのはアドバンテージだ。

 室井はしばらく、その「異世界ダイヤルQ9」というシステムに驚いていたようだったが、すぐに冷静な声音となって、


「自分の所持金、よく見てみな。この世にタダのものなんてないんだぜ。財布と相談して、受話器をどうするか判断するんだな」


「……は?」


 お金を投入せずに通話できることを、サービスだと早合点していた。

 しかし考えてみれば、なぜ無邪気にそんなことを信じていたのか、正気を疑う。

 都電と同様、所持しているカードから自動的に引き落とされているとしたら……。

 カードの残高をナノマシン経由で呼び出し、飛び上がった。

 秒で残高が減っている。


「ヒィイィイーッ!」


 受話器をたたきつけるチューヤ。

 ピタリ、と引き落としが止まる。

 呼吸を荒げるチューヤに、事情を察したサアヤはため息を漏らし、やれやれと首を振った。


「むかし、お父さんが、こんなことを言っていたよ。女の子がかけるときはフリーダイヤルだけど、男はいろいろお金がかかるんだってね」


「なんの話だよ!? くそ、まさに悪魔の罠というわけか!」


「勝手にハマったんじゃん……」


 チューヤの世知辛い冒険はつづく。



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