75 「はじめてのおつかい異世界編」
砂漠。そう表現する以外にない。
厳密な定義を俟てば、砂丘かもしれないし、礫砂漠かもしれないが、そんなことはどうでもいい。
さきほどまでの東京がジャングルであったとすれば、ここはまさに東京砂漠だ。
終末ものSFによくある荒廃した世界で、崩れたビル、折り重なる道路、燃え落ちた瓦礫と砂漠が、はてしなく広がっている。
が、ところどころに絵の具を垂らしたような生色があるのは、あちら側からぶんどってきた資源を基盤にしていると思われる。
彼らにとってのあちら側は、もちろんチューヤたちにとってのこちら側だ。
「ヒャッハー! 汚物は消毒ダァーッ!」
みずからが汚物感満載のモヒカン悪魔が、不意に横合いから突っ込んできた。
火炎を放射しながら、チューヤたちを「獲物」認定で「話にならない」。
先制攻撃をギリギリで回避する、サアヤ。彼女の「運」と地獄の番犬は、どこへ行こうと揺るがぬ高確率で彼女を守る。
ターンがまわった瞬間、チューヤは魂の時間にはいった。
ピタリ、と時が止まる。とりあえずいまは、冷静になる時間がほしい──。
「呼ばれて~飛び出て~ジャジャ~ジャキョ~!」
ほぼ停止した物理時間に上書きされる、姿と声。
悪魔使いの眼前に展開する、いつもとは著しく異なるパーソナリティを凝視する。
青い衣を着た、しもぶくれの日本美人をベースに、やや厚ぼったい唇と長いまつげ、中近東ふうのヴェールをひたいにかけた、ニヒルでアルカイックな美少女。
大魔王とも親しい邪教が、そこにいた……。
「って、なんなんだよ!? 俺まちがってないよね? 邪教の味方、起動したはずなんですけど!? テイネは!?」
首がもげるほど周囲を見まわし、たしかに自分が「魂の時間」に沈潜し、視界には悪魔使いとして恒例の「悪魔合体」レシピが展開している事実を、あらためて再認識する。
すると、本来テイネがいるべき場所に立つ少女は、軽く首をかしげつつぶざまに騒ぐ悪魔使いを瞥見し、
「ほーん? どうやら同志テイネの知り合いとみたお? ぼくの見解は、十中八九まちがってないはずだお!」
いや、いま俺言いましたけど、と突っ込んでいいのかどうか悩む。
青い衣を再確認するまでもなく、彼女が「邪教の味方」であることはたしからしい。
「同志テイネ……ってことは、あのこましゃくれたエセ花魁の仲間ってことかな」
「同志テイネは、境界からむこうを担当するサポーテッド・バイ・邪教だお。で、こっち側の担当がぼく、タルホさまと呼んでくれていいお!」
同志タルホ……そういえばはるかな昔、テイネがそんな伏線を張っていたようないないような……いや、遠い彼方の記憶を掘り返している暇は、いまはない。
「境界からむこう側ってことは、俺はいま、こっち側にいるってことだよな。ってことは境目を超えたってことで、ええとその……」
「どうやら脳みそが足りないタイプの悪魔使いらしいお。境界というからには、あちらとこちらがあってしかるべきもの。こちらがこちらといったら、あちらはあちらだお!」
「……めんどくせえ」
浸潤するデメトリクス・カプセルの効果は、すべからく冷静な状況把握に専心させた。
テイネやタルホの「キャラクター」は、このさいどうでもいい。
テイネが花魁だろうが、タルホがヌチャンネラーだろうが、やるべきことさえやってくれればいいのだ。
使いなれた悪魔相関プログラムに刻まれた合体レシピを意識だけでコントロール……できる。
オペレーターであるところの邪教タルホは、あくびをしてみせながらも、やるべきことはやってくれている。
「この合体でいいかお?」
「なるほど、ルールは変わらないらしいな。いや、わかったよ、ありがとう」
「冷やかしかお!」
合体レシピを閉じながら、質問を重ねるチューヤ。
「それより、ここが異世界線ってのは、まちがいないのか? いや、こっち側からみれば、俺らのいた側のほうが異世界線かもしれないけど」
タルホは鼻白んだように唇をへの字に曲げつつ、
「めんどくせえはこっちのセリフだお。どうやらタルホのまわりには、ろくな男がいないようです。ブーン」
かなりこじらせたネラーらしく、ヌチャンネル用語を駆使して語り、奇妙な動きもどうやらお約束らしい。ニューソクデヤルオ的スレッドチューンのスラングをまくしたてる、一線を越えたネラーの言動は一般にはまったく意味不明だ。
ちなみに元ネタである「やる夫」は、お調子者のダメ人間であり、AAの内藤ホライゾン派生キャラとしても知られている。
「花魁とかネラーとか、邪教にはろくなのいねえな……」
「刺身の上にタンポポのせる仕事の採用試験に合格したエリートをバカにするのはそこまでだお! 職業選択の自由~ア、ハァハァ」
「なんでハァハァしてんだよ……」
どうやらこれ以上、この魂の時間で収集できる情報はなさそうだった。
そもそも邪教の味方は悪魔合体をサポートしてくれる存在にすぎない。
とりあえず、いまは不要だ。
邪教を閉じ、魂の時間から抜ける。
肉体の動きがもどり、目のまえでアホ毛がぴょこんと跳ねる。
これは、現実だ。
目のまえに、略奪者の死体。
モヒカンは奪うつもりで襲いかかり、奪われて横たわる。
経験値とマッカインを回収するルールは、境界と同様らしい。
チューヤはあらためて、こちら側──いままで暮らしていた世界からみれば「あちら側」であるところの、略奪され尽くした貧しい世界線を見まわす。
──略奪者の世界。
奪われる側からは当然、異世界線の住人は全員が盗賊に見える。
それでも彼らは生きていて、生きるためにそれをして、なんなら自分たちは奪われたものを取り返しているだけだとさえ主張する。
彼らと共存を図るなど、人類に対する裏切りとも思えるが、それでも多くの政府がその道を選択しているのだという。
唯一、アメリカだけが戦っているらしいが、その相手は──。
考えを進めかけて、首を振る。
考えてもわからないこと、どうしようもないことを、達観して見下ろすのはもうすこしさきでいい。
ただなんとなく、作り物のような感覚を抱いたのは、デフォルメされた「箱庭」感のせいかもしれない。
必要以上に雑然としていた現世に比して、こちら側のモノの少なさは、むしろ気持ちがいいくらいだ。
いわゆる「心地よい破滅」。
第二次大戦後にイギリスで流行ったSFのジャンルとして、破滅後を描いたフィクションに多く見られる傾向である。
そうなった原因や問題に対して、まるで無関係のように冷静に論評を加えながら、自分たちだけが少数のコミュニティをつくって平和に、それなりの問題を解決しながら、なんとなく楽しくやっていくという作品類型。
いわゆる「破滅もの」によって、日々の糧を得ていた作家たちは数多い。
なぜなら、それを求める人々がいたからだ。
求められるままに供給されてきた作品群は、いうまでもなくフィクション。
そのフィクションのとおりの世界線が存在したとして、それは映画監督や小説家たちの責任ではない──はずだ。
「核戦争でもあったのかな」
「世紀末だね!」
破滅の理由は、いくらでもあった。
もちろん最強だったのは核兵器で、救世主伝説の舞台としてはたいへん重宝された。
それ以外にも、未知の病原体、隕石の衝突、気候変動、宇宙人の侵略まで、人類を滅ぼす要素には事欠かなかった。
そうして滅ぼされた世界に暮らす人々のなかで、生き残った一握りが、鬱屈と怨嗟を募らせ、そのはけ口を求めた。
自分たちは奪われたのだ、自分たちから奪うことで利益を得た連中がいるのだ、ならばどうする? 復讐だ。
そういう世界線が成立し、それと向き合うことを強いられているのが、いまのチューヤたちだった。
「見下げ果てた根性だよな!」
「見下げたもんだよ下水の鉢巻、たいしたもんだよカエルのしょんべん!」
サアヤとしては一応、乗り突っ込まない姿勢のつもりだ。
素養の少ないチューヤは、どこかで聞いたことがあるような気がしつつ、
「汚らしいこと言うんじゃありません、サアヤさん。だれのマネですか」
「フーテンのチューヤはおぼえておいたほうがいいよ。あんたみたいな兄がいるおかげで、私は結婚できなくなるんだから」
「……わかっちゃいるんだ妹よ~、ってやつね。さすがに知ってたわ」
もちろんチューヤが知っているのは、京成金町線・柴又駅の影響である。
東京には無数の観光名所がある。
それが、この異世界線では見る影もない。
……いや、見る影はあった。
地面(それはもはや「路面」ですらない)に、電車が走っていたのだ。
「まじか、こっち側にも路面電車が……っ」
と走り出しかけて、なにか固いものにぶつかった。
互いに転んだところをみると、相手は固くて動くものだ。
「ピッ、キヲツケロ、ピピッ」
悪態をつく、それは小さな鉄の塊。
R2D2のようなロボットは、謝りもせずに起き上がると、そのままチューヤたちの出てきたテントへとはいっていった。
そのとき、なにかを落としていったが、イラッとしたチューヤはあえて伝えなかった。
黙って拾う。
「人形使の差し油」を手に入れた!
「なんかセコいね、チューヤ」
「殺伐たる世界観だって、もう一瞬で理解できるでしょ! 郷に入ったら郷に従え、朱に交われば赤くならなきゃ!」
そのまま南へ向かう。
数百メートル先に見えていた動くものは、やはり路面電車だった!
「こ、これは……っ、ヨヘロ1形!」
めまいをおぼえつつ、歓喜の叫びを漏らすチューヤ。
サアヤは、あきれるのを通り越して、めまいをおぼえている。
ヨヘロ1形。
旧東京市電。明治30年代に製造され、大正期に改造を受けたタイプだ。
「ヨ」は四輪単車、「ヘ」は英語でデッキを意味するベスチビュール、「ロ」は1917年に改造されたことを意味する。
「尋ねるという字かな?」
「それヨエロで寸!」
「わかるおまいもおまいだな」
「伝説の車両だぞ、都電の100年が、いまここに!」
がたがたとふるえる鉄ヲタの暴走を、賢明な保護者のサアヤとしては、どうにか鎮静化しなければならない。
彼女は強めにチューヤの肩をつかみながら、
「おい目を覚ませチューキチ、ただの前時代の遺物じゃないか」
「さよう、前時代の遺産なのだ、1903年、馬車鉄道を電化! 東京初の路面電車が走り出す。おおお、懐かしい……」
「なんで懐かしいんだよ! 百年後生まれのくせに。思いを残した幽霊か」
幽霊のようにあり得ない仕様なれど、それはたしかに走っていた。
客が乗り降りして、西へ向けて走っていく都電。
チューヤはしばらく呆然とし、その行く末を見守った。
異世界線の深みは、まったく底が知れない──。




