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「……期間限定出張マダムXの館」


 看板には、おどろおどろしい文字で、そうあった。

 マダム・タッソーの館といえば、かつては東京タワーの名物であり、現在はお台場へと引っ越した、有名人のフィギュアで有名な「蝋人形館」である。

 それが、こんなところに出張してくるわけがなさそうにも思えるが、書いてあるのだからしかたない。


「恐怖の部屋だって! 怖いねー」


「小並感やめろ。──限定特別展示、だとさ。限定とか煽られるの、ほんと腹立つ」


「なんでよ! まあ、まえから遊園地なのにお化け屋敷がないとかどうなの、とは思ってたんだよね。ちょっと見てく?」


 あくまでも日曜日に遊園地を楽しむ高校生カップルの体を貫く気満々のサアヤ。

 チューヤは財布の中身と相談しながら、


「1500円か……この小さな小屋に1500円の価値があるとも思えんが……」


「大きかったら小屋じゃなくて大屋じゃん。ケチケチしてると彼女できないよ! え、サアヤさん付き合ってください? バカだね、考えとくよ! ……ほら、いまなら特別、1000マッカインで入場OK、だって」


 ぎくりとして動きを止めた。

 たしかにポスターの端に小さな字でマッカインのマークが刻まれている。

 境界の暗号通貨、マッカイン。東京に導入されたと聞いたおぼえはない。

 つまり、いやな予感しかしない……。


 フリースペースである広場に設営されたテントは、郷愁を感じさせる古いサーカスふうの移動小屋。

 広告のビラも昭和感満載だ。あるいは19世紀ヨーロッパといった風情か。


「初期型のマダム・タッソーってことかな」


 もともとイギリスのベイカー・ストリートに居を構えていたが、現在はメリルボン・ロードにある。

 移動式の見世物として、アメリカをはじめ世界各地を巡業したこともあり、ときどき特別展示として「恐怖の部屋」が開催される。


 ふと、横を通り過ぎていく白いワンピースの少女に目をやる。

 棒で丸いものを転がしている、なかなかノスタルジックな光景だ。

 リング状のものを棒で転がすという遊びは、輪回し(輪転がし)といって、江戸時代には桶から外れたタガが使われたという記録が残っている。西洋では古代ギリシャからあった遊びのようだ。

 このご時世、おそらく自転車のリムだろうと思ってよく見た……瞬間、チューヤは悲鳴をあげて飛び退いた。


「うわぁあぁーっ!」


 ぶざまにのけぞって地面を這うチューヤ。

 少女はもう遠く走り去り、小屋のなかに消えている。

 いぶかしげにふりかえり、問いかけるサアヤ。


「どしたの、チューヤ? お金落とした?」


「え、なに? サアヤ見なかったの? 生首転がした変な女の子が走ってったじゃん!」


「変なのはあんただよ。さ、行こうか」


 いやがるチューヤの手を引き、マダムXの臨時興行に参入する。

 チューヤの3点セットから支払いを済ませ、薄暗いテント内にはいりこんだサアヤは、ひゃっと言ってチューヤの影に隠れた。

 危険なところにみずから連れて行き、危険に襲われたらそいつを盾にする、というお手本のような女子力の高さである。


 ──そこは、まさに「特別展示」であった。

 通常、マダムXの館は有名人の等身大リアル・フィギュアの展示場、という属性でみられる場合が多い。

 が、もともと彼女はデスマスクの作成を生業にしていた「技師」だ。当然、生首に接する機会も多かっただろう。

 断頭台の露と消えたフランス革命の有名人たちなど、マダムXの手にかかった文字どおりの有名人は、首として展示するのがむしろ正しいのかもしれない。


「なんか、完全に場ちがいな気がするのは私だけかなあ? 対象年齢高すぎというか、趣味に走りすぎじゃない?」


「言われるまでもないよ。通常営業の有名人フィギュアだって、幼児のみなさんにはほとんどわからないだろうからね」


 そんな蝋人形館が、とくに生首のコレクション、という特殊な仕様であらかわ遊園の広場を占めている理由を、小一時間問い詰める必要がある。

 だれに? 室井しかいまい。


 ケータイを取り出し、コールしようとして、動きを止める。

 チューヤの視界に再び、さきほどの少女の影がよぎる。

 テント内をひとめぐりできるように棚が配置されていて、おそらく順路の方向をさきに進んでいく少女のシルエット。

 反射的に追いかけるチューヤを、本能的に追いかけるサアヤ。

 この背中を見失ったら、どんな小さなテントでも迷うのが彼女だ。


 すとん、とその額が件の背中に突き当たった。

 ちょっとなに突っ立ってんのよと苦情を申し上げるためにひょいと前方に視線を転じて、チューヤが呆けている理由を理解した。

 ぐいっ、とほっぺたをつねってやると正気をとりもどしたチューヤは、あわてて前方の赤いドレスに黙礼する。


「いらっしゃいませ。ようこそ、タッソーの館へ。わたくし本館の主、みなさんはマダムXと呼びますわ」


 妖艶で魅惑的な声だが、どこかに機械的なトーンを帯びている。

 完璧なプロポーションに、サテンの真っ赤なドレスが映える。

 片側の肩ひもだけが横に落ちている細かい演出は、まさにサージェントの名画『マダムXの肖像』を思わせた。

 チューヤは、その蠱惑的な視線から逃れるように目をそらし、


「あの、どうも、なかなか怖い、というか、すばらしい展示ですね」


「ありがとうございます。……本公演の主催者から、さきほど連絡がはいりましたわ。()()()()()()をお届けくださったとか」


「え? あ、ああ……」


 ハッとして、手にしていたトートバッグを差し出す。

 地蔵の切り落とされた頭部……こんなもの、どうするんだろう?

 そんな疑問を抱懐する余地もなく、それは……生々しい坊主の生首に変じていた。

 ヒッ、と短い悲鳴を漏らして手を放す。

 タイミングよくそれを捕まえたマダムXは、ちょうど間近に空いていた台座のスペースに、いとおしそうにその生首を置いた。


 びちゃっ。

 湿った切断面から響く音が、妙に生々しい。


 しゃっ、と背後で音がしてふりかえる。

 閉じ込められた、と思ったがカーテンが引かれただけで、逃げようと思えば逃げられる。

 カーテンの外側には、「スタッフオンリー」「立入禁止」の垂れ幕がかかっている。


 マダムXは、くるりと頭部をまわし、いきなり後頭部からメスを入れた。

 唖然として視線を逸らす暇もない。

 そのまま顔から皮膚をはぎ、目と目の間で二等分し、頭蓋骨の周囲にノミを入れて小刻みに切り離し──脳を露出させた。

 あまりの出来事に呆然として、ここから出て行くというアイデアも出てこない。

 とっくに見るのをやめていたサアヤに袖を引かれ、辞去しようとしたチューヤの機先を制するように、


「かつて解剖は、忌み嫌われるものでした。これほど科学の大事であるにもかかわらず」


 マダムXは語りだした。

 おそらくケートなら、進んでその言葉に耳を傾けただろう。 

 しかし臆病なチューヤは、


「そうですね、でもそういうのは、やっぱり専門の方々が……」


()()()()()()()()、と頼まれたのですが? ()()()()()()()()()()()()()とか。……しかし、無理にとは申しません。出て行かれるなら、どうぞ」


 チューヤは一瞬迷ったが、オモイカネ、という単語に心を決めた。

 サアヤを解剖台が見えない部屋の隅の椅子に座らせると、自分はマダムXに数歩、近づいて言った。


「必要、なんですね?」


「本来、解剖の知識は全人類に必要なのですよ。……どうです、美しい頭蓋骨でしょう。その中身がどれだけ唾棄すべき狂人でも、器の造型とは無関係なのです」


 どこか当を得たような得ないようなことを言いながら、マダムXは解剖、というよりも「標本」の製作にもどった。

 ──人間は歴史的に、めったに手にはいらない「アイテム」である頭蓋骨を、貴重なお宝として取り扱ってきた。

 聖遺物として、似非科学の偶像として、美術家の女神として、兵士のメメントモリとして、無数の人骨が崇拝の対象になってきたのだ。


「それで、オモイカネというのは……」


「かの神は、その名のとおり〝思い〟を詰め込んだ器です。もちろん器も大切ですが、中身がもっと大事であることは、わたくしも承知しておりますわ」


 マダムXは言いながら、頭蓋骨を裏返して無影灯の光にさらした。

 よく見れば、台座は解剖のための手術台であり、あまりにも最小限の道具と、手術台以外の場所の暗さのせいで、展示室の一部と誤解してしまっていたのだった。


 めくり返された、人間の内側。

 父親ならよく見るだろう「司法解剖」の予行演習を、無理やりさせられている気がした。

 覚悟を決めてしまえば見られないこともない。むしろ、これをくりかえして慣れていった父親の気持ちまでが忖度できる。

 そこまでの「適応力」をもつからこそ、チューヤは生きてこられた。


 脳を取り出すには、いくつかの手順を要領よくこなしていく必要がある。

 すでに生首であるため、脳とつながっている脊髄や多くの動脈、神経は、途中からぶった切られている。まず狭苦しい蓋腔内に脳を固定しておいて、配線の類を切断し、引き抜いていく。

 引き抜くときは、組織の破れる音がするくらい強い力で引っ張らなければならない。頭部には目や耳のほか、複雑な付属物がついているため、それらの取り扱いにも注意する必要がある。


 ほどなく、さらけ出される人間の本性、脳髄。

 さり、さり、さり、と鋭い切れ味のナイフが、取り出された大きなパーツを、小さなパーツへと切り分けていく。

 肉体の「内部」が発する独特の臭気と、一種の恐怖感にさいなまれながら、内部の微細な構造を特定していく。


「人体をこんなふうに扱うことに対する、一種の〝感情〟というものを、コントロールしなければなりません。その点、あなたは合格です。恐怖で身体が動かなくなる者もいる。それではダメです。……もっとも、徐々に慣れていけばいいのですが、あなたのように時間がない場合は別です」


 解剖学の教授によれば、人体解剖の授業は、触覚を通じて肉体の特性を学生に教えることが、なにより重要であるという。

 チューヤは理解した。

 自分はいま、この「授業」を真摯に受け止め、ごく近い将来、その知識を生かして戦わなければならないのだと。


「手触り、形状、構造、それらの相互関係を知りなさい。骨や腱、筋肉、神経の機械的な仕組みを学ぶのです」


 吸い寄せられるようにマダムの横に寄り添い、かぶりつきの距離で分割される肉片を凝視する。

 ふだんなら魅惑のボディが寄り添って思春期男子の反応が盛り上がるところだが、幸い、そんな余計なことを考えている余裕は微塵もなかった。


 チューヤは学ぶ必要がある。

 まず重要なのは、見ているものをモノとして感じることだ。

 感情を切り離して、気にしない。鈍感になる。距離を置く。

 死体の頭部を切開するときは、それが「かつて人間だった」という考えに封をしなければならない。


「まちがっても解剖中の舌を見て、この舌でキスをしたのか、などと考えてはいけません」


 もっともプライベートで人間的な部位を取り扱うときには、学生のストレスが高まる、という調査がある。頭部はもちろん、手や性器などもそうだ。

 解剖は取り返しのつかない破壊であり、解剖室の外の世界で、命をもっていたときの意味を考えてしまうと、かなりやりづらくなる。

 人体を人体としてみないほうが、実習は簡単だ。


「〝思い〟を発生させる()()()()に注意しなさい。これは機械です。これは部品です。これは燃料です。これは配線です。──繊細にして大胆でありなさい。あなたは〝思い〟の源泉を切り開き、知るのです」


 異様なものや知らないものではなく、見慣れたものを相手にすることこそが、むしろ最大限に緊張のときだ。

 構造がもっとも複雑である頭部を、繊細な技術的スキルによって分割する。

 頭蓋骨をのこぎりで切り開く残忍性と、その下にある柔らかい組織を傷つけない慎重さを、併せ持っていなければならない。

 頭部の切開は、肉体的にも精神的にも消耗する。

 失敗は許されない。


「けれど、すぐに慣れます。あなたには才能があるわ」


 ふふふ、とマダムXは笑った。

 彼女は見てきた、感じてきた、だから知っている。

 ふつうの人間が、いとも簡単に同じ人間を切り刻むようになる。

 死人の顔を剥ぐことに熱中する。メスで唇を切り裂く者もいれば、もとの形がわからないほど切り刻んでスライスする者、中身を空にしていく行為、他のどの部位よりもアイデンティティをもつ顔さえも、平然と刃物で解体していくようになる。

 それが解剖学──()()()()()()ということ。


「なんだ、これ……」


 頭蓋骨の膜組織の一部に、チューヤは()()を発見した。

 組織といっしょに骨の表面に密着している薄紙のようなものを、ねじって引きはがす。そうしたいと思ったチューヤの意を汲んでくれたのか、実行したのはマダムXだが。

 ……似たような魔術回路を刻んだ羊皮紙ならぬ人皮紙の呪詛を受けた死体を、チューヤの父親も大塚の解剖台のうえで見た。


「陰陽師でしょうね。呪いの正体が、これで判明しました。依頼人も喜ばれるでしょう」


「ええと、どういうことかな……?」


「あなたが殺した恋のライバルは、じつは別の何者かに操られていたということですよ。こうして女を奪い合う泥沼の戦いは、さらに過熱して犠牲者を増やしていくのです。金町の夜はこれからも深く、醜く、果てしなくつづくでしょう」


 ホルマリンのビンに人皮紙を封入すると、マダムXはくつくつと笑った。

 俺が殺したわけじゃないですよ、と否定しようとしたが、あまり意味はなさそうなのでやめておいた。

 切り落とされた地蔵の頭は、じつは生臭坊主の生首で、愛情が殺意に変わるほどの恋の鞘当ての結果、殺されたのかもしれなかった。

 しかし、その死で事件は解決というわけではなく、じつは黒幕が隠れていてまだまだ闇は深そうだ、といううんざりするような話が透けて見える。


 もちろんチューヤは、自分が切り落としたわけではない首の責任を負う義理もないし、その背景にある真相を解き明かしていく趣味もない。

 ごく短時間であったにもかかわらず、疲弊しきって、半ば呆然としたまなざしで、解剖台を片づけるマダムXを眺めた。


 すると、彼女の奇妙な動きに、いまさらながら気づいたチューヤは、ぞっとして立ちすくんだ。

 バラバラにされた脳を見るよりも激しい恐怖なのだから、それは並大抵ではない。

 物体と割り切ったモノより、人間と信じていたものがそうではないと気づかされる衝撃のほうが、はるかに強力だ。


 マダムXは、人間離れしていた。

 カタカタと不自然な動きが端々に見受けられ、ありえない方向に向く手足の傾きを、ときどき気づいて引っ張りもどすような。

 きわめつけは、首が真横に90度倒れ、でろん、と落ちた舌。

 一瞬でもとにもどり、魅惑的な表情を取り繕っていたが、もうチューヤには耐えられそうになかった。


「行くぞ、サアヤ」


 椅子に座って真っ青になっているサアヤの手を取り、カーテンを突き破る勢いで部屋から飛び出した。

 順路に逆らい、ずんずんとまっすぐに出口を目指す。

 外に出た瞬間、全身が総毛立った。


 ──どこだ、ここは。



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