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やがて室井から、静かに口を開いた。
「腹が立つと思わないか? 異世界線から侵食されて、俺たちは奪われ、殺されつづけている。このあたりで、ひとつ反撃に転じようじゃないか。……って考えるやつがいても、おかしくはないよな。こちら側から、あちら側へ、反撃開始だ」
常日頃から考えないわけではなかった。
異世界線反攻計画。
アメリカではその計画が着々と進んでいるらしい、と『ヌー』にも書いてあった。
「……けど、あちら側に行くなんて、ほんとにできるんですか? まえにケートからマクスウェルの悪魔がどーとか、聞きましたけど」
「ああ、論理的に考えればそういうことになるが、実際問題はもっと簡単なフォーマットがあるんだよ。──カオス、コスモス、ライト、ダーク、それぞれの勢力が、それぞれの道をもっている。東京の四つの駅から近いところにな」
彼は言いながら、看護師がもってきた私物のバッグからノートパソコンを取り出し、画面に地図を広げた。
東京23区を舞台にした、悪魔の物語。
そのフィールドとなっている地図に、逆さの五芒星が描かれている。
「どこです? それ」
「汐留、東向島、葛西、そして荒川車庫前だ」
口のなかで、室井の発した駅名を反芻するチューヤ。
ふつうの人間の脳裏ではまったくつながらない線だし、多少、電車に詳しくても、これらの四駅をつなげて考えるのは非常にむずかしい。
とりあえず、すべて会社がちがうことはわかる。
会社が──。
「大江戸線、ゆりかもめ、伊勢崎線、東西線、荒川線……あ」
「ピンときたかい?」
室井は、やや驚いたようにチューヤを眺めた。
もし、これだけの情報で正解にたどり着けたとしたら、この舞台はこの高校生のためにつくられており、まさに選ばれし主人公、ということになる。
「まさかとは思いますけど……鉄道系の博物館ですか」
チューヤの言葉に、室井は口元をゆがめて笑った。
ビンゴ、と唇が動いた。
汐留を最寄りとする旧新橋停車場駅舎の再現に合わせて、JRの鉄道歴史展示室が開設されている。同様に、東向島には東武博物館、葛西には地下鉄博物館、そして荒川車庫前には都電の歴史が展示されていた。
「さすがテツだねえ。俺なんかにゃさっぱり意味不だが、オタクの脳の配線を通せばつながるってわけだ」
「褒められてると受け取っておきます。最近、とくに都電に怖い雰囲気があるんで、注意していたってのはありますけど。それで、どうして」
ふわあ、とあくびをするサアヤ。
いまのところ、彼女はここに残ったことを後悔している。
「この〝侵攻〟が開始されたのは、10月14日だ」
「鉄道の日、ですね」
「博物館を裏口にしようって考えも、連想できないわけじゃない」
異次元につながるルートが、博物館を中心に開かれている可能性。
そういうものがあったとして、つぎの問題は。
「それで、どうやって使うんですか?」
「ぶっ倒せばいいだろ」
言ってから、皮肉に笑う室井。
チューヤにも即座にその意味が理解される。
無理だ。すくなくとも現時点では。その四つの駅には、不自然なほど強い邪神、魔王、大魔神、大天使が配置されている。
「知ってて言ってますよね?」
「ヴィシュヌは強いだろうな、メルカバーもそうとう……。アバドン、アルシエル……いやあ、手ごわい手ごわい」
最弱でもレベル76で、最強は95。
現状、ダブルスコア。戦いにならないレベル、というやつだ。
逆にいえば、異世界線反攻シナリオは完全に最終盤のお楽しみ、というつもりで気楽に構えていたところもある。
「あんたが設定したんでしょ、レベルとか!」
「だから俺は、異世界線のやり口を模写しただけだっつの。正味、正面玄関から突っ切ろうったって、そりゃあむずかしかろうな。──だが、裏口にも通用口みたいな脇道はあるかもしれないぜ」
「どういうことです?」
「俺がこの目を差し出して絞り出した情報を、タダで聞きたいってのか?」
やや不興げに、室井は自分の目を指さして言った。
彼が膨大に仕入れている異世界線の情報の多くは、タモンテンという鬼神に自分の肉体を捧げることで、料金を支払っている……らしい。
死後、引き裂かれる肉体というリスクを負っているわけだから、それに見合う報酬を要求するという理屈は通る。
もちろんチューヤに対しては、通らないが。
「……俺、べつに異世界線とか行かなくていいですから」
相手が欲しがってくれないと、商売にならない。
残念ながら現状、この情報は買い手市場だった。
「わーったよ。たしかにヴィシュヌやメルカバーに、正面から異世界線への道を開けてくれとか、どう考えても通用しねえ。だが、カルデア人の黒い太陽、邪神アルシエルにはちょっとした隙がある」
「ガバあるんスか?」
ガバガバのルート。
製作者が本来、想定していない部分、あるいは意図的に用意された隠しルートとして、プレイヤーが容易に通行可能な道のことを「ガバ」という。
「怠け者なんだよ、あいつは。で、実務上のほとんどを、隣のトウテツって悪魔に丸投げしてる。こいつが賄賂をとって、転位の管理をダダ漏らしているとかいないとか」
「カネを積めば裏口の通用口から入れてもらえる、と?」
「確証はないが、可能性はある」
考え込むチューヤ。
脳裏に展開する東京の地図。
人間関係の相関図、イベントのリスト、地図とのレイヤー(重ね合わせ)──多くの情報をストーミングする必要があった。
「荒川線か……できれば終盤までは、なるべく近づきたくなかったけど」
「路面歴程は伝説の航路だからな。それはまあ、もうちょい先になるのかね」
室井がさらに重要な示唆を与えた気がするが、めんどくさそうな予備情報まで詰め込む余地は、チューヤのかぎられたキャパシティには存在しない。
「それじゃまあ、ちょっとだけ、ようすを見に行ってはみますけど、異世界線に行けたとして、そのさきはどうすりゃいいんです?」
「オモイカネって天つ神を探して、そいつを……殺してくれ」
室井が情報をくれる交換条件が、彼の依頼を引き受けること、という黙契のようなものが底流していた。
それに流されるのをよしとせず、どうにか防ぎたいという思いでいっぱいだったが、一介の高校生にはむずかしい。
「はああ? いきなりアサシン扱いですか。ゴルゴでも断りますぜ! そもそも俺、オモイカネに恨みもなんにもないですから」
基本的に「トーク」多めで、この戦いの巷をわたっていきたい悪魔使い、チューヤ。
何匹の敵を倒して経験値を集めるかを競う世のRPGのむこうを張って、できるだけ殺さずにクリアできればいいな、というシナリオを追求しているとかいないとか。
「そうかな。この世界を、こうして地獄に叩き落してやろうって連中が、オモイカネを利用しなかったとでも思うのかい?」
「利用されてるんだとしたら、むしろ被害者でしょ」
「当人がそうしようと思う、思わないにかかわらず、連中が生み出したあらゆるツールが、この世界を破壊しているんだ。この事実を重く見ろよ」
すくなくとも彼は重く見ているし、そう感じている別の人間もいるだろう。
が、逆にそれを利用している人々も事実いて、彼らの成果物を最大限に利用している大きな勢力にとって、都合のよい天才たちの脳髄を使い倒してやろうという動機は満タンだ。
まためんどくさい話になってきたな、とチューヤは思った。
ともかく現時点での問題は、原爆は使った人間がわるいのであって、つくった人間はわるくない、と言えるだろうかということだ。
「どんな武器につながる発明をしたところで、わるいのは使い道を決めたやつでしょ。新しい武器をつくった科学者だけを、責めるわけにゃいかないと思いますけどね。いや、たしかにその手のマッドな科学者にも、問題はあると思いますが」
「そこだ。オモイカネはマッドなんだよ。あいつは、やっちゃいけねえことをやって、味わう必要のない苦痛を、俺たちに強いてるんだ……」
原爆をつくった当人としても、原子力のエネルギーを解放してみたかった、という欲求は不断にあったはずだ。
しかし、その手の新規開拓傾向、知的好奇心を、それ自体が罪であると規定してもかまわないのか?
この重要な問題と示唆を孕む深刻なテーゼについて、チューヤごときが軽々に答えを出せるはずもなかった。
「とにかく、事情を調べたうえで、必要なら、どうにかしますよ……」
いまチューヤに言える最大限だった。
そもそも、それほどたいそうなことが一介の高校生に可能だなどと、考えてほしくないところだ。
「いいアンサーだ。けっこうな人数が、おまえの助けを必要としているかもしれないぜ。せいぜい気張んな」
複雑怪奇な世界のありようは、チューヤの目にも徐々に明かされつつある。
「あのさあ。その話、まだつづくの?」
と、そこで、いよいよ我慢の糸が切れたらしい、サアヤがけだるそうに話柄をこじ入れた。
チューヤたちは、そこに彼女がいたことを思い出し、視線を向ける。
「話は終わったよ。ともかく、あらかわ遊園、じゃなくて荒川遊園地前駅? そっち行って調査開始だ」
「いや、あらかわ遊園でいいぜ。アルシエルの会計係は、日曜はいつもそこの世界一遅いジェットコースターに乗って、遊んでるらしいからな」
「なんなんすか、そいつ……」
そいつが何者だろうとかまわないサアヤは、再び強引に割り込んだ。
「ともかく私たちは、遊園地に遊びに行くんだね。よっしゃ。私とひさしぶりにデートできて、チューヤもうれしいでしょ?」
「なにを聞いてたんだ、おまえは。……たく」
「最後にもうひとつ」
踵を返して歩き出すチューヤたちの背中に呼びかける室井。
サアヤはうんざりした表情でふりかえり、
「刑事オンボロか、あんたは」
「コロンボだろ。なんスか、室井さん」
「おまえにわたそうと思って、準備はしておいたんだ。……こいつをもっていきな」
トートバッグに、ボーリング球よりやや小さいくらいの丸い荷物が、麻布にくるまれて放り込んである。
「なんスか、これ」
「生首だよ。……冗談だ。本来、先週あたりおまえに頼んで刈ってきてほしかったもんだが、放置されてたんでな、しかたなく北の暗殺者に頼んだ。さっき届いたよ」
チューヤが選択しなかったシナリオらしい。
北の暗殺者ということは、マフユルートを選んでいれば……?
「怖すぎでしょ! 北の暗殺者? 某国の工作員でも雇ったんスか」
「おまえの友達の細長いねーちゃんいるだろ。あいつの親友らしいぞ。サイシって仕事人で、金を払えばたいていのことはやってくれる。で、こっちも時間がないんで、頼んで片づけてもらったのさ」
ずっしりと重いトートバッグをいぶかしげに眺めるチューヤ。
サアヤはもう部屋から身体半分出して、アホ毛を揺らしている。
「わかるように説明してもらえるとありがたいんですけど?」
「俺も神さまじゃねーんでな。おまえも知ってるとおり、いくつか予測は立てられるくらいの情報網をもっちゃいるが、天気予報と同じで当たるとはかぎらん。おまえのテキトーな選択肢にも、けっこう左右されたりするしな」
「テキトーですいませんでしたね。──マフユにもっと絡んでれば、俺の仕事だったってことかな?」
この世に出来事の計画を立てる神さまがいたとする。
彼のPCにインストールされたエクセルに、ずらっと並んだエピソードやイベントは、だれが、いつ実行するか、その条件やタイミングも含めて、不確定要素が大きい。
そのたびにタイムテーブルが組み替えられ、とあるシナリオに対してのフラグが立ち、あるいは消滅する。
人生とは壮大なマルチエンディングなのだ。
「厄介なシステムだよな、人生ってのは」
「人生をそうやってゲームの企画書みたいに考えるのも、どうかと思いますけどね。……で、これ。石みたいに重いですけど」
「ああ、石だよ。もちろんただの石じゃないが。そのうちわかる。呪いのアイテムだから、あまり開けないほうがいいぜ。どうしても開けたくなったら……知らんけど」
「リョージかよ!? 開けませんよ、ぜったい」
「そうしてくれ。じゃあな。俺は疲れた。寝る」
言いたいことだけ言うと、ベッドに横になった。
入れ替わるように看護師がやってきて、否応なく追い出されるチューヤ。
またしても、長い日曜日になりそうだ。




