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71 : Day -29 : Ōimachi 「ホスピタリティ・マインドフルネス」


 早朝の散歩で通りかかった近所の老人に発見され、まずは救急車に放り込まれて最寄りの救急指定病院へ。

 救急外来で傷の治療を受けたが、本人も驚くほど治りが早い。


 救急車に収容されたときには、それでもまだそれなりに重傷だったのだが、輸送速度を回復速度が上まわる、という稀有な例だった。

 病院で治療を開始したころには、あんた病院(こんなところ)なにしに来たんすか、と白い目で見られるほどだった。

 剣を貫通させたにもかかわらず、骨は無傷。

 ちょっと右足が痛むという程度で、歩行にも支障がない。

 一応、包帯は巻いてもらえたが、コンビニでばんそうこう買って貼っとけよ、という目が痛かった。


「不死身にもほどがあるね」


 あきれたように言うサアヤも、心の底ではホッとしている。


「われながら驚いた」


 うなずくチューヤに、


「驚いたのはこっちだよ」


 意想外の方向から届いたその声に、ハッとして視線を向ける。

 ──室井。

 彼がこの病院にいるのは偶然か、いや必然に決まっている。

 医者と看護師があわてたように立ち上がり、


「意識もどったんですか、室井さん」


「残念ながら、そのようだ。会社に連絡したい、電話貸してもらえるか」


 看護師はうなずいて、


「私物は別室にまとめてあるので、すぐ持っていきます」


「そのまえに検査しないと」


 立ち上がり、室井の表情を確認する医師。

 顔色や呼吸、脈拍、眼振、歩行、体温など一見したかぎり、問題はなさそうにみえる。


「あとにしてくれよ、検査は」


 室井は言いながら、くいっと頭をまわしてチューヤたちを誘い、踵を返した。

 先日、山王公園で会ったのは、やはり偶然ではなかった。

 幽霊電車に乗ったのが昨夜のこととはとうてい思えないが、ともかく大森駅は、大井町駅(現在地点)の隣である。

 霊体とはいえ出歩くのは近所にかぎる、ということだろうか?


 だぶだぶのガウンを揺らし、いまは生身で、ふらふらとまえを進む室井。

 救急外来、集中治療室など、比較的深刻な症状の患者が集まっているエリアだ。

 本来、チューヤのような軽傷者が足を踏み入れていい場所ではないのだが、ゆえにここでの邂逅には意味があるとしか思えない。


「9時にあらかわ遊園集合つったろ」


 室井は言いながら、現在の自室、HCU(高度治療室)のドアをくぐる。

 HCUはICU(集中治療室)と一般病棟の中間のような位置で、一般病棟の基準ではリスクの高い患者を受け入れる部屋だ。


「まだ7時じゃないですか。こっからなら、30分もあれば尾久まで行けますし」


 東京の南から北まで、それなりの距離があるが、京浜東北線(上野東京ライン)の圧倒的輸送力をもってすればたやすい。

 尾久駅からあらかわ遊園までは道なりでも1キロないので、路面電車に乗り変えるために歩く距離を考えれば、多くの場合で「尾久が最寄り駅」ともいえる。

 ちなみに、地名は「おぐ」だが、駅名は「おく」と読む。


「遅刻ギリギリまで寝ようっていう鉄ヲタの考えそうなことだな」


「ちょっとあんた、このケガ見てからモノ言ってもらっていいかな!? 昨夜から大変だったんですからね、これでも」


「結局かすり傷だけどね……」


 こっそり突っ込むサアヤ。


「丈夫な自分がうらめしいよ! だいたい室井さんこそ、その状態でどうやって行くつもりだったんスか、あらかわ遊園」


「おまえの性根がうらやましいよ。……俺が生身で行くわけないだろ。デスクに残したメモさえ見てれば、猿島が行くはずだが。夢枕にも立ってやったしな」


 室井の忠実な部下らしい猿島という人物が、ダブダブのコートを着て室井さん室井さん言ってる姿を想像すると、東京テレポート駅を目指したくなる。

 なんとなく室内を見まわすチューヤ。

 厳格な管理のないHCUは、ディスポーザブルガウンの着用も強制されない。

 個室ということは、それなりのお金持ちか、重要人物とみられているのかもしれない。

 チューヤは壁に立てかけられた滅菌済みのパイプ椅子を、サアヤのぶんも出してやりながら、


「それで、どうなってんですか? あっちゃこっちゃ、いろいろありすぎて、頭がこんがらがってんスけど」


 マルチシナリオである人生の特徴だが、豊富にある選択肢のうち、選ばなかった道のほうがはるかに広がりが大きい。

 本来はかかわりのない、それらの「捨てられた選択肢」が、なぜかいまは、ひどく重荷に感じている。一本道RPGが懐かしくなった。

 室井は皮肉な笑みを浮かべ、


「正直、おまえのことは買ってるんだ。俺なんかを相手にしてらんねえ、って気持ちもよくわかるよ」


「またそうやって卑屈になる。そんなわけないでしょうが。めちゃめちゃ助かってますわ、いろんな意味で」


 どちらがタマゴがニワトリかはともかく、悪魔相関プログラムと『デビル豪』は無関係ではない。

 ある種、相補的な関係といってもいい。

 「しょせんゲーム」ではあるのだが、『デビル豪』を入り口に悪魔相関プログラムに染まっていく素人は、チューヤを含めて少なくないはずだ。


「シナリオのないゲームに、壮大な物語を付与するのはプレイヤー自身だ。──それで、おまえは世界を救ってくれるんだろ?」


 どこか、おちゃらけたような口調が気になった。

 彼も、本気でそんな気宇壮大な大風呂敷を、信じてなどいない。


「……降りかかる火の粉は、できるだけ払いましょうよ。悪魔が攻めてきたなら、正当防衛というか、専守防衛というか、戦うのは当然のような気もしますが」


 室井はまだ立場を明確にしていない。

 傍観者を貫くつもりなら、チューヤとしては正義の味方の立場をとるのが正解のような気がする。たとえその気がなかったとしても。


「悠長な物言いだねえ。世界そのものが、ぶつかってきているんだぜ」


「だけど、世界がそのまま入れ替わるわけじゃないでしょ。あちら側はあちら側の世界としてつづくし、こちら側の富だって無限にあるわけじゃないし」


 チューヤの見解では、あちら側は非常な貧困の状態にあり、こちら側の富を怨望し、奪い取ろうという動機がまず第一にくるものであるらしい。

 よって、こちら側の被害はたしかに甚大かもしれないが、だからといってアメリカと日本が「そっくり入れ替わる」わけではないのだから、戦勝国も敗戦国も、その後せいぜいがんばればいいのではないかな?

 というのが、戦後奇跡の復興を遂げた国民の想いはべりしところだ。


「ふん……悪魔の目的は、壊すことだけだよ。自分たちが豊かになろうとしてるわけじゃない。いや、もちろんそれを目指すやつは多いだろうが、やつらの目的は、本質的には他人の不幸だ。自分たちが幸福になることより、幸福そうな他人を不幸のどん底に突き落としてやること──自分たちと同じか、それ以下に貶めてやることこそが、主目的なんだ」


 自分が強く賢くなるより、他人の足を引っ張ることのほうが楽しい。そういう人物像は、たしかに一定割合でいる。

 ひやり、と思い当たる節を脳裏に、チューヤはつぶやいた。


「この世界が、不幸になること」


「だから叩き潰すしかないのさ。やつらは、敵なんだから」


 室井が立ち位置を示したが、目的が透けて見えすぎる。

 意図的に煽っているような印象を受けた。

 室井という男は、食えない男だ。彼の言葉を文字どおりに受け取ったり、その言動にあまり強く感情を左右されるのは正しくない、とチューヤは気づいている。


「奪われたら、奪い返せ、ですか」


「ちがうね。エントロピーの法則を知らないのか? 熱力学において、奪われた熱は不可逆性をもつ。こちらのほうが多くの生体エキゾタイトをもっている以上、滅びに瀕している側からとりもどすことは、原理的に不可能なんだ」


 そう、室井は多くのことを知っている。必要以上に知りすぎているかもしれない。

 問題は、そこに悪知恵と、歪んだ性格まで持ち合わせているということだ。

 彼は多くの罠を張ることができるし、意図的にミスリードすることも容易だ。

 彼を敵にまわせば、厄介なことになるだろう。だが、味方にしておければ──役に立つ可能性がある。


 ふと、室井の表情が悲しげに揺れた。

 その一瞬にだけ、チューヤは彼の「真情」のようなものが吐露されているように思えた。

 室井は、みずからつくった流れに乗るかのように、かすれた低い声で、言った。


「俺を、殺してくれねえか……」


 目を伏せ、浅い呼吸に合わせて、それだけ聞こえた。

 もちろんチューヤには、即座に返す言葉が見つからない。ただ、どうやら俺の周囲には多いようだな、死にたがりが、という感想だけが浮かんできた。

 しばらく見つめているうちに、室井が冗談めかして笑いだすのを待ったが、彼は彫像のように動かなかった。

 しかたなく、チューヤから口を開いた。

 ここは、大きなターニングポイントである──。


「まえも聞きましたけど。生霊の妄言、ってわけじゃなさそうですね。どういうことなんですか、室井さん」


「生きるってことが地獄になったら、死ぬってのは救いになるんだよ」


 まるで死人のような顔を上げ、室井はまっすぐにチューヤを見つめた。

 一瞬、揺れた視線がサアヤとぶつかる。

 彼女は厳しい目で、室井を見つめている。

 室井とサアヤ、このふたり、真正面からぶつかる思想だ。


「こういうひとと付き合っちゃダメじゃないかな、チューヤ!」


 考えてみれば、サアヤを室井に引き合わせるのは初めてだったかもしれない。

 チューヤは手短に、遅ればせながら両者を紹介する。


「ちゃんとご挨拶しておいたほうがいいぞ。きのうアマテラスの撃退に活躍した音声データをくださったのは、この方だからな」


 第一印象は最悪のサアヤだったが、そう言われると恩義というものを感じないわけにいかない。

 ある意味、ナミを助けてくれたひとでもある、ということだからだ。


「それはそれは……叔母がお世話になりました。で、あの声はなんだったんでしょうか?」


「スサノオの心の叫びだよ。まあじっさいは自閉症のストーカーっていう、やばい少年の声なんだけどな。……天つ神ってのは、頭のおかしいやつらが多いぜ。気をつけな」


 なんとなく心当たりがあるような気がするので、否定も肯定もしないでおいた。

 チューヤはサアヤにお金を与えて、コーヒー買ってきて、と頼んだ。

 室井が視線で要求していたのを察したからだが、サアヤとしても感じていた居心地のわるさから逃れるべく、ぶーたれたままうなずいて去った。


 室井は時計を一瞥してから、話を引きもどした。

 時間がないのは、彼にしても同様であるようだ。


「ただのうつ病だって、簡単に死を選ぶだろ。ま、当人にとっちゃ簡単どころの騒ぎじゃない、唯一の選択肢なんだが。──おまえも別口で、そういう()()()()()()()()()んじゃないのかい?」


 チューヤの背中が揺れた。

 まったくだ、ほんとうに、どうなってるんだ、こいつらは。せっかくもらった命、どうしてそんなに死にたがる?


 しかし考えてみれば、死にたがっているのはもうひとりの自分だ。

 自分の気持ちもよくわからないくらいだから、室井の気持ちを察してやれというのも、無理な話ではあるかもしれない。

 死にたい理由なんていくらでもあるし、そんなに死にたければ自分の命だ、好きにすればいいとは思う。

 それでも他人に依頼しなければならないということは、自分の力ではどうしようもない状況に陥っている、ということなのだろう。


 それにしても、やはりこの室井というひとは、必要以上に深い淵の底に立っているらしい。

 ここまでの流れをひっくるめて罠である可能性もあるが、いまのところ、これといった対応も思い浮かばない。

 とにかく現状、自分たちは共闘関係にある──はずだ。


「知ってんですか、室井さん。あちら側の俺のこと」


「有名だろ、ニシオギのアクマツカイ。……まあ、忘れてくれ。そっちは関係ねーんだ」


 意想外に簡単に、室井は話題を翻した。

 チューヤはただ考えるしかない。

 自殺願望でないとしたら、まず死んだほうがマシな状況に、なんらかの悪意ある復讐として陥っている可能性が思い浮かんだ。

 そういえばジャバザコクでも、悪魔召喚プログラム中興の祖、ジャミラコワイ博士から断片的な情報を聞き知っている。

 と、落ち着いて考えてみれば、すでに自分にはもう、じゅうぶんな情報が与えられているのではないか? ただ、それをきちんと処理できるだけのスペックが、この脳に足りていないだけなのではないか?


 そこへもどってきたサアヤが、無言でコーヒーのパックをテーブルに並べる。

 椅子に座ろうかと一瞬悩んだようだったが、室井は、


「いいから座りなよ、お嬢ちゃん。あんたの彼氏の力を借りる。あんたも行ってくれるんだろ? いや、行ったほうがいいぜ。今回はかなり危険だからな」


「……今回()?」


 サアヤは眉根を寄せて言うと、すとんと椅子に腰かけた。

 しばらく無言で、3人はパックのコーヒーをすする──。



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