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乗ってきた車をその場に残し、側壁に伸びる歩道と階段から、公園になっているジャンクション屋上を目指す。
現世側では平和な通用路だが、境界では戦闘の巷だ。
かなり手ごわい悪魔たちを排除しつつ、進む。
大橋ジャンクションは、中央の空間をぐるっと取り囲む道を何周も重ねて、高度を稼ぐ構造になっている。
内側には人工芝コートなどがあるが、その中央に突き立っている高い塔については、境界オリジナル要素だろう。
拝火教らしく、塔の地上部にはぐるりと火が焚かれ、入り口らしきものも見えない。
ケートの見立てどおり、おそらく取り囲む壁側の屋上から伸びる橋だけが、中央の塔に向かう正規のルートだと思われた。
屋上は広い散歩道の公園で、現世側であれば平和な公共施設。
ちょうど国立競技場の客席部分だけを引っこ抜いたようなエリアに、自然豊かな特殊緑化を施した現世側の空間と、それを殺伐とした巷に変える境界要素がふんだんにちりばめられているのは、いつもの光景だ。
いつもと、すこしちがう様相が見出されるとすれば、中央の塔につながる橋のたもと、やや広い広場がしつらえられていて、なにやら儀式めいたことが執り行われている。
円形の構造であるため、4分の1周ほどさきにあるその光景が、内壁ぎわに立つとよく見えた。
塔へつながる橋の手前には、拝火教の祭殿を模したかがり火が、信仰対象である炎を吹き上げている──。
「アフラマズダよ、御姿を写す火を通じて称賛します。善思・善語・善行を捧げ、帰命いたします」
近づくほど、悪魔ではなく信者の姿が増えていった。
ここはゾロアスターの神殿であり、聖地なのだということがひしひしと伝わってくる。
響きわたるアヴェスター語での祈祷。
異様な雰囲気を感じるチューヤたちのなかで、なじんでいるのはパリーサだ。
「恵み施し情け深い神の名において、オフルマズドは唯一の神。かく、アフラマズダに帰命いたします。神は牛も道理も創りたまい、水も最善の植物も創りたまい、光明も大地も善きものすべても創りたまいました」
さまざまな人々が口々に紡ぐ、いくつもの祈祷フラグメント。
多くの祈りの言葉が失われたなかで、残された貴重な聖句を読み上げる祭司。
アレキサンダーとギリシア人、トルコ人、モンゴル人、そしてアラブ人によって、聖典『アヴェスター』完本は消失した。
何度も逸文を収集、再構築する努力がくりかえされたが、結局、現在に残るのは原典の4分の1程度だろうと考えられている。
「一神教とかいう諸悪の根源だな、チューヤ」
「また厄介なことを言い出すつもり? やめてよね、ただでさえ頭こんがらがってんだからさ」
「そうですよ。わたくしですら、まだ……」
だれを信じていいのか、戸惑っている。
もちろん本来あるべき信仰に帰るのが正しいのだが、アンリが残した魅力的な聖なる言葉の数々が、心に強い影響を残しているのだ。
「あまり、神が正しいとは思わないことだ」
冷ややかに言い放つケート。
ときには悪魔のほうが正しいこともある。
唯一神というアイデアが、かつての神を悪魔に貶めたように、その逆もつねにありえる。
別の唯一神さえ現れれば──。
「バカな。神は唯一にして、正しいからこそ神なのです。そんじょそこらの」
「そこらの駄女神を信奉する多神教ごときまがいものとは、一線を画すると言いたいのか。チューヤ、こんな無礼な女のどこがいいんだ」
「……カラダかな。冗談だよ、見るな、そんな目で俺を見るな!」
周囲から一斉に地獄のような視線を浴びて発狂するチューヤ。
しばらく一同に無視され、後塵を拝する間に猿のように反省する。
パリーサが先頭に立ち、その左右をケートとヒナノが押さえて進む。
徐々に近づく祭壇からは、強力な神とも悪魔ともつかぬプレッシャーが感じられる。
「──論理的に考えれば、インドで起こったことは、ユダヤ教でも起こったはずだ」
やや声をひそめるケート。
アフラマズダがユダヤ教に取り込まれたとき、聖と悪が逆転した可能性。
一神教という点では一致しているが、どの一神を選ぶか、という問題はあり得る。
本来、そこに差異は存在せず、唯一の神は唯一の神であるべきだ、として活動しているのが神学機構である。
「一神教の母体ってのはわかるけど、ケートの派閥とはどんな関係なの?」
わざとらしく真面目ぶるチューヤの問いは、かなり本質に踏み込んでいる。
『リグ・ヴェーダ』の言語は、『アヴェスター』の最古層をなすガーサーの言語と著しい共通点をもち、インドにはいる以前のインド・イラン共通時代の宗教要素を推定できる。
ゾロアスターのアイデアを積み重ねたのがアブラハムの宗教で、裏返したのがインドの宗教と言い換えてもいい。
「神様の底なんて、とっくの昔に割れてんのさ。鍋の底が抜けている現実に目を背けつづける、なんとか機構とかいう実力組織もあるけどな」
「見たくないものから目を背けるのはやめたらどうですか。われわれほど現実にシビアな組織は存在しませんよ」
見透かされた気分で、ケートは白旗を振った。
「だよな、ほんと。状況が許せば、ボクたちだってつくりたかったさ、そういう強力な宗教統括力をもつ、オモチャをね」
「インドは大国だし、じゅうぶん強力だと思うが」
比較にならないほど貧弱な無宗教国のチューヤは言った。
インド神話は、集団としてはもちろん最強クラスだが、内部がバラバラという最大の弱点を、つねに抱えている。
バラモン教は3000年来、この弱点とともに暮らしてきた。
それでも彼らは現在、カーストの最上位に君臨しつづけている。
いや、君臨するために、あえてバラバラにしておく必要があったのだ──。
「……原点にもどりましょう。あなた方も、祈りませんか?」
パリーサは、ついに祭壇の正面までやってきた。
このさき司祭が道を譲ってくれれば、中央の塔を目指せるが。
「異教徒の祈りは届かない。立ち去れ、背教者よ」
司祭はふりかえりもせず言った。
多かれ少なかれ宗教はみなそうだが、ゾロアスター教もかなり排他的である。
パールシーはペルシア人移民の子孫のみを指し、他の宗教から転向した者は含まれない。唯一、パールシーの父と異教徒の母のあいだにできた子は受け入れられる。
真のパールシーのみが聖別された火のまえに進み、最高位のゾロアスター教祭祀を見ることができる。
信者間の婚姻が、彼らの宗教を3000年以上もの間、保ちつづけさせてきた。
異教徒との結婚を認める派閥もあるが、激論が戦わされている。
「もうすこし寛容に願います、ダストゥール(導師)?」
「モウベド・エ・モウベダーン(諸マグ長の中のマグ長)と呼びなさい」
最上位の祭司は、ゆっくりと体を返した。
見つめ合う、イラン系とインド系。
かろうじて生き残っている宗教の内部であっても、対立がある。
人間が対立するのに必要な条件は、ふたり以上が集まるだけでよい。
「あの塔へ行かせてください」
「ならば、彼の承認を得なさい。──われわれは寄付を必要としている」
視線を転じたさきに、小さな屋台のようなテーブルが置いてある。
喜捨を受けつける場所のようで、そのむこう側に座っているのは──。
「スター新舘……さん?」
「ほらよ、配当だ。残念だったな、つぎは当てろよ」
新舘は、テーブルのまえに並んでいる列の人間に、つぎつぎと金銭をわたしていた。
その周囲で、恨めしそうにしている人々は、賭けに負けた人々ということだろう。
よく見れば小さなモニターが各所に置かれていて、さっきまで新舘が実況していたような映像が、おそらく東京の各所から別の配信者により同時配信されているようだった。
「……よう、おまえらも賭けるかい? ちょうどC2内回り、リンカーンコンチネンタルとドミニオン・カーズのバトルが佳境を迎えているぜ」
その言葉に心を惹かれたらしいヒナノのガーディアン、ドミニオンがこっそり出てくるのを、ヒナノは激しい苛立ちとともに追い返した。
多くの宗教で禁じるか、それに準じる悪事として規定される、賭け事。
それを堂々と、神殿の片隅で差配しているのは、どういうことか。
「ふん、なるほど。まさに聖俗併せ呑む、ってやつだな」
神殿に不似合いと思われがちだが、テラ銭という言葉があるように、寺というものはいつの時代、どこの国でも、しばしば賭け事の胴元を張っていた。
寺町の一角には、必ず売春宿が林立した。
かぎりなき聖は、かぎりなく俗でもあるのだ。
「拝火教というより、拝金主義ってか?」
「うまい。座布団2枚」
チューヤとサアヤのやり取りを、不機嫌そうに一瞥するヒナノ。
ケートは膨大な配線数を誇る自慢の脳内回路から、ひとつの結論を導いた。
「これが善であるという価値観が、この神殿の地面であると」
見上げると、無数の猛禽類が飛び交う姿。
彼らは、なぜ空を覆うほど満ちているのか。
「認めるか、死ぬかだ」
新舘が不気味な表情で言った瞬間、チューヤたちを浮遊感が襲う。
反射的に動いたのはケート。
ガーディアンの力で一気に踏み込むと、新舘の喉元に強力な一撃を加えた。
その瞬間、新舘は横にいた司祭の身体を引き寄せ、盾にした。
絶叫する司祭。その絶命の瞬間、重さをとりもどすチューヤたち。
一方、彼らの周囲で自分たちの基準に従い、生活を送っていた無数の信徒たちの身体が、突如として舞い上がった。
──空に、落ちていく。
サカサマなアップサイドダウンという設定は、映画にもなっている。
ひとによって上下が逆さになるという二重引力のアイデアに、信仰という問題を絡め、それ以外の次元も加えた世界観。
ここは、そういう場所だ。
「どうなってんだ、ケート」
「気をつけろ。自分を保て。敵を倒すぞ。ハゲタカどものエサになりたくなきゃな」
上空で絶叫が響きわたる。
神殿から落ちてきた無数のエサを待ち受ける、悪魔の猛禽類たちの群れ。
彼らは待っている。弱者が負け、落ちてくるのを。
「はーっはっは、価値観を転倒させることは、つねに力なのだ。弱者は去り、死ね!」
「ついに正体をあらわしましたね、悪魔よ」
さけぶパリーサ。
新舘の身体から、黒い影が沸き上がる。
それは白い光を放っていたが、チューヤたちの目には悪魔にみえる。
「悪魔? ならば証明しろ、おまえたちの正義を。それを正義と言い張りたいのなら!」
名/種族/レベル(現在)/時代/地域/系統/支配駅
アエーシュマ/魔王/43(?)/紀元前/古代ペルシャ/ガーサー/大岡山
周囲にも、無数の眷属が控えている。
集団戦だ。




