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63 : Day -30 : Ōsakihirokōji


 解放した三角窓から流れ込むロータリーサウンドは、背後からだ。

ポルシェと同じRRというレイアウト。ボディサイズは、外から見るとおもちゃのように小さいが、乗ってみると驚くほど足元が広い。

 計器類は最低限しかなく、当時としては先進的なオートマチック仕様だ。


「ロータリーの高回転に耐えるように、ミッションスワップはしてるけどな」


 ロータリーエンジンとカッチリ噛み合った4速ATは、現在の高級車に比べれば物足りないが、もともと2速ATであることを思えば格段の進化だ。

 設計諸元での最高速度85キロ、最大回転数5300回転は、当時としては異例の高回転を誇った。

 さらに、載せ替えられたロータリーエンジンの設計時における最大回転数は、11000回転。小型軽量高回転エンジンという設計思想は、あきらかにR360クーペから受け継がれている。

 R360の車体では、当然、耐えきれない負荷がかかるが、一応、クラシックカーのレギュレーションが許すかぎりの強化はされている。


「184キロまでは耐えられるだろうと、うちのメカニックは言っていた」


「日本の法律に違反してますけどね!」


 そのロータリーエンジンに耐えられるようにつくられたのが、世界初の2ローター搭載車、コスモスポーツ。

 1967年、最高速度185キロの「ロータリーロケット」は、世界にマツダの名を轟かせた。


 もちろん境界のルール上、最新のロータリーエンジンを積むことはできない。

 そこで、1967年製の水平直列2ローター、10A型をリビルトした。

 総排気量は982cc。その後、ハウジング幅を拡張して1308ccまでボアアップされるが、ローター半径と偏心量は同じだ。


「67年製のエンジンであれば、半世紀縛りからは自由だ。どうだい、50年以上もまえのエンジンとは思えない、すばらしいサウンドだろう?」


「だったら最初からコスモスポーツに乗ればいいじゃない」


 その疑問には、もう数キロも後方に引き離されたサアヤたちが答えてくれる。




「なんかみんな、かわいいクルマに乗ってるよね。ケーたんもヒナノンも」


 サアヤの問いに、助手席のパリーサはうなずいて答えた。


()()()のほうが、悪魔にとってはいろいろ()()()()()らしいのです」


 2CV、R360、そしてミニ・クーパー。

 すべて「大衆車」と呼ばれる、小さな車ばかりだ。


 日本で大衆車といえば、まずはスバル360が挙げられる。

 その後、カローラやシビックが世界を席巻したが、旧車という考え方でいえば、やはり「てんとう虫」スバル360だろう。

 フランスならシトロエン・2CV、イギリスならオースチン・ミニ、ドイツならフォルクスワーゲン・タイプ1、イタリアならフィアット500、アメリカならT型フォード、といったあたりが各国を代表する大衆車だ。

 さすがにT型は古すぎるにしても、フォルクスワーゲンやミニなら、現在の公道を走っていてもさほど違和感はない。

 そのくらい時代と国境を超越した存在感のある「大衆車」こそ、人間の心を狙う戦いの舞台にふさわしいのだ、という。


「人間の心を狙う……?」


「ええ。だから上のパーキングでも、フェラーリやポルシェといった高級車は、もちろんありましたが、あまり大きな顔はしていなかったはずです。そういう趣味性の高い車は、たくさんのひとが乗った大衆車ではない。悪魔たちが乗りたいのは、より強く大衆の心をとらえた車なんです」


 エサを食うために、まずはその心を引き寄せる必要がある。

 同じトヨタでも2000GTではなくカローラ、同じシトロエンでもDSではなく2CVであることが重要なのだ。

 フォルクスワーゲンの意味が「大衆車」であり、世界でもっとも多くの人間が乗ったクルマであることに、最大限の意味がある。

 輪をかけて希少価値の高いコスモスポーツではなく、当時スバル360を下まわる価格で大衆の支持を得たR360クーペであることに、意味が。


「人間の心を、より多く集めた車……」


 神も悪魔も、人間の心を食って生きることは変わらない。


「心どうこう言うにしては、エンジン載せ替えるとか、やってることがこずるく見えますけどね」


 運転席からチクリと刺す唐沢。

 ラジオからは現在進行形で、新舘の口汚い実況がとどろいている。

 とはいえ、いかんせん、これはレースだ。


「……それで、パリーサちゃんは、チューヤたちとはどんな関係?」


 前走する狂気の改造車に比べて、ミニはゆったりとクルーズしているので女たちも話しやすい。

 パリーサはうなずいて説明をはじめた。

 それはほんの数時間まえの話──。




 戸越銀座の近くに、阿部オートという中古車販売店がある。

 最初は小さな自動車修理工場からはじめた社長の阿部は、最近はほとんど出社することもなく、その屋号だけ借りて、パキスタン系インド人が会社をまわしていることが多い。

 とくに輸出業務に特化していて、パリーサもインドから、父の仕事を手伝うためにやってきたのだという。


 そこで、怪しげな車を取り扱ったことはないか、と訪ねてきたチューヤたちを迎えたのが、たまたま事務所にいたパリーサだった。

 インドに親しいケートは、すぐにその空気を感じ取って親しくなった。

 第一印象だけはいいケートのおかげで、調査はとんとん拍子に進んだ。


 パリーサ(妖精のような、の意)は、インド国籍のパキスタン人だった。

 父親はインド・パキスタン協会の中古車部門で輸出業を営んでいる、という。

 中古の日本車を買いあさることで有名な、中近東人のひとりだ。


「パキスタンのひとか」


 ケートの言葉に、


「いいえ、パールシーです!」


 首を振り、パン、とやや強く彼の肩をたたくパリーサ。


「乱暴、怒りのパキスタン。全米が泣くか!」


 本能的にひとりボケ突っ込むチューヤ。


「パールシーって、パキスタニアンのことじゃないの」


 問い返すケート。


「パールシーは、ペルシャのことです!」


 ということはイラン系なのかといえば、そうでもないらしい。

 インド系のコミュニティに属しており、()()()()()()()()()()()()


「ペルシャ人ですか。なるほど、おふつくしい」


 千一夜物語にでも出てきそうな中東系美少女パリーサに、へらへら笑うチューヤ。

 ため息を漏らすケート。

 エジプト神話系の鷹匠女子高生、ギリシャ神話系のバイオハザードなFBI捜査官につづいて、こんどはゾロアスターの系譜を継ぐシェラザードとのエキゾチックな夜に耽溺するチューヤの浅はかな妄想が、手に取るように伝わってきた。


「ペルシャ国がどこか、わかってるんだろうな、チューヤ?」


「えっと……毛足の長い猫の国かな」


「妄想でイッてろ」


 現在のイランを指すヨーロッパ側からの古名で、パールシーは、古い宗教をもって母国を追い出された集団の名前とされる。


「ユダヤ人的な?」


「そうですね。ペルシャに発祥する、世界でいちばん古い一神教です。本来、インド・イラン共通時代を生きた人類の末裔は全員、この唯一の神を信じるべきなのです」


 ゾロアスターは人類最古レベルの古い宗教だが、現在の信者はきわめて少ない。

 イラン系とインド系があり、とくにインド系の勢力が強い。

 悪魔使いとしては、ともかく出てきた単語からナノマシン経由で検索をかけておく。


「……アフラマズダ?」


 脳内の悪魔全書をカンニングすれば、まっさきに出てくる名前だ。


「よくご存じですね!」


 うれしそうに表情を輝かせるパリーサ。


「うちの悪魔使いは、宗教横断的だからな」


 ケートも認める。

 アフラマズダを唯一の神とする宗教、ゾロアスター教。

 かつて栄え、やがて迫害されるという、よくある宗教の道のりをたどって、ゾロアスター教も起源の国から追い出され、流亡の民となった。

 そのなかで、インドに逃れた一派が栄えたのは、土着ヒンドゥーのカースト制に縛られないためだった。


 ゾロアスターは信者に、じゅうぶんな社会生活を送り病気や貧困のような社会の悪と戦え、と教えているので、経済的な成功をおさめることはすばらしいことだと考えられた。

 正直さと信頼性ゆえ、ヒンドゥー社会からも受け入れられた。

 ペルシア人であるという自意識を保持し、インド人であるとは思わなかった。


 酒も飲まず牛肉も食べないヒンドゥー教徒は、英国人の接待を拒否したが、パールシーは別だった。

 彼らは英国の支配をおおむね歓迎した。


 インド人ではなかったから、というわけでもないが、勤労を奨励し、学習を尊重するゾロアスターにとって、英国支配がさまざまな機会を増やしてくれることを喜んだ。

 ゾロアスター教自体は女性を男性と同等に位置づけているので、イギリス式の教育の機会を与えられた彼女らは、他の宗教が課している制約から自由に学び、その才能を発揮した。


「ヒンドゥー社会という多神教のなかに紛れて、こっそりと栄えているわけだな」


 この短い会話のなかで、パリーサもケートがそういう皮肉を弄するタイプであることを理解していた。

 彼女は「悪魔使い」という言葉に敏感に反応し、チューヤを見つめた。

 期せずして、つぎのイベントが準備されていた。


「オズの魔法使いよ、どうかドロシーを助けてください」


 突然、見つめられてどぎまぎするチューヤ。


「え、俺、魔法使いタイプじゃないけど。悪魔使いっていうのはね、その……」


「知ってます。境界のことも。そういう世界になってしまっても、私たちは生きていかなければなりません。オズの力が必要なのです」


 すこし話を聞くと、ようやく意味がわかった。

 ──世界的によく知られている児童文学の名作、『オズの魔法使い』。

 片田舎の少女ドロシーが、臆病なライオンやカカシなどと力を合わせて冒険する物語である。


 物語そのものはよく知られているが、OZの意味を知る者までは少ない。

 彼の本名は非常に長く、オスカー・ゾロアスター・ファドリグ・アイザック・ノーマン・ヘンクル・エマニュエル・アンブロイズ・ディグズという。

 その頭文字「OZPINHEAD」のうち、間抜けという意味のPINHEADを除いて、OZと名乗るようになった。

 Oはオスカー、Zはゾロアスターなのだ。


「というトリビアがあります」


「ドロシーの背後には、遠大な名前が隠されていたんだな。……で、ツァラトゥストラさんは、なにを語りて種をまきたいんだ?」


「わが神のクルマ、いえ、優秀な運転手を助けてほしいのです」


 それは、呪いのフォルクスワーゲンとも無関係ではない、という。

 助けてあげてほしい運転手の名は、阿藤タツマ。

 倒してほしいのが、アンリ・マイヨール。

 そうして首都高バトルにつながる──。



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