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疑似凍結保存されたチューヤの死体を中心に、戦端は展開された。
といっても、敵が何者なのか、いまいちよくわかっていない。
ただ目先に漏れてきた悪霊や騒霊のたぐいを、モグラたたき的に排除しているにすぎない。
もしかしたら、それは内部にいる。
一同の視線が集まるさき、
「おい、なに食ってんだマフユ」
リョージの問いに、
「ちゃんぽん麺に決まってんだろ、バカ野郎」
マフユは食いつづける。
「食べ物は危ないよ、フユっち! この手の霊は腐らせるから」
「……うっ!」
「ほら、言わんこっちゃない、吐いて吐いて」
「うまい、もう一杯!」
「…………」
結局、マフユが大半のちゃんぽん麺を平らげているあいだ、一同はナミを中心に問題の根源について掘り下げる必要に迫られた。
敵はまだ弱いが、あきらかにナミを狙っているか、ナミ自身から漏れている「破滅の調べ」を嗅いでいる可能性がある。
「そもそも、どうしてこんなことになったのか、思い出してよおばさん!」
「はぁ、はぁ……って言われても、サーちゃん、私はただ、仕事をしていただけなのよ。ガクトさんといっしょに、この会社をもっと大きくして、たくさんのひとを助けたい。だからアメリカの会社の買収も受けたし」
「ソンブレロ社か」
眉根を寄せるケート。
「そうよ。ノバテラスファーマからのオファーもあったみたいだけど。私のところにも、何度もプロパーがきて営業していった。試供品たくさんもらったなー」
「そんなことはどうでもいいの! どんな仕事をしていたの?」
「私たち、体育会系の研究者がやることなんて、決まってるんだよ。実験、実験、また実験、それ以外の仕事なんかないの。むずかしいことは理論屋さんが考えてくれるからね」
科学の世界は文系と思われがちだが、そうではない。
机に向かって考えつづける、いわゆる「理論屋」がいる一方、設備と機械と器具を両手に、寝る間も惜しんでデータをとりつづける「実験屋」なくして、科学は進まない。
むしろ昨今ノーベル賞を多く取っているのは、みずからの身を粉にし、汚れることもいとわない実験屋のほうなのだ。
「正しい分業だ。ボクもほんとは考えることに特化したいんだが、なぜか現場に駆り出されるんだよな」
「それはそうだよ、どんなに頭が良くても、たまには現場に出ないと。私よりぜんぜん頭いいガクトさんだって、率先してやってるんだから。自分の身体を危険にさらして、たくさん実験してるのよ。みんな、多かれ少なかれ犠牲を払って、がんばってるんだよ。私だって、手伝わないと……」
ナミの証言によって、徐々に輪郭は浮かび上がっていた。
彼女は、なんらかの危険な人体実験によって、このような状態に陥っている。
その原因を究明できれば、本質的な問題の解決に近づくはずだが、たとえそれが無理でも目先の状態を解消するための方法については、現在進行形で鋭意努力している。
──科学者は、むかしから実験をくりかえしてきた。
「生半可な知識が危険だというなら、危険でないほど大量の知識をもった人間が、どこにいるのだ」トーマス・ハクスリー。
危険な実験、後世の人間が愚行と呼ぶしかない行為を、ひたすら。
ただ愚直に、実験をくりかえすことが、科学をここまで推し進めた。
たとえば淋病と梅毒は同じ病気の段階のちがいだと証明するために、両方にかかってみる、という実験。
たいていの性病研究者は躊躇なく他人の身体で実験したが、自分で実験した勇気ある医者もいた。
「もし自分が患者と同じ病気だったら、自分に対して行なったであろうと思われる以上のことを、他人の身体で実験したことはない」ジョン・ハンター。
自分を実験台にする勇気をもった科学者だけが、他人を実験台にできる。
何世紀ものあいだ、薬の安全性の検証は事実上、一般大衆の実験によって確保されていた。
とりあえず飲んでみて、ようすを見るしかなかった。
患者は薬を飲み、医者は患者が死ぬか、それともよくなるかを観察した。
薬物の効果の実験については、ひとによって効果の差が大きいことも問題になる。
現在は、治験という人間モルモットに、業界は大金を支払って研究を推し進めることになっている──。
「わからんでもないな。科学は、あんたたちが切り開いている。敬意を表するよ」
「もう、ケーたん! 褒めてどうするの!?」
「やはー、だけど今回は失敗しちゃったみたいだねえ。身体がどんどん死んでいくんだよ。私の脳みそも、もうスッカスカなのかなー」
どこか悲しげに、しかしあきらめきれないように、弱々しく笑うナミ。
「その、ガクトさんは、なんて言ってるんだ?」
「なんかねー、もう理研にはかかわりたくないとか……」
ナミの勤務する株式会社・生体医療工学研究所の所長、ガクト。
和光理研コンプレックスの重要な一角を占める協力会社であり、サイバネティクス、ナノマシン、バイオケミカルの研究をメインにしている。
昨今の資本関係の変更が、どのような影響をもたらすかは未知数だ。
「いまは加速器に予算ぶちこんでるから、バイオ系にまわってくることはないだろうな、たしかに」
ケートの関与する最終兵器「ブラフマーストラ」と加速器の関係については、かなりむずかしい問題をはらんでいる。
理研が必要以上の予算をぶんどっていく、予算に見合う仕事をしていない、と思っている大学関係者は多い。その流れからガクト氏は理研を敵視しているが、表向きは手を取り合って研究しようという姿勢を見せてもいた。
どうしても理研を擁護したい政治勢力も、事実ある。理研は利権なのだ。
しかし直近、ガクト氏は外資との提携に踏み切った。
ナミの研究室にも、多額の資金が流れ込むはずだったが、チーフであるナミを含め数名の人間が前線からの離脱を余儀なくされている現在、計画は凍結されているという。
オマケみたいな研究分野だったエキゾタイトが、ナミの出した実績によって重要研究項目として指定を受けたのは、ごく最近のことだったはずだ。
「報告はしてあるけど、まだ調査中だって。通常のシミュレーションでは発生しえない事象だから、光が丘のラボから漏れたバイオハザードが考えられるって」
「……キナ臭くなってきたな、おい」
サアヤは、チューヤとふたりで光が丘のラボを訪れたことを、だいぶむかしのことのように思い出した。
あそこで彼女は、どんな研究をしていたのか?
エキゾタイトの研究ということだが、それにしても危ない敵と戦っていたような気がする。
「ガクトさんは、いいひとだよぉ。東大の希望の星なんだから。なつかしいなあ、あのころにもどりたいなあ……」
ナミの目に光る涙。
彼女の身体が死んでいくのが、周囲から見ていてもよくわかる。
イッキが抱きしめると一時的には治癒したように見えるが、本来、死者の肉体が崩壊するのは自然の摂理である。
彼女は死んでいる、すくなくともその状態が重ね合わされている。
この「呪い」を解かないかぎり、遠からずナミは死ぬ。
数週間まえには、元気に本郷三丁目を歩いていた彼女が。
──生医工の本社は東大弥生キャンパスの近くにあり、光が丘から大江戸線で後楽園か本郷三丁目まで出れば、そこから徒歩でも行ける。
最寄駅は、距離的には本駒込、千駄木、東大前だが、東京で「隣の駅」といえば、基本的には徒歩圏といっていい。
東京メトロを使わず、都営地下鉄だけで済ませたければ、後楽園で三田線に乗り換えて白山から歩くのが、いちばん安上がりで近い。
だが健康のため、一駅や二駅くらいは歩いてみるのをオススメする、というわけで彼女は乗り換えを避け、本郷三丁目から北上する間に脳内で思考を練る、というスタイルをとっていた。
母校の東大を右手に見ながら、17号をてくてく歩く彼女の姿は、一部の好事家の熱い視線を浴びるところだった。
「ナミおばさん、エリートだもんねえ」
しみじみと親戚を眺めるサアヤ。
「東大在学中に社長から直接、一本釣りで引き抜かれたんだっけ?」
イッキも話くらいは聞いている。
「聞こえよすぎー。就職先がなくてドクターに逃げてたら、ありがたくも声かけてもらったんだー。じっさいエキセントリックな社長ではあるけどねー」
生医工の社長は、ビジュアル系のイカした男で、各方面いろんな浮名を流していることでも有名だ。
サアヤとケートは、不法侵入によって彼のかなり近くまで接近を果たしているが、まだそのご尊顔を拝する栄には浴していない。
「だが、現にこうして社員のピンチに、クソの役にも立ってないじゃないか」
直球で非難する容赦のなさはケートらしい。
「いいひとなんだよ、そうじゃなきゃ私の謎の研究に、いつまでもお金出してくれないよ」
「……ナミさんの研究って、具体的には? エキゾタイト、どうするの?」
「ひとの生きる力を、多すぎるところから、足りないところへ。正義の分配法則を、私は成り立たせたいだけなんだよー。シンちゃんも、おマグり、大事に使ってくれてるよね。必要なひとが、必要なだけ使えるようにだよー」
一同の視線が、チューヤの冷たい身体に注がれる。
魂と肉体の連結は、いまだ断たれてはいない。
おそらくこの世界のどこかで、彼は悪魔使いとして戦っている──。
この先、行き止まり。
危険ですので、これより先へ進まないでください。
「すばらしいフリをありがとう。行くぞ、みんな」
わかりやすい看板を乗り越え、進む悪魔使い。
──かつては重要な古道であったが、現在はもっと便利な道に取り囲まれて廃道となっている。
「……なかなか敵さんとの遭遇率が高いね」
強敵がぞくぞくと襲ってくるが、チューヤの悪魔たちは完璧な組み立てでこれらを駆逐した。
彼の周囲の人々はもっぱら過小評価しているが、4体同時召喚とは、かほどにすさまじい才能なのだ。
チューヤという人間は、この場所に実在しない。
にもかかわらず、そこに悪魔だけを召喚して戦うことができる。
ただ1個の霊体で、ここまでの仕事をできるのは、その悪魔召喚能力によるところが大きい。
肉体を用いるスキルタイプでは当然、こんな芸当はできないし、魔法に特化したタイプであっても、霊体単独でこの霊道を進むのはきわめて困難だろう。
飛び抜けたレベルでもあれば別だが、同レベル帯でチューヤの戦い方は、確実にモア・ベターである。
悪魔使いが召喚する悪魔は、その使い手に肉体があろうがあるまいが関係ない。エサであるエキゾタイトさえ与えてやれば、忠実に契約を履行する。
そういうタイプの能力者であるからこそ、このような特異なミッションも遂行できている。
そもそも実体のない悪魔を召喚する、という才能だけで一段上の才能なのだが、なかでも4倍体という突然変異的なポテンシャルは、人類の生み出した最先端の奇形児といってよい。
奇跡的な遺伝子のモザイクが、自分の命を賭してでも生み出すに値すると信じた、すべては彼の母親の功績だ。
「しゃおら、てっぺんとったどー!」
右手を突き上げ、叫ぶ霊体。
そのさきに広がる神社の境内には、神社らしい静謐はたしかにあったが、あきらかにそれとは異なる獣の気配もあった。
境界化しているというより、そもそもここは彼らの世界、人間にとっての異界だ。
そういう「霊地」が、地球上にはいくつかある。
そのとき、チューヤは足元に、一個のおにぎりを発見した。
──ヨモツヘグイを見つけた! 取りますか?
「はい! はいはいはい、はい!」
すなおなプレイヤーは、ただちにアイテムに手を伸ばした。
それを取ろうとした……瞬間、ころり、と転がって遠のく。
さらに手を伸ばすと、ころころっ、とさらにさきへ。
「…………」
考え込むチューヤ。
たぶんリョージなら、このまま転がるおにぎりを追いかけて、地面に開いた穴に落ち、ネズミの結婚式かなにかで重要な役割を果たし、金銀財宝あたりをゲットするにちがいない。
だが、彼はチューヤである。そういうファンタジーな昔話には向いていない。
つぎの一歩を踏み出した瞬間、再び転がりだしたおにぎりの背後に、悪魔を召喚した。
キャッチするコカクチョウを、すかさず引き上げる。
──ヨモツヘグイを手に入れた!
「よっしゃ! おにぎり、ゲットだぜ!」
「あー! ずるい、ずるい、ずるいー!」
周囲から絶叫が聞こえる。
想像どおり、現れる無数の悪魔たち。
イヌガミだ。どうやらここはイヌガミの縄張りらしい。
本来は話し合いたいところだが、関東のイヌガミと別系統らしく、話にならない。
そもそもチューヤは不法侵入者であり、イヌガミにとっては「捕食対象」なのだ。
「逃げろーっ」
脱兎のごとく転がり走るチューヤ。
霊体なのだから飛んで逃げればよさそうなものだが、そういう便利なことができるくらいなら、坂道をわざわざ歩いていない。
すくなくとも敵悪魔の群れが支配している領域からは、自力で離脱する必要がある。
徒歩という概念形態をもって、どうにか神社の境内から抜け出さなければならない、が。
「不敬の輩、罰してくれようぞ」
──マカミが現れた!
ボスBGMとともに眼前に現れる、ひときわ巨大な悪魔。
できれば戦闘は回避したい。チューヤは選択肢を探る。
──トーク! だめだ、話にならない!
──逃げる! だめだ、まわりこまれた!
「やるっきゃねえみたいだな。……頼むぜ、ナカマたち!」
脳内の悪魔全書から、搾れるだけの情報を搾る。
ナカマたちの組み合わせから行動選択まで、最適解をつなげていくために。
名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅
マカミ/神獣/33/8世紀/日本/大和国風土記逸文/氷川台
狼が神格化した存在とされ、厄除け、特に火難や盗難から守る力が強い。
古くから絵馬などに描かれてきた一方、人を喰らう獣として恐怖の対象でもあったとされる。
西日本に伝承の神獣が、伝統ある古道に棲みついて獲物を待ち受けているというのは、考えられる顛末だ。
「その無尽蔵の守り袋、いただこうか……」
どうやら敵の狙いは、霊体のチューヤがもっているおマグりらしい。
もちろん実体のないチューヤが、いわゆる「3点セット」を持ち歩けるわけではないのだが、霊体を窓口に変えて、力を引き出したりお金を送ったりはできる。
……当然、チューヤの霊魂は「捕食」対象である。
悪魔は肉体を好んで食うように思われがちだが、じっさいは霊魂の発するエキゾタイトの振幅を嗜んでいる。
肉体も食わないわけではないが、それを食いちぎる目的は、死に瀕して泣き叫ぶ魂魄の断末魔ほど美味だから、だ。
直接、霊体が手に入れば、それは素材ではなく、そのまま食える料理が出てきたに等しい。
もちろん霊体が食われれば、チューヤという存在は死ぬ。
じつは彼は、きわめて危険な薄氷を踏んでいるのだ。
魂には「瀕死」という状態がない。
肉体との接続が断たれれば、すなわち終わりだ。
即死を防いでくれていた肉体がないぶん、裸の魂は、安全装置なしで走るに等しい危険運転の状態にある。
危険なボス戦が、はじまった。




