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「そろそろ説明していただいてよろしいかしら?」
あらためてヒナノに問われ、サアヤはうなずいた。
「見てのとおり、うちのおばさん、ちょっと頭おかしくなっちゃっててね」
時刻は午後10時をまわっている。
時間が深くなればなるほど、ナミのようすは「腐敗」の度を増していく。
なんとかイッキが抑えているような気配だが、いつ破滅的な状況に陥ってもおかしくない。
それでも一応、隣人の肩をもつチューヤ。
「言い過ぎ、サアヤ!」
「そうだよーサーちゃん、シンちゃんもっと言ってやって」
だんだん、と床を踏み鳴らして苦言を呈する姿勢を変えない、強情なサアヤ。
「黙らっしゃい! おばさんの貯金通帳、もう空っぽなんだからね! こんなお高い家、もう住めないよ!」
生活感のある言葉に、ぐうの音も出ないチューヤ。
ナミはへらへら笑って歌うばかりだ。
「青山あたりで暮らすには、私は今どきおタカいの♪」
「いしだあゆみ歌ってる場合じゃないから! たしかにむかしはおカタかったけど、いまやホスト遊びで痴情沙汰だからね!」
「やはー、それを言われるとー」
てれてれするナミ。
だいぶ知能程度が低下している、というのはまちがいない。
「それで、どうするつもりなのですか?」
「もちろん、助けるんだよ。……でね、呪いを返した魔女さんとか、ラファエルさんとかにいろいろ聞いてまわった結果、おばさんを助ける方法をついに発見しまんた!」
「おー」
ぱちぱちぱち、と拍手する一同。
サアヤの功績だけは、全員すなおに認める傾向がある。
世界中から愛される女、それがサアヤだ。
「で、どうすんだ?」
「死ぬんだよ!」
「…………」
しばらく居心地がわるそうに、互いの目を見合っていた部員たちは、ほどなくサアヤに視線をもどし、おとなしく彼女の謎解きを待った。
サアヤはコホンと咳払いをしてから、誇らしげにくりかえした。
「そう、死ぬんだよ!」
「……サアヤさん、日本語でおk」
控えめにうながすチューヤ。
サアヤはくるくるとアホ毛をぶんまわしつつ、
「ヨモツヘグイっていうものをとってくるには、死なないとダメなんだよ。だからね、死んで取りに行くんだ」
「……何度も言うがサアヤ、死んだら生き返れないんだぞ」
「生き返れるよ! そのために、ほら、こんなにたくさん薬草もってきたんだから」
魔女であるおばあちゃんの説明によると、心臓を止める薬草、臓器を保護する薬草、体温を下げる薬草、などなどだという。
これで仮死状態のまま半日はもつ、という。
──仮死状態。
そう、この世界では「戦闘不能」からであれば、魔法で確実に復活できるというルールになっている。
「で、だれが死ぬの?」
「まあ体力に優れたやつが、いちばんだよな」
「殺しても死なないやつな」
一同、とくに他意もなく言っているようにはみえる。
さっきからいやな予感しかしないチューヤ。
「死ぬんでしょ!?」
「ひとは死んでも生き返るんだよ、最近の小学生によると」
「やめて! ゲーム脳批判的なロジック、永久にやめて!」
「体温を急速に冷やして冬眠状態にすると、ある程度、長い手術にも耐えられるらしいぞ」
「生き返れたの、それ!?」
「まあ、ある程度の成果は出たらしい」
「ある程度やめて! ……サアヤ、無茶じゃないの?」
全員の視線を浴びて、チューヤはその罠の深さを思い知った。
形だけでも抵抗を試みる彼に、形だけでも思いやる部員たち。
残念そうに、ほろりと泣いたふりをするサアヤ。
「チューヤがどうしてもやらないって言うなら、しかたないから私が」
「なんだと、サアヤにやらせるくらいならあたしが」
「いやオレが」
「ボクが」
「……わたくしが」
しかたなさそうにヒナノまでが乗っかる姿を見たら、お笑い担当のチューヤとしては、言わないわけにはいかなかった。
お約束の力とは、絶大なのだ。
「い、いや、お、俺が……」
「どうぞどうぞ」
「…………」
最初からそういうことになっているのだ、とあきらめるしかない。
途中から一定程度、チューヤは覚悟を決めていた。
この場合、そうするしかないのだ。サアヤが死ぬのを黙って見ているなどということは、断じてできない。
それに基本、自分は長生きできないと知っている。
だからこそ、生きているときにできることを全部やる、そのためにあまり寝なくても平気だ。
せいぜい、いいタイミングで死ねれば本望──。
そのとき、部屋に冷たい気配が染み込んできた。
──境界化。
ナミを中心に、暗黒の気配が広がりつつある。
イッキは新しいオフダを部屋に貼っていくが、すぐに変色していく。
このタイミング、この場所で逝くことに意味がある。
サアヤはそう判断した。
「境界なら身体、守りやすいから。チューヤ、生き返らせやすいから」
「わかったわかった。さっさと殺ってくれ。きょうは、死ぬにはいい日だ」
両手を開いて、かっこつけるチューヤだが、彼が思っているほどの効果があったかはわからない。
現状、HPは最大だが、どうやって死ぬのだろう?
一瞬、脳裏を不安がよぎる。
一般に、蘇生は必ず成功するとはかぎらない。
死んでから時間がたつほど、生き返るのがむずかしいことも、よく知られている。
しかしこの世界のルールとして、デッドになればもどってこられないが、ダイイングならもどることができる。
そして、そのダイイングの状態でしかはいりこめない、生と死の境界があるという。
異世界線との「横の」境界ではなく、地上と地下、生存と死亡を隔てる「縦の」境界。
くらやみ坂シナリオに通じる、その坂を登れば生者の世界、下れば死者の世界。
デッドとダイイングが決定的に物語を変える要素である以上、生と死の分水嶺に挑戦することは必須であった。
ほんとうに死んだら、ぜったいに生き返らない。
これはルールだが、その境界で会うことはできるだろう。
「それじゃこれ飲んで」
サアヤからわたされた薬草を、黙って受け取った。
なるほど、毒殺というわけか。
いやそうな顔で、はむはむと咀嚼するチューヤ。
良薬口に苦し、という言葉はあるが、
「毒薬なのにまずいぞ、これ」
「いい、チューヤ? 夜明けまでに帰ってきてね。それまでは、必ず守るから。魂、身体にもどすから。ひとは死んでも、生き返るんだから! でも、それより遅くなると、わかんない。もどれるかどうか、わかんないよ。だから、夜明けまでだよ! いい? ぜったいだよ!」
「ああ、わかったよ。俺のちゃんぽん麺、残しといてくれよな」
これから死にゆくものを見つめるマフユの目には、それなりに親しげな気配がある。
「心配するな。ちゃんと食っといてやる」
「それでは、よろしくて? ──悪魔使いの邪悪な心臓に、一度、聖なる鉄槌を下して差し上げたかったのよ」
境界化したのをいいことに、やおら、ヒナノの腕から即死魔法が炸裂した。
即死魔法とは、ぴったりHPを0にする、という概念を取り扱う魔術回路だ。必要以上に肉体を破壊せず、生き返らせやすい死に方としても知られる。
とはいえ悪魔使いはニュートラルであり、一撃必殺系の破魔や呪殺は効果的というほどでもないのだが、油断していたところを後方から一撃されたのだからたまらない。
HPが0になる。
彼は瀕死となって、横たわる。
「躊躇なかったね、ヒナノン……」
うながしたとはいえ、サアヤもすこしあきれた。
「他意はありません。必ず生き返らせます。でしょう?」
「うん、ま、しかたないね。チューヤにはいい薬だよ」
「劇薬っぽいけどな。……おい、毛布とボンベ」
最初から計画されていたかのように、てきぱきと動く仲間たち。
このまま蘇生魔法をかけられなければ、時間の経過とともに生き返る可能性は減っていく。その時間を最大限に引き延ばすのが「冷却」だ。
「フユっち、お願い」
「しかたないな。全身、しもやけにしてやんよ」
マフユの凍結スキル。
手加減しているのだろうが、一気に全身が青白くなる。
科学的知見によれば、これで脳と肺を守れる。
心臓は、停止には強い臓器なので、一晩や二晩なら問題なくもつだろう。
とくにチューヤの心臓は、やたら強力に動きつづけることで知られている。
「やれやれ、死人の世話は大変だ」
それでも長くはもたない。
彼が臨死でいられる時間は──。
「具体的には、どのくらいですの?」
「わかんないけど、一晩くらいなら」
「冬の海で溺れて数時間、死んでいた人間が生き返ったという話は、たまに聞くな」
ふつうに心臓が止まったら5分以内に蘇生させる必要があるが、心停止に弱い器官を冷却などの方法で保護しておけば、1時間以上はだいじょうぶ、ということになっている。
この「だいじょうぶ」は、後遺症なしで蘇生できる、という意味だ。
「脳に直接、酸素を供給してやる。最大限、もつだろう」
ケートの「学者」としての才能が発揮される場面だった。
チューヤの死体を中心に、最善の方法が試されていく。
どう死ぬか、それが問題だ。
ふわり、と浮き上がる身体。
有名な幽体離脱というやつだ、と理解した。
自分の身体が部屋の中央に横たわり、その周囲を人々が取り囲んでいるのが見える。
「いいやつだったな」
「死んだらみんないいやつなのさ」
「なんまいだ」
お通夜の雰囲気を醸し出す面々に、
「ちょっと! ひとが死んだときにふざけるとか、最低ですよ!」
命がけで突っ込むが、どうやら声は届いていないらしい。
唯一、サアヤだけがアホ毛をぷるんと揺らし、チューヤの方向を振り仰ぐ。
「たぶんそのへんにいると思うけど、チューヤ聞いてる?」
霊魂となったチューヤは、サアヤのまえに立ち、アカンベーをした。
一瞬、不愉快そうな表情をしたような気はするが、どうやらサアヤにも見えていないらしい。
手を触れようとすると、すり抜ける。
境界化しているのだから、幽霊として見えてもいいはずだが、生霊は別の取り扱いなのかもしれない。
ふと、唯一感触がある部分に気づいた。
アホ毛だ。触ると揺れる。
くるくるくるくる、とまわしてやった。
「……なにふざけてんだ、サアヤ」
ケートの問いに、
「ふざけてないし! チューヤ、ここにいるんだよ!」
「ほう。死人のくせに、あたしのサアヤにイタズラするとは、なかなか冒険者じゃないか。二度と生き返れないようにしてやろうか?」
「まあ待て、当人の突っ込む声も聞こえないことだし、ここはひとつ話を進めよう」
リョージが冷静に割ってはいった。
うながされ、サアヤが説明する。
「姿が見えないってことは、別の次元に立っているってことだよ。ナノマシンを調整すれば見えるかもしれないけど、いまはもっと大事なことがあるから。……いい? チューヤは神道だから、たぶん黙っていれば、そのまま神道の〝あの世〟に導かれるとは思うんだ」
「なるほど」
答えるチューヤの声は届いていないが、代わりにアホ毛をまわしてやった。
「けど時間ないから、自分で探して突き進んで」
ぱしっ、とチューヤの手を気持ちで振り払うサアヤ。
「探すって、どうやって?」
サアヤのアホ毛をいじって「?」マークをつくる。
霊界電話以外にも、いろいろと交流の方法はありそうだ。
「魂の糸が、空に向かって伸びてるはずだよ。それをたどって。自分の糸が見えづらかったら、他人の見やすい糸をたどって。もちろんナミおばさんにつながる、神道の糸だよ」
「ほうほう……おおお! すごいぞ、これは!」
チューヤの身体は、その意図に従って浮き上がり、一気にビルの上空へと抜けた。
「……行ったみたい」
なんとなく虚空を見上げるサアヤ。倣う一同。
ミッション「あの世」開始だ。




