50
媚びを売るというほどでもないが、突如として友好的な態度を示されると、どう受け止めていいのかむずかしい。
ケートは慎重に言葉を選んだ。
「そちらの提供する情報の量と質が、ボクたちの道行きにとってどの程度価値があるか、まず判断させてもらう必要がある」
斜め後方で、マウントとれてうれしそうだなケート、とチューヤは思った。
それが彼の戦術のおかげかはともかく、ケートは塔子から情報を引き出すという当初の目的を達しつつある。
まず、彼女の正体は何者か。なぜここにいるのか。どういう目的なのか。
洗いざらい、吐いてもらいたい。
「なぜ、私がここにいるのか? エジプト代表として、新宿会議に参加しているからですよ」
新宿会議。
チューヤの記憶から、いくつかの単語が呼び起こされていく。
たしかに、聞いたことのある言葉だ。
「ダイコク先生絡みで聞いた気がするけど、なんだっけ?」
「オオクニヌシ殿は新宿会議の主催者ですからね。──新宿会議は、人間でいえばウィーン会議やヤルタ会談のようなものです」
「その後の世界秩序の形を決める」
うなずくケート。
「そう、悪魔たちのね。悪魔全書を参照すれば、わかるはずですよ」
言われてチューヤは脳内の悪魔全書と、新宿周辺の地図を重ねてワークさせる。
新宿と名のつく駅は、本家新宿以外に、西武新宿、東新宿、新宿三丁目、新宿御苑前、南新宿、西新宿五丁目、西新宿、新宿西口の計9つ。
新線新宿という駅もあるが、ホームが分かれているので区別するため便宜上そう呼ばれているに過ぎず、正式名称は新宿駅だ。
「9つの勢力の代表者が……?」
「そう、集まっているのです」
神道系のチューヤをはじめ、サアヤ、リョージ、ケート、ヒナノ、マフユの勢力の代表が加わる。この6勢力に加えて、
「ゼウスのおっさん……ギリシャローマ系か」
「それからエジプト勢?」
「もうひとつはアステカ系だったのですが、アメリカ代表がとってかわりました。事実上、神学機構の傍流といっていいでしょう。まあ、世界の半分を握る神学機構ですから、9つのうち2つの枠ですら物足りないとは思いますがね。この9勢力で、なるべく平和な形で、いかに人類を捕食するかの利害調整をしているのです」
「捕食って、やめてもらっていいかな」
冷や汗を流すチューヤ。
そもそも悪魔は、自分たちを食おうとしている存在なのだと、否応なく思い出す。
ケートは、食う食われるなど生物界の摂理にすぎないと割り切っているので、平然と話を進める。
「たいして意味のない会議だってことで、うちのパパやクリスは、あんまり興味ないって言ってたぞ。実効性に欠けるとかなんとか」
「否めません……。先進国サミットのように、ただの仲良しクラブみたいなもの、という辛辣な意見もありますが、それはあなた方インド勢力のように、ラーフなどという適当な代表を送り込む人々の責任でもあるのですよ」
西武新宿の妖獣ラーフが、どうやらインド(ヒンドゥー)代表ということになっているらしい。
以下、主催国(神道)代表・国つ神オオクニヌシ、中国(東方)代表・龍神ショクイン、神学機構(一神教)代表・大天使マンセマット、仏教代表・英霊テンカイ(僧正)、北方連合代表・幻魔バルドル、ギリシャ(古典)代表・破壊神アレス、アメリカ(新世界)代表・地母神ブラックマリア、そしてエジプト(旧世界)代表・魔神トート。
こうして並べてみると、そうそうたる面々と見えないこともない。
「どうせ、ろくなこと話してないんだろ?」
「ええ、まあ。はじめは会議より出勤時間のほうが長いくらいでした」
「わかる。新宿は、ほんと広いからね……」
新宿と名のつく駅のホームを、すべて歩くには何キロ、何時間かかるだろう。
考えただけで気が遠くなる。
悪魔使いにとっては最大の問題だが、
「まあ、ショートカットする方法が、ないわけではありません。……あなたなら使えるかもしれませんね。差し上げましょう」
塔子は手を差し伸べ、チューヤの額に当てて、なにやらぶつぶつとつぶやいた。
かつてジャバザコクでジャミラコワイ博士に強制アップデートを受けたときのような、小さな更新を受け入れた印象がある。
チューヤは瞼の裏を見上げる感覚で、
「……黄色い線の軌跡をエミュレートする、ってことかな」
「すべての駅を使ったことのあるあなたなら、可能でしょう。必要なときがくればわかります。──さて、あなたはこうして、われわれエジプト勢の助けをいつも受けてきました。われわれの力なくして、ここまでこれなかったといっても過言ではありません」
「過言だろ」
ケートは茶々を入れるが、チューヤ自身は正直否定できない。
塔子はたたみかけるように、
「セベクから、ハトホル、バステト、あなたに力を貸してきた数々のエジプト神たちの恩を、よもやお忘れではありますまいな? 最近では最古の神獣スフィンクスの導きにより、そうとうコンビニエンスな生活を送っているとか」
「なんだ、その恩着せがましい態度は。聞く耳をもつな、チューヤ」
警戒心を高めるよううながすが、塔子はそれ以上、踏み込んではこない。
「あなたがどの道を選ぶかは、あなたが決めればよろしい。ただ、どの道を選んだところで、われわれとの関係は切れないのです。そう、すべての勢力に、私たちはコミットしているのだから」
塔子は語った。
自分たちが、いかに底堅く戦略を練り、クレバーに生き延びてきたか。
アフリカという人類発祥の旧世界を拠点とし、たぐり寄せられたその象徴的な成果を。
たとえばサアヤ。
一見なんの関係もなさそうな仏教の勢力と、エジプトは「お犬様」によってつながっているのだ、という。
「あなた方はほどなく、一度で二度死ぬコンラッドを訪ねるときがくるでしょう。黄泉へと連なる冥府の番犬は、彼女のなかに根を下ろしているはずですね?」
その言葉の意味はよくわからないが、たしかにサアヤの不動のガーディアンは地獄の番犬ケルベロスだ。
塔子はさらに、別の人物をイメージしてつづける。
「あの、心も身体も大きな青年は、この国の防衛にかかわる秘密を求めるかもしれません。そのとき彼は、われわれの力を必要とするはずです」
蒲田のほうの中華屋で、自衛隊に勤務する父親をもつ娘に、熱烈に惚れられたリョージという男のことが脳裏に浮かんだ。
塔子は身体の向きを変え、おそらく北に向かって言った。
「この国の首都辺境で、暗躍する闇の者たちは、セトやクヌムを敵として葬りたいのかもしれません。しかし、それが容易ならざることは、ほとんど一体化した悪魔たちの相関関係からもあきらかです。入り組んだ利害の調整は、ほぼ不可能に近いと知るでしょう」
マフユの周囲にも、エジプト勢は含まれている。
味方というよりも敵対することのほうが多いかもしれないが、容易に取り除けるくらいなら苦労はしない。
次いで反対方向に体を返す塔子が見つめるのは、おそらく一神教。
「メジェドという名のネットミームは、もはや取り除くことのできない〝全角スペース〟のように、あの巨大組織のネットワークに染み込んでいます。ゆるがせにすれば、致命的な結末をもたらすこと疑いありません」
神学機構のセキュリティを突破してみせたのはケートも同様だが、エジプト勢はより強力で深刻なウイルスを、神学機構内に爆弾のように潜入させている、と言いたいらしい。
それから塔子は、ゆっくりとチューヤに向き直った。
「あなたは、あなたの道を選んだそのとき、隣にはだれが立ちますか? 夢想しなかったとは言わせませんよ。愛らしい鷹匠の少女と、あなたのまえに伸びる道のことを」
ぎくり、とふるえるチューヤ。眉根を寄せるケート。
セベクやハトホルをナカマとして使い倒してきた事実は揺るがないし、エジプト勢にはその点で親しみももちろんあるが、あくまでもそれは悪魔だ。悪魔使いとそのナカマの関係にすぎない。
だがホルスというハヤブサを駆る石野は、同じ時代に生きる生身の人間、近隣の高校に通う親近感のある女子高生だ。
チューヤの指示に、人間であるにもかかわらず、すなおに従ってくれた石野。
彼女と、ふたりで歩みだす新しい道のりを夢想しなかったと、チューヤには口が裂けても言えない。
「バカタレが……」
悪魔の口車に乗るとは、チューヤらしくないと思ったが、同時にケートはその悪魔の域を越えた奸計を巡らす塔子の才知に、少なからぬ敬意を寄せてもいた。
頭のいい人間は、頭のいい人間を知る。
この如月塔子という人間は、敵にしろ味方にしろ、油断できない。
そんなケートの思惑を見透かしたように、最後に塔子はケートに向き直った。
「そして、あなた。インド数学は、エジプトの築いた幾何学なくして、発展しないのです」
「なんだと? 偉そうに」
「越境領域における対比数論のポテンシャルについて、この方程式を繰り込めばどうなりますか?」
差し出す塔子の紙に、目を奪われるケート。
しばらく沈思黙考する天才。
チューヤには想像を絶する純粋数学のブレイクスルー、天才のみが到達しうる数理のホライゾンを、ケートは駆け巡っているにちがいない。
「……くそ、たしかに魅力的なアイデアだが、適用可能かはわからん」
「もちろんです。私の頭脳、必要ですか?」
ケートはしばらく考えてから、塔子の差し出した紙を手に取って、裏面を一瞥してからポケットに入れた。
さしあたり手を組む相手と認めたようだ。
「さきにコンセンサスをとる」
「天才の査読、楽しみです。連絡を待っています」
「ふん。……行くぞ、チューヤ」
言葉少なに言って、踵を返すケート。
説明が少なすぎてチューヤにはまだ理解が追いついていないが、天才同士は、もはや語ることはないと認めたようだ。
上階へ向かうエレベーターに乗り込む塔子。
同時にすべりこんできた都庁行きの列車に乗るケート。
あわてて追いかけるチューヤ。
この新宿西口会談は、重要な契機になるかもしれない。




