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49 : Day -31 : Shinjuku-nishiguchi


「……ここでいいのか、ケート」


 駅のホームに降り立つチューヤ、そしてケート。

 真上にあるはずの大ガードから、思い出横丁の香りが漂ってくるような気がする。


 ひたすら巨大な「新宿駅」というひとくくりの世界のなかでは、新宿とは思えないほど閑散とした空気だ。

 深いところにあることもあるが、新宿の名を冠しながら、まったりとした寂しさを醸し出せるのは、ここ新宿西口駅と西新宿五丁目駅くらいだ、とチューヤは考えている。

 西新宿駅は都庁やオフィス街へのアクセスがいいし、東新宿駅はイーストサイド直結で歌舞伎町にも近い。

 新宿三丁目駅はむしろ二丁目だし、新宿御苑前駅は周りにおしゃれな店が多い。

 南新宿駅や西武新宿駅には哀愁が漂っているものの、それは私鉄だから(?)しょうがない。


「ああ。ボクも手伝ったんだから、キミにも手伝ってもらうぞ」


 チューヤの横に並んで立ち、無機質な地下プラットフォームを見わたすケート。

 あいかわらず、彼がなにを考えているのか予測することはむずかしい。


「いやまあ、なんと言われても手伝いますけどね。なんなの?」


「もう忘れているのか。月曜日、キミの友人が教科書に落書きしていた数式だ」


 張られすぎている伏線を回収するのは、主人公の仕事だ。

 天才には及ばぬまでも、なんとか脳内の回路をつなげ直す凡人チューヤ。


「ああ、家庭教師の先生がどうとかっていう」


「ボクも忙しいから後まわしにしていたが、ついでだ。片づけて行こう」


 新宿西口駅は、都営大江戸線の地下駅だ。

 1面2線で、新宿駅、西武新宿駅が乗り換え駅に指定されている。


「え、住所割り出したの? なによ、自宅襲撃とか考えてるわけ? それ、悪役のやることじゃん」


「そんな面倒なことはしない。……これは賭けだ。あんな変態じみた計算を立てられるやつは、悪魔か、悪魔に取り憑かれたやつに決まってる。たぶん、ボクらの行動も計算済みだろう」


 国語の教科書の余白に、謎の予測と証明を残した数学者。

 そういう状況だけで、たしかに変態的ではある。


「……どういうことよ? もう、怖いこと聞きたくないですけど」


 ケートは、ポケットから折りたたんだ一枚の紙を取り出した。

 パソコンで打ったらしく、チューヤにも読める美しい数式だ。

 もちろん文字として読めるというだけで、意味はまったく理解できないが。


「ラプラスの魔って言葉を知ってるか? ある瞬間のすべての物理量が計算可能なら、その知性にとって不確実なことは、なにもなくなる。そういう決定論的な悪魔の存在を仮定した数学者が、18世紀にいた。

 20世紀、量子力学の出現によって完全否定されたが、われわれはまだ量子力学を統合していない。現にニュートン力学は周囲を確からしく支配しているし、ここまで計算できるやつは、たぶんボクらの行動もお見通しだろう。

 だがボクは、相手の想定どおりに動きたくないんだ。その後の立場がわるくなるからな」


「あくまで相手の上に立って生きたいわけね。厄介なひとだなあ。……で、どうしろと?」


「ボクの予測では、その家庭教師の正体はニートだ」


「家庭教師やってんだろ。ニートじゃないじゃん」


「まちがえた、トートだ」


 チューヤは笑っていいものかどうか迷いつつ、脳内に悪魔全書を展開する。


名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅

トート/魔神/35/紀元前/古代エジプト/ピラミッド・テキスト/新宿西口


「ふーん。ちょうどいいくらいのレベルだね。偶然とは思えないほど」


「計算どおりだろうよ、ボクたちがここへくるのは。……敵だか味方だかわからん連中だが、マウントをとらせるつもりはない。やつは、憑代である家庭教師の存在を、こっそりと示した。その職場や自宅からたどるのがセオリーだろうが、ボクはそう簡単に言いなりになるような男ではないのだ」


「計算どおりなんだろ? 支配駅から呼び出すことが、マウント取り返すことになるのか?」


「おまえの正体は知れているのだ、と主張したい。たとえ想定の範囲内だとしても、こっちだって相手の想定は想定しているんだ」


「なんか、テストまえに学校に問題用紙を盗みにはいる不良生徒みたいな気分だよ」


 ひさしぶりに、駅のホームを端から端に歩いて、支配悪魔を呼び出すという手つづきにはいる悪魔使い。

 1面2線という、こぢんまりとした駅であるおかげで作業は短くて済む。


「言いえて妙だな。ただし模範解答を持っているのは、トートじゃない。この数式が、いかに欺瞞に満ちたトリックであるか、ボクが証明してやる」


 トートの予測は、ある問題を解決する可能性の片鱗を示したが、じつは決定的な部分でまちがっている、というのがケートの立場であるようだった。

 厳密な数学においては、ひとによって答えが変わるなどということはあり得ないように思われるが、じつは立場によって見解が異なるということは、ままある。


 ABC予想などがその典型例だが、世界中で数人くらいしか本当の意味で理解できないといわれたり、別の数人はある部分の決定的なまちがいを指摘していたりする。

 むずかしすぎて、それが正しいとも誤りだとも、だれにも断定できない。

 そういう問題が、いま、チューヤのまえでぶつかり合おうとしている。


 最後にチューヤが魔術回路をつなげると、いつものように境界への扉が開く。

 あくまでも「ノック」にすぎないが、基本的にはその駅を支配する悪魔につながって会話できることが多いのだが、もちろん拒否されることもよくある。

 トートは……すぐには応じなかった。

 無視されるのだろうか?

 一瞬よぎった不安を拭い去るように、入線してくる鉄輪式リニア。


 しばしボーッとしていると、最後尾のドアから、ひとりの女が降りてくる。

 その肩には、掌サイズの肌の白い美女。鳴き声はインコに似ているとされ、そのまま放っておくと干からびるが、水をかけると元通りになるという──魔神トート。

 ふつうにガーディアンをさらして、憑代である女子大生は軽く会釈をした。

 肌はトートと対照的に褐色で健康的、小柄で痩せ型、包み込むような黒の短髪ボブ、ボーイッシュながらその表情には英知の閃きがある。


「キミが、如月きさらぎ塔子とうこか」


 シンプルな人定質問を向けるケート。


「あいつ、こんなかわいい女子大生を家庭教師に!」


 小声で同級生を嫉妬する小物、チューヤ。


「おおよそ計算どおりですね。……この私と出会った時点で」


 薄い唇から発される彼女の声は、インコというよりセキレイに近い。


「運命は決まっていた、か? わるいが、化けの皮を剥がさせてもらう」


 ケートは、チューヤに見せた紙を差し出した。

 借りた教科書の隅っこに書かれていた、いくつかの数式。

 ここには書くスペースがないので、証明は別の場所に書く。


「虚数解が並列化可能なら……要するに、ひとは死んでも生き返る」


 彼女が「解いた」と主張している、虚数線多様体理論。

 平たくいえば、あの世に行ってももどってこれる、ということ。

 わかりやすく言ってもらったことに感謝しつつ、首を振るチューヤ。


「そういうのが数式で表現できることの意味がよくわからないけど、その答えには明確にノーと言いたい」


「数学や先端物理は、しばしば直観に反するものだが、今回にかぎっては正解だ、チューヤ」


 ケートが裏書きしてくれるほど、数学的に心強いことはない。

 塔子いやさトートは、軽く首をかしげて、


「けれど事実として、キキという女の子はあの世からもどってきたのよ。たとえ一時的でもね。黄泉は数学で解釈できることの証明でしょう。死んだ時点で、生き返るという結論が並列化していれば」


「その証明には欠陥があると言っている。数体の完備化において、多項式の根が……」


 ぽかーん、と口を開けるチューヤ。

 いつものように、ケートがなにを言っているのか、さっぱりわからない件についてはいいとしよう。

 ときどき応答する塔子という女子大生の言っていることも、さっぱりわからない。

 ただし両者の会話は、完全に成立しているようだ。

 日本語で話しているらしいが、チューヤはあえて言う。

 これは日本語ではない、と。


 平たく言って……いるかどうかはわからないが、こういうことだ。

 冥界とは、接近している異世界線とは別の次元であり、いわゆる黄泉の国である。ひも(M)理論の11次元が正しいとすれば、6次元あたりに相当するらしい。

 現世も異界も、死んだら行く世界で、生きている人間の住む国とは別のルールで動いている。そのルールを代入した数式が、必要とされている。

 確固たる世界ではあるが、現世への影響力が限定されるため、あえてその解明に踏み出そうとする者は少ない。


 ともかく塔子は、死んだという事象と、生きているという事象が、並列化できることを証明した、と主張している。

 これは「結論から逆引きしてエネルギーをチャージする」というロジックの兵器にも転用できるアイデアだ。

 当たらなければ意味がない、という完全に正しい武器の評価があるが、ケートも参加して建造されているチート兵器「ブラフマーストラ」は、命中したという結果から逆引きするというロジックから計算された、ぜったいに当たる、という意味の兵器だ。

 不可避的に付随する矛盾を解決するために、生きていることと死んでいることを並列化する理論が使()()()()()()がある──。


 すべてを把握し、理解しているという表情で、塔子はうっすらと笑い、言った。


「アリスとアンネが、世界を引き寄せ、引き裂いた。これはどう説明するの?」


 ぎりっ、とケートが奥歯を噛み締めたことを、チューヤはなんとなく察した。

 おまえたちが、呼んだのだ……。

 この忌まわしい悪魔の叫びは、定期的にチューヤの心を侵食してくる。


「あんたの妄想にすがって、生き返らせてもらうつもりはない。この理論は、まちがっているからだ」


 しばらく黙って考え込んでいた塔子は、ぱちぱちぱち、と拍手した。

 鼻白んだように彼女を見つめるケート。


「正解よ。その理論には、決定的な穴がある。あなたの言うとおり」


「……やっぱりな。わざとかよ」


 ケートに驚きはない。それがチューヤにとっての驚きだ。


「やっぱりって、わかってたのかよ、ケート」


「ボクをもってしても、すぐには気づかなかった穴だが、考える時間がじゅうぶんあったはずの考案者が、これほどの穴をそのままにしておくはずがない。ただ、重要なアイデアをいくつか含んでいるからな。穴より、そっちのほうが注目に値する」


「アリスとアンネの中途半端な状態を解決するために、ね」


 塔子の笑いの意味を、チューヤは2割くらい、ケートも6割程度しか理解していない。

 ともかく「冥界のルール」には、通じておく必要がある。それは別の問題として、推し進めなければならない。


「あとで付き合ってもらうぞ、チューヤ」


「はい……」


 小声でやりとりするチューヤとケート。

 それはあくまで、自分たちの問題であり、おまえには関係ないという姿勢を示す意味もあった。

 が、関係ないと暗に示されながら、塔子は意識的にそれを無視して言った。


「みごとな理解だ。あなた方は、この世界の謎のいくつかを、解き明かしてくれるでしょう。そして世界の進むさきを、指し示してくれる」


「いきなり持ち上げられても困るんですけど」


「だって、仲間にしてもらいたいから。いいでしょう?」


 ふいに笑顔で、小首をかしげて見せる塔子。

 敵対から、友好へ。

 かくもエジプト勢とは、如才ない。



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