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47 : Day -31 : Hiro-o


「助けてクレメンス」


 彼の名は、クレメンス・ヴェンツェル・ロタール・ネーポムク・フォン・メッテルニヒ=ヴィネブルク・ツー・バイルシュタイン──に、ちなんで名づけられた。

 19世紀オーストリアの政治家で、通常、メッテルニヒと呼ばれる。一人息子のリヒャルトは、オーストリア貴族、外交官としても活躍した。


「なぜ私が、きみを助けねばならんのかね、佐藤くん」


「たしかに佐藤家に世話になってはいますが、イッヒは座頭です、ニッヒ閣下」


「座頭でも角砂糖でもいいが、母国の名を汚すような真似は、やめてくれたまえ。障碍者のふりをするのもな」


 座頭イッヒは、海賊がするような黒いアイパッチを、両方の目につけている。

 それで多くのひとは彼が盲目であると了解するが、一等書記官は無造作にそのアイパッチの片方をむしり取った。

 下から現れた青い目が、ややまぶしそうに開かれる。


「感覚を遮断することによって、より鋭敏になる脳領域があるのですよ、ニッヒ閣下」


「私は軍人ではない。閣下と呼ぶのはやめたまえ」


 歴史上のメッテルニヒは、現在のドイツ連邦共和国コブレンツに生まれ、オーストリア帝国ウィーンにおいて死没した。

 現在ここにいるメッテルニヒは、広尾のドイツ大使館に勤務する一等書記官であり、駐日ドイツ人の担当窓口となっている。


「用務員はわるくない仕事ですぞ、閣下」


「職業について、つべこべ言うつもりはない。問題は、キミのつるんでいる友人、黒い全身タイツの男だ」


 烏王うおうと呼ばれる、下北沢の主のような男とは、長い付き合いだ。

 千歳船橋の周辺でよく会い、たまに飲みに行く程度には気が合う。


烏丸からすまくんですか。彼は非常な善人ですぞ。それに、あれは誤認逮捕です」


「……きみたちが、裸も同然の格好で、日本の首都を走りまわっていた。これは事実か?」


 黒タイツの彼は日本国籍の芸人なので、たまにそういうきわどい芸に走ることもある。

 問題は、それにドイツ人の座頭イッヒが絡んでいることだ。


「ですから、そこには事情が」


「事実である以上! きみのような人物が、東京で騒ぎを起こすこと自体、わが国の威厳を損ねるのだ」


「国の威厳とかなんとか、そういうことを言うような時代でもないと思いますがね」


「きみは目立ちすぎなのだ。なにかね、その衣装は」


「服装こそ自由のはずですぞ。そ、それにこれは、に、日本の伝統的スタイル、なんだな」


 短パンにランニングシャツ。

 それは日本人、山下清という男のスタイルである。


「変なキャラをつけるのはやめたまえ。もういい。話はそれだけだ。二度と、バカげたマネはせぬように」


「同じことをしているのに、彼だけがブタ箱から出られないのは、なにやら申し訳がないですぞ」


「彼は日本人だ。しかし、認めたくはないが、きみはドイツ人だ」


「仏教徒ですが」


「宗教は関係ない。きみがドイツ国籍をもっていることが問題なのだ。行きたまえ。きみとは広尾でも、桜田門でも、もう会いたくない」


「日比谷線は止まりませんからな、桜田門には」


「すくなくとも外交官ナンバーの公用車では、二度と乗りつけたくない場所だったよ」


 それだけ言って、メッテルニヒはひらひらと手を振った。

 座頭イッヒはその太った身体を持ち上げ、ゆっくりと歩き出す。

 部屋を出るまえに、一度だけふりかえって言った。


「星天使に敗れてもらっては、あなた方もお困りでしょうな」


 ぴくり、とメッテルニヒの頬が跳ねた。


「なんのことかね」


「いえ……それでは、お世話になりました」


 座頭イッヒは言って、静かに部屋を出た。

 残された書記官は、無表情のまま出口を見つめ、


「仏教徒……涅槃の神将か。あの男、よもや神学機構と……」


 厄介な、とぼやきながら、がりがりと頭を掻いた。

 キリスト教圏、仏教圏、世界宗教の交錯する巷に、東京はある。




「よう、イッヒさん」


 ケートが出迎え、言った。


「おや、これは。坊ちゃん、こんなところで会うとは、奇遇ですな」


 声の方向に鼻を差し出し、エコーロケーションのフリをする。

 イッヒの座頭ぶりも芸が細かい。


「そうでもない。あんたを待ってたんだ。……水先案内人として、必要としている場所へ、必要としている人材を、ってところさ」


「……ふむ。まあ、多くを問うのはやめておきましょう。座頭の仕事をするまでです。よっこらせ、と」


 ケートが開けたドアの音にしたがって、助手席に身を滑り込ませる白いデブ。

 反対側にまわり、ケートは運転席へ。

 自動運転に目的地「新井薬師前」を告げてから、隣に問いかける。


「山王ホテルの界隈で、大立ちまわりをやらかしたらしいね、イッヒさん」


「烏丸くんには、わるいことをしました。彼の釈放を条件に協力しよう、と言ったらどうしますかな?」


 ケートは軽く肩をすくめ、


「桜田門にコネのあるやつがいる。頼んでみるよ」


「はっは、なんでも言ってみるものですな」


「いや、イスハークさんの親友でもあるらしいから、助けたい。……誤解していたよ、烏丸ってひとを」


 風俗大好き芸人で、50歳になる現在も、下北沢の小屋で下品な演芸を披露している。

 風俗王であるイスハークと、自主規制芸人の烏丸がつながることは、想像に難くない。


「で、事情は?」


「中野案件って言えば、あんたには伝わるかい?」


「ああ……山王が国と国の戦いなら、中野は芸と芸の戦い。どちらも共通しているのは……」


「ヤクザだ」


 ふたりの声が重なる。

 当然のごとき共通理解が深まれば、話は早い。


「すまねえな、ケート」


 後部座席からの声に、イッヒはゆっくりとふりかえる。

 もちろんさっきから背後の荒い呼吸には気づいていたが、相手からの説明を待つことにしていた。


「寝てろ、リョージ。……お察しのとおり、ひどい呪いにかかっていてね。そいつを解くために、仲間たちが奔走してるわけさ。で、迷路の奥底に閉じ込められている、どうしても出られない、迷路といえばボクだから助けてくれと、電話がきた」


 ケートは、なんとなく腹を押さえながら言った。

 おそろしい魔女におそろしいツールをわたしてしまった、という自覚症状がある。


「はっはは、たしかにきみは数学の天才ですからな。ラーマ・パパが入れ込むのもわかる」


「で、計算したわけさ。あんたの力が必要だ、って」


「期待に応えられるよう、努力しましょう」


 座頭イッヒとケートのつながりは、千歳烏山とラーマ・パパの関係もあるが、広尾の祖父母の家ともつながっている。

 ドイツ大使館にもほど近く、イッヒとは家族ぐるみで知り合いといっていい。

 日本ではご近所づきあいというものは重要なのだ。たとえ東京都心であっても。


 しばらく静かに走ってから、ふいにリョージが口を開いた。

 風俗芸人の話からのつながりが一応ある。


「ケートはさ、まだ探してんのか、業界」


「……黙ってろって、リョージ」


「すまん……まあ、オレも気持ちはわかるんだ、おまえの」


「…………」


 若者たちの会話の意味は、イッヒにはわからない。

 だが、底流するひどく悲しい、そして宿命的な運命の契機を、本能的に知覚する。

 多くのしがらみがこと寄せて、彼らをこの場所へ導いた──。




 ベベン!


 三味線の音に、チューヤたちはハッとして視線を向けた。


 ドン、ロン、チンチリリン。


 徐々に近づいてくる音は、敵か味方か。


「におう、におうぞ、行き止まりのにおいだ……」


 手ごたえのある声が、空間の裏側から響く。

 じわり、と湿ったテーブルに薄紙を圧しつけるように、その姿が透けた。

 最初に発見したチューヤは、肩の力を抜いた。


「……えっと、たしか」


「座頭イッヒさん!」


 サアヤがうれしそうに声をあげた。

 一度見たら忘れない「白いデブ」、親しみやすい白のランニングシャツと半ズボン、両目に眼帯を巻いた盲目の座頭。

 選んだ獲物を逃さないためのターゲット型境界ではなく、広域を巻き込んだ無差別型の境界だけに、同一次元への外部からの介入は比較的容易だ、という理屈はともかく。

 座頭イッヒの背後の空間がゆがんで、ぽん、と弾けたところに見慣れた姿がふたつ。


「ケート、リョージ!」


 サアヤの霊界電話は、みごとその役割を果たしたのだった。




 杖を先棒として、とんとんと突きながら、先導する座頭イッヒ。


「目開きは、目で見るからいけねえ。道は鼻で嗅ぐもんさ」


 わかったようなわからないことを言い、座頭イッヒの切り開いていく道は、雪が仕込んだ閉空間と逆順。

 徐々に喧騒がもどってくるが、同時に殺気も強まっている。

 角を曲がるたびに、巻きもどされる空間のしがらみ。

 さらにつぎの角を曲がった瞬間、その鼻先をかすめた飛び石を、紙一重で躱す座頭イッヒ。

 彼は、にやりと笑い、目的達成を告げた。


「ここは寺町、あら広小路、老いも若きも、出なしゃんす、チンリンリン」


 かき鳴らす三味線、歌い上げる都都逸。

 座頭イッヒの背後から出て、臨戦態勢を整えるチューヤたちは、思わず息を呑んだ。

 寺前通りの広小路を埋め尽くすように広がる、ヤクザの群れ……タトゥーマン。

 何人いるか、にわかに数えることもできない。


「おもしろくなってきやがったな、派手にいこうぜ」


 ぽきぽきと両手を鳴らし、悪魔の力を解放するマフユ。

 と、その戦意を抑えたのは、横からさらに一歩を踏み出した座頭イッヒ。

 彼は正面をじっと見据えたまま、もちろん眼帯のおかげで見えてはいないのだが、まっすぐにとおる声で、相手のまんなかに向けて呼びかけた。


「親分さん、どうか話を聞いちゃくれんせんかぃ」


 一瞬、群れをなすタトゥーマンの中心に、わずかな動き。

 座頭イッヒは感じている。そのさきへ、まっすぐに向ける身体から、指向性のような音声で呼びかける。


「無駄に血を流すつもりはござんせん、おひけえなすって、おひけえなすって」


 とん、とん、とさらに無造作に足を進め、左右に身体を振る座頭。

 マフユも気おされて、二の句が継げない。

 完全に危険なゾーンまで踏み出した座頭イッヒは、相手がドスを抜けば真っ先に殺られると同時に、彼が仕込み杖を抜けば、さきに相手を殺れる立ち位置。

 いきり立つ若い者に代わって、古いヤクザの礼儀を知るらしい年かさのタトゥーマンが出てきて言った。


「……あんた、どこのモンだい」


「へい、恐れ入りやす。わたくし、生まれも育ちもベルリン、クロイツベルクです。フランケンシュタイン通りで産湯を使い、名はフェリックス、姓はシュトラウス、人呼んで、座頭イッヒと発しやす。

 とかく土地のお兄ィさんにご厄介をかけがちな若造でござんすが、以後、見苦しき面体、お見知りおかれまして恐惶万端引き立てて、あ、よろしく、お頼み申しますー」


 腰を低く構え、左手を胸に、右手を広げた姿勢は、いっぱしの渡世人をほうふつさせる。

 チューヤたちはもちろん、多くのタトゥーマンも完全に飲まれていた。

 座頭イッヒ、ただものではない……。



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