43 Day -31 : Nakano-fujimicho
「助けてください、助けてください!」
廃墟のビルから転がりだしてきた男は、通りかかったチューヤたち一行にすがりついた。
一見、オタク風の外見でモムノフのいやな気配があふれているが、ひとを見かけで判断してはいけない、という美しい言葉にしたがえば、助けを求めている彼を助けてあげるのが善人のやりようではあるはずだ。
状況を疑いつつも、ビル内からの追跡者を警戒するチューヤたち。
つぎの瞬間、鞭がしなるような衝撃波が地面を走って、小太りのオタクの顔面を薙ぎ払った。
悲鳴をあげるオタク。
状況が切羽詰まったようで、しかたなく臨戦態勢を整えるチューヤたちの前面に現れたのは、
「なんだ、てめーら。そのクソデブの仲間かよ?」
「……はあぁ? マフユ!?」
追跡者は、見たことのある細長い女。
今朝、別れたばかりの彼女が、なぜここに。
「動くな! 動くとこの女、殺すぞ!」
ハッとしてふりかえったさきでは、サアヤが人質になっている。
背後でマフユの怒りが増大するのを感じながら、チューヤは努めて平静な口調で、
「放したほうがいいぞ、きみ、うしろの蛇が本気で怒るまえに」
「とっくに本気で怒ってんだが、おい門間、その女に傷ひとつつけてみろ、てめえ殺さねえぞ」
「いいことだよーフユっちー」
人質になりながらも命を大切にしているサアヤ。
自分を羽交い絞めにする背後のオタクから漂う悪臭には、やや眉をひそめていたが。
「マフユ、門間って……」
「ああ、瀬戸のやつが言ってた、イッちまってるファンだよ。あいつをブッ殺せば、問題の半分が解決するってよ」
なるほど、と半ば得心するチューヤ。
そのさき、おそらくマフユが用意しているだろう生き地獄については、必ずしも同意するわけにはいかないが。
「生かしたまま拷問という手もアリか」
「サアヤに傷ひとつでもつけたらな。……待て、門間!」
門間はサアヤを羽交い絞めにしたまま、じりじりと後退していく。
このまま逃げ切ろうという算段らしいが、直後、脳天から一撃を受けてブッ倒れた。
迦楼羅の面をかぶり、銅像のように突っ立っていた唐沢が、一撃を加えたのだった。
「……変なの仲間にしてんな、おまえら」
「お嬢の家のお抱え運転手だよ。まあ、話せば長くなる」
ひとまずサアヤを救出し、門間を確保した。
問題の解決は、ひとつずつ。
門間は、AKVNのひとり、チームVランランのサイコファンらしかった。
チューヤが中野で見かけたオタクも、この男でまちがいなかった。
同じチームVのリーダーである小菊を狙っていた理由は謎だが、ランランをリーダーにするために小菊の弱点を握るとか、その手の邪悪な目的が考えられそうだった。
「ぼくとランちゃん結ばれてるんだ、前世から、来世まで、ずーっとだ」
門間は唾液まみれの唇を蠢かせて、推しメンへの愛を語った。
薄汚い外見、小太りでチェックのシャツとバンダナ、黒縁のメガネをかけ、両手にもった紙袋にはファングッズの数々があるのはともかくとして、犯罪に関係しているとしか思えない小型カメラや盗聴マイクもある……。
「やっぱ、さっさと殺そうぜ。こいつはクズだ」
「待って、フユっち。彼にも事情があるかもしれないよ。ほら、言ってごらん?」
情状酌量を訴えるチャンスを与える、という体のサアヤの言葉を受け、門間はゼイゼイと息を切らせながら語りだした。
──出会いは、あるフリーマーケットで買った、鉢植えだった。
それを売ってくれたのは、いま思えば、ランちゃんのお母さんだったのかな。
毎日、丹念に、世話をしてください。
やがて鉢植えからは、女の子が生えてきた。
毎日、精力のつく良質のたんぱく質を注ぎつづけたおかげで、鉢植えの女の子はすくすくと成長したよ。
そうして生み出されたのが、彼女なんだ。
彼女は喜んでぼくを抱きしめ、それからAKVN14に参加したんだよ。
「…………」
半ば唖然として、話を聞いてやったことを後悔する面々。
妄想と現実の境界線があいまいだ。
ともかく門間は、ランランというアイドルを自分が生み出したのだと妄想し、それをAKVN14というアイドルグループに託して、さらに成長させようとしているらしい。
「なにそのストーリー、キモすぎでしょ」
「たしかにキモいけど、むかしからそういうエログロナンセンスな話には、一定の需要があるらしいぞ。江戸川乱歩も好きだったみたいだし」
残念な鉄ヲタであるチューヤも、江戸川乱歩くらいは読んでいる。
日本の鉄道ミステリーの草創期を飾った短編ということで、江戸川乱歩の『一枚の切符』を読み、じつにおもしろかったので、その後、何冊か読んだのだった。
「ランちゃんは、いやラウねえは、ぼくのものだ」
悪魔全書のデータによれば、中野富士見町を支配する悪魔は妖樹アルラウネ。
そのアルラウネを育てたと自称するキモヲタ。
「ドルヲタは最底辺だからな。だから最初から言ってる。さっさとぶっ殺しちまったほうが、世のためひとのためだって。なーサアヤ」
「うーん、でもお母さんは、昭和のアイドルめっちゃ詳しいよ」
「女子はOK!」
「わーい」
「マフユが世のためとか、似合わないこと言うな。彼らにも人権はあるよ」
「ねえよ。ドルヲタ以下の人間なんて……ああ、そーいやクズテツって人種がいたな」
ときおりネットを炎上させるようなタイプの鉄ヲタを、クズテツという。
「……俺を見るなよ!」
「まあまあフユっち。たしかにチューヤはテツだけど、これでも一応、最低限の良識はもっているよ。だよね、チューヤ? なんて教えた?」
「はい! 人様にご迷惑をおかけしません!」
「よろしい」
馴致された飼い犬であるチューヤは迷惑をかけないが、狂犬病の野良犬は駆逐されざるをえないのか?
オタクだから、という理由ならば、しかしそれは待ってほしい。
「てか、ドルヲタだって迷惑かけてないだろ、べつに」
「幼女を誘拐するクズどもだぞ」
「極端すぎるわ。ただアイドル追っかけてるだけならいいじゃんか」
「盗撮するわ、個人情報さらすわ、ストーキングするわ、どう考えてもクズだろ。まず見た目がキメえ」
「見た目はしょうがないでしょ! 盗撮とかは、まあダメだけども」
すでに盗聴盗撮の証拠が出ている。
ヒナノの指示を受け、さらなる証拠を調べていた唐沢は、紙袋の底に固く閉まったケースのようなものを発見している。
「見た目を小ぎれいにするのは大事だよ。チューヤも、お風呂はいらないで電車に乗ってた時期あったじゃん。あのままいったら、深刻なおとなになってたと思うよ」
「ぐ……ひとの黒歴史を……。それは子どもだったからさ、お風呂がきらいな子だっているでしょ」
「てめえはサアヤに助けてもらったんだろうが、だれにも助けられずに、そのままおとなになったクズが、こいつなんだよ」
そのとき、唐沢の動きが止まった。
盗聴盗撮グッズのほか、スタンガンやスプレーなどの武器が見つかったところまでは情状酌量の余地があったとしよう。
致命的なのは、ロックされたケースから出てきた、現に使い込んで変色したアーミーナイフだ。年季の重なった血のりも、すくなくない。
これで、何人の、女の子を、解体したのか。
「終わりだな。……いっそ、これで死ね」
唐沢からナイフを受け取り、振りかぶるマフユに、門間はうわごとのように言う。
「やめてよ、ぼくは、ただの技師のひとりでしかないんだ」
「……女殺して、バラして、正気じゃねえだろうが。そんなことで、おまえの好きなアイドルが喜ぶのか」
「ランちゃんは完璧だけど、もっと完璧になれるんだ。もっと完璧なパーツだけ寄せ集めて、ランちゃんに合体させてあげるんだよ。瀬戸さんにパーツを届ければ、やってくれるんだよ」
その部品を使って「完璧なアイドル」を創るのだ、という思想は瀬戸と共通している。
ただ門間が、すこしやりすぎてしまっているだけだ。
「狂っとる。完璧に狂っとる」
「始末したほうがいいだろ?」
どうしても殺したいマフユを見つめているように思われた門間の視線は、しかし焦点を結ばず虚空を泳いでいる。
「やっぱり、おまえが邪魔をするのか。だから殺せと、ボスは言ったんだな」
「……ああ? なんだと?」
「ぼくはボスのところにパーツを届けるだけなんだ、ボスは人間を泥からつくれる神さまなんだ、エジプトの偉大な神さまだ」
ぴくり、とチューヤのプログラムが反応した。
おそらく瀬戸(子)のガーディアンのことだろう。
「……なるほど、クヌムか。たしかに、かなり闇堕ちしてるようには見えたけど」
古くよりナイル河の上流の都市アブウ(現アスワン)で、ナイル河の増水を司る存在として崇拝されていた。
また、ナイル河の増水がもたらす沃土も司っていて、轆轤を使い、この土から人間やさまざまなものを造った創造神でもあった。
そこから陶芸の神としても崇拝された。
容姿は創造の側面から、繁殖力旺盛な羊と結びつけられたものと考えられる。
「そうだよ、あいつが命令したんだ、あんたを殺せって」
門間はゆっくりとマフユを見上げ、媚びるように笑った。
瞬間、マフユの手が鞘走り、ごろりと落ちる首。
目を背ける一同。さすがのサアヤも、彼を助命するにはいたらなかった。
「互いを売り合うってのは、よくあることだがな」
「マフユ、だけど、それじゃおまえを殺そうとしたやつって」
「田宮だとばかり思っていたが、あたしが邪魔なのは同じってか。あの野郎、よくもまあスッとぼけてくれたぜ。つぎは確実に殺す」
つぶやくマフユは自分事ながら、さしたる興味もなさそうだ。
彼女にとって、殺し殺されるのは日常茶飯事だった。
「いや、すべてが嘘というわけでもなかったんじゃないか。一部の暴走気味な部下に手を焼いていたというのは、この変態をみてもあきらかだし」
「結局、皆殺しにするしかねえってことか。やつら……」
「やつら?」
「決まってんだろ。敵の本丸は……セトだ」
瀬戸(父)に取り憑くのは、おそらく邪神セト。
AKVN14の運営で、ロキとセトの意見がぶつかる点があったとしたら、当然ロキの側につくマフユを邪魔に思う勢力の存在は、容易に想定できる。
事実、ロキとセトは部分的に対立している。
あからさまな内部抗争には至っていないが、ロキ側の戦闘員を順に消していく、という戦法は敵対勢力にとって第一選択肢といっていい。
殺伐たる世界観が展開する一方、現状の世界線の延長をたどる必要もある。
「ともかく、彼を殺したところで境界から抜けられていません。この場を支配する悪魔を倒さなければ……」
ヒナノが言いかけたところへ、
「ランランララ、ランランルー、ランランあるよー♪」
歌声が聞こえてきた方向に一同、視線を転じる。
まさに門間が妄想していたアイドル、ランランの姿がそこにあった。
パンダの着ぐるみで、怪しげな中国人ぽい語尾。
かわいらしい女の子だ。
「おお、わが有力な党員、ランランさん!」
しゃきっ、と鋭角的な動作で敬礼する唐沢。
リーダーの小菊(3位)にとって、ランラン(6位)は頼れる党員だ。
現在、彼女は富士見町を富士の樹海に見立て、萌え萌え戦争を展開中である、という。
「いろいろ考えてるんだね、企画屋というかイベンターさんも」
半ば呆れ声を漏らすサアヤ。
歩み寄ってきたランランと、うれしそうに握手する唐沢。
ランランは笑顔で、周囲の人々とも握手を交わす。
「あっ、キミもチームVを応援してくれてるんだね! ありがとう!」
チューヤと握手してくれたときに、ランランは言った。
「え、俺?」
「ケッコちゃんのファンなんでしょ? あ、ごめん。上書きしちゃったよ?」
どうやら境界でのファン獲得競争は、現世側よりもさらに強力に、個人の魂を紐づけるシステムとして構築されているようだ。
チューヤがケッコのサポーターであることは、握手をしたときにスタンプされる登録番号で判定されるのだという。
最後に握手した相手の番号が上書きされるが、ファンサイトで「推し」登録をしておくと、上書きされない仕様になっているらしい。
というわけで、チューヤはいま、ケッコのファンから、ランランのファンに更新されたことになる。
「あー、あの独特な歌い方をする女の子」
「鷺ノ宮で会ったね、たしかに。俺、いつのまに彼女推しに……」
ガリガリのトリガラのような姿で、薄っぺらなワンピースを着て、ぶるぶるとふるえながら、あなたのお姫様はここにいるの~と歌っていたケッコは、気持ちわるいと思うひとが多いらしくその人気は12位と低めではあるものの、一部に熱烈なファンを獲得している。
チューヤも悪魔使いとして、ケッコのガーディアンでもある妖鳥コカクチョウを、いろいろと役に立てている。
「なんと、そうでしたかチューヤ殿! であれば、われわれは戦友! 恥ずかしがらずにカミングスーンしてくれたらよいものを」
「スーンてなんだよ、アウトだろ。いや恥ずかしがってないですから。それに俺はもう、どうやらランランファンですから」
「いや、同じチームVですから、われわれは仲間ですぞ。かんらかんら!」
唐沢は盛り上がっている。
「どうでもいいけどさ、なんで境界から抜けないの?」
率直なチューヤの問い。
彼の経験上、といってもケッコのときの一度だけだが、ファンとして彼女を支持すると表明すれば、現世にもどしてもらえるのではなかったか。
するとランランは小首をかしげて、
「明日、総選挙でしょ?」
「知らんけど、なんかそうらしいね」
ランランはうなずき返しつつも、運営については詳しくないらしい。
「あたしもよく知らないんだけど、それで人手が必要なんじゃないかな? 広域で大量動員かけるって言ってたから、あたしの一存ではなんともかんとも」
「……だれの一存で出入りできるのよ?」
「運営のエラいひと、じゃないかなー。詳しいことは小菊姉さんに訊いたらわかると思うよ。なにしろ、うちらの党首だからね!」
ランランはそれだけ言って、忠実なモムノフたちを引き連れ、立ち去っていった。
お使いRPGじみてきたが、ここは流れにしたがって中野の小菊を訪ねるか、それとも中野坂上にもどってアナトのエリアを詳しく調べるか……?
考えたのは一瞬だった。
やはり中野の小菊を訪ねざるを得ないと思われる。
期待のあまりふるえている唐沢を、絶望させないためにも……。




