41 : Day -31 : Hibiya
「もしもし、ヒナノン? うん、朝早くからごめんね。ちょっと聞きたいことあるんだけど。いまから合流できないかな? え、ホテルなの? うん、わかった。日比谷だね。まっすぐ行けるやついるから。……そんないやがらなくても。安心して、リョーちんいっしょだから。そう? おっけー、じゃ速攻向かうね!」
そんな会話が、最初にあった。
チューヤは死んだ魚のような目で、携帯電話にむかって話す幼馴染の口走る凶暴な言葉の意味について忖度した。
「…………」
「どうしたチューキチ」
「いや、会話の内容を想像しないようにしようと思って」
サアヤは遠慮のないさわやかな笑みで、チューヤの肩をたたく。
「感心感心。……でさ、ヒナノン、なんか日比谷のホテルにいるみたい。枢機卿だか猊下だかしんないけど、海外からえらいひときてて、接待みたいよ」
「異端審問関係だろうな。お嬢も忙しいかとは思うが」
「わるいな、オレなんかのためにさ」
チューヤの肩には、それなりにリョージの体重がかかっている。
彼はそれを、存外心地よく受け止めていた。
考えてみれば、これまでリョージを頼ることは多々あれど、リョージから頼られるということはほとんどなかったような気がする。
なぜなら彼は、なんでもひとりでやってしまうヒーローだからだ。
「リョージのためであればこそだ。日比谷でいいんだな?」
「てかさ、チューヤじゃなくても行けるよね。だってこれ日暮里行くんでしょ。あと山手線乗ったらいいだけじゃん」
環状線なら、どうあがいても、いずれは目的の駅に着く。
短い距離を往復するだけの井の頭線と、同じ範囲をまわるだけの山手線は、サアヤでも比較的自由に乗れる路線だった。
「そうだけど、サアヤさんの場合どうせ池袋方面行きとか乗るだろうから、時間かかるよね! それに山手線には、日比谷って駅はないから。有楽町が乗り換え駅になってて、そっから歩く感じかな!」
東京駅周辺の駅の密集度は、いまさら言うまでもない。
日比谷、有楽町、銀座あたりの地下は一体化していて、巨大なダンジョンになっている。
「有楽町で逢いましょう~♪」
「期せずして伏線回収できてよかったね。……っと、だいじょぶかリョージ。座ったほうが」
日暮里舎人ライナーは混雑路線だが、まだじゅうぶんに早朝で空席がある。
「いや、学生が席に座ったらダメだろ、というのが父ちゃんの教えだ」
「理由は異なるが俺も同じポリシーだ……けど、ハンデあるひとの場合は別だと思うぞ」
リョージの全身から、滝のような汗。
呪詛は確実に、屈強な彼の肉体を侵食している──。
「そうですか。筈木氏が」
眉根を寄せ、考え込むヒナノ。
ベッドにはリョージが横たわり、苦しげにうめいている。
「えーと、確認するけど、けっこうヒナノンの関係者が多い感じの人物相関図だよね?」
挙手して問うサアヤ。
テーブルのうえに広げたクラフト紙に、チューヤが人物関係を書き記していく。
中央に恨まれている当事者の筈木。
その妹が、ヒナノの母親にあたり、南小路家の嫁として田園調布に暮らしている。
一方の筈木家も名門であり、ヒナノ自身、成城の祖父母宅から高校に通っている。
なぜそんなことをしているのかという問いには、彼女自身答えたがらない。田園調布より成城からのほうが学校に近いから、という理由で強引に納得させられているのが実情だ。
チューヤは、その理由が筈木家にまつわるエトセトラだということを、わずかな予備知識から類推している。
等々力渓谷でヒナノを弾劾した親戚の名は、筈木妙子といった……。
ともかくヒナノの伯父にあたる筈木は、創業家として参加していたドラッグパズズの経営を手放した時点で、実家とは半ば縁を切っている状態だったという。
伯父の一家はことごとく死亡しており、自殺した従姉妹がバンシーとなってヒナノの命を狙った顛末は、もうだいぶ昔のことのように思える。
「伯父の経営の犠牲になった債権者などから、恨みを買っているかもしれませんが、経営状態のことについては調べてみないことには……」
「うん、だけどね、血の呪詛みたいなんだよ、これ」
リョージの額の濡れタオルを取り替えながら、サアヤは言った。
ヒナノはいぶかしげに眉根を寄せる。
「血の……呪詛?」
「そう。その筈木さんてひとの血縁が、彼を狙っているってこと」
「まさか、そんなことが……いえ、ないとは言えませんね。われわれのような貴族は、お家騒動というものから無縁ではいられませんから。現に北大路氏は……おお、考えただけでおぞましい」
紙のうえ、北大路、という名前を書き足すチューヤ。
彼はヒナノの父方の親戚にあたる。
北大路家と南小路家はもともと同じ一族で、本家筋と分家筋にあたり、江戸時代まではともに京都で栄えていたのだが、明治のご一新以後、京都の北大路、東京の南小路という「両雄」体制となった。
現に栄える東京。分家筋だった南小路家が、現在は本家を圧する勢いとなっている。
それを不満に思ったかどうかはわからないが、京都からドサンピンなどというふざけた雅号を名乗る北大路の鬼っ子が、花の東京に出てきて、あちこちうろちょろしながら暗躍している──その元凶が、よもや、かの大悪魔であろうとは。
「パズズとは、おそろしい悪魔に魅入られたものです。まあ、あの大叔父ならわからなくもありません」
ヒナノにとっては祖父の、年の離れた弟にあたる。
北大路家にはもうひとり、きちんとした当代当主がいて、おそらく良識ある彼らからも疎まれているにちがいない。
東京で、美食評論家や骨董品の売買などに手を出し、少なくない資産を築いているようだが、それもこれも悪魔の導きであったのか。
「……もしかして、北大路さんから、ヒナノンのうちも、いろいろ被害を受けてない?」
「わたくしの家庭事情は、どうでもよろしい。大叔父が、筈木家にまでちょっかいをかけたとすれば、申し訳なくも思いますが」
ヒナノにとっては、ある意味、両親の喧嘩のようにもみえる不和だ。
ひとり、このような「毒」が混じると、一族郎党が絶大な被害を受ける典型事例に向かって突き進んでいるおそれがあった。
「名門はたいへんだよねえ」
「それも貴族の義務でしょう。泣き言をいうつもりはありません。しかし友人まで、このような被害に巻き込むに至っては……大叔父といえども、許してはおけませんね。すぐに対応したいと思いますが、さしあたり犯人捜しをつづけましょう。……血縁である、というのはまちがいないのですか?」
ヒナノの視線を受け、チューヤとサアヤが顔を見合わせ、あいまいにうなずく。
「と、思うよ。思い当たる?」
「ええ、いま思い出しました。あまりにも忌まわしい噂話だったので、記憶の奥底に封印していたのですが。……母には、兄である件の筈木氏のほかに、弟もいるのです」
ヒナノによれば、筈木氏(弟)も、過去、事業でひどい失敗をして自己破産寸前まで追い詰められたことがあるのだという。
そのとき助けを求めたのが兄だったが、当時、ドラッグストアの経営が軌道に乗りつつあったにもかかわらず、冷たくあしらわれたのだという。
「それだ! その弟さんに、恨まれてるんじゃない?」
「そうかもしれませんが、あの叔父はそういう人物とは思えません。温厚なタイプで、こつこつと借金を返して、現在はふつうのサラリーマンとして、ふつうの生活を送っているはずです」
一般ピープルなおいては、遠い親戚のことなんか知らないよ、興味ないよ、という人物も多いが、貴族における一族郎党の事情については、知っておかないと問題が生じることもある。
今回のように問題が巨大化しがちであることも、日ごろから親戚の「身辺調査」が必要とされるゆえんだ。
「ヒナノンの親戚なのに、ふつうのサラリーマンなの?」
「一族郎党、全員がハイソサエティというわけにもいかないのですよ、この国では。外戚でもありますしね。……問題は、このとき叔父は、自分のことは助けてくれなくてもいいが、どうか娘だけは助けてくれと、ひとり娘を兄に預けたらしいのです」
ヒナノの言葉に、チューヤは「♀」記号を新しい登場人物としてマークする。
ドロドロした親戚関係が大好物のサアヤは、内心のわくわくを努めて抑えながら、
「へー。さすがの鬼兄も、その娘さんは預かってあげたんだね」
「わたくしの親戚ですので、なかなかの器量よしに育ったらしいのですが、その成長過程に……なにやら忌まわしい噂話が、ちらほらと」
「うわー、聞きたくないような、いやな話のような、すごく残念な予感しかしないよー」
聞きたくてしょうがないらしいサアヤの相槌に、ヒナノは短く嘆息しつつ、すなおに応じた。
「なにがあったかは、もちろん推測の域を出ませんが、当人に訊こうと思えば訊くのは簡単ですよ。それなりに有名人のようですのでね」
「有名人?」
「彼女は現在、AKVN14とかいうアイドルグループで活動している、という話を聞きました。名前は、エリサ」
さーっ、と血の気が引くような衝撃が走った。
AKVN、中野総選挙、バラバラ事件、呪詛、死神──。
無数のパーツが、つぎつぎと組み上げられていく。
投開票日をまえに、期日前投票をしなければならないかもしれない。
「そうですか、それほど有名とは知りませんでした」
ヒナノはさして興味もなげに、AKVN14のサイトを流し見た。
アイドルなどというものは、好きな人間にとっては人生そのものといえるほど大きな存在ではあっても、興味がない者にとっては、とことん興味がないものなのである。
「たしかに、あのクールな感じは、どこかお嬢に似てる感じはあったような……」
「牽強付会はおやめなさい。従姉妹のことなど、知りません。母は、あまり実家が好きではないようですし、わたくしもその意見に賛成です。おそらくは、お互いのためにね」
エリサは叔父とともに、親戚の集いにもほとんど顔を見せたことがないらしい。すくなくともヒナノが「社交界」にデビュタントする前後においては。
こと貴族社会において、失敗者は完全かつ強力にオミットされる傾向がある。
排除される側の多くも、たとえば現在サラリーマンをしている叔父は、そのような社会との接点を「こっちから願い下げ」と表明するのも、よくあることだった。
「けど、AKVN14のセンターだよ! 超かわいい人気者じゃん」
「お嬢のカリスマ性は、やっぱり血なんだねえ」
「わたくしの血が一級品であることは事実ですが、母自身が出自を誇らない以上、わたくしもそれに倣います。それに、伯父は事業的には失態を喫した負け犬と聞きました」
親戚を平気で負け犬と罵れるところが、ヒナノのヒナノらしいところだ。
「……ということは?」
ヒナノは冷たい表情で、テーブル上の相関図を指さし、言った。
「呪ったほうも、呪われたほうも、穴に埋もれるべきと考えます。おそらくそれが彼ら自身のためでしょう。そして」
そしてリョージを救うための最善手。
ヒナノは躊躇なく、その道を採るだろう。
「えっと、いっしょに来てくれるの?」
「親戚の不始末です。尻拭いをするのもやぶさかではありません」
軽く胸を張り、貴顕の義務の覚悟を示す。
にょっ、といやらしい笑みを押し隠しつつ、友情の決意を示すのはサアヤ。
「リョーちん助けないとだからね! こうなったら、やっちゃおう!」
「ええと、いいの? なんか海外からえらいひと来てて、接待しなきゃなんでしょ」
「物事には優先順位というものがあります。わたくし、これでも友情というものを、とても大切にしておりますのでね」
さきに立ち、歩き出すヒナノ。拝むリョージ。
「すまねえな、みんな」
「もう、リョーちん! それは言わない約束よ。……よっし、それじゃとっととそのエリサとかいうアイドルっ子とっちめて、呪いを解いてしまいましょうか!」
元気な女たち。こそこそと付き従うチューヤ。
ふしぎなミッションがはじまった。




