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幽霊屋敷だけに、登場する悪魔はゴースト系が多かった。
笑顔の幽霊にはチューヤが話しかけて、ナカマにすることすらあった。
怖い顔の幽霊とは戦いになったが、とくに攻撃的なメンツの戦闘力は、中盤の難所である幽霊屋敷を、着々と攻略していった。
──幽霊は世界中で親しまれており、怪談噺の存在しない国はない。
イギリスにはゴーストの名所を巡るゴーストツアーがあり、アメリカのホワイトハウスにはリンカーンのゴーストが出るし、エベレストには登山家を励ます幽霊も出る。
その性質に若干のちがいはあるものの、どこの国のひとも幽霊を信じている、という意味では同じだ。
統計的には半数のひとしか信じていないが、残りのひとも心のなかでは恐れている。
一般に、以下のような分類をされることが多い。
ゴースト。生前の姿で現れる死者の霊。
スペクター。おそろしい姿の亡霊や妖怪のこと。
レイス。生霊。
ファントム。幽霊やお化けの他、幻や幻影も指す。
スピリット。死者の霊、悪霊から、神まで含む広義の言葉。
「……まただ、あいつ!」
通路のさき、行動の速いマフユが先制攻撃を加えたが、霊の影はすぐに消えた。
すばやさに優れる彼女のおかげで、しばしば先手をとれることはありがたかったが、あまりにもケンカっ早いことを危惧するチューヤ。
「おまえさ、攻めすぎだろ。友好的な幽霊さんもいるんだから、いきなり攻撃するんじゃないよ」
「バカか、てめえは。あの霊魂には、どうみてもいやな気配しかしねーだろ。あいつは、いちばんタチのわるい生霊だ。まちがいねえ」
スピリッツ・オブ・ザ・リビング……生霊。
スコットランドのハイランド地方では、セカンド・サイト(これから起こる事故や出来事を目にすること)という特別な能力をもったひとのところに、よく現れるとされる。本人の到着よりまえに生霊が現れ、知らせてくれるのだという。
ゲーテやシェリー、エカテリーナ2世など、この手のエピソードは多数ある。
「生霊か。てことは、このエリアのボスの可能性が高いな」
「たぶんな……どうやら、お届け先の人物みたいだぜ」
リョージが、その手のデス・レターを持ち上げて言った。
ぱたぱたと、幽霊が消えた方向に向けてなびいている。
ウォオォオーッ!
やおら怒りの叫びのような音声の渦が、地面から突き抜けていく。
建物全体が、大きなきしみ音をたてて揺れた。
壁や天井が、激しい音を響かせて侵入者を拒絶する。
「なんか怒ってるね……笑ってよ!」
「バカチューヤ! オカルト界のルールでは、笑ってるほうが怖いんだって」
ということは、現状はそれよりマシなのかもしれない、とは到底信じられない。
ポルターガイスト。
無数の騒霊に取り囲まれている。
現象としてはよく見られるが、超心理学者たちに支持されるのはRSPK説だ。
頻発性自発的サイコキネシスの略で、その能力を持つ者の自覚なしに、ひとりでに発動してしまう念動力。思春期の少女が多くかかわるのはそのため、とされる。
精神的に不安定な年代の子どもは、いわゆる超能力を発現させやすい。
「ウッキャキキィアァ!」
人間とは思えない叫びが、こんどは後方から。
ハッとしてふりかえった瞬間、横をすり抜けていった霊が、リョージの手からデス・レターを奪っていった。
「あ、おい……っ」
視線をもどしたさき、一匹の……サル。
左右に、男女の姿。直後、床に吸い込まれるように消える。
「敵の軍勢が待ち受けてる場所に、さあ行こうぜ」
不敵に笑って先行したマフユが、強烈な踵落としで床板を踏み破った。
穴だらけの階段。
気づかず踏み抜けば大けがをしただろう。
吹き上げてくる猛烈にいやな風が、瘴気をともなって渦巻いた。
これ以上ない、まさに典型的な「ブルワー・リットン卿の幽霊屋敷」だ。
──1847年づけの資料に基づいて、心霊現象研究会が出版した資料によると、出没するのは男、女、そしてサルの幽霊。
物音、光、そしてベッドが浮き上がるという、映画の題材にもなりそうな一連の悪魔憑き要素は、このころから整ってきた。
騒動は15年間もつづき、住人が引っ越すまで幽霊はあきらめなかったという。
クエーカー教徒のプロクター氏についての記録だが、幽霊屋敷特有の事象がそろっているという意味で、注目に値する。
「むかしからいらっしゃったんだね、この手の幽霊さん」
「もう実在を否定できなくなってしまったうえで、あえて問うが、なぜ地球上は幽霊に埋め尽くされていないんだろう?」
ゆっくりと階段を下りながら、このさきの幽霊と生霊と悪魔の関係について思い至す。
──もしひとが死んで幽霊になるなら、当然、東京は幽霊に埋め尽くされていなければおかしい。いや、あらゆる大都市は、どう考えてもそこで生きているひとより、そこで死んだひとのほうが多いはずだからだ。
この使い古された突っ込みのロジックに対する解答として、よほどこの世に思い残すことがないかぎり幽霊にはならないのだ、時間が経つと薄れていくのだ、などの議論で現在までもなんとか整合しているのが、各種の幽霊譚である。
つまりこのさきの幽霊は、この世に強い思い入れを残し、かつ生霊を発するほどの強い霊能力者をボスとする、そうとうに手ごわい相手と予想しておくべきだろう。
「めんどくせーな、おい、無駄に広いところの奥底まで引っ込みやがってよ。どこぞの引きこもりか」
「マフユさんは、なんで俺を見るのかな!?」
「……なんだこりゃ。倉庫か、ここ」
階段が終わり、地下フロアにたどり着くと、まずリョージが声を漏らした。
周囲には、古そうな壺や楽器、刀剣や絵画といったものが、それなりの数、並んでいた。
しかしなかでも量が多いのは、怪しげな呪具のたぐい。
「ブ……部長が見たら喜びそうだな」
まっさきにオカルト部のブブ子を思い出すチューヤ。
日本の書画もある。百鬼夜行図絵のような、怪奇な図柄が見て取れる。
小道具の妖怪、つくも神が壁をちょろちょろ這っているのが見えた。
自然や動物を妖怪化するという手法は多いが、つくも神は人工物を妖怪化したものだ。
付喪とも書くが、正しくは九十九。人工物も百年たつと、その霊が変化の能力を身に着ける、という信仰から発生した。
多くの品物が、それなりの因縁と来歴をもって、そこに置いてあるようだった。
と、リョージは骨董品のなかに、デス・レターを握った状態で干されたような、ミイラの手を発見した。
さきほどからの展開を考えると、サルの手、ということになる。
怪奇小説として知られる『猿の手』は、持ち主の願い事を3つかなえてくれる代わりに、高い代償をとるという有名なモティーフだ。
「なんだよ、こんだけ骨董品があれば、破産しなくて済んだんじゃねえのか?」
「そのせいで破産したんだよ……」
部屋の奥から聞こえてきた声に、ぎくり、と一同は動きを止めた。
ゆらり、と歩み寄ってくる男の姿。
さきほどまで生霊を飛ばしていた張本人と、リョージのデス・レターの知見が重なる。
おそらく彼が筈木なのだろう。
「おい、てめえ。ここに瀬戸ってやつをかくまってるよな? おとなしく出してもらおうか」
ぽきぽきと腕を鳴らして踏み出すマフユ。
「いや待て、そのまえに手紙を受け取ってもらわないと困る。……あんた、筈木さんだろ?」
リョージが猿の手からデス・レターを回収しようとしたとき、カラカラに干からびたそれが、ぎゅっと手紙を握りしめた。
──これはどういうことだ?
これまでの流れだと宛名が変わって、古い宛名の人間が死ぬのだが、手紙そのものをつかんで離さない呪いのアイテムが介在するとなると……。
筈木はそのようすを眺めながら、重々しく、苦しげに息を吐く。
「ああ、そうか。いよいよ黄泉へ連れて行くか。家族が待っている、みんな死んだ、待っている……待って……あああ! 死にたくねえ、死にたくねえよぉおお!」
つぎの瞬間、筈木の肉体が弾けるように巨大化し、その肉体の内面から変化させる悪魔が、姿を現した。
名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅
ヨモツイクサ/妖鬼/44/飛鳥時代/日本/記紀/西新井大師西
「……でけえ」
天井を突き破るほど巨大なヨモツイクサは、サムライの原型とされている。
おそらく標準レベルではなく、ボス化したかなりの強化タイプとみていいだろう。
「行くぞ、みんな」
臨戦態勢を整え、戦闘開始。
どんな強力な悪魔も、仲間とナカマがいれば、乗り越えられる。
乗り越えられた──瞬間、床が抜けた。
フィールドが縮小し、敵は巨大化する。
ボスレベル2。
「またこのパターンかよ!」
「リョージとマフユの組み合わせは、こういうお約束になってるみたいね!」
瀕死のヨモツイクサに駆け寄る、ひとりの女。
醜い顔立ちが遠くからでもわかるが、倒れた男に対していたわりの態度を見せているところをみると、心は美しいのかもしれない。
おそらく上で見た男女の生霊は、いま目のまえにいる男女なのだろう。
一方がヨモツイクサであれば、当然、もう一方は……。
名/種族/レベル(現在)/時代/地域/系統/支配駅
ヨモツシコメ/鬼女/16(?)/飛鳥時代/日本/記紀/谷在家
「ヨモツシコメ!? チューヤ、ねえ」
「ああ、わかってる。……トーク!」
ボス戦ではあるが、ヨモツシコメには用がある。
話は通じないかと思いきや、ゆっくりと立ち上がり、ふりかえった彼女は……人間の姿のまま言った。
「協力するから、私たちをほっといてちょうだい……」
予想以上に話の通じる相手──のような気がする。
臨戦態勢だったマフユは不満げだったが、悪魔を相手に悪魔使いがトークを展開している以上、介入することはできない。
「瀬戸のことを訊け、悪魔使い」
「わかってる……てか、状態をみろよ。まだ人間だろ。悪魔使いじゃなくても話は通じると思うが」
むしろ悪魔使いとしては、相手がはっきりとヨモツシコメ然としてくれていたほうが話しやすいくらいだったが、境界を共同構築する悪魔である事実は変わらない。
彼女は自分を「四方芽衣子」で、横にいる筈木の妻である、と名乗った。もちろん近い将来「あなたの名字になる私」の予定だ。
ヨモツシコメをガーディアンとするタイプRであり、むかしから魔女の素養があったのだ、という告白もつけ足した。
舎利学館との関係は、一応、信者であるという。
在家のまま出家し、信濃町からの要求に応じて、何人かの「肝試し目的の行方不明者」を送り込んだ。
「それで、このあたりに脳のない幽霊が出た、ってわけか」
ひとつずつ、謎が解明されていく。
──筈木と出会ったころ、彼は妻子ある男性だった。
ドラッグパズズの経営者で、多額の資産を持っていたが、大量の骨董品に手を出し、経営を傾かせた。
そのことに彼女は責任を感じている、という。
筈木に大量の骨董品を買わせたのは、彼女の父だったからだ。
結果、筈木はドラッグパズズの経営権を手放し、唯一、フランチャイズ営業していた店舗も経営破綻、店舗兼自宅は現在のような廃墟となった。
妻子は相次いで自殺し、自己破産した筈木だけが、生きぎたなくこの場所に取り残された。
彼の世話をしなければならない、と芽衣子は言う。
私は魔女だ、彼を破滅させた、でもよかった、これで彼は私のもの。
「ふふふ、うふふ、いひひへへ」
醜い顔をさらにゆがめ、不気味に笑う芽衣子。
サアヤは、ちょいちょいとチューヤを肘でつつき、
「ほら、チューヤ。笑ってるよ、ナカマにするチャンスじゃない?」
「ごめん、認めるよ。たしかにあれは不気味だ」
それでもトークを拒否するわけにはいかない、なぜなら彼は悪魔使いだからだ。
慎重に話を進めるチューヤに対し、半ば問わず語りに、芽衣子は自分の来歴を語った。
小さいころから性欲が強く、それに反して男に愛されるような外貌ではなかったため、鬱屈が強力なポルターガイストを生んだ。
唯一、優しくしてくれたのが、妻子ある男・筈木だった。
長らく彼に執着しており、妻子が自殺して以後は、ようやく妻の座を手にしたと自任している。
そろそろ婚姻届けに判を押してもらいたい、あなたの名字になる私……。
「なんなんだよ、あの女はいったい。いいからブッ殺そうぜ」
さっそくイライラしてきたマフユが声を荒げるが、
「落ち着けよ、まだ瀬戸のことも訊いてないだろ。……で、この建物には、ほかに現世側の生きている人間はいないんですかね?」
「いるとも、ここに」
ハッとしてふりかえる。
南東から、生ぬるい風が吹いてくる。ぞくり、と背筋がヒリつく。
これは、とても、わるいものだ──。
部屋の隅の暗がりから、太ったシルエットだけが左右に揺れながら、近づいてくる。
「疫病とイナゴの悪魔……」
チューヤの脳裏には、デジタルデビルのデータベースに基づく回答が、すでにある。
無造作にアナライズを許しているのは、相手が半ば正体を現しているからだ。
ライオンの頭、前足、額の角、鷹の爪、サソリの尻尾、蛇の男根。
映画『エクソシスト』で有名になった、古代メソポタミアの悪魔、人類史上もっとも古い種族のひとりといっていい──パズズ。
……パズズ!?
大悪魔のガーディアンを帯びて、そこには見知った顔が現れた──。




