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それは、あえて表現するなら『サスペリア』だった。
もともと調剤薬局ドラッグパズズの店舗兼住居となっており、正面から見ればたしかに店舗なのだが、横にまわれば趣味のわるい洋風の住宅が、ぶざまに直結している。
数年まえに閉店し、その後、買い手がつかないことには、もちろん相応の理由がある。
「けっして、ひとりでは、はいらないでください……」
どこかの番組に影響されたのだろう、親切なのかいやがらせなのかわからない落書きが、剥がれかけた店舗の横壁にスプレーされている。
呪われた家。
心霊スポットとして大人気な時期もあったが、本気でヤバイ、という噂になって以来、定期的に行方不明者を量産している。
ヤバイという噂を流したほうが、むこうから獲物が寄ってくる──。
彼らは、それを知っているのかもしれない。
「マジでヤバそうだな、おい」
横道からつづく通路のさき、住居側の玄関が見える。あきらかに怪しい。
通用門に掲げられた表札はすでに取り去られているが、インターホンのところに、いろんな記号やマークが書き込まれている。
魔法の記号のような気がして、いっそう怪しい雰囲気を醸し出していた。
「ただのセールスマン問題じゃね?」
その手の知り合いも多いリョージが、さっそうと落書きの謎を看破した。
ただのいたずら書きや、メーカー出荷時の番号のようにもみえる。その正体は、住人の属性、在宅時間、契約が取れるかどうかなどの情報が、見るひとが見ればわかるようになっている、いわば「セールスマンのための連絡帳」だ。
話は聞く、もうひと押し、契約完了、といった情報であり、記号の意味は、Mは男性、SSは土日休み、外は外人、金シールは金持ち、黒シールはよくない、など。
このような「マーキング」は犯罪であり、警察に通報してかまわない。
書き込んでいる瞬間の映像を確保しておき、訴えればまちがいなく勝てる。
「えー? ってことは、ここ現住建造物?」
「どうみても無人の廃墟だけど、たしかに……電気は通ってるらしいな。うまいところに隠れやがったぜ、瀬戸のやつ」
つぶやきながらインターホンを押してみるマフユ。
当然のように、無反応。
裏側を除くと、そもそも配線が切れている。
「廃墟は廃墟で厄介だが、ひとが住んでるとなると、それはそれで……」
考え込むチューヤに、マフユは臆することなく直接行動で示した。
閉じられた通用門を蹴り開け、絶賛不法侵入開始だ。
「NHKの集金だバカ野郎。行くぞ、おまえら」
マフユがボケたので、本能的に乗っかるチューヤ。
「うちテレビありません! 電気きてないし!」
「ああ? ケータイもってんだろうが、おうコラ。もってねえだと? 糸電話でも受信できたら払うんだよ! ジャンプしろてめえ、小銭あんじゃねえか、おうコラおう!」
マフユとチューヤが展開するコントを眺めながら、苦笑するリョージ。
「……某国営放送も、おまえみたいなやつを雇えば、取りっぱぐれないんだろうな」
「NHKをォ、ブッころーす!」
「そもそも、こんな廃墟をそのまま放置しておくなんて、埼玉県足立区がわるいよ」
「みんな怒られるよ! いろんなところから!」
肩をすくめるリョージ、追い込むマフユ、乗っかるチューヤに、しかたなく突っ込むサアヤ。
騒がしい高校生たちは、店舗横の細い道を進む。
裏側の住居側からのほうが侵入しやすい可能性を考慮したのだが、前方の廃墟はまさに境界テイストで、現世側に実在するとはどうしても思えない。
と、リョージはふとふりかえり、
「そーいやサアヤ、きょうはバイトの日じゃないのか? もうだいぶ暗くなったぞ」
すでに周囲は暗闇に包まれ、足立区の「夕焼け放送」はとっくに過ぎ去っている。
せっかくサアヤとちちくりあえるのに余計なこと言うんじゃねーよ、いやちちくりあわないでくれる? という騒がしい面々を無視して、
「おばさんの治療のために、どうしても必要な冒険ということで、店長にお休みの許可もらいましたー!」
ばーん、とスマホの画面を提示するサアヤ。
そこには、ヨモツヘグイ、ヨモツシコメ、治療合体、などといった単語が並んでいる。
「なんだこれ?」
サアヤに目線で指示され、一応、悪魔合体のオーソリティであるチューヤが解説の役割を買って出た。
「聖理科病院でさ、ラファエルってドクターに、具合のわるいナミさんを診てもらったのよ。そしたら、彼女の治療に必要なのはそれらのアイテムと特殊な合体だって、ついさっき教えてもらったわけ。で、悪魔全書のデータなどからヨモツシコメを検索したところ、支配駅は谷在家だったって理由も、俺たちがここへやってきた目的のひとつとしてある」
「へー、偶然って重なるんだな」
目線を転じて、一同を順に眺めるリョージ。
リョージの目的はもちろん、デス・レターを宛先に届けること。
マフユの目的は、このあたりに隠れているらしい瀬戸を見つけて始末すること。
サアヤの目的は、叔母の治療に必要なアイテムと悪魔を見つけること。
チューヤの目的は、信濃町との謎のつながりを解明すること。
それが、同じ場所で同時に解決できそうな予感だ。
「ヨモツヘグイってなんだろーね、チューヤ」
「黄泉の食い物だろ。そいつと、ヨモツシコメをナカマにして合体させるってよ」
「そんな合体もあるんだねえ」
記紀などによれば、ヨモツヘグイとは、黄泉の食べ物のことだ。
生きた人間が口にしたら、もう現世にはもどれない。古代の呪詛であり、イザナミも、黄泉の国の食べ物を口にしてもどれなくなった。
黄泉の住人になる、という決意のあかしであるこの食べ物を、ナミをとりもどすために逆用できる可能性を「診断」したのは、さすが天国の医師ラファエルである。
詳細は邪教の味方に訊け、ということだ。
「……ちっ、鍵かかってやがる」
乱暴にノブをまわすマフユ。
「そりゃそうでしょうね。……おい、マフユ、あんまり無茶すんなよ。なんだったら一度引き返して、店舗側のほうから」
淡々と実務を進めるマフユに、突っ込んでやるチューヤ。
RPG的に、彼女は「盗賊」属性だ。
くるっ、と踵を返すチューヤの本音は、単に住居側の雰囲気があまりに怖いから逃げだそうとした、だ。
直後、吹っ飛ばされた彼の身体は、ごろごろとサアヤたちの横を数メートルも転がっていった。
ザマぁ、という表情で眺める一部仲間と、ハッとしてふりかえる良心的仲間。
唖然として背後を眺め上げ、動きを止める。
巨大な悪魔トロルが、2列3列と横に並び、退路を完全にふさいでいた──。
「いやー、なにこれー、青鬼ー?」
悲鳴とともに飛び退くサアヤ。
「お出迎え、ご苦労さんだな。しょーがねー、やってやんよ」
腕をまくるマフユ。
「……待て。こいつら、敵意ないぞ」
リョージが片手をあげ、戦闘態勢の仲間たちを抑える。
「敵意ないって!? 俺、このザマなんすけど!」
激しくぶん殴られたチューヤのダメージを、しかたなく回復してやっているサアヤ。
「いや、これだけ背後を固められて、そもそも気づかないってのがおかしい。気配には敏感になるように、それなりに訓練されてるからな、オレ。……たぶん、ここから逃げ出そうとすると反応するんじゃないか?」
リョージは言いながら、一歩、背後に向けて踏み出した。
瞬間、トロルの表情がわずかに変わる。悲しげな、怒りに満ちた、あるいは無表情で、ここから逃げ出すことを許さない、という気配を示す。
周囲は完全に境界化を終えており、トロルがいなくても、もう逃げ出すことはできないのだが……。
「ほーん。なるほど、すぐ逃げたがる臆病者だけに懲罰くれてやろうってか。チューヤ、とっとと去ね」
ひらひらと手を振るマフユ。
「やだよ! くっそー、舎人のトロルめ。トーク! ……拒否ですか、ああそうですか!」
チューヤは悪魔相関プログラムを介してトロルとのトークを試みたが、ナカマにするとか情報収集するどころの騒ぎではなかった。
憤慨しつつ踵を返すチューヤに向けてか、クケケケケ、と響きわたる笑い声。
笑いすぎだぞマフユ、とふりかえったチューヤたちの視線が凍りつく。
骸骨がマフユの背後に立っていて、その首を絞めるように絡みついてきた──瞬間、鞭のようにしなったマフユの足が、激しく骸骨を蹴り返す。
首を吹っ飛ばされ、バラバラになる人体模型のような骸骨。
ケケケケ……と笑いながら、ふわりと浮いたしゃれこうべだけが、奥側の割れた窓から、廃屋のなかへと去っていく。
ある意味、彼らを屋敷内に案内するような動きともみえる。
「こわーっ。だいじょぶ、フユっち?」
「おお、なんともない」
「まさに幽霊屋敷ってか。こわいな、たしかに」
「……そう? でも、笑ってたよ、あの骸骨。友好的なんじゃない?」
チューヤの言葉に、仲間たちはいぶかしげな視線を向ける。
その理屈を知るサアヤは、やれやれと首を振って、まずはチューヤに諭し聞かせるように、
「あのね、チューヤ。ホラー業界では、お化けとか幽霊が笑っているのは、すごく怖いことなんだよ!」
まるで、幼児に感情を教えているかのようだ。
理解に苦しむリョージたちのまえで、チューヤはその独特な知障ぶりを発揮する。
「そんな業界の都合なんか知るかよ。そもそも考えてもみろ。笑顔ってどういう意味だ? 友好のあかしだろ。笑い声ってなんだ? 楽しいね、っていう意思の表明だろ。幽霊だろうが化け物だろうが、笑顔を見せた瞬間、それは友好のあかしと考えて対処すべきだ。だから俺は、あのガイコツとは友達になれるけど、あの後ろの連中は……とっても怖い!」
背後を埋め尽くすトロルたちは、見た目はどこかコミカルで、やさしげな印象さえ抱かせるが、表情はことごとく暗い。
悲しい表情というのは、こちらも悲しい気持ちにさせる。
一方、さっきのガイコツは笑っていたではないか。
とても楽しいことが起こっている、いっしょに楽しもうよ! という意志の表明なのだ。
相手が仲良くしようとしているのだから、こちらが恐怖の表情など見せてはいけない。
悪魔使いとして、それは断じてやってはいけないことだ!
「むかしから、そーいう変なところあったんだよね、うちのチューヤ。いっしょにホラー映画とか、恐怖モノのビデオとか見るでしょ? で、幽霊がニヤリと笑った瞬間、いっしょになって笑うんだよ! もう気持ちわるいったら」
「だからさ、俺は共感してるんだって。そもそも製作者の意図を考えてみろよ。彼らは登場するキャラに、笑顔を指示しているんだぞ。笑いといえば、コメディだ。つまりこの作品は、ただのホラーではなく、ホラーテイストのコメディである、という意味なんだから、笑って差し上げるのが当然じゃないか」
こいつ頭おかしいんか、とマフユさえ首をかしげている。
しかしチューヤにとっては、それは正しい考え方だ。
このような幼馴染に対して、サアヤをもってしても教育しきれていない。
「それこそ、製作者の意図を考えろよ! 不気味に笑ってるの! それを見て怖がってもらいたい、というのが製作者の意図なの!」
「不気味とか、それは個々人の主観だろ。問題はさ、周囲じゃなくて笑ってる当人の気持ちだと思うんだ。で、その相手が楽しそうにしている分には、こっちも楽しくなってあげたい。それが共感というものですぞ、サアヤさん、小学校で習いませんでしたかな?」
一瞬、リョージが、なるほどという顔になる。
サアヤはあわてて跳びあがり、
「だから、ホラー業界では、笑っている霊がいちばん怖い、ってルールになってるの!」
「そういう勝手なルールを押しつけたいなら、最初にその特殊なルールを納得させるだけの設定を示せよ!」
もちろん「笑顔が怖い」場合もある、それは認めよう、とチューヤはつづけた。
たとえば、サイコキラーだ。彼らはひとを殺すのが楽しい、という考えの持ち主であって、それを作品内できっちり表現してくれていれば、笑うサイコパスは怖い、と理解してもいい。ハンムラビ・ネクター博士が笑ってたら、ひとを殺したいんだな、怖いな、と納得もしよう。
だが幽霊は、もともと人間であって、サイコキラーではない。なんなら被害者として共感を示すべき、かわいそうな人々だ。わかり合える要素は多分にある。
結論。彼らが楽しそうに「笑って」いたら、いっしょに笑ってあげなければならない!
チューヤは断固として言い張り、屋敷の奥から聞こえる笑い声に対して、にこやかに手をふりかえした。
むかしから、こういう人間だった。
事実として、これが「悪魔使いの論理」というものらしい。
相手が楽しいなら、こちらも楽しい、たとえ種族の壁を越えても、お互いの意識を共有していこう。
そういう、ちょっと変わった信念の持ち主こそが、悪魔使いという稀有なタイプを極めていく才能を有している、ということなのかもしれない。
「変なやつだな、こいつ」
マフユはハナから理解するつもりがない。
「まあ、言っていることは、わからなくもないようなわからないような……」
リョージとしては、理解はしたが納得はできない、といったところだろう。
「むかしのヒーローものとか、悪役がよく唐突に、ハハハハとか笑うでしょ。そしたらチューヤ、完全に悪役に共感して、いっしょに笑うんだよ!」
ため息まじりに言うサアヤに、チューヤの信念は揺るがない。
「正義のヒーローだって唐突に笑うでしょ! ほんと、むかしの作品を書いたひとって、バカみたいに明るい作品をたくさん残してくれて助かるよね!」
「バカはおまえだよ!」
騒がしい高校生4人が、幽霊屋敷の奥へと向かう。
幽霊が楽しそう(不気味?)に笑っていたら、こちらも楽しく笑い返してあげるのが、悪魔使いの礼儀というもの。
というわけで、怖さの基準がズレているチューヤ、そもそも怖がらないマフユ、怖さに強いリョージがいるパーティで、恐怖展開になることはあるのだろうか……。




