36 : Day -32 : Yazaike
日暮里舎人ライナー、谷在家駅。
やや疲れた表情で待っているところへ、マフユがあくびを噛み殺しながらやってきた。
同時にチューヤも誘われて、大あくび。
「なんだよ、おまえもあれから寝てないのか?」
「ちょっと、やることが多くてな。……よっ、サアヤ。きょうもかわいいな!」
「よっ、フユっち。きょうも細長いね! ……で、どういうことになってるか説明してくれるかな?」
サアヤと同時に、マフユからの視線も受けて、説明を開始するチューヤ。
さっきまで、マフユが来てからまとめて説明するよ、と保留しておいた問いだ。
すでに目的地は脳内にインプットしてある。
歩きながら話すチューヤ。
「警察が、中野で起こった事件を中心に捜査を展開した。で、本庁のデータベースに関連しそうな事件を見つけたオヤジが、そこからいくつか、瀬戸ってやつが隠れ家に使いそうなヤサを割り出した。そのうちのひとつに、AKVNのメンバーのだれかに関係するらしい廃墟が含まれてる。俺はたぶん、ここだと思う」
「……理由を訊いていいかな?」
「勘」
「おい、てめえ」
「しょーがないだろ! だけど、こういうのは直感が大事なんだよ。たぶん、さきへ進めばそう思った根拠が見えてくるかもしれないけど、いまのところ説明できないから、勘としか言えない!」
めんどくさくなって言いきり、チューヤは口を閉じた。
信濃町との関係はあるはずだが、瀬戸とのつながりまでは正直、わからないのだ。
かしましい女たちとしては、さらに問い詰めたいところだが、それ以前に対応すべき別の要素が遠くから近づいてきて、もうそのことしか考えられなくなった。
サアヤはその場でぴょんと飛び上がり、大きく手を振りながら叫んだ。
「リョーちん! あれに見えるは、われらがリョーちんではござらぬか!?」
気づいて、リョージも軽く手を振りながら、
「よう、おまえら。この広い東京で、よくまあ偶然が重なるものだな」
一瞬、チューヤもうれしそうな表情をつくったが、すぐにやや暗い陰りを帯びた哀愁に近い感情を伴って、嘆息とともに言った。
「偶然ならいいけどね……リョージ、おまえ、なにしに来た?」
「おう、それな。まあ、話せば長くなるんだが……」
「またかよ!?」
今回ばかりは、黙って聞かざるを得ない。
そして十数分後、
「……この手紙を届けてくれってさ」
リョージは、背負っていたボディバッグから、封筒に入ったA4サイズの紙の束らしいものを取り出した。
とある建設会社に届いた「手紙」なのだという。
「毎度おなじみ、お使いイベントか」
「なんだが、甘く見ちゃいけない」
人差し指を立て、それを横に振るリョージ。
最初、宛名は社長だったのだが、いつの間にか書き換わっていた、という。
手紙をわたすまえに、心臓発作を起こしたらしい社長が、救急車で運ばれていくのを見送った。
「リョージはいろんなひとから頼まれるよな」
「しかたないから、つぎの宛名のところにもって行った。とある小料理屋のおかみさんだったんだが、手紙をわたそうとしたところ、走ってきたクルマに轢かれた」
「…………」
ものすごくいやな予感しかしない。
めずらしくリョージの話で、チューヤよりもいやな表情をしているのがサアヤだ。
一方、マフユは平然とせせら笑っている。
「宛名、変わってたか?」
「ビンゴ。つぎの宛名が、このさきの住宅地になっている」
「もしかして、幽霊屋敷と噂のドラッグストア跡地ではあるまいな?」
「そうなの? ……おやおや、たしかに住所が一致するな」
チューヤが見せたスマートフォンの画面に表示されている住所と、リョージがもっている手紙の宛名が、まさにピタリと一致していた。
これはもう、いやがらせとしか思えない。チューヤは深く嘆息した。
「おまえさ、それ〝死の手紙〟ってやつじゃないの?」
有名なモチーフで、映画にもなっている。
その手紙を届けた相手が死に、届けないと本人が死ぬ。
細かい設定は異なっても、基本的に、その手の「呪いのアイテム」だ。
リョージは困ったように頭を掻きながら、
「そうなんかな? 届けた相手に死なれるというのは、あまり気持ちのいいものではないから、そろそろ届けるのやめようかと思っていたんだが」
「やめろ、じゃなくて、やめるな。呪いは元から断たないと、おまえが呪われる」
「てかよォ、リョージ、それ死神の仕事だろ? てめえ、だれから請け負ったんだよ、その配達」
「えーと、もとは中野のほうの……」
リョージは手短に、顛末を話した。すでに十数分かけて語ってはいたのだが、要点をたどり直す必要があった。
リョージの手にわたるまえに、その手紙をもっていたのはメッセンジャーボーイの学生バイトだった。その彼は、どうやら中野のとある金持ちへの配達から、その仕事をはじめたらしい。
が、届けようとした金持ちが死体に変わると同時に宛名も変わり、不審に思いつつもその後、届けるさきざきでひとが死ぬ。
ついに心が折れ、建設会社の社長のところに届ける途中で、通りかかったリョージに土下座をして頼んだ。
その瞬間、彼は激しく咳き込んで血を吐き、そのまま救急車で運ばれていった。
どうやら深刻な病気らしいと理解して、やむなくそこから仕事を引き継いだのだという。
「おまえね! そういう危険なもの、気軽に背負いこんじゃダメダメ!」
指でバツをつくるチューヤに、サアヤも困った顔でうなずく。
「いやーな感じしかしないけど、途中でやめられないのかなー」
「聞いたことあるぜ。それは死神の交換日記だ。わたされるとき、条件なかったか?」
死の世界に詳しいマフユの言葉に、リョージは考えながら、
「……ああ、そういえば言ってたな。中身を絶対に見てはいけない、って」
ぞくり、とチューヤたちの背筋がふるえた。
昔話によくあるパターン。開けてはいけない玉手箱をわたされる、というやつだ。
途中、何度も中身を見たくなったが、リョージだけに鉄の意志でなんとか自制したのだという。
「そのメッセンジャーボーイは、たぶん見ちまったんじゃないか? で、怖くなってリョージに託したが、手遅れってやつだ」
「見るとどうなるの?」
「チューヤ、ためしにリョーちんから依頼されてみたら? で、ためしに見てみたら?」
躊躇なく死を振る過酷なお笑い要員サアヤに、地団太を踏んで突っ込むチューヤ。
「ためしに死にたくねーよ! サアヤおまえ、めっちゃ中身が見たくなってるだろ。てか俺もだけど。すげーなリョージ、それ持ってて中身見ないでいられるなんてさ!」
「いや、マジでギリギリだ。……マフユ、おまえよく知ってるな。死神の交換日記? ってなんなんだ?」
「あたしも、よくは知らんが……」
基本、すでに全員理解しているとおり、とにかく中身が見たくなる。
また、その封筒をもっているあいだ、不可解な事象がつきまとう。
あらゆる偶然が、持ち主に中身を見せようとする。
だが、中身を見ると「呪われる」。メッセンジャーボーイの例のとおり、死のチケットが切られるのだ。
封筒の中身は、厚めのノート。
それは「死神の交換日記」と呼ばれている。
死んだ人間と、これから死ぬ人間の魂が、まとわりついている。
仕事のやり取り、寿命のやり取り、その記録、業務連絡ノートの役割も担っている。
今回は現住所が多かったようだが、宛先はひとの住んでいる場所にかぎらない。
事故物件、廃墟、墓地、つぎつぎと書き換わる住所にもっていく。
そこには、仕事を終えた死神の痕跡と、残された怨嗟だけがある。
そして、つぎの場所へ早くもっていけ、と催促されるのだ。
「厄介なアイテムを託されたな」
「リョーちんの仕事って、いつもこんな感じなのかな?」
「ひとがいいから、最後まできっちり果たすんだろ」
「チューヤもちゃんと、任されたことはやんなきゃダメだよ!」
話しながら、淡々と近づく目的地。
進めば進むほど、空気が重く感じられるのは、このさきに尋常ではないイベントが待ち受けているからだろう。
本能的に危険を感得する能力がなければ、長生きはできない。
「死神の手紙を届けるさきの廃墟が、警察も足を踏み入れることをためらうような幽霊屋敷ってか。なるほど、話が噛み合ってきたじゃねーか。まちがいねー。瀬戸のやつ、そこにいるぜ」
マフユの言葉に、首をかしげるリョージ。
「瀬戸? 宛名は筈木ってひとになってるんだが」
「偽名か? いや、たぶんそのドラッグストアの名義上の持ち主だろうな。なんでそいつが呪われてんのか知らねーが」
「てかさ、死神の仕事だとしたら、たんに寿命の回収じゃないのか? 最初から死ぬ運命のひとに、手紙を届ける簡単なお仕事です……って、それより最後まで届けるとどうなるんだ? 届けた側は、もちろん助かるんだよな」
考えることが多すぎて、チューヤにもよくわからなくなってくる。
そもそも考えて答えが出るような問題ではない。
はなから考えるより行動するタイプのリョージは、軽く肩をすくめ、
「さあな。ともかく死神の口癖ってのは、おまえの罪を数えろ、だろ? たぶん、これを届けること自体が、罪を数えることなんだ。で、届けるたびに罪がひとつ消える、って感じなんじゃねーかな」
「チューヤ、リョーちんから引き受けて、罪を消してもらいなよ!」
「だから、なんで俺に引き受けさせようとするんだよ! てかマフユ詳しそうだし、引き受けてやれよ。リョージ、かわいそうだから」
一瞬たりと考えるそぶりもなく、言下に否定するマフユ。
それなりの理屈に基づいて。
「なんであたしが、そんな危ないもん引き受けなきゃならないんだ。だいたい、一生届けつづけたって、あたしの罪を消すには足りねえよ」
「自信満々そういうこと言うな!」
「いや、いいよ。自分で届けるから。──このさきでいいんだろ?」
道を曲がったさき、見えてくるあきらかな廃墟。
東京都内とは思えない、足立地獄のなかでも最先端の地獄が、そこにある。




