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自分の遺伝子の正体について知見を得ることは、その悪魔召喚術の本質に迫ることをも意味している。
テトラソミー・モザイク。
チューヤの遺伝子が持っている、もっとも顕著な特徴である。
有名なダウン症(21トリソミー)は、21番染色体が3本あることだ。
一方、ターナー症候群というのは、X染色体が1本しかない状態を指す。
四倍体のことをテトラソミーといい、15や18のテトラソミーには、生存可能性がある。
だが一般的に、染色体異常と診断されれば、生存不可能とされるパターンが多い。
チューヤは「テトラソミー・モザイク」と診断された。
特定の染色体に分散してテトラソミーを描く、ごく珍しい症例だ。
妊娠中に異常な成長をくりかえしたことから、当初は成長不可能の染色体異常と診断された。中絶をお勧めします、と。
そのとき母親は、セカンドオピニオンを求めて全国を走りまわったらしい。
チューヤはみずからの出生について、断片的に聞き知ったことを思い起こしていく。
いままでは封じ込めていた。
母親は、この無理な分娩によって死亡した。
悲しい記憶が意味する真実から、もう逃げてはならない。
事実、危険な妊娠によって死亡した以上、ファーストオピニオンにおける中絶の勧奨は、まちがいではなかった。
だが、育った赤ん坊にとっては、もちろんまちがいだった。
あのときの母親の選択がなければ、チューヤはここにいない。
また結果として、チューヤは普通の赤ん坊として成長できた。
染色体の異常が生命維持の支障になっていない。
母親は、自分の命を受け継がせることに成功した。
彼女は半分正しく、半分まちがっていたわけだが、子どもが生きて成長していることを知れば「全部正しかった」と言って笑うだろう。
きわめて珍しい症例で、検査の「ミス」や「誤差」とされたこともある。
普通の赤ん坊なら、それで済ませることができる。現に普通の子どもとして成長した。
だが一方で、母親の胎内では異常な成長をし、母体を死に至らしめてもいる。
彼は異常なのか、それとも正常なのか。
にたり、と院長は笑った。
「人を殺して自分が生きるのだ。正しいよ。正常に決まっている。おまえは、正しい人類の道を歩んでいる。おまえを待っていた。おまえの染色体をくれ、わしに。そのために、これほど豪華な隔離病棟を作ってやったのだ」
ぎくり、とチューヤの背中が揺れる。
「どういうことだ。この病院が境界化したのは……」
「おまえたちは、蜘蛛の巣に捕らえられた餌だ。四倍体、4体同時召喚! すぅばらしい。……たった1体の悪魔を飲み込んですら、これだけの力だ。あと3体の悪魔を飲み込めば、わしの力はどれほど伸張するだろう。
悲劇的実験だった。そのために何人もの患者が犠牲になった。くりかえされた責任は、貴様にもあるのだ。貴様がさっさとわしのところに来ていれば、犠牲はもうすこし、少なくて済んだかもしれぬ」
多数の実験材料が、狂気の実験の犠牲になるのは、歴史的に見ればよくあることだ。
それはたとえば、悪魔とのハイブリッドをつくりだす、合体実験。
むこう側で盛んに行なわれている悪魔の所業が、こちら側にもそのトレンドを広げてきたということ。
多重人格者は、多数の悪魔を同時に呼び出すことができる、という伝説がある。
じっさい、それをやった狂人も多くいたし、ここにもいる。
結果、でっちあげた魂の数だけ、悪魔に食い散らされて終わった。
技術は、ひとつの壁にぶち当たっていた。
一時的に複数の悪魔を召喚することは、できない話ではない。その後、ほぼまちがいなく殺されるリスクを覚悟で、試してみるのもいい。
だが欲望は、安定的に強力な力を欲している。
四倍体モザイク。すばらしい。
こいつの力を食えば、もっと強くなれる……。
「データは見た。非常に興味深い。協力してくれるだろうな? してもらうよ」
染色体が悪魔の味覚に及ぼす多角的な影響。
自分が悪魔の論文の素材になっている事実を、チューヤははじめて知った。
「ふざけんな、てめえ」
「いいのか、女ども。さっさと先生を助けに行かなくて、いいのか」
「チューヤ……」
複雑に揺れる女たちの視線。
マフユはもう体半分、動き出している。
もちろん彼女たちが戦線を離脱するのは痛いが、チューヤはこのとき、なぜか自分の心が英雄的になるのを感じていた。
「行けよ、先生を助けてやれ、マフユ、もし成功したら、なんかおごれよ」
まさか少年漫画の「ここは俺に任せて先へ行け」を、自分がすることになるとは夢にも思わなかった。
「……わかった。必ずもどる」
口先だけだとわかっていても、チューヤは彼女の速断を是とした。
「チューヤ、でも」
「おまえの回復魔法は絶対必要だろ、サアヤ。──安心しろ。俺は強い。一人でこんなハゲモノ、いやバケモノ、簡単にぶっ倒しちゃうぜぇ?」
こうして胸を張ることを、一般には虚勢を張る、という。
男子が意地を張っている。女子としてどうすべきか?
「わるいが急ぎなんだ、サアヤ」
決断の速さは、マフユの優れたところでもあり、寂しいと感じる部分でもあるな、とチューヤは思った。
サアヤがマフユに担がれて去ると、室内にはチューヤとハゲモノ、もとい院長だけが残された。
もちろん院長は、これから目のまえの子どもを解体し、自分の能力の拡張に使用するつもりでいる。
一方の高校生も、自分の召喚士としての全力で立ち向かった結果、負けるなら仕方ない、と覚悟を決めた。
「セベク、リャナンシー、ケットシー、ピクシー! そういうわけだ、がんばってもらうぜ」
召喚に応じ、つぎつぎに出現する悪魔たち。
「承知した。その心意気、諒とする」
「無茶なご主人だ。そういうところもまあ、わるくない」
「新しい恋人候補にして差し上げてもよくてよ」
「心震えたよ、あたし進化していいかな、チューヤ、燃え尽きるほど進化を刻んでもいい、かなかな?」
「よくわからんが、燃え尽きない程度に、どうぞ」
チューヤに促され、舞い上がるピクシー。
「しゃおら! 伝統のピクシー進化、いっとくぅ?」
くるくると回転しながら、その軌跡がひとまわり大きなシルエットに重なる。
やがて舞い降りた、その魅惑的なボディラインは、少女から大人への脱皮。
「おー」
「あたしは妖精ハイピクシー。今後ともヨロシク」
基礎的パラメータが上昇し、いくつか上位魔法を習得した、という程度の強化。
それでもないよりはマシだろう。
とりあえず戦隊ヒーローの変身を待つくらいの心意気はあるらしい院長は、全身に魔力を満たす。
「茶番は終わったか。それでは、そろそろ死んでもらうとしよう。……いや、生かしたままのほうがなにかと都合はいいか。では半殺しあたりで」
立ち向かうチューヤの動きは機敏だ。
「戦略的に動いてもらうぞ、みんな。相手の行動ターンは……2か。すばやさではピクシーとケットシーが上、と……」
ナノマシンの力により、その目には彼我の戦闘パターンが予測されている。
人間には「魔法節約」と命令してみたところで言うことを聞かない女たちだが、悪魔にかんしてはほとんどチューヤの指示通りに動く。混乱やバインドの魔法にかかってでもいないかぎり、戦闘指揮はすべて彼の思い通りなのだ。
これを活用するのが、悪魔使いの本領なのだと理解してきている。
ゲームでも採用されている、「はやさ」と「うん」に依存したターン制を、チューヤの解釈で実用に供するとしたら、こうなるというひとつの解答。
それはあちら側で、同じ名前で呼ばれるもうひとりの召喚士が得意としていた、リアルタイム戦闘制御という特技──。




