30 : Day -32 : Nakano
攻撃ではなかったが、相手がその気なら、ダメージを受けていてもおかしくなかった。
マフユが焦燥をこめて臨戦態勢を整える。
「あたしより速えぞ、マジか……」
見まわすと、空気はたしかに緊張していたが、境界化の兆しはない。
歩道のさき、街灯に照らされて見おぼえのある人影。
マフユは一瞬、毒気を抜かれたが、すぐに殺意を再充填する。
「女だからって容赦しねえぞ、ブッころ……」
「待て、マフユ。彼女は敵じゃない。……ホルス。石野さん」
チューヤはすぐに警戒を解いて、軽く右手を挙げた。
むこうから手を振りながら近寄ってくるのは、しばしばペットショップで絡む知人、石野とホルスのコンビ。
無造作に距離を詰め、敵意のないことを確認する。
「こんにちは、チューヤさん。やっぱりいましたね! ……えっと」
「こいつ、うちの学校の同級生でマフユ。一応女。……痛っ。で、こちら、石野さん。柿の木坂高校で鷹匠やってる女子高生。巷では意外に有名人」
そういえば、石野と絡むときは、なぜかサアヤがいないな、と謎の運命を感じてみるが、マフユの視線を感じてすぐに振り払った。
くだらない偶然だ。
「有名なんてことないですよー。はじめまして、石野です。チューヤさんには、いつもお世話になってます」
「……そうかい。ニシオギのアクマツカイが、どんな世話してるのかね」
一瞬、緊張する空気。
互いの立ち位置を明確にするため、情報交換は必要だった。
チューヤを中心に、手短にある程度の状況を説明する。
中心になるのは、AKVNバラバラ案件。
エジプト神が強くコミットしている事実から、マフユの理解も進んだ。
人類史上、最初にバラバラにされて、さらに復活を遂げた人物といえば、いうまでもなくオシリスだ。ホルスの父親でもある。
問題は、その母親──。
「このあたりに多く流通しているらしいんですよ。……お母さんの織った布が」
やや声をひそめて、石野が言った。
お母さんの織った布──死体をつなぐ布、縊屍布。
物語は、つぎのフェーズへ。
その布を織ることができるのは、古代エジプトの女神イシスだけだという。
かつてイシスが、夫のバラバラになった死体をつなぐのに使った布は、現在も同じように使われている。
この布を使うことで、すくなくとも肉体的には「つながって見える」という。
それを動かすためには、疑似的な魂を付与するアイテム「留呪符」という呪符が必要とされているが、現在、その供給が滞りがちらしい。
ロキにとって、非常に重要なこれらのアイテムが、偏った状態でブラックマーケットに流れているのは、どういうことか。
「アンコントローラブル、か。ロキ兄も大変だ。……協定は結んだって聞いたがな」
ぼそりとつぶやくマフユに、チューヤはイライラしながら問いかける。
「あのさあ! おまえけっこう大事なこと、いっぱい知ってて、わざと言ってないよね!? なんなの、そのイシフとかルシフとかアンコがブルブルとか!」
「うるせえ、ケツの穴に拳突っ込んで奥歯ガタガタいわすぞ。……アイドルビジネスは、ロキ兄にとっては遊びなんだよ。あまった品質の低いイシフを流して、どこぞの変態が遊んでいても、ある程度までは許容範囲だった。むしろそれでデキのいいアイドルがつくれたら、ちょうどいい娼婦ロボットにもなるしな」
「言い方! じゃあロキがイシフを発注してんのか?」
その展開に、石野のほうが興味津々で食いついた。
「あの、それで、イシフはどこで?」
「下町の町工場でつくってるって聞いたぜ。どこかは知らねえ。そう簡単に追えもしないだろう。シャブと同じだからな。売人をたどるしかねー」
「ですよね。それで、私たちここにいます」
鷹匠とハヤブサは、視線を交わしてうなずく。
彼らの母親がイシフという布を織るために強制労働させられている、という女工哀史のシナリオが背景にあることは、チューヤもだいぶまえから察している。
「末端にイシフを流してる売人、か」
「どのくらい上流までたどれるかはわかりませんが、話を聞きたいと」
「ふーん。……まあ、下手な流通を止めるのもアリっちゃアリか」
先走った想定を進めるマフユに、石野たちのほうがやや恐縮して、
「あの、話を聞きたいだけですから。邪魔をするつもりは……」
「いいぜ、いっしょに来な。……考えてみりゃ、そうだな。変態がパーツを集めるのに使う布からたどればいいんじゃねーか」
ぶつぶつ言いながら裏通りを目指して進むマフユ。
チューヤたちはその背を追うしかない。
「やっぱおまえ、いろいろと詳しいこと知ってたんだな。どこへ向かってる?」
「バイニンの家だよ。シャブの」
「シャブじゃねえよ! あほんだら!」
「何人かの信頼できるドラッグディーラーが、片手間にイシフを流通させてるんだよ。……おっと、いきなりビンゴかよ」
さきに立っていたマフユが身体を低くし、後続のチューヤたちもそれに倣った。
チューヤは声を潜め、
「おまえがやることって、これのことか」
「ナワバリ荒らしだと思われたら困るからな、最初はただのあいさつのつもりだったが、そういうわけにはいかないようだぜ」
周囲に、徐々に高まる悪魔たちの気配と、悪意、敵意、殺意。
空間が境界化していく。
最初から、力で互いの言い分を通すという基本ロジック、弱肉強食の世界へ。
「しかしチューヤが、まさか隠れてナンパしてるとはな」
悪魔の死体を蹴りながら、マフユは言った。
「してねーよ!」
「じゃ、もちろんサアヤは知ってんだろうな?」
「……サ、さあ、石野さん、売人から話を聞きましょう」
数匹の悪魔の集団を倒したが、一匹だけはあえて残す戦術で戦った。
とくに貧弱そうなモムノフで、両手がひどく汚れていた。
どうやら、地下の作業場でなんらかの役務を課されていたもののようだ。
本来、情報を得たいなら末端作業員ではなく、もっと上の管理者を残しておくべきなのだが、今回はその余裕がなかった。
薄汚れたモムノフを椅子に拘束し、
「おまえは、なにをやっていた? 自分の仕事を言ってみろ」
「クスリの、調合。混ぜて、つくる」
しゃべり方からして怪しい。与えられた作業しかできない、知的障碍者のようにも見える。
マフユは早々に肩をすくめ、
「話にならねえな。ただの末端かよ。ろくな情報もっちゃねえぞ」
「待て、マフユ。……あんた、モムノフだろ。死体を集めたりして、どうしてる?」
すると、にやあ、と相好を崩す男。
薄汚れた衣服と漂う異臭、不気味な表情だけで、マフユは全身にみなぎる殺意を即座にぶつけて始末をつける一歩手前だったが、なんとかチューヤが押さえつけた。
「つなぐ。死体、つなぐ。新しい女の子、かわいい、とてもかわいい」
「殺そうぜ、こいつ、そのほうが世のためだ」
「らしくないことを言うな。……それで?」
モムノフは、身体をぎこちなくゆがめて、奇妙な動作をした。
腕の縄を解いてやると、その動きだけで、ひとつの作業を表現する。
しばらく見つめていた一同のなか、最初に気づいたのはホルスだった。
「ミイラの巻き方か」
エジプトのミイラは、基本的に、まず死体の背中に樹脂を塗り、長い布を二枚か三枚、背中の下に敷いて、頭のところで折り曲げて顔を覆う。
それから首、腕、上体、足を横方向に巻いていく。このときは、つぎだらけの古布など、そこらにある端切れが使われる。
エジプトの研究者などは、切れ込みを入れて布の断面を見ただけで、どの巻き方であるかがわかるという。
──異教の神を崇拝し、ファラオに仕え、青いファイアンス焼きの装飾品と、縞模様の亜麻布のチュニカを身に着け、コール墨で化粧して、パピルスに書かれた言葉を話したひと。
その姿が、現代のモムノフに重なることの悠久。
そのとき、携帯電話の着信音に、一同はハッとして視線を向けた。
数コール、チューヤは点滅するスマホを拾い、着信をフリックした。
「……手にはいったか。ぼくのだいすきなーくらーりねっとー」
スピーカーから、変なメロディで、おかしなことを言う男の声。
全員が直感した。
こいつが黒幕だ。
「あ、その。まだ、なんですけど。なにを手に入れたらいいでしょうかね、ボス……」
チューヤがそこまで言った瞬間、ぷつんと通話は切れた。
演技にしてもヘタすぎる。強めにしばくマフユ。
「てめえやる気あんのか。なにがボスだ」
「んなこと言ったってよ! ボスって表示されてんだから、しょうがないだろ!」
売人の携帯電話には、当然のように相手の氏名などは出ない。
あったとしても、ことごとく偽名だろう。
チューヤは、マフユに求められるまま着信番号を表示。
マフユは自分の携帯に、その番号を入力してみて、動きを止めた。
「……瀬戸か」
ぴくり、と反応する一同。
セト。
エジプトの人々にとっては、あまりにも心に響く名前である。
「だれだよそいつ」
「だから瀬戸だよ。AKVNを14にした張本人だ」
もちろんAKVN14という株式会社には事業主体がいて、いくつかの協業者や出資者などのステークホルダーに管理されている。
ただし当初の段階では小さなイベント企画にすぎず、その企画自体もあやしげだった。
遊郭のショーケースよろしく、枯れ木も山の賑わいとばかり、十把一絡げ、もっと多くの数が割り振られていたのだという。
それが「赤羽14」という控えめな数になったのは、プロモーターである瀬戸の一声が大きかったらしい。
「たしかに、昨今のアイドルは、50や100じゃきかないくらい、ひとからげで売られることになっているよな」
「最初は40台のいくつにしようか、という話だったんだ。それが、企画段階で14に減らされた」
電話で、ハゲたおっさんの瀬戸がかっこつけて、フォーチン台だよフォーチン、と言った。
受けた秘書が、ティーン台、10代、フォーティーンかな、と理解してそのまま企画書を書いた。
文書になって出てきたそれを見て、瀬戸のおっさんはしばらく考え込んだが、自分がまちがったとは言い出せず、こう言った。
数ばかり多くしてどうする、これからは少数精鋭だよ少数精鋭、うちらは14でいくんだ!
「というわけで、赤羽14が成立したらしいな」
「どこにでもいるんだな、変なおっさん」
困った部下たちだったが、数の少なさを生かした地下アイドルの戦国構造を演出できないか、と考えた。
14人のそれぞれの下に41人の「兵隊」が設定されていて、14か国の、ある意味で競い合いがあるわけだが、そのなかで部下たちに競い合わせ、他国の人気を奪うことはもちろん、部下は部下で「下剋上」を狙っている、という戦国設定がつくられるようになった。
赤羽駅周辺の地名を冠した「領土」を奪い合い、赤羽一の繁華街を決定する、という地元アピールも並行して進めていた。
そんな北区を舞台にした「赤羽合戦」が展開されたのが2年まえ。
これが意外に成功した。
その後、板橋区の飲み屋を舞台にした「板橋ザンジバル」でフォーマットが確立。
ことし、中野区の駅舎を舞台に「中野総選挙」を実施中である。
ちなみに来年は足立区の町工場を舞台に「ヘル足立」が予定されているという。
すべて14という拠点を設定し、それを奪い合う戦国絵巻の体だ。
「なんて話になっているがな、14になったのは偶然じゃねえよ」
「そう、セトのせいだろうな。オシリスの肉体を14の破片に分割した、あのセトが、どうしても14だと言い張ったか」
ホルスが憎々しげに言った。
彼にとってセトは、父親を殺した伯父、という位置づけになる。
「そんなえらいひとなのか、瀬戸さんて。いわゆる興行主か?」
「たぶん、この電話の相手は息子のほうだ。一度だけ話したことがあるが、親子で変態なのさ。オヤジは女をバラバラにしたがるし、息子はその肉片を蒐集したがる。変態親子の見本みたいな連中だよ」
だいぶ以前のことだが、チューヤも思い出していた。
経堂のホームで、転がる肉片を奪い去っていった小柄な男のことを。
バラバラ事件の犯人として、緊急配備の直前までいったらしい。
だが結局、集中運用どまりで、報道へもすぐに規制がはいった。
瀬戸は、芸能界では一大ビッグネームのプロデューサーだ。その息子が犯罪にかかわっているとなったら、各方面に影響が出る。
証拠も不十分だ、ということで手配もされなかった。
参考人として聴取されたとかされないとか、小耳に挟んだ気がするが、結局どうもなっていない。
「てか、そこまで知ってんなら最初から犯人だとわかれよ」
「いくつかの可能性のうち有力なひとりではあったが、確信はなかったんだよ」
「なるほど。けど、犯人がわかってよかったな。そいつ探せばいいんだろ?」
「……むしろ厄介だよ。こいつの居場所が、いちばんわからねえ」
マフユはあごに手を当て、めずらしく考え込んでいる。
そうして考えた結果は、たいていろくなことにならない、というチューヤの経験則は補強されすぎていて悲しい。
「どういうことだよ?」
「金があってコネがあるんだ。隠れようと思えば、どこにだって隠れられる」
「……なるほど。そいつは厄介だな。ロキってひとに頼んで、人海戦術とかとれないの?」
「ロキ兄なら、べつに正面から瀬戸のオヤジを問い詰めりゃそれで済む。そういうわけにいかねーから、あたしが動いてんだろが」
「直接、その息子を発見してとっちめないといけないってわけか」
むずかしい展開になりそうだった。




