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29 : Day -32 : Nakano-sakaue


「ゴミダルマ壊そう~自転車で轢こう~♪」


 楽しそうに歌いながら、ひとりの少女が、スポーツサイクルを漕いでいた。

 室内で乗るためにはできていない、高級なスポーツ自転車を。

 芸能事務所内で。


「エリサちゃん、部屋のなかでは自転車に乗らないでね」


 マネージャーらしい中年男の声に、不愉快そうにふりかえる少女。


「はあ? じゃあ外で走っていいの?」


「いや、困るよ。ぶつかって怪我でもしたら」


「怪我すんのは相手だから。そんならいい?」


「こ、困るよ……」


 気づかないふりで、マネージャーの足を強く踏みつけるエリサ。


「仕事なくなったら?」


「困る、よ……」


「そう。……じゃあ、ちゃんとやれや!」


 人体でいちばん硬い場所、肘で相手のみぞおちをえぐる。


「げほっ、がはっ!」


「きったね。唾とか飛ばすなし。クズが」


 蹴り倒した自転車の下敷きになったマネージャーに背を向け、歩き出すエリサ。

 彼女がこうであることには、もちろん理由がある。



「エリサは特別なんだ。AKVN14のなかでも、特別なんだよ」


 不動のセンター。

 一度も揺らいだことのない、氷の塔。

 事実、彼女の歌唱力とダンスは、海外の専門家すら目を見張るレベルだ。

 しかし同時に、その性格の冷たさ、ゆがみを知っている人間も、わるい意味で目を見張る。こんな性格で、このさきやっていけるのかと。


「そうよ、私は特別。性格うんぬんは、下手なやつ、弱いやつの言い訳。私には関係ない。──そうよね、社長?」


 彼女の足元には、彼女を売り出す事務所の「社長」が拘束され、踏みつけられている。

 ──うれしそうに。


「そうさ、そうとも。エリサが、全部とるんだ。おまえが、いちばんだよ」


 事務所としては、不動のセンターを支える体制を固めている。

 あらゆる手段で、彼女の「総選挙」を守らなければならない。

 その邪魔になるものを、ただひたすらに排除することで──。




「で、どこ行くんだ、マフユ」


 とりあえず中野方面へ行け、と指示されてチューヤは電車に乗った。

 酒臭いマフユの息には閉口したが、どうにか終電まえに中野へ降り立つことができた。

 そういえば以前、この駅前でAKVN14のだれかのゲリラライブに遭遇したとき、怪しげな男を見かけたことを思い出す。


「あ? 決まってんだろ、お返しだよ。殺しそこなっといて、テメーが生き延びられるなんて、どんな脳ミソお花畑も思っちゃいねーだろ? こいつは世の中のルールってやつだ。おまえだって同じことやんだろ」


 もちろんマフユは、数時間まえに自分が殺されかけた問題の解決を、まず喫緊の焦眉に置いている。

 信賞必罰、因果応報。

 刑事警察機構でその一翼を担っている、社会のルールの執行者である父親の仕事などを考えると、たしかにマフユの言うことにも一理……。


「あるあるあ……ねえよ! そういうのは自分でやっちゃいけないことになってるの。自力救済の禁止といってな」


 罪を犯した人間の罰は国家が行なうので、個人による「仇討ち」は禁止する、という法律が明治以降に公布されている。


「だれか(国)が助けてくれたことあったか? 仮にそういうことがあったとして、そんな夢物語を信じて、アホみたいに口広げて待ってるつもりはねえな」


 やられたらやり返す。

 このルールについては、たしかに反駁しづらい論拠がありすぎる。

 まず歴史上、もっぱらこれを否定してきたのが「宗教」だったことからして、胡乱な背景が透けて見える。

 みずから先制攻撃を旨とする教祖や教団にとって、復讐の権利や執行を決定する権能は、可能なかぎり自分たちの手に留保しておきたい。信者個々人に勝手に復讐などしてもらって、利益が減殺、散逸してしまっては困るのだ。

 というわけで、復讐の否定そのものに対して、その時点で、すでに反証が成立してしまっている(信者を除いて)。


 おれがやってやるから、おまえは非武装で黙ってろ。

 たとえば国家が国民に対してそう口にしたら、アメリカ人は「ふざけんな」と返す。ライフル協会を中心として、自分の身は自分で守るのが当然だからだ。

 そもそも国が、信頼に応えてくれたことがあったか? おまえらこそ、いいから黙ってろ。おれがやられたことは、おれが返すから、邪魔すんな。


「……百歩譲って、だれをやるんだよ? 犯人わかってんのか? フレスベルクの今際の際だって、だれの指示とかわからなかったろ」


 苛烈な戦闘だった。

 RPG的に慎重なレベル上げとナカマ戦略を打ち立てることによって、かろうじて勝利するという顛末は、ゲームでやればおもしろかろう。


「あの邪悪な目ェ見りゃわかんだよ。田宮の野郎に決まってる」


「それ以外に殺される理由に思い当たるところは? って質問をくりかえしてもいいか」


「…………」


 沈黙が長すぎて、思い当たるリストの長さを察するところあまりあった。


「ともかく、あんまり派手に動くなよ」


「動けるわけねーだろ。しばらく潜伏だよ。……AKVNのほうを片づけたらな」


 ようやく中野を目指した理由にたどり着いた。

 中野総選挙。

 AKVN案件であれば、当然、ここが拠点となる。


「それ、どーなってんの。マフユの仕事?」


「ケッコんときに話したろ。べつに仕事ってわけじゃねーけど……」


 ケッコにまつわるエトセトラについては、チューヤがAKVNを理解する端緒として、うまく機能した。

 女たちを(もちろん男も)道具に変えて、利益をむさぼる業界。

 芸能界は、魔窟だ。

 このことについては、サアヤもよく言っている。アイドルって見た目、光り輝いててとってもあこがれるけど、ちょっと裏にまわったら、こわいこわいだよー。


 そもそも芸能を取り仕切っていたのは古来、賤民であった。

 その後、長い昭和という一時代をかけて、暴力団の関与を排除するにおいても多大な労力を費やした。

 それでも、まだヤクザとの関係がささやかれる芸能人は、少なくない。

 逆にいえば、芸能界は金になる。ヤクザが利益を吸い取る対象として「ウマー」なのだ。


 興行としてのAKVNに、ロキを中心とする北東京の半グレたちが、密接に関与している。

 マフユは、その利益構造に強くコミットしている。

 彼女の個人的な事情としても、組織においてある程度の実績を残さないと、ロキの近くに居づらい、などという背景について当人は語らないが。


「売上とか視聴数なんかで競ってるやつだろ。で、モムノフってファンどもが暴走してるって話は聞いたが」


 ある程度の「戦い」はむしろ演出の対象だが、あまりにも派手な炎上案件、警察沙汰は困る。

 そのへんの「バランス感覚」を、ニュートラルな一般ピープルに期待している、というのがマフユの都合らしい。


「競争原理の宿命っちゃ宿命だ。勝つために自分の推しをアゲるんじゃなく、ライバルをサゲるってやり方が増えてきた。対抗する邪魔なファンを物理的に消すところまでキテるらしい」


「それAKVNの商法とはあんまり合致しなくねえか?」


 ひとりの完璧なカリスマではなく、十把一絡げの雑多なインフルエンサーで、感染者の層を厚くする。だからこそアイドル「グループ」である必要がある。

 ファンの感染層を広げる活動なら推奨だが、互いの人気を削り合うのは、共倒れの危険さえある。


「そうなんだが、トップを目指そうっていう構造そのものがイベント化してっからな。必然的に、自分の足を食い合うような下手なやり方が、まかり通っちまう。それ自体をうまく利用するのも選挙っちゃ選挙だが、現状の暴走は主催者側としても都合がわるい」


「ファンはありがたいが、行き過ぎたファンってのは、たしかに全体的にはマイナスか」


 この「ファン」という人種は、一般に、3つに分けられる。

 「ふつうのファン」は、本やソフトを買って楽しんでくれる、たいせつな顧客だ。ボリュームゾーンであり、マーケティングのほとんどが、彼らにむけて行なわれる。

 「コアファン」は、出待ちをしたり追っかけをしたりするファンで、常識をわきまえ、消費も相応に多いので、運営側にとってはそれなりにありがたい存在となる。

 問題は「サイコファン」で、住所を突き留めて部屋に侵入したり、物を盗んだり、邪魔者を殺したりする。ただの犯罪者ともいえるが、非常に厄介だ。


「そういうわけで、キチガイどもを排除してくれ」


「複数形なのが気になるんだが」


「ボスはひとりだと思うが、まだ正体はつかめねえ。そいつの命令を受けた何人かのヤベエやつらが動いてる。女を殺してパーツを奪おうとしたっていう、おまえの会ったオタクどものリーダーだ。()()()()()()()()()()()んだってよ」


 ケッコのまわりにいたモムノフたちも、そんなようなことを言っていた。

 邪魔なアイドルを排除し、推しのアイドルを完成に近づける。ある意味、一石二鳥だ。


「自分の推しを育てるため、か」


「きめえんだよ、ドルヲタが。人類の最底辺だな。……いや」


「なに、その目!? もしかして鉄ヲタ、ディスってる!?」


「テメエがディスられないという考えをもってることに、むしろ驚いたわ」


「それ以上、鉄ヲタへのヘイトをくりかえすなら、こちらにも考えがありますぞ!」


 鉄オタ代表として、憤慨せざるを得ない。

 マフユは肩をすくめ、


「……はいはい、わかったよ。底辺はドルヲタで、そのつぎが鉄だな」


「よろしい! ……よくねえよ!」


 どの業界でも、まじめにやってるひとはまじめだし、その一方、問題行動を起こす者も一定数、必ずいる。

 集団にカテゴライズして決めつけることは、やってはいけないことだ。


「で、さしあたりこいつのところへ行く」


 マフユがポケットから取り出した写真には、たしかにアイドルらしい、とてもかわいい日本風の美少女。

 悪魔使いのナノマシンが稼働してアナライズすると、浮き上がるのは、


「……キクリヒメ?」


「ボディガードしてくれってよ」


「すりゃいいじゃん。女の子まもるの好きだろ、マフユ」


「なんだてめえ、その言い方は」


「ほんとのことじゃん」


「そうかそうか、そんなに手伝いたいなら手伝わせてやる」


 チューヤは鼻白んだように、マフユの態度を冷めた目で眺めやる。

 このまま、なあなあで付き合っていていいとは思えない。

 やむをえず、踏み込んだ。


「おまえのそういう性格には慣れてきたけど、まず話すべきことを話せ。病院のときも渋谷のときもそうだ。まえもって知っといたほうが、対応策が広がる」


「渋谷は、あんなことになるなんて思ってなかったわ。まあいい。説明してやるから聞け」


「聞きたくないけど聞く」


「脅迫状が何通か届いてる」


 チューヤはげんなりして、ため息を漏らした。

 想定の範囲内ではあるが、


「警察案件じゃねーか」


「ばかたれ。アイドルに脅しや嫌がらせは日常茶飯事だ。そんなもんで下手にサツに嗅ぎまわられるほうが面倒だわ」


「だけど被害が出てから動いてもらっても手遅れだろ」


「バカの正体は、だいたいわかってんだ。つぎ見つけたらぶっ殺すと脅しはかけといたが、その程度であきらめるようなら苦労はない」


 どうやら、ある程度の外堀は埋まっているらしい。

 だったら訊くまえに話せよ、めんどくせえな、と思いながらチューヤは言った。


「ほーん。そのバカを痛めつけるのに手を貸せってか」


「なにしろ群衆のなかから一匹のブタを見つけるわけだからな。中身も外身もクソブタだが、人間の皮をかぶってるから厄介だ。──こいつだよ」


 いかにもなドルヲタの写真を手わたされる。

 一般社会でこのような男がいたら、あきらかに悪目立ちするだろうが、同種のブタの群れのなかから発見するのは、たしかに厄介かもしれない。

 しかも中野総選挙は、企画運営上、屋外展開されることが多い。路上の手売り、車上のライブ、駅前のイベントなどを中心に、14人のアイドルたちが毎日、中野区の各地でゲリラ的に活動している。

 無数のカメラが中野区を動きまわり、アイドルたちの活動の多くはリアルタイムでネット配信されている。そこでトラブルが起こるのは、困りものだ。


「そういうのは、闇の組織を動かせるおまえのほうが得意なんじゃないのか?」


「なんであたしが闇の組織を動かせるんだよ?」


「動かせないのか?」


「いや……だが、ヤクザで倒せるくらいなら、てめーなんかにゃ頼まないってことだ」


 ヤクザやチンピラの「実働部隊」は、たしかに「こちら側」では使い勝手がいいかもしれないが、「あちら側」ではそのかぎりではない。

 なるほど、とチューヤも納得せざるを得なかった。


「……悪魔絡みかよ。どんなのに取り憑かれてんだ、こいつ」


「見つけしだい殺していいからよ、頼んだぜ」


 チューヤはゾッとした表情でマフユをガン見する。


「まさかとは思うが、丸投げするつもりじゃないだろうな?」


「あたしは、ほかにやることがあるんだよ」


「俺だってあるわ!」


 マフユとの共闘を想定していたが、そういうわけではないらしい。

 並んで歩くうち、どうやら目的地に着いた。

 マフユは街路のさき、一棟のマンションを指さして、


「あそこがアイドルの部屋だが、もちろんテメーのようなゲス野郎を部屋に入れるわけにはいかない」


「じゃあどうやって守るんだよ!?」


「建物へ侵入しようとするクズを、軒並み殺せ」


 地団太を踏むチューヤ。

 めんどくさいことこのうえないが、突っ込まざるを得ない。


「住人とかいるだろ! てか、ここ中野だよな? 中野でコンサートしてたのって」


「小菊だよ、こいつ。AKVNのナンバー3だ」


 さっきの写真を再び提示され、キクリヒメ=小菊、という図式を脳内に刷り込んだ。

 チューヤはいいように使いまわされている自分自身を認識しつつ、


「その子のゲリラライブに、なんかやべー男がつきまとってるの見たぞ、先週」


「……あ? てめー、なんでそんとき、そいつ殺さなかった?」


「アホか! いきなり殺──」


 つぎの瞬間、ハッとしてその場を飛び退いた。

 駆け抜ける強烈な疾風に、悪魔の力が乗っている。

 危険な空気が、一気に膨らんだ。



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