25 : Day -33 : Akabane-iwabuchi
昼間でも薄暗い、コンクリート打ちっぱなしの廃ビルのようなアジト。
北区・赤羽の片隅に、ロキはいた。
「……わかりました。今回はこのふたりで」
「ああ。頼むぞ、田宮」
しばらく見つめ合うふたり。
やがて唇をゆがめ、にやりと笑う田宮。
「ロキさんは、ほんとに俺を信用してねえんだね」
「あ? ちゃんと仕事まわしてるだろうが」
「そういう話じゃなくて。ぜったい俺に背中を見せねえ」
目を細める田宮。もともと曲がった骨格が、よけいにひしゃげて見える。
ロキは苦虫を噛み潰したように田宮を見つめ、短く舌打ちした。
「あたりまえだ。てめえは、どんな恩人も噛み殺す狂犬だろうがよ。背中どころか、ほんとは同じ部屋の空気も吸いたくねえ」
「くくく、それでこそロキさんだ。頼むから俺ごときに殺されねえでくれよ。あんたは悪の神なんだ。いずれこの世をひっくり返してくれると踏んだから、こうしてあんたの仕事を引き受けてる」
「さっさと行けや。てめえの顔を長く見てると、不機嫌な俺の被害者が増える」
「知ったことかよ、くたばりやがれ」
言いながら、バックステップを踏むように部屋から姿を消す田宮。
彼なら「首が飛んでも動」くだろう。
断末魔の形相で、殺し返すまで這いまわるにちがいない。
同じ悪魔をもぞっとさせる邪気、あの田宮にはそれがある……。
「よう、田宮。あいかわらずイケ好かねえツラしてんな」
腕を組み、壁に背をもたせかけるのは、マフユ。
ロキのアジトは当然、彼女にとってもアジトだ。
田宮は苛立たしそうに、邪悪な目で彼女をねめつける。
気の弱い人間ならそれだけで若干チビるほどだが、もちろんマフユは動じない。
「……調子に乗んじゃねえぞ、ロキの妹だかなんだか知らねえが、この俺にでけえ口きいて無事でいられると思うなよ。夜道……いや、昼間の一人歩きにも気をつけやがれ」
「狂犬が……」
ロキと同じ物言いに、田宮の勝手な解釈が混じる。
「そうか、やっぱりてめえのせいかよ。ロキの野郎が生ぬるくなっちまったのは」
「あ? あたしがロキ兄に影響なんか与えられるわけねーだろうが」
「そう願いたいな。俺はやつに、生ぬるい行動なんざ、してもらいたくねえんだ。なあ、そうだろ? ロキに中途半端は似合わねえよなあ?」
薄汚れた舌を出し、折れた歯を舐める田宮。
さすがのマフユさえ気味悪そうに言う。
「ちっ。その背中の怨霊に、食い殺されちまえよ」
「……へっ。見えんのかい。さすがじゃねえか。かわいいだろう、岩ってんだよ」
ナノマシンを起動すれば、はっきりと見える。
田宮の背中には、有名な怪談の不気味な怨霊、お岩がべったりと張りついている。
それを「ガーディアン」と呼んでいいのかは謎だが、事実、田宮はこのお岩を自分の戦闘力に変えているのだ。
「女をいたぶるクズが。……行けよ。てめえのクセえ息、あと2秒でも吸わされたらキレそうだ」
マフユは心底からの嫌悪をこめて、顔をそむけた。
ペッ、と吐き捨てて歩き出す田宮。
マフユはこういう世界に生きている──。
田宮は「邪悪」を集めて捏ね上げた、純粋な「悪役」だ。
家庭環境が、とか、個人的な恨みが、という夾雑物がいっさいない。
精神科医は「彼は生まれつきの純粋な悪だ」と診断する。
典型的サイコパス、ということだ。
そもそも診断になっていないが、歴戦の鑑定医をしてそう言わしめるほど、田宮の邪悪は突き抜けている。
わるい意味で純粋、同情の余地が微塵もない。
最初から突き詰められているので、疑問を感じることなく悪を堪能できる。
彼に弱みを見せたら脅すし、背中を見せたら殺す。
それは、蝋燭に火をつけたら燃える、というくらい自然な行為だ。
彼は、なぜこんな犯罪を犯したのか、という疑問に対する完璧に明確な答えをもっている。
それができたからだ、と。
強い敵とは戦わない、あるいは卑怯な方法で倒す。
まず弱いほうから片づける、一方的に、ノーダメージが重要だ。
これは戦争の常套手段であり、RPG的でもある。弱った敵から、さきに倒すのだ。
なるべくダメージを受けないよう、闇討ちを多用する。身代わりを犠牲にする。
その代表的な「人柱」が、お岩だ。
必殺の「お岩ぶっこ抜き」は、自分がダメージを負わず、すべてのリスクをお岩にかぶせて相手の背中を狙う、卑劣千判の戦闘方法である。
あいつとは絶対にかかわるんじゃねえ。
ロキには、そう言われていた。
マフユとしても、かかわったつもりはない。
ただすれちがいざま、感じている心底からの嫌悪をぶつけただけだ。
──その結果、彼女は下水道に横たわっている。
だれに、なにをされたのか、とんと見当がつかない。
だが、致命的な一撃を受けそうになって、反射的に飛び退いたことだけはおぼえている。
その犯人は、死ぬまで彼女を殺せなかったことを後悔することになるだろう──が、そのまえに彼女が生き延びられるという確率自体、まだそれほど高くない。
血みどろの指で、どうにか身体を引き起こす。
上から銃弾が飛んでくる。
「なんて地獄だよ」
吐き捨てながら、汚物のなかに潜って泳ぎだす。
この汚れたウミヘビは、死地において、どうすべきかを知っている。
しばらく進んでから、下水道の曲がり角の溜まりに流れ着く。
目が開かない。ポケットでわずかな振動を感じ、指を伸ばす。
ただ感触だけで本能的に物理ボタンを探し、直後、意識が飛んだ。
「もしもーし? フユっち? あのねー、お鍋の時間なんだけどちょっと遅れそうーって、どしたのフユっち、ねえ、聞いてるー?」
命の最後にサアヤの声が聞けたとしたら、あたしは幸せだ。
そのまま汚物に埋もれ、静かに目を閉じた。
「こっち……!」
ぴくぴくとアホ毛を揺らして、めずらしくサアヤが先行した。
境界化した新河岸川にそそぐ下水道。
異世界線では、まさにドブ川になっている。
「まさかサアヤの妖怪アホ毛アンテナが役に立つときがくるとはな」
どんな伏線でも張っておくに越したことはないようだ、と僭越なことを考えるチューヤのまえで、サアヤがヘドロの堆積を指さした。
「死にかけてる! 行け、デカチュウ!」
「それは俺に言ってるのか……」
しかたなくさきに立ち、ヘドロの山に向き合う。
掘り返すと、丸いものが出てきた。
「……なんだこりゃ? 繭?」
「丸くなって冬眠してるだけだよ。目ェ覚ませ、フユっち!」
全身全霊の回復魔法。
ある意味、ここが境界で助かった。
ボロボロになったマフユは、サアヤの治療によってどうにか目を覚ます。
ふさがれた目はしばらく見えず、口も開かないようだったが、丹念に泥を落とすサアヤの尽力で、ほどなくまともな呼吸をとりもどした。
「っく、はぁ、はぁ、たすか、ったぜ、サアヤ」
「今回ばかりはお手柄のようだな、サアヤ。……さて、どうなってるのか説明してくれよ、マフユ」
マフユは、しばらくサアヤだけを見つめて心のほうを癒していたが、しかたなさそうに、ついてきたオマケのチューヤを見上げ、言った。
「知りたいのはあたしのほうだ。闇討ちくらって下水に落ちたが、なんとかヘドロに潜ってやり過ごした……はずなんだが、いつのまにか境界化してやがんな」
左右を見わたし、胸いっぱいに悪臭を吸い込む。
汚泥から生まれた彼女にとっては、故郷の香りだ。
「どうしてもおまえを殺したいやつが、万一にも逃げられないように境界に取り込んだってことじゃねーのか」
「だとしたら、好都合だ。見つけ出してブチ殺してやる」
ふらり、と立ち上がるマフユ。
あいかわらず、薄汚れた姿がよく似合う。
「思い当たるやついんのか?」
「いすぎて迷うくらいだが、今回はたぶん……いや、本人じゃないだろうな。部下のだれかってことか。すくなくともプロだぜ」
「プロ野球選手?」
なわけねーよな、という表情でとりあえず言ってみるチューヤ。
ただでさえ疲れているマフユは相手にしない。
「殺しのプロが、殺そうとして失敗して逃がすなんて、生涯の恥辱だからな。カーチェイスで追いかけっこなんて、映画のなかだけの話だ。プロは狙ったら必ず消すんだよ。しつこいぜ、あいつらは」
「……ふつーのことみたいに話してますけどね! あんた異常ですよ、それ!」
「なんでだよ? 殺そうとして失敗したら、つぎに殺されるのは自分だろ。殺されたくなかったら、殺すしかねえんだよ」
殺伐が日常。会話が噛み合うことは、最初からない。
チューヤはため息交じりに首を振り、
「もういい、その話は。で、相手は?」
「現世側ならともかく、境界になったらてめーのほうが詳しいだろうがよ、悪魔使い。このエリアの悪魔はなにもんだ?」
しかたなく脳内に問い合わせる。
名/種族/レベル/時代/地域/系統/支配駅
フレスベルグ/凶鳥/43/中世/北欧/エッダ/赤羽岩淵
北欧神話において、世界樹ユグドラジルのもっとも高い梢にあり、全世界を見わたすとされる全知の大鷲。世界に風を起こす役割を担うとされる。
また幹を挟んで反対側、もっとも深い根元に棲む大蛇ニーズホッグとは、つねに対立している。
「おい、無理だろ。いまの俺たちじゃ、とうてい勝てねえぞ」
悲惨な顔をするチューヤと対照的に、へらへら笑うマフユ。
当然のことだ、とでも言いたげに。
「だろうな。万一にも討ち漏らすような弱い部下に、任せるわけがねえ。いいこと教えてやるぜ、チューヤ。プロに狙われたら、生きることは諦めろ」
「ちっともよくねーよ! 勘弁してくんねーかな、マフユ……」
暗黒世界のルールを知るときは、死ぬときだ。
そんな陳腐なフレーズで、このさきの終わりを片づけてもらいたくはない。
「安心しろ。あいつらは、あたしだけを狙ってここに巻き込んだ。おまえらが助けにくることを想定してねえ」
「そうだよ、チューヤ。共同溝ってところから、ここにはいりこんだんだよね? だったら、同じところから逃げ出せるんじゃない?」
基本的に境界は、それを構築した悪魔自身が狙った相手だけを巻き込める、というかなり使い勝手のいい「餌場」として機能する。
取り込まれた者は、相手を倒すか話し合いで解決しなければ、外へは出られない。
が、逆に外から進んではいってくる者に対しては、かなり間口が広い。
おもな理由は、同じ獲物を狙った悪魔が、横からかっさらうことを可能にする手段として必要だからである。
ただしそれは、あちら側における相互干渉ルールであって、こちら側からは相互不干渉ルールが介入を不可能にしている。
唯一の例外が、共同溝だ。
共同溝については、すべての悪魔と人間を含む生物が、特定の「鍵」さえあれば、もっぱら往来目的で自由に使うことが許されている。
そこからチューヤは、特定境界に相互干渉ルールに基づいて介入した。そのアイデアを思いついた彼は、自分は天才だ、とサアヤに対してしばらく自慢していたのだった。
「……そうだけどさ。あくまでここはフレスベルグの境界だからな」
境界を張った悪魔に、なんの挨拶もなく簡単に抜け出せるとは、思わないほうがいい。
さして期待もしていなかったマフユは、
「ちっ、使えねーな。じゃあもういいよ、そいつブッ倒そうぜ」
「おまえさっき自分で言ったばっかだろ。倒せないからこうなってんだって」
「相手は援軍を想定してねえって言ったろ。てめーは間抜けか?」
「おまえな! 助けてくださいと言え、助けてくださいと」
チューヤは、星天使をブッ倒したリョージの戦力がないことを残念に思ったが、考えてみればマフユもそれなりに強いはずだ。
加えて、いまはサアヤがいる。回復にリソースを割り振る必要がない。
召喚枠を全攻撃色に染めて、なんとかなることを祈る……しかないか。
弾力的な戦い方。
まさに悪魔使いの本領発揮だった。




